栄冠は君に輝く、再び

昨夜のNHKの「songs 」で、山崎育三郎と森山直太朗のコラボがありました。何と素晴らしい時間。私は、音楽をこれほど素晴らしいものだと思っていませんでした。なぜ・・・・変声期の頃、「あなた、音痴ね・・・」という言葉をもらい、『音楽は、女の子のやるもんじゃ・・・ボクは音楽をやらん!』と頑(かたく)なに思い込んだのです。

そこで音楽を止め、美術の世界に向かったのだと思います。いずれにせよ、訳の分からない芸術と呼ばれるものに、子供心なりに「自由」を感じたのです。死ぬまで、子供心でいたい。しかし、この思いだけでは、生活できません・・・・・で、様々な仕事を渡り歩き、今に至ったのです。

そして、気がつくと鍼灸師・・・天職です。

 

チャルル眠そう

チャルルが、別荘の我が家に来ました。普段は、直接我が家に入室するのですが、今回は、治療院内に立ちよってからの入室。治療院には来客が2人いたためか、チャンネルは緊張で固まって動けません。こんなチャルルを見ていると、やはり1才の子供だと思うのでした。

私が、チャルルの移動用ケージの入口を開けると、急いで入ってくれました。普段は、このケージに入るのを嫌がるチャルル。よっぽど怖い経験だったようです。その後は、ご主人夫妻が我が家に連れて行きました。

その数時間後、部屋に戻ってみると、疲れ切った様子で、いつもの戸棚の上で眠そうにしています。先日のテレビで、猫に嫌われるのは、「近づいて行く」と「大声を出す」という2つの行為が原因だと言ってました。「近づかずチャルルが来るまで待つ」「小声でチャルルに話しかける」を今回はテーマにします。

栄冠は君に輝く

 

今日の朝ドラ「エール」に感動したのは、私だけでないと思います。もしコロナ禍の世でなければ、夏の甲子園、そして東京オリンピック・パラリンピックへと素晴らしい流れが出来たことでしょう。この「栄冠は君に輝く」を作詞したのは、石川県根上町出身、1914年生まれの加賀大介(本名・中村義雄)。おそらく加賀百万石からの名でしょう。加賀氏は地元で工員をしながら草野球を楽しんでいる時、脚を負傷。それが元で、右膝から下を切断。文才のあった加賀少年は、やがて作家を目指すことになります。

1948年、夏の甲子園大会を主催する朝日新聞社が、大会歌を公募。5000を超える作品の中から、「栄冠は君に輝く」が選ばれました。当時、婚約者の加賀道子作詞となっていたのは、大介氏が賞金狙いと言われるのを嫌っていたからです。それから20年後の第50回記念大会を機に、夫婦は真相を明かし、作詞加賀大介となりました。

また、この歌には、2番、3番があったのです・・・全く知りませんでした。

それにしても、裕一(古関裕而のモデル)が、戦時歌謡の曲を作り久(伊藤久男のモデル)を慰問に回らせたことを、詫(わ)び、お互いが味わったドン底から立ち上がろうとした2人のための応援歌でもあったのです。1番の「ああ~栄冠は君輝く」まではゆっくりとしたアカペラ・・・・2番からは、映像も変わりオーケストラのメロディが入ってきて・・・・本当に素晴らしかった❣️

続いての番組「あさいち」では、久(ひさし)役の山崎育三郎氏が登場。エールの主題歌を始め、「長崎の鐘」などを歌っていただき、最後は「栄冠は君輝く」と素晴らしい朝となりました。

今、エールが熱い

・・・・・のは、私だけかも知れません・・・・作曲家、古関裕而氏がモデルとなる朝ドラです。高校球児だった私にとって、「栄冠は君に輝く」は、カラダの髄核(ずい)まで染み込んだ応援歌なのです。その誕生秘話が、史実を元に描かれています。同郷の友であり有能な歌手の佐藤久は、戦後、酒と博打に溺(おぼ)れ悲惨な生活を送っていました。これは、あの「イヨマンテの夜」を歌った伊藤久男氏がモデルなのです。

60才代の方なら、伊藤久男氏の魂に響く「イヨマンテの夜」を覚えておられるはずです。あの伊藤氏が実は、「栄冠は君に輝く」を歌っていたのです。その史実をまったく知らなかった私。もう鳥肌ものです・・・・今日の「エール」では、主人公の古山裕一(古関裕而のモデル)が、甲子園のマウントに立ち、一気に作曲するシーンがありました。史実かどうか、私は知りませんが、才能のある作曲家は、このような事があるのだろうと思います。

明日からは、裕一が、久をどのように説得して「栄冠は君に輝く」を歌ってもらうのか・・・

楽しみです。

井の中の蛙

本日(10/26)は、名古屋から三浦欣也先生が奥様とご一緒に、あじさいの杜鍼灸院を訪ねて来られました。お二人に山元式新頭鍼療法(YNSA)の操体法バージョンで治療をさせていただきました。

その後、近くの大衆居酒屋で楽しくワイワイと過ごし、10時ころに帰宅。鍼灸院で眠ってしまい、今起きてiPad に向かっています。三浦先生の研究熱心さに、脱帽いたしました。三浦先生は、興味があるところには、軽いフットワークでドンドン向かって行かれるのです。

その行動力は、凄まじい!

私が井の中の蛙だと、改めて認識したのであります。三浦先生今後とも宜しくお願いいたします。

デザイン日

本日は、久しぶりに患者さん0の日。

こういう時は、友人の患者さんから頼まれた「レモン箱」のデザイン制作がいいようです。

柑橘王国の愛媛は、レモンの産地としても広島に次いで全国2位です。あまり知られていないのですが、キュウイは全国収穫量割合は26%あり、全国1位です。その他に栗は全国3位、ビワは5位とみかん以外でも果実は良く育つのです。

温州みかんに関しては、和歌山県の方が生産量は多いのですが、「紅まどんな」や「甘平」といった甘く高級なみかんを簡単にスーパーマーケットで買うことが出来ます。

私が住んでいる所は、海に近く日当たりが良いので、みかん農家の方が比較的多いようです。患者さんから時々いただくみかんは、美味しいのです!

愛媛は、住むには良いとことです!

近藤等則さん逝く

即興トランペッター、近藤等則さんが71才で亡くなりました。1980年にニューヨークのブルックリンミュージアムアートスクールに通っていたころ、

「近藤等則さんって、知ってる?あなた、愛媛出身でしょ・・・あなたに、似てるのよ。」

などと言われていた時がありました。ニューヨークにいる頃は、近藤等則さんのウワサ話をあちこちで聞いていたのですが、一度もお会いする事なく時は過ぎ、つくば市の大学横にある、ライブハウス「アクアク」での演奏で初めてお会いできました。その颯爽(さっそう)とした、そして挑発的なライブに一気引き込まれました。

「すっごい、男前(イケメンという言葉は、まだありませんでした)!オレなんかと、全然似てない。」

と思ったものです。打ち上げの時も、仲間と共に近藤さんを囲んで楽しく過ごしました。あの時、一つだけお伺いする事が出来なかった事があったのが、今となっては・・・・・まあ~いい思い出です。

青春の1ページを飾っていただいたヒーローが、また1人この世を去って行かれました・・・・

心よりご冥福をお祈りいたします。

日本の住まいの成り立ち

NPO日本民家再生協会の連続講座「日本の住まいの成り立ち」というリモート講座に参加しました。講師は、筑波大学名誉教授の安藤邦廣先生。安藤先生は日本民家研究の第一人者です。手前味噌になりますが、1999年12月15日にテレビ東京が、「マギーさんちの茅葺き大作戦」というドキュメンタリー番組があったのです。その旦那さん役が私でありまして・・・・間抜けな旦那を演じておりました。

それは、イギリスのロジャーエバンスさんという茅葺き職人を呼び、イギリス式の茅葺きを我が家(京都府美山町)で行うという企画でした。その間に日本の茅葺き職人さんにワークショップとして参加していただくこともしました。安藤先生には、わざわざ美山町の我が家に来ていただき様々なアドバイスをいただきました。それからのご縁で、今度は、愛媛の実家の茅葺き家も見ていただきました。

その安藤先生が、これから6回に分けて「日本の住まいの成り立ち」を紹介してくださいます。今回は、旧満洲、韓国の住居を徹底分析することで、日本民家の位置づけが明確になってくるように思います。これは、面白いです・・・・次回が楽しみです。

肥料

患者さんから頂いた「スナップえんどう」を畑ではなく、プランターで栽培することにしました。ゴーヤを植えていたプランターには、ゴーヤの根がたくさん残っていたので、心配していたのです。ところが、その根が肥料になるそうなのです。これで以前に、その患者さんから頂いた「大麦」の役割が分かりました。

「これ(大麦)をまくとええよ。」

と言われて、訳がわからないまま芽が出てくるのを眺(なが)めていたのですが・・・この大麦がしっかりと根を張ってくれます。もちろん、これからドンドン空を向いて穂をつけようと大麦が成長します。その途中をちぎって土に返すと肥料になります。つまり、根も葉っぱも肥料になり、畑を豊かにするのです。

大麦は土作りに良いようです。

ボーっと大麦の成長をみていると、勢いが目に焼きつきます。これが土に還元するのだと思います。さてさて、これから畑がどうなっていくのやら・・・・楽しみです。

日照時間(*゚▽゚*)

これから冬至にむかって太陽が南に沈み、影が長く北側を覆(おお)います。駐車場に作った畑は、3階建ての小さなビルの北側に位置しています。そのため、午前8時頃から日が当たらなくなります・・・・・頭の上を太陽が移動していた夏は、そこそこ日当たりが良かったのですが・・・・・

そこで、作戦を変更する事にします。野菜の日照条件をインターネットで調べてみると、

陽性植物→1日中直射日光が当たるところを好み、日陰では育ちません。トマト、ナスなど

半陰性植物→半日(3~4時間)くらいのは直射日光が当たるところを好み、木漏れ日が1日中あれば、育ちます。

陰性植物→直射日光の当たらない半日陰から日陰を好み、1~2時間の日照でも育ちます。

そこで、ビルに近いところには、陰性植物のシソ、ミョウガ、フキ、ニラ(幸い、これらは栽培しています)、増やす事にします。ビルから少し離れた駐車場の一角にもう1つ小さな畑を作る事にしました。ここだと、3~4時間の日照時間を確保できそうです。ここを、夏場は陽性植物、冬場を半陰性植物の栽培場にできそうです。半陰性植物は、ホウレンソウ、コマツナ、カブ、春菊、ネギ。

早速、高校の同級生で、患者さんでもあるAさんから頂いたヤマモモとサクラの木で、畑のワクだけは作りました。1~2週間で真砂土が入る予定です。鍋料理の材料を確保したいものです❣️