仙骨呼吸

魂合気の創設者・大野朝行先生が、「仙骨呼吸」を提唱されています。現在、治療時における呼吸法は、この「仙骨呼吸」でおこなっています。その成果は著しいように思います。そこで、大野朝行先生の著書「生命の神業」の一部をご紹介しようと思ったのですが、長くなるのでやめます。

そこで、私の独断と偏見で、仙骨呼吸をなるべく短く説明します。

仙骨は、仙椎が18才~34才にかけてくっつく平たい碇(いかり)の形をした骨。カラダの中央部にあるのに、成長し続けている骨って、非常に珍しい。そのため、靱帯でガッチリ固定されています。この中央部にある仙骨は靱帯で固定されているものの、可塑性があり、上下の刺激に対応できる構造となっています。

そこで、鼻から息を吸い込み、頭頂部、首、背骨そして仙骨と息を送っていくと、碇の形をした仙骨は、やや後ろに向きながら沈んでいきます。すると、胸が広がりアゴが上がり呼吸量が増してくるのです。

これを仙骨呼吸といい、最も優れた呼吸法なのです。

と、まあ~信じています。

自発動

 

足先の痛み、痺(しび)れを、ご自身の指に触れて「自発動」を誘導して痛みや痺れを軽減するセルフケアができる80才代の女性患者の続報です。

「先生、毎日1本の指に3分ずつ指先を当てやってます・・・・3分と決めんと、いつ終わるか分からんので・・・・1時間くらいやってます。」

「それは、素晴らしい!」

「おかげで、仰向けで寝ることが出来んかったのに、仰向きの方が楽になりました。」

「ああああ・・・やっぱり効いているんですね・・・素晴らしい!」

と素晴らしいを連発しか芸のない私。興居島出張治療での成果が少しずつ出始めました。今後、もっと信用されるような治療家を目指します!

即興セルフケア

興居島の由良町という港がある島一番の人口が多い地区を、出張治療しています。普段は、昼食を取らないのですが、ここに来た時だけ、ワカメうどんを食べるようにしています。海沿いにある「島うどん」というお店で、木造の屋根付きテーブルが新しく出来ました。木の香りがする素敵な空間なので、ついつい足を運んでしまいます。

「あじさいの杜鍼灸院」も全面木造の空間。患者さんが思わず足を運んでしまうような鍼灸院にしたいものです。

出張治療で忘れ物が致命症。今回こそは完璧と思っていたのですが、80才代の女子患者Bさんに頼まれていた野球の硬球を買っているのに、持って来るのを忘れてしまいました。ひたすらお詫びをして、治療をすることになりました。Bさんは腰痛が気になっています。腰痛でもお尻の部分です。そのセルフケアに硬球が効果的です。仰向けになり硬球を肩甲骨にある圧痛点に置いてBさんの体重で押圧指圧をすると、腰痛が軽減していくのです。『硬球に代わるものないかな?』・・・・と、部屋を見回してみると、

「あっっ、これ!この蓋を床に置いてやってみましょう。」

テーブルにあった丸い陶器の入れ物の蓋(ふた)を床に置いて、Bさんに肩甲骨の圧痛点に当たるよう仰向けになってもらいました。

「先生、陶器じゃけん痛いと思ったけど、ちょうど良い。気持ちええ。」

「そりゃあ良かった!次回硬球を持って来るまで、これを使ってセルフケアしてみてください!」

と、即興セルフケアを見つけだしたのです。次回までに腰痛が改善することを願うばかりです。

明日は、興居島!

今日は、朝から夜10時まで、働き続けました。途中、車検が済んだマイカーを取りに行っただけ。そして、明日は興居島に出張治療!これから寝ます!おやすみなさい💤

熱中症

 

今日は、熱中症のため予約をキャンセルする患者さんが、3人ありました。

今年の夏は、特別暑いような気がします。皆様、無理なさらないでください。私ももうこれから寝ます。おやすみなさい💤

ギックリ腰には耳ウラ

最近、ギックリ腰で来院される患者さんが多くなっています。今までの経験から、耳のウラに置鍼するのが、効果的だと思っています。なぜ、耳のウラかというと、腰周辺の構造と頭蓋骨周辺の構造が似ているからです。「似ているだけで、何で?」と思われる方が多いのですが、同じような構造があるとその構造体を包み込んでいる筋膜が、引っ張りあってバランスを取っているからだと思っています。

理科系の頭を落ち合わせていない私は、これ以上説明できないし、すべきではないのでしょうけれども、喋ってみます。

耳は頭蓋骨と下顎骨と頸椎の交差するところに、位置しています。その構造に似ている骨盤には、仙骨(小さな頭蓋骨に見えます)と寛骨(腸骨+坐骨+恥骨のことです・・・これは、大きな下顎骨に見えます)と腰椎(頸椎に対応します)が交差するところがあります。その場所がギックリ腰になりやすいところです。

つまり、耳のウラ=ギックリ腰になりやすいところという構造的類似点を何となく感じるのです・・・まあ、説得力はないのですが、私なりに感じつつ治療をしています。

すだれ

梅雨が明け、暑い日々が続き始めました。こうなったら、簾(すだれ)にひと頑張りしてもらいましょう。元々当院では、障子(しょうじ)、窓ガラス、小割(木材)の板壁と3段構えの断熱、断音構造にしています。そこへ、簾を追加したので4段構え構造になったので、夏は過ごしやすいはず。これで、朝夕の打ち水をすれば、何とか猛暑の夏を乗り切ることができると・・・思いたいのです。

唯一、失敗したのは玄関。玄関は、大きなガラス戸のみで断熱、断音が出来ていません。

現在、治療している場所が、この玄関のある以前は待合室であったところ。そのため、夏の暑さが直に伝わりやすくなっています。

次の目標は、玄関のガラス戸をしっかりした2重のガラス戸にして、暑さ寒さを遮る資金作り!

1Fの鍼灸院と2Fの我が家を下駄で移動しています。そのため、「カランコロン」という風情ある音と共に階段を上っていくのです。その音に敏感なのは、メス猫モモ。長引く大雨に嫌きがさしたのか、それとも、よく晴れた外気に触れたくなったのか、「カランコロン」を聞き待ち伏せ。私が開けたドアの隙間から一気に外へ。

「あっっっモモ、いかん!」

と静止するも、飛び出してしまいました。

「ああ~、またか!ええわい、2~3日で戻ってくるけん。」

とあきらめたのですが・・・・モモの様子が変。耳をそば立てて、見つめる先に、中学生が2~3人立ち話をしています。すると、スタスタと我が家に引き戻ってしまいました。モモは、私以外の人間には恐怖を感じているようです。というわけで、今回は家出未遂という結果になりました。しばらくは、こんなことが続くでしょう・・・楽しいもんです!

興居島で、

昨日までの雨が、ウソのように今日は良く晴れています。水曜日はいつものように、興居島出張。

「先生、アンタが来る時は晴れるのう。」

と、患者さんによく言われます。生まれてこの方、晴れ男になったことが無いので、初めての体験です。どうやら興居島とは相性がいいようです。ご高齢の多い興居島なので、現在の私の実力では、高校生のように即効性のある治療がまだ出来ていません。ただ、先週の土曜日に転んで左胸、左前腕を打撲した80才代の女性患者Aさんのような治療に関しては、即効性があります。頭にある左胸部、左前腕部の治療点に置鍼するだけで痛みがずいぶん軽減しました。

また、患者さんの手の指に、私が中指を添えるだけで患者さんの足が勝手に動き出す「自発動」を2回連続で体験されている80才代女性患者Bさん。ご自身でご自身の指に触れることで「自発動」を誘発できると指導したところ、

「先生、手の指。親指から順番に小指まで3分ずつ触れると、やっぱり足が勝手に動くんです・・・・そのせいか、足がポカポカして・・・普段は、靴下して寝るんじゃけど、靴下脱いで寝ています。」

真面目で几帳面なBさんは、しっかりとご自身のカラダと向かいあっておられます。今後長くお付き合いしていくであろう興居島。無理しないでボチボチやって行こうと思います。

松山城

 

松山城の北側の土砂崩れで、3名の方がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。

道後温泉の改装工事が終わり、松山城との2大観光スポットの共演が始まるはずだったのですが・・・しばらくの間は、松山城は閉鎖されるようです。今日は、患者さんとの会話が、松山城のことになり、私が知らないことを教えていただきました。

「松山城の城山は、もともと2つの峰があって、谷の部分に頂きの土を埋め込んで出来たらしいですよ。その谷間に泉があってそれに石垣を積んで井戸にしたんだそうです。」

「えっ?そうなんだ!全然知らんかった!」

というわけで、インターネットからコピペします。

『お山の名前は正しくは勝山と云い、城山は愛称です。

松山城築城以前も勝山と呼ばれていました。

築城以前の勝山は現在と違い、ふたつ、または三つの頂(峰)を持つ姿をしていたと考えられています。

築城に際し、山を削った土砂で谷を埋め、造成した平地に本丸が築かれました。

現在、山上の売店がある辺りにいまでも水をたたえる深さ44mの井戸があります。

井戸の底は埋め立て以前、谷だった場所で、泉があった云われています。

また、加藤嘉明が築城した当時の古地図には、現在、天守閣がある場所に池が描かれています。

寛永12年(1635年)、松平定行が入国した際、城山には樹木が無く、赤土の山のようとも、はげ山だったとも伝えられています。

木が唯一の燃料であった時代、都市近郊の山はほとんどがはげ山でした。

藩主自ら松を植え、栗を蒔き、長い年月をかけ、現在まで続く緑に包まれた自然豊かな姿に変わっていったそうです。』

という事で、城山は人工的な山だったのですね。