私が幼いころ、夜は、真っ暗闇。懐中電灯を持って買い物をすることもありました。麦わらで出来た買い物服を下げ、月明かりの中、ムササビが飛び交うこともありました。そんな時、恐る恐る歩くものです。夏ならば、草履(ぞうり)を履いて足の指先をセンサーにして歩いていました。昭和30年代のことです。もう少し時代を遡って江戸の初期・・・・
人々は、着物を羽織り腰には帯。提灯の灯りをたよりに、わら草履をはいて歩いていました。道は凸凹で水たまりや、馬糞、牛糞が落ちている道を、やはり恐る恐る歩いていたに違いありません。着物を着ているので、歩幅は狭く腰を落とした踵重心で、足の指先をセンサーにして歩いていました。これが、日本人の本来の歩き方です。
ところが、明治になり靴を履くことが普及し始まり、徐々に鋭い足先のセンサーを使わない生活へと移行しはじます。軍隊では、ヨーロッパの形式を学び歩行、戦術も靴を履いたものとなり、学校でもそれが普及しました。足を上げつま先を蹴った歩き方を幼い頃から学び、叩き込まれました。特に運動会ではそれが顕著でした(幸いにも、私が小学生のころは、裸足で走ることがまだ、普通でした)。
その結果、老人が転んで大腿骨を骨折し、歩けなくなり亡くなられるケースが増えてきました。これは靴文化の弊害です。靴を履いてつま先で地面を蹴ると必ず前屈みで重心が前になります。この状態で何かにつまずくと必ず転びます。足の指先は、手の指先と同様に非常に繊細なセンサーなのです。そのセンサーを働かせていないのですから、転び方も激しくなります。
愛媛県の松前町には、「おたたさん」という頭に魚の入ったオケを乗せて行商するご婦人がいました。彼女たちは、着物を着てアゴを少し上げ、頭の真ん中にある脳幹を背骨の延長線状の位置に起き、脳幹と背骨を縦一直線にして安定した姿勢をとっていたはずです。そこに重いものを乗せても重さを感じない道=経が出来ていたのです。それが神と繋がる「神経」だったに違いありません(大野朝行先生の著書からの引用です)。
今一度、日本人としての姿勢を正す時が来ているようです。