大変だ〜

大変なことになりました。よく分からないうちに9月某日(いつか忘れました)、萬翠荘という国の重要文化財の横にある空間(野外)で、コンサートがあり、私がベースギターを弾くことになりました。トランペットの名手、エレキギターの神様、寺内タケシ氏の弟子に囲まれ、今年から始めたベイシストが、弾くことになってしまいました・・・・それで、久しぶりに練習・・・すっかり忘れて・・・

もう開き直りしかありません!毎日少しずつ練習するという夏休みの課題が見つかりました。こうなったら迷惑をかけることは出来ません。無理せずやってみます。それにしても、小学校でハーモニカとリコーダーくらいしか楽器をしたことがないのに・・・・・

まあ~人生は楽しめばいいんです!

西条高校強い!

 

宿敵西条高校に、14対4(5回コールド)で母校松山東高校は敗れました。やはり、西条高校には敵(かな)いません。でもよくやりました。2勝したのですから、大したものです。これから、運動会の準備をして青春を謳歌してもらいたいと思います。それが終わったら、受験に集中して下さい。

私は、高校1年の2学期から野球経験が無いにもかかわらず、野球部に入りました。ですから、練習についていくだけで精一杯。帰宅(近くの下宿)してからの学習はしたくても、いつの間にか眠ってしまい・・・・授業中も眠ってしまう劣等生でした。それに比べると現在の野球部員の意識の高さには、頭が下がります。OB宛に送っていただく「一球一会 松山東高校野球部通信」に作文が掲載されていますので一部を紹介します。

『僕は中学校の頃、慶應義塾高校や膳所高校、彦根東高校が甲子園で躍動する姿を見て、自分も勉強と野球の両立ができるようになりたいと思いました。だから、生徒一人ひとりに意識が高い東高校で文武両道を果たすことを目標に進学しました。』

『これから野球部員として先輩の誇らしい姿を見習って頑張りたい。また、監督である友近先生が絶えずおっしゃっている「思考野球」そしてチームカラーである「のびのび きびきび さわやかに ひたむき」にを実現できるように自分に何ができるのかを考えていきたい。』

参りました。えらい!

イノシシ情報

今年は、スイカが大豊作。毎週1回来院の患者さんは、スイカの収穫で大忙しです。出来のいいスイカが多いのをイノシシも知っています。しかもイノシシは、中々のグルメだそうで、熟(う)れて美味しいものしか食べないそうです。

松山市近郊のイノシシには、「イノブタ」つまり、イノシシと豚の合いの子が多く、繁殖力が旺盛で、一気に大家族になるそうです。イノシシとイノブタの見分け方は、鼻。イノシシの方が先がとんがっており、イノブタはブタのように平らだそうです。そこで、ウィキペディアでイノブタを調べてみると、

『イノブタを意味する「ヒュブリダ」は「hybrid ハイブリッド」の語源であり、ハイブリッドは狭義のイノブタから転じて広義の交雑種(Hybrid)または雑種を指し、生物学、生理学的な種内雑種から種間雑種まで広い範囲が含まれるようになった経緯がある。それほどまでにイノブタというのは、ありふれた交雑であり、交雑の代表格なのである。』

とあり、イノブタは世界各国で当たり前に生まれているようです。それにしても、この厄介なイノブタとイノシシ、以前なら何頭か鉄砲で撃ち殺すと、しばらくはやって来なかったのですが、最近だと殺した当日でさえ、畑にやっと来て荒らすそうです。そこで大掛かりな罠(わな)を仕掛けます。頑丈で大きな箱を用意し、そこにエサとなるヌカを入れ、蓋(ふた)を上げてイノシシを待ちます。

イノシシは一列になって前に進む、いわゆる猪突猛進。一気に箱へ入って、一網打尽だそうです。

被害甚大な今年の経験から、来年は完璧なフェンス作りで被害を留めるそうです。本当に農業は大変です!

カタカムナその2

カタカムナを解読した楢崎皐月氏の口述を、後継者の宇野多美恵氏がまとめた「相似象学会誌」を吉野信子氏が読んだ結果、吉野氏が探し求めていた答えはなかったそうです。そこで、吉野氏はカタカムナ関連本を段ボールに詰め込み、ガムテープを張り、押し入れにしまったそうです。

そこで、ヒフミの「ヒ」から「ヒ」で思いつく言葉を集め、これらの言葉にある共通概念を見つけ出す作業をされ、出来上がったのが「カタカムナ48音思念(言霊)表」です。

それでは、早速私の氏名を「カタカムナ48音思念(言霊)表」で解読してみましょう。

サイキヒロム

サ:遮り、差  イ:伝わるモノ、陰 キ:エネルギー、気

ヒ:根源から出、入 ロ:空間、抜ける ム:広がり

格差のあるところを伝えるエネルギーがあり、根源から抜け出す広がりを作り出す。

となります。このイメージは私の目指すところです。海外での生活経験から、日本とアメリカとの差を体感して、なおかつ子供たち3人はアメリカ人となってしまった現状があります。しかし、日本人の根源に戻り、その素晴らしさを広めるミッションを感じるのです。

私の名前は祖父がつけました。本当は惟弘(コレヒロ)でしたが、惟が当用漢字にないことから、惟に×がつけられる戸籍でした。そして、弘(ヒロム)となりました。今でも祖父が、

「ヒロムというのは、物ごとを広めるという意味があるんぞ。」

と言ってくれたことをしっかり覚えています。「根源から抜け出す広がりを作り出す」その通りですね。

相撲

柏鵬時代(柏戸、大鵬)に2度の全勝対決があったのは、60年ほど前・・・・・えっっ、そんなに時が流れた・・・・。白黒で画像が粗(あら)いのにリアルな相撲だったのを、記憶しています。私は柏戸ファン、決勝前日に興奮してなかなか眠れなかったのを覚えています。

今日は、大関照ノ富士と横綱白鵬の全勝対決がありました。子供の頃見た柏鵬の映像と、栃若(栃錦VS若乃花)の全勝対決の逸話を思い出しながら観戦・・・・相撲って、本当にすごい。裸で土の上で戦う・・・・にもかかわらず、神聖。これは、古事記、日本書紀にも記載されている神事なのです。その流れが今も残っている相撲。丁髷(ちょんまげ)が今でもテレビを通して見ることが出来るありがたさに、心より感謝します。インターネットで相撲の歴史を見てみると、下記です。

『日本において「相撲」がいつから行われていたのかは、定かではありません。しかし、古墳時代の埴輪には、明らかに力士の姿を想起させるものがあり、このころすでに力くらべとしての相撲が行われていたことが想像されます。また、古事記の中の「国ゆずり神話」に、「建御雷神(たけみかづちのかみ)」が力くらべで国ゆずりを遂行した様子が語られていることから、相撲の起源は神話の世界にまで遡ることがわかります。

実際に、日本書紀の「野見宿禰説話(のみのすくねせつわ)」には、垂仁天皇7年7月7日に天下一の強力として名を轟かせていた大和国の当麻蹴速(たいまのけはや)を諌めるため、天皇の勅命で出雲国の野見宿禰が招聘(しょうへい)され、相撲が組まれたとあるのです。この相撲に勝った宿禰には蹴速の領地が朝廷により授けられたとあり、相撲による力くらべがいかに重要な位置を占めていたかが想像されます。』

モモ(生後1年のメス猫)の最近

モモは、ネコをかぶっていました。私を見るといつも逃げて押し入れに隠れていたのですが、猫タワーを設置してから、全力でタワーの天辺に登る遊びを始めました。その度に、

「モモちゃん、すごい!」

とほめていたのです。すると、登るは、登るは・・・・・・結果、猫タワーを壊してしまいました。モモはおてんば娘だったのです。そこで、天井にまで届く猫タワーを改めて購入しました。この猫タワーは、頑丈。どんなに暴(あば)れても、びくともしません。この猫タワーを設置してから、モモの態度が変化しました。やっと、私に甘えてくるようになりました。信用してくれ始めたのです。

もう、これで安心・・・・やっと我が子になりました。

カタカムナ文字

カタカムナ文字ってご存知でしょうか?

操体法の創始者、橋本敬三先生が若いころキリスト教を勉強され、次に仏教そして最終的に古代文字のカタカムナを勉強されました。ですから、操体法を学ぶ者として最終的に到達しなければならない文字なのです。一時このカタカムナにハマり、カタカムナ研究の第一人者吉野信子先生のセミナーにも参加していたのですが・・・・いつの間にか遠のいていました。しかし、改めて先生の本を読み直し、日本人として学ぶべきものと思ったのです。

今回は、カタカムナが世に知られるようになった逸話をご紹介します。鉄専門の科学者、楢崎皐月氏が戦時中満州に住んでいた頃、老子教の寺の住職、盧有三(ろうさん)と出会い、お茶をいただくのですが、鉄瓶に水を入れ、枯葉を5~6枚くしゃくしゃと丸めて炉に入れ火をつけるだけで、お湯がぐらぐら沸いてしまったのです。

鉄の専門家である楢崎は、鉄瓶に秘密があるに違いないと思いました。そこでこの鉄瓶をぜひ譲ってほしいと頼むと、「もともと日本から来たものだから帰国したら探してみると良い」と言われたそうです。そして鉄瓶を作ったのは「八鏡文字と言う不思議な文字を使うアシア族で、古代に日本でとても高度な文明を築いていた」ということでした。

終戦になり帰国した楢崎氏は原材料、製造過程が全く同じ鉄製品が、作られた場所によって品質が全く変わってしまうことに気づき、それは、土地の電位の違いが影響しているのではないかと考えました。その説が証明できれば野菜の栽培にも応用できるのではないかと考えたのです。そこで全国の土地の電位を測定して回る活動を始めました。

1949年、兵庫県六甲山系金鳥山付近にたどり着いたときのことです。突然、猟師のような風体の不思議な老人が現れました。「平十字(ひらとうじ)」と言う人です。彼は「あちこちに機器を仕掛けているのはお前たちか動物が迷惑をしているから退けてくれんか」と言うのです。そこで楢崎氏は何の反論もせず言われた通り素直にそれらを撤去しました。するとその素直な人柄を気に入ったのか平十字は腰につけていた巻物を見せてくれました。彼が言うにはその巻物は「カタカムナ神社で宮司をしていた父親へと代々引き継がれてきたカタカムナ神社の御神体だ」ということで子供の頃を見たら目が潰れると脅かされたそうです。

その巻物に描かれていた図像を見たとき、楢崎氏は、もしかしたらこれが満州の盧有三から伝えられた日本のアシア族が使っていたとされる八鏡文字ではないかと直感したのです。

楢崎氏はその御神体を20日間かけノートに写し、長年かけて解読していきます。「古事記」にでてくる神様の御神名が、この巻物に同じ順番で出てくるのが分かり、最終的にカタカムナ文字は、48音に分類されました。現在の日本語も実質48音なので、カタカムナ文字は日本語の原型だと思われます。

このカタカムナ文字を使用していたアシア族は、縄文時代以前といわれているので、大昔の日本には巨石文明を含め、高度な文明があり、言霊を表す文字が存在していたと考えると日本人として誇り、ロマン、探究心をそそります。

合同チーム

全国高校野球愛媛県大会が、2回戦突入。西条高校と宇和高校実況放送がありました。名門西条高校は、文武両道でも知られ、全国高等学校クイズ選手権と全国高等学校野球選手権大会に出場し共に優勝をしています(もう1校は静岡県の進学校静岡高校)。私が高校3年生の夏、西条高校と対戦して首藤投手にノーヒットノーランを喰らったのです。悔しくて、恥ずかしい夏休みを過ごしたことを覚えています。当時の松山東高校(私の母校)は、いつも西条高校に負けていました・・・・勝てる気がしなかったのです。

 

さて、西条高校と宇和高校の試合は、9対1で西条高校が6回まで優勢でしたが、雨天ノーゲームとなり、明日9:00から再試合となりました。対する宇和高校は宇和高校三瓶分校の野球部員が7名、今年の春から宇和高校に合流しレギュラー部員の内3名は三瓶分校の選手です。愛媛の田舎では過疎化と少子化で高校が合同チームを作って参加している事がよくあります。先日戦った上浮穴(かみうけな)高校は、松山中央高校の有望な1年生の助っ人3~4人編成で違ったユニフォームのまま試合をしていました。

これが、地方の高校野球事情です。華やかなメジャーリーグ・オールスターゲームでの大谷翔平選手の活躍に隠れてしまい、中々見ることがないマイナーな世界にも、精一杯の生き様が見て取れます。

追伸:昭和25年の全国高等学校野球選手権大会を制したのは、松山東高校ですが、この時も松山商業と松山一高と合同チームでした。昭和23年に松山中学から松山一高に校名を変更し、昭和25年には松山商業を商業科として統合し松山東高校とした時期が2年間ありました。その時に全国優勝したため、松山商業と松山東高校の2校に優勝の記録が残っています。現在でも、松山商業と松山東高校は兄弟高校です。

大谷選手の打撃

 

メジャーリーグのオールスターゲームがYouTubeで簡単に見ることができる・・・・・と、喜んで観ていたのです。そして・・・・・驚いた事が、あります。写真に映っている選手は外野手でセンターを守っています。その選手が試合中、テレビ解説者と話をして、それが映像で流れているでは、ありませんか!もちろん、レギュラーシーズンでは、この様なことはありませんが、オールスターというお祭りでもあり、真剣勝負でもあるゲームでこのような、演出があるとは、驚きです。今は、二塁手と会話をしています。いずれ、日本でも取り入れられるでしょう。

さて、昨日は大谷翔平選手の打撃に関するYouTubeを作ったのですが、その後、言い足りない部分があったので、付け足したいと思います。まず大谷選手の構えです。脇を開け背中をそらしていますが、これは弓道やアーチェリーを彷彿(ほうふつ)させます。つまり、背筋を目一杯縮めているのです。これだけ縮め、しかも左肘(大谷選手は左バッター)を張ると自然の連動として右足踵(かかと)が上がって来ます。大谷選手はギリギリに力を溜(た)めた状態から矢を放つようにバットを振り出すのです。この時、勢い身体(からだ)は前に移動しそうになりますが、それを防ぐのが右足母指球です。身体(からだ)の軸がずれると目線がずれ、ボールを正確に見れなくなります。ですから、右足母指球の役割が非常に大切。右足母指球と踵(かかと)でしっかり踏ん張る事ができる壁を作るのです。

当然、バットは上から叩(たた)きつけますが、ボールにバットが当たった瞬間から大谷選手は大きくバットを振り上げるアッパースウィングに移行します。我々が野球をしている頃は、ダウンスイングとかレベルスイングが主流でしたが、大谷選手は、見事なアッパースイングです。投手は高いマウンドから投げ込み、重力にしたがって沈んできます。また、変化球で沈むボールが多いのが現状です。そんな投球軌跡にはアッパースウィングですくい上げる方が理にかなっています。

ただ、重力に逆らうアッパースウィングは、ダウンスイングに比べると体幹の力が必要になります。大谷選手は毎日筋力トレーニングをしているのでしょう。その成果が33本の前半戦ホームラン王。後半戦の活躍に期待しましょう・・・・・大谷選手、オールスターゲームの勝利投手となりました、おめでとうございます㊗️

利き目

高校野球ファンの方、テレビに映っている監督さんをご存知でしょうか・・・・愛媛県では、有名です・・・・1996年、松山商業対熊本工業の決勝戦・・・・松山商業のエース新田投手が9回2アウト、ランナー無しからホームランを打たれ同点にされ、エース新田投手はライトの守備位置にいき、3年生ピッチャー渡部投手と交代。渡部投手が熊本打線を1アウト満塁で迎えた時、「タイム」と帽子を取ってライトの新田選手をベンチに戻し、本来のライト守備要員の矢野選手を、ライトにつかせた・・・・・あの時の澤田監督です・・・・ですから、全国に知られた監督さんです。

その後、熊本工業の3番打者本多選手の打った打球は、大きなライトフライ。完全な犠牲フライになるはずでした・・・・・しかし、この時ライトからホームへと強い風が吹きボールが戻って、代わったばかりの矢野選手からの山なりのボールが風に乗って伸びて・・・・・何と、3塁にいた俊足の星子選手が滑り込む位置にピンポイントで返って来たのです。満塁だったのでタッチをする必要がないのですが、自然の流れでタッチアウトとなりました。

あの「奇跡のバックホーム」を演出した澤田監督。現在は北条高校を率いて強豪校に作り上げました。しかし、今年を持って引退されるそうです。その監督が、聖カタリナ高校(第1シード校)の右腕、櫻井投手に対抗するため、2人の右バッターを左バッターに代えたそうです。その時、こだわったのが「利き目」だそうです。「利き目」が右の選手を左バッターに代えたと聞き、思わず「?」と感じたのです。

私が野球を始めた高校時代・・・・右利きだから、当然右バッター・・・・しかし、たまに左バッターボックスで構えると、見やすいという感覚がありました・・・・私は、右利きにもかかわらず「利き目」が左なのです。これは理屈でなく、感覚なので感覚を大切にする私にとって、澤田監督さんの方針(「利き目」が右の選手を左バッターにする)が良く分からなくなってしまいました。そこで、インターネットで「利き目」とプロ野球の記事を見つけましたので、スポニチの記者君島圭介氏の記事を掲載します。

『右投げ左打ちのロッテ・安田の言葉を聞いたときは驚いた。

「僕は利き目が左なので左打席が合うんです」「え?逆じゃないの」「左目で最後までボールが見れるので」

最後までボールを引き込んで叩く。同じ言葉は左投げ左打ちの楽天・島内からも聞いた。「僕も利き目の左で最後まで見ています」。島内のポイントもかなり捕手寄りだ。

左打ちで左目が利き目でもポイントが前の打者もいる。右投げ左打ちのロッテ・角中は「高校のときは左目で見ようと顔を投手の正面に向けたけど、目がいいから関係ねえなと思ってやめた」と、気にしていない。

ヤクルト・雄平は左投げ左打ちで利き目も左。左目で見やすいように顔を正面に向けた時期もあるが「左投手のスライダーが消える」という理由で横向きに戻し、「両目で見る感覚」になった。

意識していない選手もいる。広島・鈴木は右投げ右打ちで利き目は左だが「気にしたことがない」。ヤクルト・山田哲も右投げ右打ちで左が利き目。だが「利き目の方が視力も悪いし、乱視も入っている。悪い方の目で見ている感じ」と、まさかの答えだ。

右投げ右打ちのロッテ・井上も利き目が左。ボールが見やすいかと思えば「長く見ないようにしている」という。あまり引き込むと利き目と逆の右目を使ってしまう。左目から右目に移る瞬間にボールがぶれるというのだ。だからインパクトの直前にボールから目を切る。何と深い。

日本ハム・田中賢の言葉はしびれた。今季限りで18年のプロ生活に終止符を打つ右投げ左打ちの巧打者は「利き目が左だからもっと長くボールを見たいんですけどね」。最後の1打席、最後の1球まで打撃を追求する姿勢に恐れ入った。

気づいただろうか。日本人の6割以上の利き目は右だというが、ここまで登場した8人全員、左が利き目だ。こうなると、利き目というより「脳」の使い方の問題ではないだろうか。左目を使うと「直感力」「空間認知力」に優れた右脳が活発になる。調査対象は少ないが、好打者ほど右脳を使っていると考えられる。』

と君島圭介氏は「左が利き目」=右脳=「直感力」「空間認知力」という方程式にしたようです。これでは、澤田監督の「右が利き目」=左バッターの答えになりません。

そこで冒頭の文章に帰りましょう・・・・『右投げ左打ちのロッテ・安田の言葉を聞いたときは驚いた。「僕は利き目が左なので左打席が合うんです」「え?逆じゃないの」「左目で最後までボールが見れるので」』・・・・私もこの感覚100%分かります・・・・ところが、君島圭介氏が、逆じゃないの?っと驚くわけです。やはり、一般常識は、左バッターは「右が利き目」なのです。この理論は左バッターボックスで構えた時、「右が利き目」だと、ピッチャーに近いので、ボールを早く見ることが出来る・・・・確かに左バッターのインコースに来たボールは、早く叩けそうです。

確かに、私が右バッターボックスに入った時、ポイントをインコースにしか置いていなかったので、利き目が左の私には正しかったといえるようです・・・・ただし、多くの投手はアウトコースにボールを集めます・・・・こうなったら、利き目が左だと見にくいのです。

結論、利き目に関係なく見やすい構えにする。但し自分の「利き目」がどちらか知っておくべきとなりました。