いいことありそう!

現在、健康のための低周波治療器で「免疫向上、全身調整」の治療を受けています。これは、患者さんからお借りしているもので私のものではありません。先週は、痔の患者さんに頭頂部のお灸とこの低周波治療器で32分の治療を行ったのですが、その日から痔は治ったそうです。さて、どちらが効いたのか?

昨日は、少し呑み過ぎ、久しぶりに体調が良くなかったので、実験的に39分の治療をしているところです。

「先生、人参もうそろそろ抜かないといけんよ。」

と、女性患者さんが、散歩中に突然訪問。私が動けない状態なのを見てとって、

「人参引っこ抜いていい?」

「はい、お願いします。」

「・・・・・これ、もう全部抜いて、葉っぱを取って新聞で包んで袋に入れて野菜ケースに入れたらずーっと保つから。」

と、助言をいただきました。ありがたいことです。今日もいいことありそうです。

指先は感性の源

「春は選抜から」球春を迎えました。そして、入場行進を見たのですが、いつもガッカリ!テレビのスイッチを消してしまいました。そして、この文章を書いています。

なぜ、誰がこんな歩き方を教えたのでしょう?不自然極まりない手の有り様!手を握っているとカラダ全体が縮んでしまいます。縮んだ手でノビノビとカラダの表現など出来ません。ダンサーが手をグーして表現していますか?指先には指紋があり、そこがセンサーなのです。そこが感性の源なのです。それをわざわざ消し去る・・・・非常に恥ずかしい行為です。

唯一、広島商業だけが手を普通に伸ばし、自然体の歩き方を示していました。荒谷 忠勝(あらたに ただかつ)監督は、普段の生活態度もしっかりと指導されておられるとお見受けしました。愛媛の松山大学卒業されておられるし、しっかりと応援いたします!

肉食人種

肉食でなかった日本人が、いつの間にか肉食人種になっています・・・

1977年、アメリカでマクバガンレポートというアメリカ人の牛肉牛乳中心の食生活を改めて、日本の元禄時代以前の玄米菜食生活を奨励した政府の指針がありました。50年近く前のこの動きが、アメリカでは浸透し、現状では完全菜食主義者(ヴィーガン)が、アメリカのインテリ層では当たり前になって来ています。

ところが、本家本元の日本が、いつの間にか肉食人種になっている現状があります。テレビ番組を見ると「グルメ、グルメ、グルメ」と肉食をあおっています。

結果、2人に1人がガンになる・・・・もう少し、ご自身の食生活を見直してみてはいかがでしょう?

照ノ富士親方

今日は、日曜日。どうゆう訳か、患者さんが少ないのです・・・そこで、ゆっくり相撲を見ることに!すると、元横綱・照ノ富士が解説。言葉の重みが凄いです。頂点を極めた親方の言葉が心に響いています。親方はそれぞれの力士に◯◯関と敬意の表現をされ、常に謙虚な話をされています。

「練習しなくては、強くならない。」

と当たり前のことを言われるのに、重みが凄いのです。大関から序ノ口に転落して、そこから横綱にまでなった力士の言葉の響・・・・圧倒され、納得しました。

「新横綱になっても緊張しなかった。」

この言葉をポロッと・・・当たり前だと思いました・・・・経験が違います。

それぞれの力士との対戦から、個々の力士を研究されているので具体的な話を次々と伺えます。

「正代は足首が硬いので、棒立ちになる」

正代という大関にまでなった力士の欠点をズバリ指摘されました。これは、本当に腑に落ちました。その後も、次々と個々の力士への適切なアドバイスに納得。

「稽古場では、本場所、本場所では稽古場」で相撲を取っておられたそうです。親方は、素晴らしい力士をこれからドンドン育てられることでしょう!

台湾野球

昨日、坊ちゃん劇場に「KANO〜1931 甲子園まで2000キロ〜」を見に行ったのですが、高校の2年先輩と「のボール野球」の格好でいったのです。私は、そんなに乗り気ではなかったのですが、先輩の言うことを聞かなくてはなりません。すると開演前でも、我々の姿が目を引くのでしょう。多くの方々が話しかけて下さいます。

そんな中、先輩は正岡子規から愛媛に伝わった野球を、資料を見ていただきながら、楽しく紹介されます。その後は、私が私なりに色々と話して行く・・・と、かなり上手い連携の会話が出来ました。

話が変わります。アメリカ・ペンシルベニアのウイリアムポートという町で、毎年リトルリーグの世界一を決める大会があります。これは、非常にアメリカが有利な大会です。この期間中、アメリカのチーム内でのアメリカ1位を決定。それ以外の国のチームがアメリカを除いた1位を決めます。この両者が世界一を争うという「アメリカファースト」の大会です。必ずアメリカチームが残るため、決勝戦はテレビで全米に放映されるアメリカ版甲子園なのです。

にもかかわらず、優勝回数が1番多いのは、台湾なのです。「KANO〜1931 甲子園まで2000キロ〜」をご覧になられた方は、リトルリーグ世界一の台湾が、誕生するその黎明期を知ることになります。愛媛が産んだ野球の偉大な指導者・近藤兵太郎の功績は甚大なものだと、改めて思ったのです。

知っていれば・・

高校時代の野球部先輩と「坊ちゃん劇場」へ「KANO〜1931 甲子園まで2000キロ〜」を見に行くため、本日は臨時休業。その後、母校・松山東高校が伊予高校と試合をするので東温高校グランドに応援観戦と、久々の休日を楽しみました。母校は、東温高校に5回コールド、伊予高校には8回コールドで2連勝。今回は、感動した「KANO〜1931 甲子園まで2000キロ〜」を書こうとしたのですが・・・・先輩が持ってこられた読売新聞の記事を紹介します。

『1889年、子規はボールとバットを持って帰省。その時、友人の弟だった河東碧梧桐に教えた。これが愛媛への野球伝来とされており、碧梧桐は「掌(てのひら)の裏へ突き抜けるような痛さ」と球を受けたときのことを書き残している。翌年には松山城近くでバッティングをしていた中学生たちのところへ子規が通りかかり、その場で手本を見せた。この時、生徒の中に高浜虚子がいた。碧梧桐も虚子も、後に子規門下の俳人になる。子規と2人を結びつけたのが野球だったのは不思議な縁だ。』

1890年に松山城でバッテングをしていた中学生が、私の大先輩にあたり、それから2年後の1892年に伊予尋常中学(松山中、松山東の全身)に球技同好会が誕生。ここから母校の野球部が歩み始めたのです。こんな素晴らしい歴史ある野球部に所属していたなどと、当時の私達は全く考えてもいませんでした。知っていたらもう少し強かったかも・・・2回戦で西条高校にノーヒットノーランをされなかったかも・・・・

レンコン湯その後

『石原医学大全に付け足しとして、「石原医学直伝〜癒す、元気になる飲み物、食べ物、湿布」の中に、レンコン湯があります。』と2月9日にレンコン湯の作り方をご紹介しました。

この効用が 咳、痰、老化現象(夜間頻尿、精力減退、抜け毛、白髪)なのです。飲み続けて1か月になるのですが、確かに黒髪が増えてきたように思います(気持ちのせいかも知れませんが・・・・その思いが大切!)

私は、レンコンを擦(す)って細かくし、生姜も少し擦ってコップに入れ、熱湯を注ぎます。そこへ、醤油とヒマラヤ岩塩を少々入れかき混ぜ飲みます。これが、美味しいのです。そして絞りカスは、カスではありません。そこへ、カタクリ粉を入れ団子にしたものを味噌汁に入れると、絶品(患者さんに教えてもらいました)!

レンコンで一石二鳥なのです。レンコンは冷たい池の泥に根を張り、美しい花を咲かせるという強靭な生命力を持っています。陰と陽でいうと圧倒的な陽!カラダを温めます。飲んで20〜30分経った今でも手が暖かいのです。まだまだ寒い3月、是非ともおすすめします。

筑波大野球部合宿

筑波大野球部の58名が西条のひうち球場で合宿中です。その合間を1日いただき、19時から22時までボランティアの治療をすることになりました。去年も行なったのですが、後で良く調べてみると、主力メンバーでした。今回もそうではないかと思っています。残念ながら寒波襲来で「大変ですね」と言葉がけすると、

「つくばの寒さに比べると、全然大丈夫です。」

と即答が返ってきました。確かに、「つくばおろし」は随分ときつかった記憶があります・・・あれから50年も時が流れたのですね。まさか、このような運命になるとは、思ってもいませんでした。人生って、楽しいですね! 

やっと治療を終えて、2月23日0時05分、我が家に帰ってきました。色々面白いことがてんこ盛りの3時間でした。我が後輩、ありがとう!

アドレナリン

高校、大学と野球部に在籍していたことで、現在の鍼灸治療に少なからず影響を、及ぼしていることを実感しています。私が幼い頃は、今のようなリトルリーグがあるわけもなく、軟式テニスボール(当時10円)をグーした手で打つ「6むし」が大流行り。日が暮れボールが見えなくなるまで遊んでいました。中学では、無理やり剣道部に所属。全く興味がないので、初段さえ取ることができず・・・勉強ばかりしていました。そんな私が高校1年の2学期から、野球部に入り下宿生活。高校に入って思い知ったのは、頭の質が違う連中ばかりの集団に来てしもた!・・・・で、勉強を捨てて好きな野球をしよう!

単純明確な高校生活は、全く悩みなし。それから、必死の2浪生活。なんとか志望大学に滑り込み・・・・最初の3〜4ヶ月は芸術論(芸術専門学群在籍)をかわす毎日・・・・飽きてきて・・・・・スポーツしよう!と野球部に再び入ったのです。

そんなご縁で、高校、大学の野球部の学生さんが自然と来院してくれています。今日も20才代の野球部Aさんが来院。

「野球していて怖いのは、試合中アドレナリンが出過ぎていて、左太ももが怪我しているのに、全く痛くないことなんです。」

Aさんは、ピッチャーなので投げるたびに左太ももに負荷が相当かかっているのに、アドレナリンのおかげで、痛みを全く感じなかったそうです。試合後、極端な左太もも痛に襲われ、左太ももを上げる事さえ出来なかったそうです。

野球をしていて、怪我をしたことがない私にとって、このような経験談を聞くことが、治療の肥やしになっていくのだと、つくづく感じたのです。

塩=高血圧?

レンコン湯について、ある患者さんから質問があり、下記の事をお教えしました。

『レンコン湯(病気・症状) 咳、痰、老化現象(夜間頻尿、精力減退、抜け毛、白髪)
[材料]
レンコン・・約40グラム 生姜のすりおろし汁・・適量 塩または醤油・・適量
[作り方]
①レンコンをよく水洗いして皮ごとすりおろし、布巾で絞って約20 CCを湯飲み茶碗に入れる。
②①に生姜のすりおろし汁を加える。
③②に塩または醤油で薄く味をつける。
④③に熱湯を注ぐ。』

「私は、塩とか醤油は入れないので、それ無しで飲もうと思います。」

というご返事をいただきました。塩=高血圧という洗脳を受けておられるようです。残念ながら多くの方は、塩は悪玉と思われています。そこで、明治以降の塩の歴史をコピペします。

『1905年(明治38年)に塩の専売制度が大蔵省主税局のもとで開始された。当初は日露戦争の軍費調達という収益主義的な側面の強い制度であったが、第一次世界大戦期のインフレなどにより財源確保の意味合いは薄れ、1917年(大正6年)に自給率の低い日本における塩の安定的な供給を主眼とする公益主義的な制度へと変革された。当時より日本は需要の多くを輸入もしくは移入に頼っていたために、第二次世界大戦期は塩の輸入のストップにより需給が急激に逼迫する事態となった。戦後、工業用塩の需要増から輸入が再開され、国内製塩事業による自給確保と安価な塩の全国的な安定流通を目的に塩専売法が改正され、1949年(昭和24年)に専売事業を執り行う日本専売公社が設立された。』

つまり、塩は非常に貴重なものだから、国で自給し安価に流通するため、化学製品としての塩つまり、Naclという高純度のクスリとして国民に与えてしまったのです。このクスリが弊害をもたらせました。そして、未だに塩=高血圧信仰が広まっているのです。

ミネラルたっぷりのヒマラヤ岩塩は、3億8千年前の海水で出来ています。美味しいですよ!