龍話

 

「先生、龍はどうなってます?」

「・・・まあ、やってますが、プロジェクトをちょっと考えています・・・・龍は、世界中にいますよね。」

「本当に、おったんじゃないですか?」

「そうですよね、恐竜はおったんじゃし・・・・」

「私が子供の頃、4人で山に行った時、龍のようなヘビに出会うことがあったんです。こんなに太さ(直径7~8cm)で、私が尻尾を持ってつかまえたんじゃけど、岩のスキマにおって(居て)中々出てこれん。よう見たら、しっかり足で踏んばっとる。これは、4人とも見とるけん・・・・結局、尻尾が取れて、にげられたんじゃけど・・・・・今でも、4人でおうたら(会ったら)・・・あれは、足があったといよります。」

「へ~、すごいな!それは、龍ですね。」

「隣りに引っ越ししてきた嫁さんが、山に行くのが怖なって、怖なってしょうがないなった事があるんです。昔じゃけん、草刈ったら山のように盛るでしょう・・・・その草山が、トグロのように枯れてるそうなんです・・・・それを、よう見たら大蛇がトグロ巻いとったんで、腰ぬかして慌てふためいて逃げ帰ったちゅう話があったんです。今は、植林ばっかししてしもて、単純な山になってしもうたけど、昔の山は深かったけん、大蛇がおっても不思議じゃなかった。」

などと、昔話をしながらの施術は、本当に楽しいのです。70才代の男性患者Aさんは、5ヶ月前から通院されています。両下肢が痛くて手術することも考えるほど大変でした。それが徐々に回復して最近では、仕事ができるまでに回復されました。このような結果が出ると、この仕事を選んで本当によかったと思うのです。

メガネが・・

「あああああ~、メガネが!」

トイレを流している最中、触れたメガネが落ち、流水に吸い込まれてしまいました。一瞬で見える世界が変わってしまいました・・・・といっても、私の視力は0.6位はあります。老眼と乱視のメガネなので、メガネなしでも生活、治療はできます。特に治療に関しては、感覚の世界なのであまり関係ありません。

しみじみ、メガネ無しの眼を見てみると、父親そっくりの眼をしていたのには驚きました。私の年(68才)では、生きていなかった父親。父親がやりたかった神社の環境整備、山あじさいの栽培、地域振興は、宮司になった弟がやってくれています。私は、親父そっくりの眼で親父の見ていた世界を、私なりに展開していきたいと思っています。

親父さんは、私の眼が父親似だったのを知っていたのでしょう。美術教師をしていた父親は、私の感性が父親そっくりだったのもお見通しだったのでしょう。私が中学生の頃から、

「お前は、美術系の大学に行け金沢の大学なんかは、ええぞ。」

と言われ続け、高校に入ると、

「ええか、1年生の間は好きなクラブに入ってええが、2年生からは美術部に入れよ。」

と言われたのです・・・・そこで、1年生は柔道部。ところが、軟弱部だったため、2学期から野球部に入る決心をしたのです。その決意を理解してくれたのは父親でした。その後、法政大学に入学するも、わずか2ヶ月で退学。様子が変だと感じた父親から、「帰っておいで」コール。

「それで、お前一体何するんぞ?」

「・・・・・・よう分からん。」

「そうか、お前は芸術でもするんかと思た。」

の一言で、芸術の道を歩むことにしたのでした。芸術を20年、治療を20年以上の人生ですが、まだまだ芸術を捨てた訳ではありません・・・・ボチボチ。

あじさいクラブに新メンバー

(新年会で食べきった鯛のお頭)

今日は、「あじさいクラブ」の初練習。リードギターのヨッシャー、ドラムのヒラリ、キーボードのえんちゃん、ベースギターの私(ゴンちゃんと呼ばれています)に新メンバーが加わりました。

カッパちゃん(男性)。カッパちゃんはボーカルで英語、フランス語が堪能なので、マイウェイ、愛の讃歌などを歌ってもらうことになりました・・・博識なので、練習後の飲み会ではあらゆる世界を駆け巡る会話が飛び交うのです。

早速、3月26日砥部町にある里山房(ギャラリー)での演奏が決まりました。どんなになっていくのでしょう・・・鬼ヶ島退治に、いつの間にかキジやら猿やらがついて来たように・・・どこにも退治にいくのではないのですが・・・面白い人達が集まって来ています。

もう走り出しているので、どこまで走るか分かりませんがやってみます。今まで音楽をしたことの無い私にとって、全く未知の世界・・・だから、楽しいのでしょう。師匠のヨッシャーは、世界で5人しかいない寺内タケシさんの弟子。私のような初心者に、優しく指導してくれます。ありがたいことです。

いつか、坂本九ちゃんの上を「向いて歩こう」を演奏しながら歌いたいのです・・・これは、今年の目標!こんなちっぽけな目標こそ、大切!

明日は、患者さん2名!精一杯治療いたします!

一口

新年あけましておめでとうございます⛩

本年も、よろしくお願い申し上げます。

今年は、やりたいことが沢山あるのですが・・・言葉にしないで、ボチボチやって行こうと思います。筑波大ラグビー部、健闘空しく帝京大に敗れましたが、5点のワントライは素晴らしかった!一口と書いて、何と「いもあらい」と読む一口直貴選手(4年生)の得点です。一口選手は、兵庫県星陵高校出身ですが、京都に東一口という場所があり、京都で生活していると、時々出会う地名、「東一口」・・・懐かしく思ったのです。

『【一口(いもあらい)名前の由来】

古来から「ひとくち」「一口」「いもあらい」「芋洗」などと呼称・記されてきており、

それらが混合されて、「一口(いもあらい)」となったといわれる

<忌み祓い(いみはらい)>

巨椋池の西岸の湿地帯であったため、洪水が頻繁に起き、そのために疫病が流行った

その災いを身を清め払うという意味の「忌み祓い(いみはらい)」から「いもあらい」に訛ったものといわれる

<稲荷神社>

庖瘡平癒の神社として信仰を集めていた村の入口にあった神社

庖瘡(ほうそう)(天然痘)・痘痕(とうこん)のことを「イモ」とも称され、「アライ」とは、払う(治す)を意味することから

「いもあらい神社」と称されるようになったといわれる

<村への出入口>

村が、北・東・南の三方を巨椋池によって囲まれており、村への出入口は、西の一か所のみだったことから

「一口」と記されるようになったといわれる

「山城名勝志(1711年(皇紀2371)正徳元年)には、

三方が沼(巨椋池)であって、入口が、その地のみの一か所であったことから「一口」と書かれたと記されている

「山城国久世郡御牧郷村名宮寺初記(1828年(皇紀2488)文政11年)」の「両一口村名の初」の項には

「往古ハ両一口村淀魚の市ニ有りし時、三方ハぬまニて一方より入口あり、これに依り「ひとくち村」と記ス、

天正17年4月 太閤御城を築キたまう前ニ大地の高キ嶋え立のき、此時より西と東え別れ「西一口村」、「東一口村 」と申す也」と記されている』

と、インターネットでは出ていました。一口直貴選手は、この地名とゆかりがあるのではないかと、推測したのです。

さて、明日も楽しく仕事に励みます!

今日は大晦日

今日は大晦日。これから、正月3ケ日までは、フェイスブックをお休みします。ネコのモモちゃんと暮れから正月は一緒に生活します。いつもは、1階の鍼灸院で時間を過ごしているのですが、明日からの3日間は、2階で寝酒正月!

箱根駅伝、筑波大学対帝京大学の大学ラブビー準決勝!と、楽しみがあるのです。筑波大学のラグビーは、実に複雑。体育専門学群グループと、医学専門学群グループと、それ以外のグループに分かれているのです。この3つのグループの合同チームが筑波大ラグビー部なのです。ちなみに、昨年まで現役の日本代表だった福岡堅樹選手は、筑波大のそれ以外のグループからの招集でした。

3グループに分けざるを得なかった理由は、練習時間帯。勉学優先の筑波大は練習開始時間が、学群ごとに違うため、必然的にこのようになったようです。ちなみに、愛媛県のラグビー名門高校の新田高校監督は、筑波大のキャプテンで、日本代表にもなった亀岡先生です。「筑波大学ラグビー部の総会に出席しても、知らない部員がいた!」とおっしゃっておられました。その部員をまとめるのですから、亀岡先生のキャプテンシーは、凄かったと思います。

そんな苦労を跳ね除け、ベスト4まで残った筑波大の応援、よろしくお願いします!

父親の手のひら

地元に帰って開業し、7年目になります。今日は、故郷に帰って良かったと思える日でした。友人の紹介で70才代の女性患者Cさんが来院。鍼治療の経験もなく、「鍼は痛いけん、いや。」という方でした。

「ほやけど、そんなんでようここに来たね~。」

「・・・・まあ、そうですけど・・・・あの~、お父さんは久米中(学校)の校長先生を、されておられたでしょう?」

「ああああ、確か久米中が最後の中学校じゃった・・・かな?」

「私の妹の娘が久米中じゃって、それはそれは良い校長先生じゃいうて、おりました。」

「・・・・ああ、確かに花校長と言われて・・・・ある日、親父が忘れ物をしたので、それを届けに行っても、校長先生がおらず・・・・麦わら帽子をかぶって水撒(ま)いとる人んとこ行って、気づいたら、親父さんじゃった・・・・そんなことがありました。」

「偉いお人は、偉ぶらんけん。」

「・・・・今でも、清明会という親父の勉強会を続けてやっている先生のグループがあるというのは、聞いています。」

などと、ついつい親父さんのことを、偉ぶって言ってしまう私です・・・反省。

今でも親の後光に頼っている私ですが、本当に良い父親に育てていただいたと思います。

「何で、先生は鍼灸をしようと思われたんですか?」

「実は、私が小学生のころ、夕方になるといつも神経性胃炎になって腹痛を感じていたんです。それを親父さんが、指圧で治してくれていたんです。で、その感覚をカラダが覚えているので、親父さんにも、毎日指圧をやっていたんです・・・・そしたら、ひろむ(私の名)、指圧が上手いのう・・・と、褒めてもらい、指圧師だったら生活できると、子供心に思っていたんです。」

実際、我が家は祖父母から始まり、両親が学校の教員。こんな家系で商売は出来ない・・・先生しかなれんと子供心に感じていても、どこかに逃げ道が・・・・それは、指圧師か?・・・結局、指圧師も先生と呼ばれるんじゃけん、どうせ先生と呼ばれるんじゃったら、色々やって指圧師になったらええ・・・・そんな、人生計画をどこかでしていたようです。結局、鍼灸師になって先生と呼ばれ7年。もがきあがいても、父親の手のひらを一所懸命走っていただけだったようです・・・・・・ありがとう、父ちゃん!

初演奏

昨日、ギャラリーキャメルKというところで、あじさいクラブの初演奏を行いました。なぜ、初演奏というか・・・・それは、やっとメンバーが固定出来たからです。本格的に音楽をやっているのは、リードギターのヨッシャーのみ。ヨッシャーは、世界で5人しかいない寺内タケシさんの弟子の1人、ギター歴50年。ドラムはヨッシャーの奥さんヒラリ、ドラム歴3~4年。私は、楽譜読めず、ベース音を弾くことしか出来ない音楽歴1年。えんちゃんに至っては、キーボード歴半年、ボーカル歴半年(ボイストレーニングは数年しているようです・・)。

こんな60才以上の4人が9曲演奏・・・・ところが、ハプニングの連続。まず、100%間違うことがない「シェルブールの雨傘」で一瞬「空白」。何と、ベースの私が・・・・途中、開き直って修正。続いて、「マイウェイ」開き直ってベースは持ち直すも、ちょっと、ギクシャク。続いて加山雄三の「君といつまでも」私のセリフ「死ぬまで君を離さないぞ  いいだろう?」が受けすぎ・・・・リードギターが迷走で突っ走る・・・・これは、治らん・・・・覚悟を決めた頃、「転調から」とリードギターのヨッシャーの声、何とか調整し、終了・・・終わり良ければ、全て良し。

ここまでさらけ出すと開き直るもので、「スタンドバイミー」ベースの私が間違うと、台無しになるコンサート・・・『ベースで支えるぞ!』と意を決してスタート。ヨッシャーのボーカル調子良し!リードギターのアドリブ調子良し、えんちゃんのキーボードも良し・・・で乗り切りました。続いて「ホワイトクリスマス」「赤鼻のトナカイ」これは半年前から練習するも、まあまあの出来。

「Snow White」と「君に輝きを」は、ヨッシャーのオリジナルソング・・・突然、ヨッシャーが阪神大震災の話を始めます。当時、松下電器で営業マンをしていたヨッシャーは、真夜中まで働き、寝床について熟睡の最中、震度7(当時はそれ以上の計測が出来なかったようで、実際にはその倍近くあったようです)を体験。1~2m空中を飛び、その間に大きな真空管のテレビがヨッシャーの寝ていた頭の位置に落ち、ヨッシャーは、死ぬことを脱がれました・・・突然、涙ぐむヨッシャー、数人の同僚を無くしているはずです・・・この話は、酒の席で笑いながら聞くことがあっても、人前でしかもリアルに聞くのは初めてでした。

この話の後の演奏は、上手く行きました。最後はゆずの「栄光の架け橋」。終わり良ければ全て良しで演奏終了となりました。

年賀状投函!

恒例の年賀状、やっと投函できました。年に一度だけ美術家として干支の動物を描いています。私の日常は治療家。本当に幸せな人生を過ごせています。

明日は、ギャラリーキャメルKというところで、13:00から、9曲演奏してその後、山元式新頭鍼療法(YNSA)を紹介することになりました。初めての試みですが、普段の治療を見ていただき、その説明を分かりやすくしてみたいと思います。

明日、早めに起きて朝練しましょう!楽しみです。

おやすみなさーい

それにしても、風邪はしつこい。カラダは軽くなって動けるのに、ノドがブレーキをかけています。ノドは喋ったり、食べたり、飲んだり、息をしたりと生きるための基礎を築いているところ。そこが、しっくりこないとサイドブレーキをかけたまま動いている自動車のようです。

あまりにも、元気だった17年間のつけが、しっかり回ってきています。弱者の視点を今一度、体感しています。もうこれから、ワインを飲んで寝ます。おやすみなさーい!

風邪から何日?

 

風邪から何日?

もう風邪をひいてから、よく分からないくらい日が経った様に思います。日に日に良くなり、ノドの奥が少しイガライくらいとなりました。17年間も風邪を引いていなかったという無意識の上から目線が無くなったことは、良かったです。今回の風邪で患者さんの目線を思い知ることが出来ました。「来年こそ、もっと患者さん目線!」が目標です。

それから、改めて風邪のメカニズムを知る必要があります。以下の通りです。

健康な人間の腸内は、有益な菌、有害な菌含めて存在し、微生物のバランスが保たれています。しかし、そのバランスが崩れて腸内環境が悪化するとウィルスの増殖が盛んになり、血液中に入っていくのです。

血流に乗ったウィルスは、喉の粘膜など弱っているところに炎症を起こします。私たちはその症状のことを風邪と呼んでいるのです。体質を正常に戻すには、腸内細菌を正常化することです。動物性タンパク質食品や三白食品をやめ、玄米菜食に切り替え、特に酵素を十分に補給して腸内乳酸菌の増殖を図ります。

このことを、身をもって知りました。市売の弁当など絶対買うことがない私ですが、知人の奢りでつい食べてしまったのが・・・・・原因。腸内バランスが崩れて一気に風邪で寝込むことになったのです。この1週間、毎日10時間以上の睡眠をとりました。それくらいの浄化期間が必要で、しかも、断食をすることでより浄化され、解毒されるのです。

残念ながら多くの方々は、このことに理解を示しません。「風邪を引いたら、沢山食べて栄養をつけよう!」という考えの方が多いようです。風邪を引いたということは、カラダ全体がバランスを崩して弱っているのですから、休むしかないのです。しっかり休む機会をいただいたと考えるべきです。

私の母親は元気なので、寝込んだことがありません。父親は67才で亡くなりましたが、風邪を引くとただひたすら布団で寝ていました。その影響なのか、風邪を引いたら良く食べるという発想は生まれて来ませんでした。「風邪を引いたら栄養を取ろう」と思っておられる方々は、ご両親からその言葉を受け継いているのでは・・・・と思います。高度成長期の西欧化真っ只中の悪しき風習です。玄米菜食の日本食がこれからのキーワードです。