父親は全て分かっていた

小学校の時から、本が嫌いで、国語の成績が悪かった私。父親が心配をして、少年少女世界の名作文学という分厚い本を買っくれました。例えば「日向が丘の少女」など、

「面白いのう~」

と読んではいくものの・・・・「あ~しんど!」

途中で、外に飛び出して日が暮れるまで遊びました。近所には子供たちが、クモの子を散らした様にあふれかえっていたので、木登り、川遊び、ビー玉、ボール遊び何をしても楽しかったのです・・・・あれから50年以上も経ちましたが、相変わらず本読みが嫌いなままです。それから、子供のころ出来ていた算数が、今では苦手。数字を見ると頭が凍りついてしまいます。

そんな私ですから、文章を書くのが最も苦手。手紙を書くのに半日費やすこともありました。前の嫁が、フリーライターだったため、文章を書けない私に呆れ果てていました。

私の事を一番よく分かっていたのは、父親だったようです。2か月で大学をやめ、アルバイトをしていた私に芸術の道を進めてくれました。また、小学校の時、神経性胃炎だった私を指圧で治してくれたのは、父親でした。その原体験で、私が鍼灸師への道を選んで行ったのです。

こんなに不甲斐ない私ですが、辛抱強く見守ってくれた父親に、感謝しかありません。

「とうちゃん、本当にありがとう。」

私の祖父、佐伯惟揚(これあき)は、背筋を常に伸ばして、颯爽(さっそう)としていました。あれが、生き方なのでしょう。私には出来ません。私は一人でいると、うつむき加減になってしまいます。

祖父は、俳人で180名の弟子を持っていました。そういう立場も姿勢を作り上げるのだと思います。また、書家でもあった祖父は、正しい姿勢から書が生まれる事を知っていたのだと思います。私が小学校3年生くらいだった頃、祖父が参観日に来てくれました。おちょうしものの私は、キョロキョロと落ち着かない様子だったそうです。舞い上がってしまい、左膝をペロペロなめていたそうです。

それ以来、長い物差しを背中に差され、正座で机に向かう練習をさせられました。また、鉛筆の持ち方、箸の持ち方もしつこく注意されました。型から入る日本の習い事は、必要な事だと、今になって感じます。

今、御茶ノ水のソーラーシテイーという高いビルの2階で、山元式新頭鍼療法(YNSA)の中級1セミナーに参加しています。講師の加藤直哉先生が、セミナーの最初にされるのが、全員起立して、両手の甲を腰に当て、スーパーマンのポーズ。

「やれる、できる、大丈夫!」

を、3回叫びます。これが型から入る自己啓蒙。祖父が示していた型の現代版だと思います。もう、すっかりスーパーマンです!

蘇れ生命の力

昨年まで、現役の小児科医として東京の吉祥寺で開業されいた真弓定夫先生(88才)のドキュメンタリー映画「蘇れ生命の力」をみました。真弓先生は、生活習慣のアドバイスをする事で、動物として本来持っている生命力を蘇らせる治療をされています。対処療法である、薬投与や注射はしません。

いずれは、書いていかなければならないテーマ。今回、このドキュメンタリー映画を見て、少しずつ書いてみようと思います。「生き方」です。

私のような、芸術活動中途半端、子供3人育てられなかった鍼灸師が、生き方をいう資格はありません。何一つ成し遂げていない男が、生き方を言えない。

ただ、身近な人で凄い生き様をさらしてくれた人がいたので、その人を語ることから、少しずつ「生き方」を語ってみたいと思います(明治生まれの日本人は、そこかしこに凄い人がいたのです)。

私の祖父、佐伯惟揚(これあき)が死を前にした時、むく~っと渾身の力で起き上がり、親族が見守る中を、最敬礼し一人一人に挨拶をしてくれました。

「じいちゃん~~・・・ありがとう・・・」

「じいちゃん、じいちゃん、じいちゃん!」

あの姿こそ、「生き方」です。あの死に方が「生き方」。

この世に生を受け、死を直前にした時、同じ血を分けあった親族に見守られ、次の世界・・・

じいちゃんは、我々の知らない世界に行く先駆者・・未知の世界を生きることが「生き方」

次回に続く