カタカムナ文字

カタカムナ文字ってご存知でしょうか?

操体法の創始者、橋本敬三先生が若いころキリスト教を勉強され、次に仏教そして最終的に古代文字のカタカムナを勉強されました。ですから、操体法を学ぶ者として最終的に到達しなければならない文字なのです。一時このカタカムナにハマり、カタカムナ研究の第一人者吉野信子先生のセミナーにも参加していたのですが・・・・いつの間にか遠のいていました。しかし、改めて先生の本を読み直し、日本人として学ぶべきものと思ったのです。

今回は、カタカムナが世に知られるようになった逸話をご紹介します。鉄専門の科学者、楢崎皐月氏が戦時中満州に住んでいた頃、老子教の寺の住職、盧有三(ろうさん)と出会い、お茶をいただくのですが、鉄瓶に水を入れ、枯葉を5~6枚くしゃくしゃと丸めて炉に入れ火をつけるだけで、お湯がぐらぐら沸いてしまったのです。

鉄の専門家である楢崎は、鉄瓶に秘密があるに違いないと思いました。そこでこの鉄瓶をぜひ譲ってほしいと頼むと、「もともと日本から来たものだから帰国したら探してみると良い」と言われたそうです。そして鉄瓶を作ったのは「八鏡文字と言う不思議な文字を使うアシア族で、古代に日本でとても高度な文明を築いていた」ということでした。

終戦になり帰国した楢崎氏は原材料、製造過程が全く同じ鉄製品が、作られた場所によって品質が全く変わってしまうことに気づき、それは、土地の電位の違いが影響しているのではないかと考えました。その説が証明できれば野菜の栽培にも応用できるのではないかと考えたのです。そこで全国の土地の電位を測定して回る活動を始めました。

1949年、兵庫県六甲山系金鳥山付近にたどり着いたときのことです。突然、猟師のような風体の不思議な老人が現れました。「平十字(ひらとうじ)」と言う人です。彼は「あちこちに機器を仕掛けているのはお前たちか動物が迷惑をしているから退けてくれんか」と言うのです。そこで楢崎氏は何の反論もせず言われた通り素直にそれらを撤去しました。するとその素直な人柄を気に入ったのか平十字は腰につけていた巻物を見せてくれました。彼が言うにはその巻物は「カタカムナ神社で宮司をしていた父親へと代々引き継がれてきたカタカムナ神社の御神体だ」ということで子供の頃を見たら目が潰れると脅かされたそうです。

その巻物に描かれていた図像を見たとき、楢崎氏は、もしかしたらこれが満州の盧有三から伝えられた日本のアシア族が使っていたとされる八鏡文字ではないかと直感したのです。

楢崎氏はその御神体を20日間かけノートに写し、長年かけて解読していきます。「古事記」にでてくる神様の御神名が、この巻物に同じ順番で出てくるのが分かり、最終的にカタカムナ文字は、48音に分類されました。現在の日本語も実質48音なので、カタカムナ文字は日本語の原型だと思われます。

このカタカムナ文字を使用していたアシア族は、縄文時代以前といわれているので、大昔の日本には巨石文明を含め、高度な文明があり、言霊を表す文字が存在していたと考えると日本人として誇り、ロマン、探究心をそそります。