昨年の前期NHK連続テレビ小説「エール」で「栄冠は君に輝く」を熱唱した山崎育三郎氏が、再び甲子園で熱唱。しかも、普段は余り聞くことのない、2、3番の歌詞まで丁寧に歌ってくれました。私が高校3年の野球部夏合宿には、ミーティングの後、必ず全員でこの曲を歌い必勝を祈願していました。
当時のメンバーが送ってくれた貴重な写真があるので、載せてみます。17才の夏・・・・
この「栄冠は君輝く」には、エピソードがありますので、「エール」を見続けた視聴者として、改めてここに、記載します。
『1948年に学制の改定に伴い、それまでの「全国中等学校優勝野球大会」が「全国高等学校野球選手権大会」に改称する事になったことにあわせ、更にこの年の大会が第1回大会から数えて30回目の節目の大会であったことから主催者である朝日新聞社が新しい大会歌として全国から詞の応募を募った。応募総数5,252編中から、最優秀作品に選ばれたのが加賀の詞であった。
当初作詞者は加賀道子(本名は旧姓高橋道子、結婚後は中村道子。松江安見の大姪)名義となっていたが、これはプロの文筆家で地元・石川で執筆活動をしていた加賀(当時の本名:中村義雄)が、周囲から懸賞金(大賞賞金は5万円で、当時の公務員の平均給与の10倍以上であった)目当てと思われるのを嫌い、婚約者の名を使って筆名「加賀道子」で応募したためであり、第50回記念大会(1968年)を機に加賀夫妻が作詞の真相を語り「加賀大介作詞」と改められた。その頃、本名も中村義雄からペンネームの1つであった「加賀大介」に改名している。
加賀は野球球児であったが、試合中の怪我による骨髄炎のために右足切断を余儀無くされ、野球を断念した経緯がある。この詞には、野球に対する加賀の熱い想いが強く込められている。
創唱歌手(発表当時のオリジナル)は、当時の名流行歌手である伊藤久男である。ちなみに伊藤は当歌の作曲者である古関裕而とは戦前からの深い付き合いである同郷(福島県)の友人同士であり、戦前から歌謡曲・軍歌・戦時歌謡においても名タッグとして活躍していた関係を持つ(2人の代表作は『イヨマンテの夜』、『暁に祈る』など)。