ヨモギ狩り

患者さんや患者さんの友人、私の友人からヨモギ情報をいただき、ヨモギ狩りをしていただきました。皆様、本当にありがとうございました!これらの貴重なヨモギをカリカリに乾燥させ、ミキサーで何度も何度も細かくしていくと、ヨモギの葉の裏側にある2種類の毛だけが残っていき、毛玉の様になります。これがモグサです。

愛媛県で唯一モグサ作りをしておられた棟田商会さんが、今年3月で店を閉じられました。そのため、「あじさいの杜オリジナルモグサ」を作ることにしたのです。鍼灸の専門学校では授業でモグサ作りをするところもありますが、私の母校では作りませんでした。そのため、初挑戦となります。まずどのくらいの量が必要なのかもよく分かりません。1度作ってみて、それから次のステップに進もうと思います。

今日の午前中、東温市の友人のl田んぼの畔(あぜ)にあるヨモギをいただきました。ゆっくりと散歩するだけで、気持ちよく、しかも「チネオール」という精油を含んでいるヨモギに触れるだけで、元気をもらえます。このモグサ作りが上手くいくと、何人かを集めてワークショップが出来るかも知れません。そうすれば、お灸が身近なものになって行くかもしれません・・・・まあ、とにかく作ってみます!

チネオール

お灸に使うモグサは、ヨモギの葉の裏側にある2種類の毛から出来ています。一つは毛茸(もうじょう)と呼ばれる密生した白い毛で、もう一つは腺毛。これは「チネオール」という精油を含んでいるため、抗炎症作用、鎮痛作用、鎮静作用などの働きを促すそうです。このヨモギの作用と共に患部を直接お灸で温めて血行を良くすることにより、痛みは改善されるのです。

私が小学生の頃は、すり傷が絶えませでした。その度に、ヨモギを見つけては平らで大きな石の上に置き、拳(こぶし)より小さめの石で、たたいてその汁を傷口につけて治療をしていました。この時の原体験がカラダに染みついているのでしょう、いつのまにか鍼灸師になっていました。

「ひろむ(私の本名)、ケガしたらヨモギの汁を付けたらええんじゃ、それで治るんじゃ。」

これが、父親の生き様であり、私もそのように生きてきました。京都の山奥美山町で生活していた時、木から転げ落ちた事がありました。その時も、右膝の傷口にヨモギ汁をしっかりと塗りつけたのですが、中々腫れが治らないので、翌日病院に行ったのです。

「いいですか、ケガをしたら余計なものを塗ったりしないでください・・・・傷口が悪化するだけです。」

と医師に言われ、以後ヨモギ汁は使わなくなりました・・・・でも、チネオールの作用は信じています。

モグサを作るぞ!

残念ながら、道後温泉湯艾の発売元の棟田商会が、今年4月で仕事を辞められました。私が、専門学校(東京医療専門学校)の学生時、その品質の良さからわざわざ取り寄せていたほどのしっかりとした仕事をされていました。専門学校の実技試験では、いかに早く綺麗なモグサをひねれるかが、重要になるので、このモグサを秘密兵器としてクラスメートに教えていたのです。しかし、時代の流れには勝てませんでした。

そこで、今年はモグサを作ります。YouTubeを見れば簡単に作ることがわかりました・・・これも、棟田商会がなくなる原因かも知れません。5月ころ、比較的柔らかいヨモギを収穫し、乾燥。それをミキサーで何度も何度も細かくしていくと、ヨモギの葉のうらにある細かい繊維だけが残ってきます。それがモグサなのです。

大根葉を干すベランダがある我が家は、モグサ作りに最適なのです。患者さんでヨモギがたくさんある土地をお持ちの方がおられるので、取りに行きます。きっと新たな発見があると思います。楽しみです。

直接灸

 

今までやったことのないお灸をしています。本来のお灸は、半米粒大~米粒大の大きさのモグサに線香の火をつけ、火が皮膚に到達する手前で人差し指と中指を使って、火を消します。そのため、ヤケドにはなりません。ところが、多くの人はてんこ盛りのモグサに火をつけて皮膚を焼ききるイメージを持っておられると思います。しかし、こんなことをしたら、患者さんは逃げてしまいます。

そこで、私はゴマ油、ミツロウをベースとしたヤケドに効く紫雲膏を皮膚にのせ、その上にお灸をする間接灸をしています。これだと心地よい熱のお灸となり、結構人気があります。ところが、そんなお灸をではなく、皮膚を焼ききるお灸をせざるを得なくなったのです。

「すみません、突然で申し訳ないのですが、腰に印をつけたところに、お灸をしてもらえないでしょうか?偉い先生に診てもろて、ここにお灸したら一発で治ると言われたんです。」

「・・・・・いいですよ。ただ、どうしてその偉い先生にはしてもらえないのですか?」

「もうお年で、治療院も閉められたので、やっておられるんのです。」

「・・・・・なるほど、そうしたらやりましょう。」

ということになり着替えていただき、ベッドでうつ伏せにのままお灸をすることとなりました。

一回目のお灸は焼ききるようにはしない間接灸としたにですが、

「偉い先生曰く、焼ききらんといかんそうです。」

ということになり、2回目は米粒大のモグサを、焼ききるお灸を行いました。すると、

「普段歩くには、痛みを感じんのですが、朝起きてから10分が腰が痛いのです。」

と、徐々に良くはなっているようです。3回目はモグサをもっと大きい半小豆大くらいのモグサにして焼ききりました。腰回りの9カ所に45分のお灸です、かなり辛抱されていました。さて、次回はどのような結果になるのやら・・・・見当がつきません。

お久しぶり

 

山元式新頭鍼療法(YNSA)の初級セミナーを受け、頭に置鍼をし始めた頃、70才代の男性患者A

さんのバイクが壊れ、Aさんは来院出来なくなりました。それから4年程経ち、やっと来院出来るようになりました。その間、コロナ禍もありAさんも人に会う機会が少なかったそうです。移動手段がなくなり、コロナ禍だとやはり、籠(こも)ってしまいます。久しぶりに会うAさんの笑顔を見ると嬉しくなりました。Aさんは、以前のように服を着替えようとするのですが、

「Aさん、もう着替えをしなくていいんです。」

「あああ、そうなんだ・・・・着替えるつもりで来てたのに・・・」

「この待合室で治療しているんです。」

「そうですよね・・・・最後の頃は、ここで頭に鍼刺すことがありました。」

私の場合、YNSAを習い始めてからなるべくYNSAだけで治療を始めました。その理由は、即効性があるからです。この即効性のおかげで今までの治療時間の半分に短縮出来るようになったのです。

「あれから随分進化して、お灸で足だけのYNSAや、鍼もお灸も使わないで指を当てるだけの治療もしています。」

と、4年間の変せんをさりげなくお伝えしました。

「先生、あの頭の鍼で花粉症が治りました・・・あの治療点に刺激すると、首の方に気持ち良さが走ったりするので、しょっ中やってました。」

「あああ、それは良いですね・・・・Aさんは感覚がすごいので、こちらが本当に勉強させてもらっています。」

などと、会話をしながら治療に入っていきます。Aさんは、言語能力に優れており、カラダに起こる感覚の変化を瞬時に表現してくれます。その能力の素晴らしさをお伝えすると、

「いやいや、私は普段は全く話さないんです。特にコロナ禍になって人と会うことがなくなったでしょう・・・・すると、ノドがおかしくなるんです・・・こういう時、ハーモニカを吹くと元気が出て来て、ノドもよくなるんですよ・・・ばあさんじいさんが、お経を読んでいる意味が、やっとこの年になって分かってきました。お経読むのは、タダでしょう?これ、カラオケに行って歌おうものなら、お金がいるじゃないですか・・・・世の中はうまい具合に出来ているんですよ。」

「なるほど!」

「今まで喋ってない分こうやって、いくらでもしゃべることが出来るんですよ。」

「なるほど・・・」

などと、話が続いていくのです。 (つづく)

 

人型の治療区域

 

somatotope(ソマトトープ)という山元先生の造語があります。somatoとは、ラテン語で身体、topeとは、凝縮という意味です。これは、人型(ひとがた)の形状をした治療区域を意味します。もう少し具体的にいうと、山元先生が頭皮に見つけられたIソマトトープ、Jソマトトープ、Kソマトトープなどがあります。例えば、Iソマトトープは、耳を胴体とみなした人型が逆さまになっている治療区域です。逆さまになったIソマトトープの頭は、耳タブの下にあります。そのため、ノドが痛い患者さんは、ノドに位置する耳タブの下に鍼を刺すと治療になるのです。

Jソマトトープ、Kソマトトープは頭頂部にどーんと横たわっているので、それぞれの患部に合わせた治療部位に鍼を刺すと患部がよくなります。

この信じられないような治療法がなぜ生まれたのでしょう?それは、フラクタル構造にあると思います。フラクタル構造とは、簡単にいうと「どんなに小さな一部分をとっても、それが全体と同じ形をあらわしている構造」のことで、自己相似と呼ばれるものです。例えば、小腸の絨毛は凸凹していますが、その絨毛の表面もまた、凸凹しているといった現象のことです。それが、身体にも当てはまるのです。

もっとも分かりやすいのは「高麗手指鍼」。これは、柳泰佑先生(現高麗手指鍼療法学会会長)によって1975年に韓国で創案されました。これは、「部分即全体」という表現で説明されています。つまり手首から指先をカラダとみなします。すると、中指の第一関節(先っぽの関節)から先が頭となり、第一関節から第ニ関節が首、そこから手首までが背骨骨盤となります。右手の人差し指は左腕、右手の薬指は右腕、右手の親指は左脚、右手の小指は右脚になります。

これは、韓国で当たり前に行われている治療法です。私もこの見方で治療する時もあります。この「人型(ひとがた)の形状をした治療区域」が手そのものですが、頭にもこのフラクタル構造の形状が存在していたのを、山元先生が見つけられたのです。少し大げさにいうとカラダという宇宙に存在するフラクタル構造がいたる所に存在し、それを日々発見する旅に我々治療家は出ているのです。

山元先生、ハーバード大学に呼ばれる

私の師匠である冨田祥史(とみたよしふみ)先生が、「山元式新頭鍼療法の実践」という加藤直哉先生との共著で、下記のように書かれています。

『補完代替医療の研究が盛んな、アメリカにおいてもYNSAは注目されています。1992年、アメリカ政府による補完代替医療の研究がスタートし、当時の研究費は2億円でしたが、現在では数百億円の予算がつき鍼灸治療の化学化において大きな成果を上げています。アメリカでは、現在2万人以上の鍼灸師がいて、全米に50以上の鍼灸学校があるそうです。そして実際にアメリカ全土の大学病院の中には、ほぼすべての大学病院に鍼灸科があります。がん治療で有名なスローンケタリング病院やデューク大学附属病院では、抗がん剤の副作用を低減や疼痛緩和に鍼灸治療が行われ、人工関節置換手術の後は、鍼灸治療を実施するそうです。その中で補完代替医療の分野でも、先進的な動きをしているアメリカの最も権威のあるハーバード大学、医学部大学院は、ヨーロッパのYNSAの噂を聞きつけ、2007年5月山元先生の講演と指導を依頼しています。日本の歴史上ハーバード大学医学部から直接招待を受けた医師は何人いるのでしょうか。』

わずか30年の間に、補完代替医療に費やした国家予算が何百倍です!経済が全く低迷した日本の30年との差はあまりにも大きすぎます。山元先生がハーバード大学で講演され16年経ったのですから、ハーバード大学の研究は凄いことになっていると思います。個人で頑張るには限度があります。日本政府、ちょっと頑張って!

なぜドイツでYNSAが普及したのか?

ドイツでYNSAの普及が世界中で1番の理由

山元敏勝先生は、ドイツのケルン大学病院で働かれ、奥様ヘレンさんはドイツ人で看護師をされていたのが大きな要因だと思います。山元先生のお人柄とその力量で多くの医師からの信頼を受けておられたからだと思います。私の師匠である冨田祥史(とみたよしふみ)先生が、「山元式新頭鍼療法の実践」という加藤直哉先生との共著で、下記のように書かれています。

『ドイツを始め、ヨーロッパの国々は自然療法をとても大切にしています。なんと、古代エジプト時代以来、4000年もの自然療法の伝統を受け継ぎ大切にしているのです。特にドイツでは、医学生は薬草の授業が必須であり、医師国家試験にも問題として出ます。また、医師免許更新時にも薬草のレクチャーを受ける必要があるのです。ドイツ人医師の20%は、ハーブや鍼灸治療、温泉療法など、補完医療(西洋医学以外の治療)を行っており、その割合は年々増加し、1パーセントもいない日本の現状と比べると、桁違いの普及率と言えると思います。またドイツにはハイルプラックティカー(補完代替医師・自然療法士)と呼ばれる鍼灸治療、アロマやハーブ、漢方、音楽療法、温泉療法など、補完代替医療を行うプラクティショナーの制度が、1938年からあり、ハイルプラクティカーの中でも鍼灸治療は人気が高く、YNSAは、中医鍼灸と並んで多くのプラクティショナーがいるそうです。』

この文章を読んで、日本との違いにただ呆然としてしまいます。そして4000年も続いた自然療法がドイツに存在していたことすら知らなかったのです・・・・私は。

そんな歴史があるドイツだから、当たり前に補完代替医療が展開できるのでしょう。羨ましいかぎりです。ただ、羨むばかりでは進歩しません、日本には日本の優れた発酵食品(ぬか床、納豆、醤油、味噌、日本酒などなど)があり、YNSAがあるのです。それだけではありません、縄文文明という新しい概念が生まれきています。1万7500年前から、縄文文明なるものが存在していたという事実が最新考古学の研究から、徐々に明らかになってきているようです。もちろん、この縄文文明という考え方を全く正しいかどうかは分かりません。ただ言えることは、もう少し日本に誇りと自信を持ってもいいのではということです。独自の補完代替医療を目指したいものです。

東温史談

 

「東温史談」という東温市の歴史を紹介する立派な冊子が届きました。これに、惣河内(そうこうち)神社宮司の佐伯敦が近藤林内物語 身宝は 芋に大根に 麦の飯 という文章を書いております。イラストは私が描きました。

近藤林内(こんどうりんない)さんは、大庄屋として地域をまとめ、作り酒屋として美味しい酒をつくり、大繁盛し、その金を地域のために使った偉人です。焼けた惣河内神社を再建したのも近藤林内さんです。その一節をご紹介します。

『わしは大庄屋になってはおるが、村のみんなと同じただの百しょうじゃ。刀なんぞは、いらん。たまたま商売がうまくいってお金が入ってくるけど、それも、神様、仏様、そして村のみんなのおかげじゃ。みんな、苦しい生活をしよるんじゃから、わしらもがまんして、みんなと同じ生活をしよう。そして、少しでも、河之内のためになるようにお金を貯めようと思う。お前らにも苦労をかけるけど、がまんしてくれ。うちの店にお金がたくさんあるからといって、自分たちが偉いと思ってはいかんぞ。これはご先祖様が残してくださったお店や田畑があるおかげで、たまたま我が家にお金が集まっているだけじゃ。このお金は、決して自分のものではなく、みんなのものだから、世の中のお役に立つことに使わねばならん。そのためにはけん約し、一文たりとも無だに使ってはいかん。お米は神様からいただいた食べもので、大切なお金に代わるのだから、一粒も無だにしてはいかんぞ』

頭がさがります。