松山の奥座敷

昨日は、実家に帰りました。しかし、肝心の母親はお友達と茶道の練習会で、会うことが出来ませんでした。コロナ禍なので、毎日曜日のお茶会をやめていると思っていたのですが・・・まあ、一週間後には、会えるので大丈夫。

 

弟が芝桜を沢山栽培していました。棚田で有名なこの地区には、日本一の米作り農家もいるので、芝桜を植えてアピールするのは、良いアイデアだと思います!弟には、大学の親友が翻訳した「人間主義的経営」の本をあげました。地域お越しの参考になれば良いと思います。そして、以前にフェイスブックで紹介したこともある近藤林内邸の跡地を見学しました。立派な石垣から大きな屋敷であったと想像できます。今は、誰の所有地でもないそうなので、イタドリを沢山取って帰り、現在料理中です。

私は、高校1年の夏休みまでは、この地区(河之内といいます)に住んでいたのですが、近藤林内邸を見たこともないし、その部落(日浦といいます)にも行ったことは、ほとんどないのです。灯台下暗しとは、この事です。私の実家がある部落(音田=おんだ)と、お隣の日浦の地形が全く違うのに驚きました。日浦は急傾斜地にあるのですが、陽当たりが良さそうです。また、対岸の美しい棚田が見れるのはとても贅沢でした。音田からは、なだらかな勾配になり川の流れが緩やかになっていきます。

日浦の奥に、問屋(といや)という部落があり、白猪の滝(しらいのたき)という冬には凍る滝があります。ここに、正岡子規や夏目漱石が足を運び、近藤林内邸で宿泊したそうです。昭和2年に松山道後名所図絵が作られ、唯一観光地として取り上げられたのが、私の実家がある河之内です。その絵に惣河内神社(私は、この神社の社務所で小学校5年まで生活しました)と描かれているのですから、もう少し誇りに思ってもいいようです。

弟が言っているように、河之内は、まさしく「松山の奥座敷」なのです。