松山でも粉雪がちらつく今年1番寒い日でした。
こんな時、なぜか21年前のアメリカ、ペンシルベニア州ステートカレッジにいる私を想い出しました。離婚してまもなく、イタリアンレストランの皿洗いとして働いていました。日中でもマイナス以下の気温。泣けなしの金をはたいて若造から買ったおんぼろアメリカ車は、直ぐに道路の中央でエンスト。廃車を余儀なくされました。あの車に乗り続けていたら、いつ爆発してもおかしくなかった・・・・・あの頃が私の人生で最も暗い時期だと思います。
あの頃の私は「世界一の皿洗いになる」という「から元気」で生きるしかなかったのです。そこでは、無駄のない効率的な動きを追求しました。最も効率の良い地下足袋を吐きクイックモーションであっという間に山積みの皿を片付ける私は「忍者」と呼ばれていました。人気レストランだったため夕方の調理場は皿が山積み。そこへ、遅番のヒロ(私)がやって来ると、
「マイヒローがやって来た!」
この言葉に後押しされて、「忍者ヒロ」は、とにかく凄まじい働きをしたのです。
ある日、アルバニアから来たおっさんが、全く働かないので、
「ええか、料理人はアーティストで、作り出された作品を運ぶウェイター・ウェイトレスは女優であり男優なんだ!それをきっちりサポートするのが、我々皿洗いの仕事なんだ!このボケが、お前何しとるんじゃ!ここは資本主義の世界じゃ、アルバニアみたいな共産主義と違うんじゃ!」
もうほとんどやけっぱち。翌日には、おっさんはいなくなっていました。
夜中の2時ごろまで、段ボールの箱を壊し続けゴミ箱に入れる作業が続きます。アメリカの段ボールは、日本の段ボールの3倍も4倍も硬く重いのです。なかなか壊れない。あの時の寒さが人生で1番のものでした。ふと今日の寒さで、当時を思い出してしまいました。
極貧の生活をしながら車がないため、タクシーでアパートに帰っていました。タクシーの運転手が、
「今日はオーロラが見えたよ。」
というのが今でも心に焼き付いています。そして、私の心の中ではきれいなオーロラは夜空を舞い輝いていました。