昨日に続いて、Zoomを使ってのリモート勉強会に参加しました。「日本の住まいの成り立ち」
ー東アジアの森と民家造ー 第2回 中国南部の民家 日本の住まいの源流2
筑波大名誉教授 安藤邦廣先生によるものです。
3000年前黄河流域で生活していた漢民族が、気候変動のため南下。揚子江流域に住んでいた百越(江南の諸族)が拡散して東南アジアや日本へと移動を開始し、日本では弥生人として渡来し縄文人と融合しながら日本独自の文化を形成。また、揚子江周辺で最後まで残った百越は少数民族のトン族とミャオ族となり、高地に逃げ込んだそうです。この移動に1000〜1500年の年月が掛かっています。
トン族は、稲作、高床、棚田をセットとした文化を持ち、日本の農耕文化の基礎ともなりました。
また、世界遺産ともなっているフィリピンルソン島のイフガオ族の棚田はスケールが大きく石垣の高さは3mもあるそうです。そこで、高床の米倉を作ったのが建築の始まりともいえるとのことでした。最も大切は米を気温、湿度、ネズミから避ける建物に叡智を使ったことからの始まりのようです。
それにしても、漢民族という圧倒的な武力を持った人々は、温厚な稲作文化の人々にとって、脅威そのものだった様です。トン族の逃げ伸びた場所には人工の川を巡らしその中で生活をしていたようです。漢民族を見張るコロという高い櫓(やぐら)があり、風雨橋(ふうきょう)と呼ばれる屋根付きの橋で、他所者が来ないか偵察できるようになっていました。
安藤先生は、出雲大社の神殿が48mの高さだったのは、漢民族を見張るためのものだったとお考えです。今の中国の一帯一路政策を考えると、真実味を帯びてきます。
今日の講座をミニノートにまとめました。待合室におきます〜。