ヒマワリに関しての記事があったので、記載します。元々、アメリカ大陸が原産だったヒマワリが、スペイン→ヨーロッパ→中国→日本と伝わったようです。本草学者の貝原益軒が色々と述べています。アメリカ大陸には、2万年前氷河期で海抜が下がっている時期、ユーラシア大陸からモンゴロイドに近い人々が移動し、南アメリカまで広がっていったので、日本のご先祖さまの縄文人も関係あるかもしれません。ただ、スペインのコロンブスらの、先住民虐殺、文明破壊、天然痘蔓延などの負の遺産の象徴がもしかして、ヒマワリかもしれないと思うと・・・・しっかり育てたくなります。
『スペインの医師ニコラス・モナルデスによって1564~71年の間に、アメリカ大陸からスペイン王立植物園にもたらされ、ヨーロッパに広がった。中国ではその半世紀後の『花史左編』(1616)に丈菊 (じょうぎく)の名で初見する。日本にもその名で伝わり、『訓蒙図彙 (きんもうずい)』(1666)には図とともに「丈菊、俗に言ふてんがいくわ(天蓋花)、一名迎陽花 (げいようくわ)」の記述がある。貝原益軒 (えきけん)は『花譜 (かふ)』(1694)では、ひふがあふひ(日向葵)、かうじつあふひ(向日葵)の和名をあげるが、15年後の『大和本草 (やまとほんぞう)』には「日マハリとも言ふ」と書いている。また伊藤三之丞の『花壇地錦抄 (ちきんしょう)』(1695)にも日廻 (ひまわ)りの名が出ている。したがって、元禄 (げんろく)(1688~1704)のころにヒマワリの名は広がったらしい。その名は、太陽の動きに花がついて回るとみられたことからおこった。益軒は、『花譜』では花が「日に向ふ」としか記していないが、『大和本草』では「日につきて回る」と述べている。ヒマワリはつぼみの間は太陽の方向に花首を向け、夜の間に西から東に向きを変える。その運動は花弁が黄色く色づくころから鈍り、開花期後、多くは東を向いたまま動かなくなる。しかし同属のシロタエヒマワリH. argophyllus Torr. et Grayは、開花後も太陽の動きにつれて回転することが観察されている。』