指南書

ついに、待望の1冊が届きました。「石原医学大全」です。私が尊敬している血液学の権威である森下敬一博士の元で、学ばれた石原結實(ゆうみ)博士の50年間の集大成の本(辞典?)です。この本は、私の今後の指南書になります。

写真にある言葉は、下記です。

自然治癒力を最大限に引き出す

体の声・本能に従う食べ方・生き方

体温め 生姜 空腹 人参ジュース・断食 健康法を日本で最初に提唱した

世界的自然医学者による「健康増進」「病気治療」のための画期的指南書

自然医学を極めた50年の集大成

とあります。今後、少しずつご紹介します。

ゴジラ

 

久しぶりに、映画鑑賞。今話題になっているゴジラ-0.1。パソコンから入って、予約番号をもらえば、映画館に行き、携帯電話番号を入力して、チケットがもらえます。ところが、よく見ると、モノクロ映像版とあります!

あちゃ!カラー映画と思っていたのに・・・・と、落胆していたのですが、モノクロで良かったと、見終わり思っています。1954年の初期作「ゴジラ」と同年作の「七人の侍」を思わせる最高のゴジラ作品でした。

ニューヨークのブレーカーストリートシネマで毎週火曜日、日本映画をしていた時のことを思い出しました。「七人の侍」が上映された時、隣りの親子連れの父親が、

「なんだ、白黒映画か!」

とガッカリしていたのが、いつの間にか必死で見ていた時の時間が蘇って来ました。モノクロ映像版オススメです。

もう一度、ハイヒール

前回に続いて、ハイヒールの歴史を少し紹介します。

『なぜハイヒールが糞尿などの汚物を踏まないために活躍したのかというと、中世ヨーロッパの街は汚物まみれだったからです。当時は下水道などがまだ整備されていなかったことから、糞尿を便器に貯めた後、川や排水溝にそのまま捨てていました。時には道路へと汚物を捨てようと、窓から直接こぼす住民もおり、歩行者に糞尿がかかることもあったのです。

また、都市によっては道の真ん中が窪んで溝状になっており、この溝に糞尿などの汚水、生ごみなどを捨てていました。その溝の先は大抵が川であり、この時代のヨーロッパの川の水は濁り、衛生状態は非常に悪い状況でした。川の水が生活用水として利用されることもあったことから、疫病などが蔓延することもあったのです。』

上記のように中世ヨーロッパは非常に不衛生でハイヒールが必需品だったようです。このような歴史のハイヒールを日本人が履く必要はないと思います。いかがでしょうか?

爪先重心って?

爪先だちの利点・・・・

背を高く、脚を長く見せ、頭身の外見的均衡を整える(長期的には逆にスタイルを悪化させる[1])。

低身長の人が立ち話をする際に、会話の相手を仰ぎ見る必要を減少させる。

女性の足取りを強調しファッションを引き立たせる。

欠点

自動車を運転する際、足の指先が自由に動かない為足先の感覚が鈍ってペダルの踏み込み加減がわかりにくくなる。またアキレス腱を常に緊張させている為ペダル操作がギクシャクしやすい。このためハイヒール(他に下駄やサンダルなど)を履いた状態で自動車を運転🚘することは各都道府県の道路交通法施行細則により禁止されている場合がある(道路交通法第71条)。

航空機から緊急脱出スライド(すべり台)で脱出する際、ハイヒールの鋭利な踵が脱出スライドを損傷させる原因となる[2]。このため、緊急脱出の際、乗客は、ハイヒールを脱ぐ必要がある[2]。

健康上の欠点

編集

靴の形状と足先への影響

重心の安定が悪く快適でない。また足首の捻挫を起こしやすくなる。

人間は本来裸足での歩行に向いた骨格になっているため、ハイヒールを履き続けることで姿勢がゆがみ、外反母趾、浮腫、肩こり、重症となれば椎間板ヘルニア・腰痛ともなる。骨格に対して無理な緊張を強い続ける結果、骨や筋肉に負担がかかり骨盤が歪む。骨格が歪むと、冷え、浮腫、腰痛等を発症し、最悪の場合は妊娠機能低下にまで繋がる[1]。

骨や筋肉が歪むため、平たい尻、下腹の膨らみ、O脚といった状態にも繋がり、スタイルを悪化させる[1]。

高さのあるハイヒールを履く事で転倒し易くなり、体重を支える足首への衝撃や事故が増える。

直立、歩行時に安定性が保てないため、足に過度の負担が掛かり痛みが発生する(長時間の場合は殊更である)。その結果、履き続けると骨と腱を傷付け「外反母趾」になる場合もある(下記参照)。

グレーチングの穴に踵が嵌まって転倒する。

踵を高くするデザインにより、着用者の体重が極端に爪先方向へ移動し押されがちである。

靴先のデザインが爪先で絞られていると足指の自由がなく結果指の付け根で歩く事になる。長期間の着用は筋力のバランスと指間の靱帯を弛緩させ、足の骨格を歪ませてしまう。

 

と、ハイヒールに関してあまり文章は出て来ません。ほとんど、悪い事ばかりです。

ところが、このハイヒール文化が日本では、まかり通っているのです。見た目を重視するこのハイヒール。中世のフランスでは、汚物を踏まないための靴として流行っていたとの資料もあります。

この馬鹿げた靴を日本で履いていていいのでしょうか?もう書く気力がなくなったので、ここで終了。

持つべきものは友

能登半島地震という大災害に続き、羽田空港での大惨事、被害にあわれた方々及び関係者の方々に心よりお悔やみ申し上げます。

昨日は、松山東高校野球部OBの紅白戦が正午からありました。私は、のボール野球(明治時代の野球)のユニフォームで参加し、1打席だけバッターボックスに立つことが出来ました。バッターボックスの上に大きなネットを屋根の様に設定し、そのネットに打球が触れると、ファールボールとなります。一振りで、ネットに当たる打球を打ってしまい、ファールボール。次は見逃しのボール、続いて高めのボール球を空振り。今度は、低め真ん中のボールを、強振。ボテボテのサードゴロで、アウトとなりました・・・・・残念。

午後3時からはOB総会があり、前会長の一色隆士氏から母校OBの秋山真之の「ふんどし論」の話がありました。これは、「あじさいクラブ」のメンバーカッパちゃんの著書「秋山真之の謎を解く」にしっかり書かれていました。また、後日ご紹介しようと思います。

その後、昭和48年卒業の同窓会があり、のボール野球の格好のまま参加し、その後2次会、3次会と楽しい正月を過ごしました。やはり、持つべきものは友です!

一体走り

日本人本来の歩き方、姿勢(踵重心)を初診の患者Bさんに話ていると、

「私の地元では、一体走りという無形文化財があるんですよ。これは、神輿を担いで走るんですけど、鈴を鳴らさないで地面と水平に神輿を運ぶんです。これは、踵重心ですね。」

と教えてくださいました。魂合気の創設者、大野朝行先生の著書「カタカムナの姿勢と動き」には下記の一節があります。

『歩きの本質は、腰から上の体をいかに大事に運ぶかです。腰から上ですから、神輿と呼びましょう。「神輿を揺らさずに、転倒させずに、丁寧に大切に運ぶ」。そんな気持ちで歩けば、自ずと良い歩きになってきます。』

これこそ真実であり、一体走りの本質は神様を大切に運ぶこと。自らのカラダの神様を大切にすることなのだと思います。

五輪書 2

 

五輪書の一節、一節を少しずつ読んでいるのですが、刀を持って相手に臨む宮本武蔵の姿、生き方が伝わってきます。その一節を載せます。

『平法(戦い)における心の持ち方。平法の道において、心の持ちはようは平常の心と変わってはならない。平常のときも、戦いのときも少しも変わらず、心を広く素直にして、緊張しすぎず、少しもたるまず、心に偏りがないように、心を真ん中に置き、心を静かに揺るがせて、その揺るぎの中にも、一瞬たりとも揺るぎを失わせないように、よくよく吟味すべきである。』

これは、私が鍼を手にして患者さんに刺鍼するときの指針です。

五輪書

宮本武蔵の五輪書、現代語訳(大倉隆二訳)を購入して、水の巻を読むと心のあり様、姿勢、目の付け方、刀の持ち方など事細かく述べてあります。全て興味深いのですが、前回剣道6段のお客様が「踵重心では、スポーツはできません」と、剣幕を巻いておられたので、足の運び方について記載してみます。

足使いのこと。足の運びようは、爪先を少し浮かせて、踵を強く踏むようにすべきである。足使いは、場合によって大小、遅速はあるけれども、普段歩くようにすること。足使いのうち、飛び足・浮き足・踏み据(す)える(固着する)足というのがあるが、この3つは嫌う足である。この道(兵法)の大事にいう「陰陽の足」、これが大切である。陰陽の足というのは、片足だけを動かさないことである。切るときも、引くときも、受けるときも、つねに陰陽といって、右・左、右・左と踏むのである。くれぐれも片足だけを踏むことがあってはならない。よくよく吟味すべきである。

とあります。つまり、爪先を少し浮かせて踵を強く踏むことが大切なのです。これは、普段歩くようにとあることから、普段の歩き方が踵重心であることも分かります。現代剣道の足が、嫌う足→飛び足・浮き足・踏み据える足であることがよく分かります。そして、「くれぐれも片足だけを踏むことがあってはならない。よくよく吟味すべきである。」と念を押して書かれています→現代剣道は、片足だけで踏み込んでいるのです。

次回、踵重心の話をする時は、五輪書を持っていくことにします。

クリスマスプレゼント

患者さんから、

「先生に贈り物があります(今日は、クリスマス!クリスマスプレゼント)。」

と、正岡子規の和歌の自筆を完全な形でコピーした短冊をいただきました。子規がなくなる3~4年前のものですが、勢いがあり、またバランスがとてもいいのです。

ベースボール  打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする

とあり、升(のぼる)と名を書かれています。明治31年に詠まれた和歌ですので、病床に伏しておられた正岡子規ですが、野球を楽しんでいた子規の一場面が蘇ってきたのでしょう。打ち損なったボールをキャッチャーに取られ、つぎのベース(1塁)にいけなかった悔しさを詠んだのだと思います。

あじさいの杜鍼灸院に来られた方、子規の素敵な世界に出会えますよ!

 

先日、キャメルKで踵重心の姿勢で歩くと転ばないので、大腿骨骨折の予防になると話をしたのですが・・・・・突然、あるお客様から、

「スポーツでは、踵重心なんかでは勝てませんよ!」

とかなりの剣幕で喋ってこられました。その方は、剣道6段の腕前で、重心は母指球にかけて後ろ足の踵は紙が1枚入るくらいの位置で構えると習ったそうです。私は、日本人の本来の姿勢と歩き方について話しているだけで、全くスポーツに関したことは言っていないのに・・・・

「実は、この考えは宮本武蔵の五輪書に書かれているのですが・・・」

と言っても意に返していないようです。そこで、あじさいクラブのメンバーで剣道4段のカッパちゃんに少し喋ってもらったのです。

「日本刀と竹刀では、全く別物なんです。」

と喋り始めても、とりつく島が無い様子なので、カッパちゃんも話合うことを諦めたようです。カッパちゃんは、高校剣道部に指導をしていたほどの腕前ですが、スポーツとしての剣道に疑問を感じ指導を辞めたという経験があります。こんな話を今日の患者さんのお父様に話していると、

「時代劇の殺陣(たて)には、剣道経験者は絶対に使わないそうです。剣道では剣を止めてしまい、切らないからです。」

と、説得力のあるお言葉をいただきました。いま一度、姿勢と歩き方考えてみては、いかがでしょう?