昨日、漫画家村上もとか氏原作の「仁」のテレビ再放送がありました。これは、東京在住の外科医が、江戸幕末にタイムスリップし、当時の蘭学(西洋医学)の第一人者であった緒方洪庵(おがたこうあん)、坂本龍馬などとめぐり合うお話です。

そこで、コレラ騒動に巻き込まれ、主人公の仁が行った治療法は、点滴です。当時無かった点滴用具を、職人に作らせて塩と砂糖を入れた水を投与するだけ、後は病人を隔離するという手段をとりました。実際、コレラの症状は、体重の2倍程の下痢便をもよおすこともあるため、脱水症状を抑えることが、一番大切なことになります。

ということは、治る治らないかは、ご自身の体力があるか、ないかに関わるように思います。薬に頼らない身体を日頃から意識することが大切だと思います。

私の心がけは、朝風呂です。やや熱めの湯に飛び込み目を覚まし、末端の手足をもみほぐします。そして、しっかり水浴びをします。体内の毛細血管の長さは、地球を2周半します。これをきたえるには、水浴びが良いと思っています。

健康は、スムーズな血流と質の良い血液と、感謝の気持ちで作られると思います。コロナ騒動の昨今、毎朝の水浴びと、神棚礼拝が私には、欠かせないものとなっています。

アフターコロナ

体調が良くなり、2週間に1度来院の60才代男性患者Cさん。15分ほどで治療は終了したので、残りの時間は、同じ壁を見ながら(正面を向かい合う密接にならないため)Cさんはマスク、私は雨合羽(あまがっぱ)にマスクとフェイスシールドという物々しい格好で、のんびりお話をしました。Cさんが、

「アフターコロナどうなりますかね~」と突然、話題を振ってこられました。

「・・・地方が力をつけてきますよ。何も東京にいる必要がないでしょう。もう一度、農業や環境を考え直さないと・・・・テレワークや、リモートワークが当たり前になっていくでしょう。」

「年収100万円で一戸建ての田舎暮らしと、年収1000万円で、狭い一室の都会暮らし・・・どちらを選びますか?・・・ということですよね、価値観がガラリと変わりうるって感じですか・・・愛媛県が、積極的に都会に対して、農業従事者の援助を呼びかけるべきです。例えば、空き家を用意し、年金生活の都会人に移住してもらい、農繁期に集中して手伝いしてもらう。」

「それは、いいですね!何せ愛媛ほど住みやすい所はありません。台風が来ても、石鎚山が守ってくれるし、瀬戸内海には、鎮守の杜の島が浮いていて、海は川のように流れ魚は美味いし。」

「道州制になればいいんですよ。四国が八十八ヶ所でつながり、歩いても良し、サイクリングでも良し・・・四国四県はそれぞれ個性があるので、魅力的です・・・ヨーロッパでペストが流行り当時の30%くらいが死んだといわれて、そのあとルネサンスが生まれてきたんです。」

「ああそうなんですか・・・・ということは、歴史は繰り返す。相似形で現れますね。」

等々、話はどんどん展開していき、いつの間にか30分が経ってしまいました。そして、改めて我々人類の分岐点が来ていることを感じたのでした。

コロナヴィールス感染拡大に思う

先日、患者さんの奥様から、

「先生、これさし上げます。夏の日避(ひよ)けになりますよ。」

と、ハヤトウリを戴きました。ちょうど、コロナヴィールス感染拡大という時代の転換期に遭遇し、自らの生き方を改めて見つめ直している時の素晴らしいプレゼント。

一極集中の時代では人類が破滅しやすい。最先端を走っているニューヨークの様子をみると、ついついそう思ってしまいます。

テレワーク、リモートワークが叫ばれ、もうすでに実施されているところもあります。コロナヴィールス感染収束は、素人の私でさえ1~2年はかかるだろうと感じます。そうなるとテレワーク、リモートワークが当たり前の世の中になるでしょう。人工頭脳の導入にも拍車がかかり、医療、介護の世界も徐々に変化していくでしょう。

コロナヴィールスの押さえ込みに成功した南京(中国)では、薬をロボットが運んでいるという情報がありました。人工頭脳との共存(時代遅れの私には、ちょっと難しい・・・)が進み、病院も接触の機会を減らす方向を示すように思います。ただ、それだけでは、治療は成り立ちません。医師が触診をしなければ、なりません。また鍼灸を中心とした代替医療を、今一度見直す必要があると思います。江戸時代では、鍼灸がしっかりとした医術だったのですから。

人と会う機会が少ない今、土に触れることがどんなに心を癒(いや)すことか!

駐車場のすみにある土地の草引きをしただけで、エネルギーをいただきました。こんな時代こそ自然と触れ合うことの大切さを改めて感じました。

野菜大好きな私、とりあえず植木鉢から野菜作りに取り掛かることにしました。幸い、農業従事の患者さんが多いので、少しづつ教えてもらいます。

私の実家がある東温市河之内は、自然いっぱいの休耕田いっぱいの限界集落(65才位上の人口比が50%以上)都会からリモートワークできる人、お越し下さい。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B8%A9%E5%B8%82

雨の松山

 

昼間高速バスに乗るのは・・・・記憶にない・・記憶力悪いから(*^ω^*)・・元々記憶力に自信が無い私、65才を機に益々イメージ(絵とか画像)で記憶すること・・・でやっております💦(余談)

本来なら、夕方大阪駅に着き、そのまま山元式新頭鍼療法(YNSA)上級コース2の「有志によるちょっと遅い新年会」に出席の予定でした。ところが、新型コロナウイルスの流行で当然、新年会中止。世の中は3連休・・・夜間高速バスに乗り換えなど出来ません。やむなく、昼間に大阪へと移動しているのです。

私のように、「基本的ふうてんの寅さん」は、身(自分自身)を異空間に置くのが好きなので。そこから見える自分が面白いのです。その際たるところが、ニューヨークだったように思います。こんなアホな私を、ニューヨークに行かせてくれた両親には、心より感謝しています。多分、あの当時を思い出し、文章に残せば一冊の本になると思います。それくらい濃厚な日々でした。

今、私の息子が、ニューヨークのブルックリンで映像の仕事をしていると、風の便りで聞きました。私と同じように濃厚な時間を過ごしていることでしょう。

山元式新頭鍼療法(YNSA)の基本概念は、ソマトトープ(小さな人型)。元々何にも無い世界から宇宙が出来たことが、不思議。私にはよく分かりません・・・が、陰と陽が出来そう・・・ならば、法則が生まれそう・・・・・で、よく分かりませんが、宇宙とこの身がソマトトープ(小さな人型)になっている感覚があります。

我が息子が、ニューヨークでソマトトープ(小さな人型)しているようです。

バスタ新宿

「バスタ新宿」が新宿南口に出来て、もう2~3年は経つと思います。これで、夜行バスや高速バスの「格」が随分上がったように思います。それまでは、薄暗い新宿南口のほこりと排気ガスでよれよれになった制服とテカテカの帽子の従業員さんが、マイク片手に、

「続いてまいりますのは、10時30分発◯◯行き△△号1号車・・・」

渋い声で名調子の従業員さんには、惚れ惚れしていました。まだ、昭和が残ってたのです。その新宿南口バス停も、「バスタ新宿」建設のため、人気のない代々木駅の暗いバス停に移転。ますます昭和になっていったのです。私は、東京から京都や仙台の夜行バスを毎月利用していた時期が、10年くらいはあったので、その変貌を身を持って知るようになりました。

「格」の上がった「バスタ新宿」。今来ています・・・・ピカピカのエスカレーターに乗って、4階まで来ないと、松山までの夜行バスに乗れない事になっています。構内は、ちょっとした飛行場のロビーです。このバスタ新宿の3階はタクシー乗り場、2階は、JR線、小田急線、京王線始め地下鉄の総合乗り場。あの昭和のバス停が一気に令和最前線のハブステーションになっているのです。

ところが、松山⇆東京のJR夜行バス、今月で廃線となってしまいます・・・・地方との格差を思い知ります。もうこれで乗る事は無いJRバス東京松山間を、半日かけて楽しみます。

新宿でゆっくり

 

東京で一番ホッと心が和(なご)むところが、新宿。しかも歌舞伎町界隈、なぜかというと、「あしカラダ新宿店」の立ち上げ時から、スタッフとして働いていたからです。2年以上働きました。開店当時は、サンドイッチマンとなり、チラシを配り続け・・・・それでも、お客さんが0名。なんて日がありました。お客さんが増えてきても、時間さえあればサンドイッチマンをしていました。あの時の、接客のあり様が鍼治療に役だっています。ですから、あしカラダには感謝感謝です。

これから、新宿のカプセルホテルでゆっくり休みます、明日に向けて❣️

中間生と高天原(たかまがはら)

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本を読むのが苦手な私。やっと加藤直哉先生(私の鍼の師匠です)の「人は死んだらどうなるのか」(三和書籍)をほぼ読み終えました。この本を読むと、愛すること、学ぶこと、他人に尽くすことの大切さを知り、生きる意欲が生まれてきます。たとえ高齢であっても、学ぶことが無駄でないと、はっきり分かります。

この本では、人は死んだら中間生という時間も空間もない光に溢れたところに帰えるとあります。中間生とは死から生の間に存在する生。霊(たましい)と置き換えていいのかも知れません。人は、この中間生から自らの意思で肉体を借りて、この世に生まれて来ます。この世では、愛し、学び、人を助け、神に近づくように生き、自らを高めます。そして、肉体が朽ち果てると再び中間生に戻り、ゆっくりします。これを繰り返すようです。

中間生の存在は、臨死体験と過去生療法の客観的分析から、認めざるを得なくなったのです。特に、過去生療法では、信じられないようなデータが1088あり、「催眠下での前世想起は、過去の出来事を正確に投影するものであることが、統計学的に証明された」とあります。

つまり、人は何度も生き返り、己を高め神に近づこうとしているのです。

また、日本が世界一の臨死体験研究国で、「日本往生極楽記」(985~986年)、「扶桑略記」(1094年までに起こった出来事を12世紀ごろ編纂)、「元りょう釈書」(1278~1346年)

など記録が残っているそうです。何故、日本にはこのような臨死体験記録が数多く残っているのでしょう?

私は、神道の影響ではないかと思っています。

「高天原(たかまがはら)」について、ウイキペディアの一説を引用します。

『古事記』においては、その冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所としてその名が登場する。次々に神々が生まれ、国産みの二柱の神が矛を下ろして島を作るくだりがあるから、海の上の雲の中に存在したことが想定されていたと推測される。天照大御神が生まれたときに、高天原を治めるよう命じらられた須佐之男命にまつわる部分では、高天原には多くの神々(天津神)が住み、天之安河や天岩戸、水田、機織の場などもあったことが記述されており、人間世界に近い生活があったとの印象がある。

このように、高天原は、海の上の雲の中に存在し、神々が生まれ、神々が人間世界に近い生活をしているところです。これは、もしかしたら中間生のことではないかと思うのです。戦前の日本、ましてや明治以前の日本人なら、高天原はリアルなところだったと推測します。この土壌が日本を臨死体験研究国にしたのではないかと・・・

神道では、故人の霊を霊璽(れいじ)いう依代(よりしろ)に移す「御霊移しの儀」があります。これは、室内の灯りを消して、斎主(さいしゅ)が、霊璽(れいじ)を故人の顔にかざし、霊を移します。この時斎主は、「をー」という声を発します。

神社の社務所に生まれ育った私には、葬儀の時にいつも聞く「をー」に「???」を感じていたのですが、今になって最も大切な儀式であると改めて感じるようになりました。中間生を高天原とみなすならば、神道を勉強することで中間生を理解出来るかもしれません。

千住博展に行く

昨日、午後から患者さんの予約が入ってないので、久しぶりに美術館に行きました。最近、四国は、香川県の直島(島全体が美術館)、イサム・ノグチ庭園美術館、徳島県の大塚国際美術館(陶板に世界の名画を焼き付け、触れる事のできる美術館)など、アートの島として売り出しています。そんななか、愛媛県は・・・・?と、思っていたのですが、愛媛県美術館・・・なかなか素敵でした。

ここは、かつて松山市営球場があり、私が高校3年生の時は、2回戦で西条高校の首藤投手に、ノーヒットノーランで抑えられた因縁の場所です。あの時のショートゴロがもう少しセンターよりに転がっていれば・・・・

千住博展が、今月19日(日)で閉幕します。昨日しかチャンスが無かったので、思い切って、午後から臨時休業にしたのです。行って良かった‼️・・・・これが、素直な想いです。

自然現象を見事にとりいれ、小宇宙を生み出す姿勢が本当に素晴らしい。

久々に芸術家魂が、ムクムクと込み上げて来ました。

私が最後に展覧会を開いたのは、2006年、ケンタッキー州のバーンハイム美術館。2カ月滞在型芸術家(artist in residence)として、作品を作り続けました。あの時の感覚が蘇り、もしここで作品を展示するなら・・・などイメージを飛ばす瞬間が、何度かありました。

それはさておき、千住博さんの大胆かつ超繊細な感性からうみだされる作品の強烈なイメージは、今後の治療に必ず役立つことでしょう。

今年を振り返って(その3)

12月半ば、20年ぶりに大学野球部の1期~4期OB会に出席しました。

その時、守備の名手、先輩F氏に言われました。

「ワシは、○○と△△とお前は、守備が伸びる(上手くなる)と思っとった。」

守備に自信が無かった私は、思わず、

「えっっっっっっ僕がですか?」

「そうじゃ、お前は分かっとらんけど、お前は、早い動きができるんじゃ。」

と言われて、自らを恥ました。野球に於いて努力したなどと、何も言えない・・・・高野連から、育成功労賞をもらっている監督F氏からのお叱りを戴きました・・・これは、私の人生そのもの・・・あらゆる事に中途半端。このまま、人生を終えたならば、悔いだけが残る。せめて、残りの人生十分努力したと言えるだけの仕事をしなければ・・・・

そして、指導者としての人生を歩んでいる方は、人を見る眼力と、適切な言葉掛けを持っておられると、感心しました。

残りの人生を目標を持って、悔いのないよう歩むこと、そして、出来れば指導者になるという夢を持つこと・・・・そんな思いを持つ年の瀬でした。明日から、1月4日(土)までは、あじさいの杜鍼灸院も、ブログもお休みします。良い年をお迎えください❣️

今日はクリスマスイヴ

 

今日は、クリスマスイヴ

という事で、症例以外の事を書きます。たまたま、朝のNHK ラジオを聴いていたら、ダイヤモンドユカイさんが、「東京ポップ」に主演していたという話題が、飛び込んで来ました。「東京ポップ」というのは、ニューヨークの売れないロックシンガーの女性が、東京で日本人バンドと一緒に活動し、有名になって、やがて別れて・・・という、当時のポップカルチャーを描いた評判の映画(1987年作)X Japan のメンバーも出演しています。

ダイヤモンドユカイさんは、ニューヨーク落書きアートの風雲児キースヘリングと、友達になり、ステージ衣装を描いてもらったそうです。キースヘリングにステージ衣装を描いてもらったのは、マドンナとダイヤモンドユカイさんだけだそうです。

そして、この映画監督が、フラン葛井さん。私がニューヨーク(Brooklyn Museum Art School の学生)にいる時、何度かお世話になりました。別荘に泊めていただき、ご主人のカズ葛井さんとも色々楽しく話をしたものです・・・・あれから、もう30数年経ち、全てが大きく変わりました。

気がつくと、生まれ故郷で鍼灸師。これは、究極の触覚アートです。

「なぜ芸術をしていたのに、鍼灸師になったのですか?」

良く聞かれます。そんな時、最近では・・・

「私の大学の卒業論文は、触覚アートがテーマでした・・・・今後の美術界では、ヴィジュアルアート(視覚的アート)が突出してくるので、バランスを保つため、原始的な触覚を刺激するアートが必要となる・・・・それで、木を積み上げる作品を見つけましたが、これで、生活出来ませんでした・・・・そこで、究極の触覚アート・鍼灸師の世界に飛び込みました。生命そのものと向かいあい、触れる事で患者さんのカラダからの声を聴き、生命力を引き上げる・・・・これこそ、アートです。」

と、言うようにしています。お付き合いありがとうございました😊