指先に鍼

5か月前から、2週間に1度来院の60才代の男性患者Bさん。20年程続いていた腰痛と、下肢外側のしびれはありません。今、Bさんが気になるのは左右の足ウラのシビレと、白内障と緑内障の目。

合谷診(人差し指と親指の間の触診)では左手に反応があります。上腕診(肘の内側横紋の触診)では、頚椎に反応があります。オデコの中央部の生え際に2本置鍼で、肘がゆるみました。これで脊柱が整い、自律神経の働きが円滑になります。

気になる目には、感覚点の眼点に置鍼します。オデコの正中線から1cmずつ左右に正中線と平行の線をイメージします。この線上に、約1cm置きに上から、眼点、鼻点、口点が左右にあります。Bさんのオデコに2本置鍼。

足のウラにシビレがあるという事は、手のひらにも圧痛点があるという事。Bさんの足ウラのシビレは、左足の方が強いので、手のひらの圧痛点も左に多いはずです。丁寧に、押圧すると、確かに左手のひらの方が、圧痛点が多く、痛みも強いです。

「痛った、そこメッチャ痛い!」

「痛かろう・・・ちょっと我慢してや・・・・」

Bさんは、知り合いで、しかも同い年なので、ついついこんな言葉になってしまいます。丁寧に母指球あたりの圧痛点を探し、次々と刺して抜いていきます。今度は、親指と小指の手のひら側。第1関節近くに軽く爪を立てます。

「痛っっっっった‼️一番痛い‼️」

Bさん、痛みのため、思わず腰を浮かし立ち上がりました。それほど痛い第1関節の圧痛点。もう刺していくしかありません。最後は、パイオネックス(円皮鍼)を貼って終了。

なぜ、親指と小指の第1関節に鍼なのか?それは、手のひら全体がソマトトープ(小さな人型)だからです。親指と小指の第1関節は、ソマトトープでは、足首にあたります。つまり親指と小指の指先が足ウラになるのです。

Bさんの2週間後の来院が楽しみです。

鍼治療をしない鍼灸院

鍼大嫌いの40才代の女性患者Aさんの続報です。

「前回の治療後、調子良かったです。ただ、調子がいいもんで、遠出のドライブをして、肩がこってしまいました。」

今回は山元式新頭鍼療法(YNSA)とは関係なく、皮膚の操法のみで治療。

最近、「肩コリを腰で治す」をテーマで行なっているのですが、結果が出たり、出なかったりと、苦戦しています。Aさんの肩コリの個所を確認して、腰の圧痛点に軽く中指を当て、10分程経過しました。ところが、Aさんの肩には、しっかり硬結があります。

仕方がなので、Aさんの中指の根元(MP関節といいます)に軽く中指を置き7~8分。まだ、肩にが硬結があります。

「え~~い、そしたら、マスターキー点(後頭部にあります)じゃ❗️」

「そこは、痛いというより、気持ちがいいです~~」

7~8分するも、変化がありません。そうなると、何故かふくらはぎ。ふくらはぎに中指を軽く置きます。やはり、7~8分して、肩にふれると、

「先生、やわらくなってますね~~」

ちょっと、結果が出てきました。ずっとうつ伏せになっていたAさんに、仰向けになってもらいます。軽く後頭部を両手で包み込見ます。そして、Aさんの頭皮を微妙に伸ばしたり、緩めたり、気持ちいい感覚を味わっていただきます。どうやら、Aさんは半覚醒の状態になっているようです。こうなると、しばらく放っておきます。

「それじゃ~~、ベッドを下ろしますね~~」

電動ベッドペダルを踏むと、ゆっくりベッドが降りてきます。

「スッキリ、軽くなりました!」

「このやり方でいいですか?」

「これで、お願いします・・・先週もおかげで、調子良かったんです。」

鍼治療をしない、鍼灸院でした。

 

葉っぱの形

葉っぱの形

中学2年の女子患者Aさん。運動会の練習と水泳の練習で、右太ももが張り、平泳ぎのキックをすると痛くて仕方がありません。練習が終わって、午後9時過ぎにお母さんと一緒に来院。

「どこが、痛いの?」

「ここが、こんな感じで痛いんです。」

と、Aさん、右のふとももの付け根から、膝にかけて大きな葉っぱの形の絵を描いてくれました。

「そしたら、ちょっと右腕を見せてください・・・」

Aさんの右上肢を右下肢として診ます。そうすると、Aさんの太ももに描いた葉っぱの形が、右上腕に見えてきます。この右上腕の血色が悪そうなところを軽く押すと、

「痛い!」

「やっぱり痛い?ここらへんの痛みを取ると、太ももがよくなるのよ。」

早速、寸6の3番鍼(長さ50mm直径0.2mmの鍼)で、治療開始。

Aさんに痛い個所を聞きながら、上腕に鍼を刺し、抜いていきます。

「どうすると痛いの?」

「平泳ぎのキックです。」

「じゃあ、やってみて下さい・・・・・どう?」

「あっ、だいぶいいです・・・・まだ、ちょっとここが痛い」

Aさんの痛いところを、Aさんの上腕に置き換えて、見当をつけて上腕を押圧。すると、必ず痛みがあります。そこに、再び鍼を刺して、抜きます。

「Aさん、今度はどう?」

「・・・・痛くない!大丈夫、全然痛くない。」

「ああ良かった、じゃ~~、今日はこれでおしまい。」

この治療法も、山元式新頭鍼療法(YNSA)です。山元先生は、本当にすごいです。

 

朝の儀式

「お客さん、お客さん、松山駅に着きました。」

京都からの夜行バスで、グッスリ眠ってしまい松山駅に着いたのも全く気付きませんでした。時計は、6時少し前を指しています。そこで、タクシーを拾い、あじさいの杜鍼灸院に帰ったのが、6時10分くらい。

それから、洗濯。お風呂を45℃にして、水素を発生させること30分(入浴時は、42℃くらい?)。その間、有線のBBC放送を大きくかけながら、トイレと院内の拭き掃除。ここくらいで、だいたいリズムがつかめるようになり、徐々に治療可能体勢となっていきます。

掃除が終わると、水素風呂に飛び込み、歯みがき、ひげ剃り、軽石で足ウラをこすって、石鹸で髪を洗う。山元式新頭鍼療法(YNSA)で頭皮の重要性を知ったので、しっかりと時間をかけて洗う。最後は、水浴び‼️これで、カラダがしっかりします。カラダの毛細血管をつなぎ合わせると、地球を2周半。これだけの血管を鍛えるには、水浴びが最高です。この水浴びは、20年近くやっています。

そして、8時からの朝ドラ「なつぞら」をしっかり見て・・・高畑勲監督のモデルがなつの旦那さんなので、興味深いです・・・治療体勢、万全です(おっと、今日は、神棚に水と塩と米をお供えするのを忘れてしまいました)。

さて、今日の患者さんは・・・明日、書きます。

やってしもた

京都大徳寺で仕事を終え、近くのご夫婦で経営の食堂に立ち寄ったのは、午後の8時を回っていました。

食事を終えて、ipad でU-18W杯(野球世界大会)の日本対カナダの試合をゆっくり見ていたのですが、一つ気になることが・・・・配膳係の奥さん、右膝を触って、屈伸したり、揉んでみたり・・・

「足が痛いんですか・・・」

「そうなんです、膝が痛くてサロンパス貼って、サポーターもしているんです。」

「それは、困りましたね。私、鍼灸師なので、治しましょうか?」

「えっ・・・鍼?実は、興味あるんだけど・・・なかなか行けなくて。」

「じゃあ、やりましょう。」

0.5寸の5番鍼(1.5cmの長さで直径0.25mm)で、彼女の右肘(痛い膝ではありません)の圧痛点に3カ所、その跡にパイオネックス(円皮鍼)を3カ所。

「あれあれ???・・・歩ける痛くない!あんた(旦那様)、鍼してもろた!」

厨房から出てこられたご主人、

「あんた、いつから鍼灸やってるの?」

「そんなに古くないですよ、平成24年に免許取ってます。」

それを聞いたご主人は、あまり興味が無いようです、厨房に帰られました。膝が良くなった奥様は、ニコニコ顔で私と話そうとすると・・・お客様様が、入ってこられました。

一目散に食堂を出て行く私は、余計なことしたかな・・・でも喜んでもらったから・・・

ついつい出しゃばりをしてしまう、悪いクセじゃな~・・・まあ~~いいか‼️

Eldad Ziv

楽しい楽しい大波を、全身に浴びて来ました。

イスラエルの友人は、Eldad zivといいます。イスラエルでは、彼を知らない人はいないほどの超有名人。芸術家としても有名ですが、劇場デイレクター、テレビ番組のデイレクターとしても活躍。イスラエルの北野たけしになっていました。

話を聞いてみると、ニューヨークのデイスコでのイベント後、共演したイスラエルの人気アーティスト(イスラエルの沢田研二)と仕事をしていったそうです。二人は、幼なじみだったので、ごく自然の流れ。Eldadの人柄が素晴らしいので、自然と輪が広がっていったのです。

当時のニューヨークは、貧乏人でも十分生活できる環境(ただし、危険な場所)があったのです。Eldadは、グリニッジヴィレッジのきれいなアパートに夫婦仲良く暮らしていました。

私は、イーストヴィレッジの2丁目の安いアパート(225ドル・・・2万2500円くらいの感覚です)で、チャイナタウンで仕入れた食材を倹約しながら、生活していました。

今では、イーストヴィレッジが高級住宅地になり、お金持ちしか住めなくなっているそうです。

ニューヨークで感じる風は、特別・・・・Eldadと奥さんのShulei と・・・・

“I miss New York”

を連発していました。

3人で交わした約束・・・・これは、内緒( ^ω^ )

大波

夜行バスで、8時間、京都に着きました。北白川に向かう市バス、いつもなら満員になるのですが、ガラガラです。観光シーズンが終わった束の間の静寂。都市そのものが、この様な人の波を時間とともに、作り出しているのでしょう。

月一回の京都出張は、私の中でも生活の波をいい形で作っています。患者さんにとっても、私の治療院に来院され、生活の波を作っておられるのだと思います。また、カラダの治り方も、アップダウンの波を繰り返しながら、徐々に上向きになっていくパターンが多いようです。

海に生じる波は、主に風が作りあげるそうです。台風が接近した時を想像すれば、強風が大波を作ることは、容易に理解できます。今晩は、これから私に大風が吹き、大波が襲ってきます。20才代の青春ど真ん中の頃出会った友人が、イスラエルからやって来たのです。我々は、ニューヨークのブルックリンミュージアムアートスクールのクラスメート。ニューヨークのデイスコでイベントをした仲間です。彼は、亀を描き続け、イスラエルでは有名な芸術家になりました。

 お互いの息子が、ニューヨークのブルックリンで生活し、お互いが映画関係の仕事をしているのも、不思議な縁です。もしかしたら、二人はもうすでに出会っているかもしれません。今は、彼に会いに行く地下鉄に乗っています・・・・ワクワクの大波が待っています。

下肢上肢

運送業を営む50才代の男性患者Cさん。ケンビキ(肩甲骨の内側)が痛く来院6回目です。初診の頃の痛みが10としたら、今回の痛みは半分の5くらいです。しかも、運転中の痛みがが5で、普段の生活では痛みを感じることは、なくなりました。

合谷診(人差し指と親指の間の触診)をしても、あまり反応がないので、正中線から4.5cm左のオデコの生え際にある圧痛点(C点といいます)に7本置鍼。

それからは、

上肢⇄下肢(山元先生が唱えておられるのを、私なりに解釈)左を上にして横向きにベッドで寝てもらいます。Cさんは、

「ここが、この一点(左肩甲骨の下の方)が痛いんよ・・・」

と、左肩甲骨にある圧痛点を私に、示してくれます。それに対して私は、骨盤の左腸骨の圧痛点をさがします。

「ちょっと待ってや・・・・ここじゃけん・・・ここどうなん?」

「・・・・」

「そしたら、ここ・・・・・?」

「・・・・・・」

全く、反応がありません。

「ちょっと、まってや・・・移動するけん・・・」

Cさんの背中側から圧痛点を見つけていたのを、お腹側からに変更しました。すると、Cさんの左肩甲骨の圧痛点に対応する骨盤の左腸骨のポイントが明確に分かりました。

「ここは、どうなん?」

「そこじゃ!」

やっと見つかりました。そこで、長くて太い鍼(2寸5番鍼=6cmで直径0.25mm)を刺します。

「来た・・・・・肘までシビレる!」

お尻に刺したのに、肘にシビレが来るのです。

「これで、どうじゃろ?」

「・・・・・・ええ感じじゃ。」

どうやら、Cさんのケンビキ(肩甲骨内側)痛はひとまず解決できたようです。

空腹健康法(その2)

私は、京都の山奥、美山町に10数年住んでいました。当時は3人の子供と嫁さんも一緒でした。そして、お利口できれいなミミという白ネコが家族の一員。そのミミがある日、テレビの横で、グッタリと横たわり、全く動かなくなりました。

「ミミ、どしたん?」

まじまじと、ミミを見回しました・・・どこか、変?・・・

「ミミ、あんた、その足(左の前足)どしたん?」

左前足がうちわのように腫れ上がり、ピンクで1cmくらいのキズが2本。どうやら、マムシに噛まれたようです。わざわざ、テレビの横に寝込んだのは、家族がいつもテレビを中心に夜はゆっくりするのを、知っていたから・・・・見守ってもらいたかったのでしょう。

2日間ほど、エサも食べず、ただただ横たわっていました。すると、翌日の3日目には起き上がり、何事もなかったかのように生活を始めたのです。この時、「ミミは偉い、カラダの治し方を知っている❗️人間も同じ動物、病気をしたら、何も食べず寝るのが一番。」と肝に命じたものです(最も、人間がマムシに噛まれて、治療を受けなければ、死んでしまいます)。

これが、前回の小冊子「空腹健康法」で述べていたサーチュイン遺伝子の働きによる全身の細胞の活性化です。この小冊子には、もっと怖いことが書かれています。近代栄養学の父、ドイツ生理学者カール・フォン・フォイトの提唱した肉食礼賛理論に振り回されて、アメリカでは急激に生活習慣病が増え続けました。ついには、1977年にアメリカ国民の健康を大変憂いて、「マクバガンレポート」が出される事になったのです。

生活習慣病の原因は、高カロリー、高タンパク、高脂肪、高精白の食事と指摘。病気を避けるためには、これらを取り過ぎない事と結論を出しました。にもかかわらず、アメリカの地方都市は、肥満に溢れています。肥満が普通と思っている人々が多いのに驚きます(2006年ケンタッキー州ルイビルでの3か月滞在)。

しかし、今だにカール・フォン・フォイトの栄養学が、世界中の栄養学の教科書の中枢を占めているそうです。この栄養学を信じ込んだ俳人、正岡子規がその犠牲者。もともと大食漢だった子規は、35才で没する1年前の日記には、毎日食べた物を一つ残さず記録しました。

朝食、昼食、間食、夜食・・・一回の食事で何と4杯のお粥あるいは麦飯を食しておられます。鰹の刺身、なまり節、牛乳等、重病人が、無理矢理食べて、疲れ果てています。弱ったカラダに強制労働。まさに拷問です。

この小冊子には、もっとリアルな事がたくさん載っています。興味ある方は、どうぞ!

search.rakuten.co.jp/search/mall/空腹健康法+真弓定夫/

父親は全て分かっていた

小学校の時から、本が嫌いで、国語の成績が悪かった私。父親が心配をして、少年少女世界の名作文学という分厚い本を買っくれました。例えば「日向が丘の少女」など、

「面白いのう~」

と読んではいくものの・・・・「あ~しんど!」

途中で、外に飛び出して日が暮れるまで遊びました。近所には子供たちが、クモの子を散らした様にあふれかえっていたので、木登り、川遊び、ビー玉、ボール遊び何をしても楽しかったのです・・・・あれから50年以上も経ちましたが、相変わらず本読みが嫌いなままです。それから、子供のころ出来ていた算数が、今では苦手。数字を見ると頭が凍りついてしまいます。

そんな私ですから、文章を書くのが最も苦手。手紙を書くのに半日費やすこともありました。前の嫁が、フリーライターだったため、文章を書けない私に呆れ果てていました。

私の事を一番よく分かっていたのは、父親だったようです。2か月で大学をやめ、アルバイトをしていた私に芸術の道を進めてくれました。また、小学校の時、神経性胃炎だった私を指圧で治してくれたのは、父親でした。その原体験で、私が鍼灸師への道を選んで行ったのです。

こんなに不甲斐ない私ですが、辛抱強く見守ってくれた父親に、感謝しかありません。

「とうちゃん、本当にありがとう。」