1980年ニューヨーク


(写真と文章は全く関係ありません)

私は、1980年から2年半、ブルックリン・ミュジアムアートスクールという美術学校の生徒として、ニューヨークに住むことが出来ました。そこでは、大工仕事(とても下手でした)をしたり、ナムジュン・パイクさんのアシストをしていましたが、時々通訳の仕事が入ることもありました。その時の仕事は、「ニューヨーク・サウスブロンクスの若者の実態調査」というNHKの仕事でした。

当時サウスブロンクスは、アフリカ系アメリカ人とプエルトリコの若者のギャング集団が縄張り争いで街は荒廃していました。ビルの水道管、排水管を盗んでお金にし、ビルの角(すみ)にある部屋以外は住むことが出来ないところもありました。その若者達のインタビューは、あまりにも壮絶なので、文章にはしません。

その頃は、ストリートパフォーマンスとしてのブレイクダンスが流行っており、若者はその技を競っていました。実は、このブレイクダンスが、ナイフや拳銃の武器代わりとして、平和的な戦いを生み出したのです。次回のパリオリンピックでは、正式種目として参加します。正式種目として認められるには、40~50年の歴史があったのです。ブレイクダンスのバトルが、武器の代わりに1対1で行われるには、歴史的な理由があったのです。

さて、日本ではやっと最近、ブレイクダンスが流行り始め、才能がある若者が世界一になったりしています・・・・常に、アメリカの追随をしているのです。日本における多くの流行りは、アメリカ発祥が多いのです。そこで、アメリカの鍼について、明日から少しずつ紹介して行こうと思います。なぜなら、アメリカの今を知ることは、近未来の日本を知ることになるからです。