気がつくと、もう70才が目の前。
これからが、人生を楽しむ時間となるのです。発見が一番・・・・これから、これから!
気がつくと、もう70才が目の前。
これからが、人生を楽しむ時間となるのです。発見が一番・・・・これから、これから!
感覚を研ぎ澄ませること。これだけだと、やっと気づきました。
興居島のフェリー待ち場で、可愛い電球が吊り下げられていたので、描いてみました。天井は黒い鉄板で壁はグレー。本当は4個ぶら下がっていたのに、1個省略。描くより、何を描かないかの方が大切な気がしたのです。さて、さて・・・・松山高浜港から、フェリーが戻って来ました。これから、フェリーに乗り込みもう一軒出張治療に向かいます。
フェリーに乗っても、まだ出発しないので対岸の松山方面を描いてみました。
「もう、牛乳は飲まん!」
『牛乳はモー毒?』というマンガ本を1週間お貸しした80才代の男性患者Aさんの第一声です。
「なんで、政府はこうゆう大事なことを言わんのじゃろか?」
「まあ~、色々あるんでしょう・・」
と言葉を濁しておきました。それでは、マンガ本が返ってきたので『牛乳はモー毒?』を続けます
官兵衛先生には、牛乳が原因の一つとなっている生活習慣病以外にも気になっていることがあるそうです。
「最近、犯罪や異常行動が増加しています。それもどんどん低年齢化していますね。実はこの現象も牛乳の過剰摂取と因果関係があると確信しています。だから牛乳の摂取量を減らすべきなのです。」
「授業中に落ち着いていられないで歩き回る子がいるけどそれもそうかしら。」
「うん、それも牛乳過剰摂取のせいだと思うよ。」
「じゃあ切れる子供や少年たちが多いのもそのせいね。」
「その証拠に問題行動を起こしていた生徒に牛乳をやめさせただけで情緒が安定し、暴力をふるう回数が減ったという記録があるんです。」
[官兵衛先生からお母様方へ]
厚生労働省も牛乳の過剰摂取と心の偏りの密接な関係に気づいたのか、2002年度からは公立保育園の牛乳給食の量を2001年度までの1日平均200mlから80mlに減量しました。なぜ減量したかは一切不問にしています。2000年5月、厚生労働省は『健康日本21』と言う成人向けのガイドラインを作成しました。成人向けの牛乳摂取量を乳製品も含めて1日130ml以上と明記しています。成人よりはるかに体重が少ない小学校1年生の給食に200mlもの牛乳を与えるのはあまりにも多すぎます。
今日は、ここまで!
昨日は、父のことを書きました。私の父は、養子で佐伯家に来ました。元々は同じ町内の神社(川上神社)の末っ子で野口姓を名乗っており、教師として子供たちに夢を与えたいと20才で教員になりました。その姿を見ていたのが、私の母方の祖母。祖母は5人の子供を産みましたが、5人とも娘。是非とも後継を・・・・・・と思っていた矢先、エネルギーの塊のような父を見て、「これ!」っと思ったのでしょう。祖母が父を養子に迎えたのです。
父は、佐伯家の長女と結婚し、長女の父(私の祖父)らと同居。その間に私が生まれたのです。両親は教員として働いているので、祖父母との生活が幼い私には、日常でした。
それで、今回は祖父のこと。祖父は8才から俳句を作る俳人でした。180人もの弟子を持つ俳人。個性的な書体にもかかわらず、温厚で孤高な生き様は、自然と「巨星塔先生」と人々が慕う存在でした。
祖父の臨終間際に、取った態度が私の理想です。祖父は親族が見守るなか、突然起き上がり、敬礼をしたのです。左からゆっくり右を向きながら一人一人を見つめながら・・・・見守る親族は、
「じいちゃん、じいちゃん、じいちゃん 」
と涙。祖父はその数日後に亡くなりました・・・・理想の死に方を示してくださった祖父。
私も続きます。
最近、親父さんに似てきたなと思いながら生きている事があります。
親父は、他人のために一所懸命生きる無私の人でした。それを受け継いているのが、私の弟・敦です。
私は幼いころから、お調子もんで物事を冷静に見る目を全く持っていない、自己中心的アホです。
ところが、5才も違う弟は、親父のような慈悲に満ちた感覚を持ちつつも、客観的に分析する能力を持ち合わせていたようです。
それを分かった上で、私がどう生きるか・・・あの馬鹿兄が、無私になれるか・・・・他人のためにどれだけ生きるか・・・・死ぬ瞬間さらします。
今日は、午後9時に仕事終了。八代亜紀の歌を聴きながら、ipadに描いた絵・・・・やっぱり、描くのは面白い。
明日は、興居島。これから食事をして、早く寝ます!
グランマー・モーゼスという愛称でアメリカ全土で慕われたお祖母さんがいます。彼女は75才から絵を描き始め、101才まで描き続けました。40年前に京都大丸百貨店で、グランマー・モーゼス展があり、その絵を見た時から、虜(とりこ)にになりました。
私も、彼女の歳に近づいてきました・・・落書き感覚で、無理せずiPad に描いてみようと思います。
地球には、おっぱいで育つ動物が4000種類いるのに、唯一人間だけが、他の動物のお乳を飲むという不自然な生活をしていると、官兵衛先生が子供たちに話します。
「全身には血液が流れています。そのうち脳へ行く血液と心臓へ行く血液と乳房へ行く血液にはどこか違いがありますか?」
「同じです!」
「そうです。そして乳房へ行った血液がお乳になるのです。乳と言うのは白い血液なのですよ。血液型の違う血液を輸血すれば、死んでしまうのに、他の動物の白い血液である牛乳を静脈に注射したら間違いなく死ぬでしょう!」
1986年昭和61年、東京医科大学の松延正之先生は、過去に行われた次のような実験結果を報告しています。
「牛乳を滅菌的にとって、静脈注射をすると、牛の子供は死なない。ところが、人間の乳を牛の子供に注射すると、牛の子供は死んでしまった!」
「人間の乳を滅菌的にとって、人間の赤ちゃんに静脈注射しても死なないわけですけれど、牛乳を人間の赤ちゃんに静脈注射したら死んでしまうのです。それだけの異常反応を起こすわけです。」
「静脈注射の場合、ダイレクトに血管に牛乳が入ってくるから激しい反応があるわけですが、口から取り入れても急激な反応が起こらないから、逆に怖いのです。」
「だから牛乳栄養に頼りすぎることには、私は反対です。」
「牛乳はモー毒?」の連載をしていたのですが、その連載のマンガ本を出張治療のお宅にお貸しすることにしました。そのお宅では、牛乳が良くないという噂を聞いたことがあるのですが、毎朝、豆乳と牛乳を一緒にして飲んでおられるため、にわかには信じられないそうです。
私が生まれた昭和29年は、戦後からまだ9年しか経っていませんでした。そのため、石手川の橋下には、トタンを集めた簡易の家で生活している人々がいましたし、軍服を着た足の無い人がアコーディオンを弾いて、小銭をもらう姿がありました。そんな戦後が高度成長を歩む一歩手前、「鉄腕アトム」「鉄人28号」が子供達のヒーローとして登場。そのコマーシャル、つまりスポンサーが、明治乳業、江崎グリコ乳業だったのです!
「マーブル、マーブル、マーブル、マーブル、マーブルチョコレート」
「グリコ、グリコ、グリーーコー」
純粋無垢な子供達は、未来のロボットと、勧善懲悪のロボットと乳製品に夢をみていたのです。この2社以外に森永乳業も
「大きいことはいいことだ!」
で牛乳製品の売り上げを伸ばしていったのですね。
これによって・・・・これ以上書くのをやめます・・・ご推測を。