セキセイインコの習性

以前、NHKの「ダーウィンが来た」でセキセイインコの特集がありました。オーストラリアの原野で群れになって生活するセキセイインコは、ミドリ、黄色を基調とした同じ様な色調だったと思います。そして、鷹(たか)などの天敵から身を守るため、イワシが海で一塊(ひとかたまり)の巨大生き物のように泳ぐように、やはり、セキセイインコは大きな塊(かたまり)で飛びます。その群れからはぐれたインコが、天敵のエサとなってしまいます。

この生き残るための習性が、飼い主やパートナーのインコと同じ行動パターンを作ります。あの番組では、飼い主が食事を取っていると、インコがエサを食べ始め、飼い主がうとうと昼寝をすると、インコも昼寝をしていました。

我が家のキーとボーを見ていると、やはり片方が目をつぶってウトウトすると、もう片方がウトウトしています。一見すると、可愛いたわいもない仕草ですが、これも生き残るための習性。未だ行ったことのないオーストラリアの原野に集団で飛び回るセキセイインコの群れに思いを馳(は)せるのも気持ちの良いものです。

セキセイインコの新居

「最近、セキセイインコを飼っているのよ。」と何気なく話始めると、50才代の女性患者Aさんが、ニコニコしながら、

「先生、私も飼ってます。」

「えっっっ、そうなんだ・・・・そしたら、連れて来るね、見てくださいよ。」

ということになり(置鍼が終わり、雑談中のお話です)、2羽の入ったケージを持って来ました。

「先生、ケージが小さい。」

 

 

 

 

 

「・・・・・そうなんよ・・・最初、1羽で飼い始めたけん・・・」

などという会話の結果・・・・Aさんが、粗大ゴミで出すはずだった大きなケージを頂くことになり、本日の治療日に早速持ってきて来れました。ケージには止まり木がありませんが、私は、クスノキの枝をたくさん持っています(6月の愛媛県立美術館の展覧会で使用)。そこで、Aさんに置鍼をして、ベッドでゆっくり休んでいただいている間に、ケージの止まり木や、ブランコを作りました(しっかり、治療はしています)。

2羽(キーとボー)は、大きな水飲み箱で、生まれ初めての水浴びを楽しんでいました。

Aさん、本当にありがとうございました😊

セキセイインコのキーとボー

実は,10日ほど前から、セキセイインコを飼い始めていたのです。猫のチャルルを3日間預かった時は、となり部屋に移動していました。非常におとなしい2羽は、インコ独特のギャアギャア鳴きをしないので、チャルルは全く気にしていなかったようです。そして、インコに気付かないまま、今日お家に帰りました。

さてセキセイインコですが、2羽とも生後1ヶ月ほどの子供です。そのため、オスかメスか分かりません。オスは鼻が青っぽいなるのですが、どうもなりそうもない。多分2羽ともメスだと思います。穏(おだ)やかな2羽を見ているとペットにぴったり!と思うのです。

ちっちゃなカゴに入れているので、たまに居間で自由に飛んでもらいます。2羽は仲がいいので、カゴより広い空間でも、ハンガーで一緒です❣️

スラバ

最近、慢性的な疾患の方には、後頭部の置鍼をする事が多いので、置鍼後、奥のベッドで休んでもらうことより、待合室のイスに腰掛けていただき休んでもらうことの方が多くなりました。
すると、世間話で花が咲くのです。だいたいは、私が聞き役で患者さんのしゃべってもらいます。(もちろん、マスクをしソーシャルデイスタンスを取って、換気十分)カラダや治療に関する質問の場合は、どんどんお話をしますが、プライベートなことはあまり話しません。

ところが、60才代の男性患者Bさんには、何故か私の青春時代の話をポロッと喋ってしまいました。

「土方巽一周忌として、ベルリンのクンストラハウスベターニアンという美術館で、日本の舞踏家が大集合し、大規模な舞踏フェスティバルがあったんです。」

「舞踏・・・・というと、大野一雄さんとか?」

「ええええ、よくご存知ですね!そうです、大野一雄さん、田中泯(みん)さんらが参加され物凄い評価を受けました。それに天才舞踏家・石井満隆さんが呼ばれて、私はカバン持ちで付いていくことになったんです。」

「先生も踊っていたんですか?」

「・・・・踊ってはいないのですが・・・・当時から積み木をやって子供達と遊んでいたんです。ただ、石井満隆さんのワークショップには常に参加し、カラダを使った表現はしていました・・・・で、石井満隆さんは、ポーランドの国際フェスティバルにも招待されていたのですが、チェルノブイリ原発事故直後だったこともあり、私が急きょ、参加する事になったんです。」

「当時は、東西冷戦でポーランドはソビエト連邦から国家予算を奪われていたので、ポーランド人は、ソビエト連邦を嫌っていました・・・・そんな中、私はフェスティバル期間、ホテルで同室だったのが、インド人の大道芸人とソビエト連邦からのピエロ・・・・スラバだったのです。」

「スラバ??・・・・・しらんけど・・・」

「インターネットで探してみますね・・・・これ、です。」

「・・・・・ねっ、凄いでしょう・・・・このスラバの演技は、神業です。フェスティバルの最後に参加したアーティストの前でその演技を見せてくれましたが、あれほど感動したことはなかったです。そのスラバがボクと話をしたがるんです・・・・なぜかというと、彼の奥さんが日本人だからです。ところが、私はロシア語が全然分からない・・・・その時、インド人の大道芸人がポーランド語がわかるので、通訳してくれたんです!」

「先生、青春してたんですね!」

「・・・・そうですね・・・」
などと、喋っていたのでした・・・・おしまい。

www.youtube.com/watch?v=zgKM8SCR1Vc

チャルル再び登場!2日目

別荘に来た気分のチャルル。相変わらず、戸棚の上がお好みの場所のようです。私が夕食をしながら「鶴瓶の家族に乾杯」を見ていると、チャルルが戸棚から「ドスン!」。

こういう時は、エサを催促しているのかも・・・・ドライのキャットフードをお茶碗に入れてあげました。美味しそうに食べるので、ついでにかつお節、柔らかいキャットフード、塩分控えめ煮干しと立て続けにあげました。これで、少しなついてくれるかも知れません。

確かに、今日はかなり接近してくれています。

食事を終えて(2階が我が家)、1階の治療室に行き、忘れ物を思い出して2階に戻ってみると、チャルルは定位置の戸棚の上に戻っていました。ということは・・・私がいたから、わざわざ降りてくれたのかも知れません。

(写真は、接近中のシャルル)

チャルル再び登場!

友人夫婦の愛猫・チャルルが我が家に再び戻って来ました。前回とは違ってもう慣れたものです。私の顔を見ても、なんの反応もなし。前回から気にいっている戸棚の上で、ゆっくりしています。

もう、寝てしまいました・・・・・良かった良かった!

チャルルは、ここを別荘と思っているようです。私にとっても、可愛いチャルルがしばらく居てくれるので、ありがたい限りです。友人夫婦は今回も寝床、トイレ付きの大きなケージを持ってこられたのですが、チャルルにとっては、戸棚の上が最高の居場所。多分、ケージに入ることはないと思います。

前回のチャルルは、ほとんど戸棚の上で生活していたのですが、今回は、あちこちに移動・・・・おっと、隣の部屋にまで行ってました。チャルルはオス猫なので、慣れた別荘でウロウロしたり、外の世界に興味を示しそうです・・・戸締りだけはしっかりしようと思います。

待合室の本紹介(その5)

今回ご紹介するのは、前回と同じく2004年スペイン・マジョルカ島のジョアン・ミロ美術館で子供達と共に制作、指導した作品です。ミロは、「日本の書」に影響を受け数多くの作品を残しました。子供達にもミロと同じ様な体験をしてもらおうと考えたのです。

制作の前日に、子供達に好きな人の名前を聞き、その当て字を作りました。それを楷書で書きますが、これでは、面白くありません。ミロが楷書のきちっとした書に心を打つことは、なかったと思います。書の持つ黒から白の繊細なグラデーション、空間の間、流れ、力強さ・・・・等々あらゆる要素が吹き込まれ作品として生まれています。

では、私がそれを表現できるか?・・・・出来る訳ありません。ただ、自由に楽しく描けばいいくらいは、伝えることができます。そのため、真っ白な画面は用意しませんでした。画用紙に泥を塗り倒したり、足で踏んづけたり、目をつぶって描いたり・・・・自由にやった後に、好きな人の①楷書②遊び字を数秒見せて、作品として完成してもらいました。

待合室の本紹介(その4)

今回ご紹介するのは、本ではなく私の作品の資料です。先月末に1週間愛媛県立美術館で、14年ぶりに作品展示(インスタレーションという分野の空間提示)を行いました。あまりにも、作品発表の空白時間が長かったため、芸術に関係ない鍼灸師が勝手なことをしたと思われると良くありません。そこで、「こんな事をしていました」というのを遅ればせながら観たい方には、観ていただくように待合室に置いています。

2004年、スペイン・マジョルカ島にあるジョアン・ミロ美術館での記録です。2グループ(1グループ10数名)子供との作品制作を2週間ずつ、1ヶ月行いました。準備に1ヶ月必要なため、2ヶ月滞在の芸術家として招待されました(交通費、滞在費、報酬込み)。

写真は、「空絵」というタイトル。

ジョアン・ミロ美術館の玄関は横に長い空だけが見える開放的な空間。ここにテニスコートで使うネットを2枚貼り付け、子供たちが引き裂いた着物で絵を描く。

これは、思った通りの出来栄えになりました。ミロの陶器制作助手をしていた方から、

「おおおお~、ミロの作品だ!」

と言われたのを、鮮明に覚えています。

ウド

「先生、今日はお土産多いのよ・・・・これと、これ・・・これは、主人が作った生姜の砂糖煮。」

80才代の女性患者Aさんは、週に1回のペースで通院されていますが、最近は体調管理がメインです。そのため、置鍼した後は世間話に花が咲くことが多いのです。そこで、畑の話になりました。Aさんのご主人は、定年退職後は、農作業に従事され20年以上。もうプロの領域です。ご主人から色々教わりたいのですが、「鍼大嫌い」なので・・・無理なのです。

そんな中、Aさんが、

「先生、ウドの話はまだまだ生きていますから・・・ウドの苗差し上げます・・・」

これは、2人で熱く語った「ウド愛」のその後の話・・・・ウドは栽培されていない野生のものが本来のウドであり、その香りこそが、ウド。京都美山町で10数年茅葺き民家で生活し、玄関を出るとウドが、前庭にあるのが当たり前・・・・私は、そんなド田舎生活をしていたのです。前の川には、クレソンとワサビ。裏にはワラビ、表にはミョウガ、花山椒、オオバギボウシ、タラの芽・・・・

ウドを植えるぞ・・・・・

すり足

4か月ぶりに大相撲が両国で開かれています。今日の解説者は、荒磯親方(元稀勢の里)。理路整然としていて分かりやすいです。荒磯親方の師匠は、元横綱隆の里。おしん横綱と言われ、インタビューでもほとんど喋らない無骨な人。当時、私は「相撲取りは、話することが出来ない人」と思い込んでいました。ところが、このおしん横綱は、読書家で有名。物凄い理論家だったのです。

荒磯親方は、中学卒業後このおしん横綱親方の元で育てられ、理論家のお相撲さんになられたのです。現在では、早稲田大学大学院スポーツ科学科の学生として勉学に励んでおられます。才能のある人は、早くからプロの世界に飛び込み、様々経験をすることが一番。大学や大学院で学ぶのはいつでも出来ます。

そこで、改めてテレビで相撲を見てみます。今日のテーマは、「足の親指」。土俵際という言葉がありますが、あの俵には、土、砂、砂利が入っているので、足の親指がしっかり「際(きわ)」を感じ、反発する力を得るのです。テレビ画面でお相撲さんの「足の親指」だけを見ると、どちらが勝つかだいたい分かります。

相撲は、ほぼ裸の状態でカラダの動きを見せてくれます。最近の映像はスローモションでも細部がキレイに見えます。カラダを研究するにはこんなに素晴らしいパフォーマンスはありません。

「足の親指」を意識するすり足が相撲の基本。その延長が、今日の石浦と志摩ノ海の相撲のように思います。石浦が足の親指を志摩ノ海のくるぶしに当て、すり足でひっくり返しました。いかに親指の力が凄いかが分かります。荒磯親方も「足の親指まで神経が行き届いていますね。」と、おっしゃていました。

相撲をカラダ研究の素晴らしい素材だと思うと、明日から楽しみがふえます。