真っ黒クロスケ

フェイスブックは、毎日書くようにしているのですが、全く書けない日もあります。昨日がそうでした。そんな時は、書かないようにしています。でもそのせいか???朝寝坊。

 

あまり時間がないので、朝の掃除は簡略。トイレ掃除のみ・・・・と決めつけようとしたのですが、こんな時こそ、普段やれてないところの掃除を思いつきました。

「さて・・・どこがいいかな?あった、あった・・・ここじゃ!」

玄関から一番遠いところの窓。この窓は障子とガラス窓+網戸の三重になっているので、夏冬は冷暖房が省エネでとても気に入っています。ところが、ほとんど雑巾掛けをしていませんでした。

毎日、通気をよくするため戸の開け閉めをしているので、汚れを見ているのに、無意識の内に気づかない頭になっているようです。

そこで、雑巾掛け。驚きました!真っ黒クロスケ・・・・・網戸となると、この5年間全くゴミ取りをしていませんでした。すると、今まで見えていた網戸の網が、見えなくなるほど透けてきます。丁寧に拭き取り、玄関の方まで行って、改めて網戸を見て見ました。

『あれ?網戸・・・外しのかな・・・』

と、思うほど透け透けです。これが本来の網戸だったのです。患者さんが、待合室兼治療室のイスに座って最初に見るところが、この網戸。これからは、毎日綺麗に拭かなくては・・・・と、思ったのでした。

「となりのトトロ」で出てくる真っ黒クロスケは、子どもしか見えない生き物ですが、私は、網戸の真っ黒クロスケを見つけて、網戸から見える明るい世界が見えました!

ベースギター

久しぶりにベースギターの練習を、ギターとドラムの奏者と共にやりました。最近1人練習を休んでいたので、ちょっと指が忘れているところあり。継続がやはり大切だと、痛感しました。

明日から、空き時間をベースギター練習にも使おうと思います。

エレキギターの神様・寺内タケシのお弟子さんが、私の師匠なので恵まれています。まず教え方が上手いので、ついつい乗せられ楽しく弾けるのです。私は決して上手くないのですが、皆んなと音を作ることの楽しさが、少しずつわかるようになって来ました。

ピアニストのフジコ・ヘミングの曲に、すっかり魅了された佐賀市在住のノリ漁師・徳永義昭さんは、52才から突然独学で、ピアノ練習を始めたそうです。しかも、リストの難曲「ラ・カンパネラ」を・・・・・・・そして、ついに、北九州市で行われたフジコ・ヘミングさんのコンサートにゲスト出演し、フジコ・ヘミングさんの演奏前、多くの聴衆を前にピアノを弾かれたのです。徳永さんは「夢が実現し、感無量の思いだ」と感想を語ったそうです。私は、そんな野望は全くありませんが、年とは関係なくやる気になれば、人は何でも出来るという事を改めて知ることが出来ました。

音楽演奏と縁の無い生活をしていた私にとって、演奏する時間と空間はとても新鮮。偶然にも、無垢材で覆われた治療室は、最高の音響空間だったのですから、60才を超えたおっさんが、コロナ禍のご時世にいただいた、最高のプレゼントだと感謝しているのです。

人は年をとり、いつかは死を迎えますが、笑って死ねるといいですね・・・・死ぬ間際の音が、楽しく美しいものであれば・・・・最高。

 

松山の奥座敷

昨日は、実家に帰りました。しかし、肝心の母親はお友達と茶道の練習会で、会うことが出来ませんでした。コロナ禍なので、毎日曜日のお茶会をやめていると思っていたのですが・・・まあ、一週間後には、会えるので大丈夫。

 

弟が芝桜を沢山栽培していました。棚田で有名なこの地区には、日本一の米作り農家もいるので、芝桜を植えてアピールするのは、良いアイデアだと思います!弟には、大学の親友が翻訳した「人間主義的経営」の本をあげました。地域お越しの参考になれば良いと思います。そして、以前にフェイスブックで紹介したこともある近藤林内邸の跡地を見学しました。立派な石垣から大きな屋敷であったと想像できます。今は、誰の所有地でもないそうなので、イタドリを沢山取って帰り、現在料理中です。

私は、高校1年の夏休みまでは、この地区(河之内といいます)に住んでいたのですが、近藤林内邸を見たこともないし、その部落(日浦といいます)にも行ったことは、ほとんどないのです。灯台下暗しとは、この事です。私の実家がある部落(音田=おんだ)と、お隣の日浦の地形が全く違うのに驚きました。日浦は急傾斜地にあるのですが、陽当たりが良さそうです。また、対岸の美しい棚田が見れるのはとても贅沢でした。音田からは、なだらかな勾配になり川の流れが緩やかになっていきます。

日浦の奥に、問屋(といや)という部落があり、白猪の滝(しらいのたき)という冬には凍る滝があります。ここに、正岡子規や夏目漱石が足を運び、近藤林内邸で宿泊したそうです。昭和2年に松山道後名所図絵が作られ、唯一観光地として取り上げられたのが、私の実家がある河之内です。その絵に惣河内神社(私は、この神社の社務所で小学校5年まで生活しました)と描かれているのですから、もう少し誇りに思ってもいいようです。

弟が言っているように、河之内は、まさしく「松山の奥座敷」なのです。

首都大学リーグおすすめ!

1年ぶりに、近所の野球強豪校の新田高校の選手A君が、来院。愛媛県の春の大会では1位になったそうです。もっとも、春の選抜高校野球大会に出場した聖カタリナ高校との決勝戦は、県内全域が最大警戒レベルの「感染対策期」に移行したため、8日から21日までの2週間が対策期間となり、くじ引き決着。それに新田高校は、勝利したそうです。夏の県予選では、第1シード校になります。

A君には、足にパイオネックス10個貼って、腰痛を7割ほど取りましたが、それ以上の成果を上げる事は出来ませんでした。そこで、頭部に7本置鍼して痛みは、ほぼ無くなりました。YNSAの創始者山元先生が、見つけてくださった治療点が、最後にはあるので、それまでは、ドンドン仮説を立てて、患者さんのカラダに聞いていくという治療をしています。何故なら、その方法を山元先生がやっておられたからです。

A君は大学に進学しても野球をしたくないと言ったため、初めて私が大学で野球をしていたことを、言いました。私が体験した大学野球は、最高に楽しかったし、そんな野球をしている大学は首都大学リーグ(私の母校が所属)にあるのを知っているからです。まず、首都大学リーグは学業優先で、土日曜しか試合をしない上に、2種類のユニホームを着ると説明し、カッコイイ桜美林大学のユニフォームをA君に見てもらいました。

「ええっ・・・カッコイイ、こんなユニフォーム・・・高校では考えられない・・・・」

「そうじゃろ・・・首都大学リーグじゃったけん、巨人の原監督と試合出来たんよ・・」

などと、その時の体験談をしっかり話してあげました。A君のように野球強豪校に所属していると、強豪大学の練習情報が、入ってくるので、その厳しさに躊躇(ちゅうちょ)するのではないかと思います。しかし、楽しく大学で野球をするところは、あるのです・・・A君の次回来院時、色々情報を提供してみます。

人間主義的経営 再び

愛媛県は、聖火リレーを中止するそうです。インターネットで下記のように掲載されていました。

『新型コロナウイルス感染拡大を受けた愛媛県実行委員会の申し入れを了承した。同市中心部の城山公園で行われる到着式では、市内を走る予定だったランナーが、聖火をともしたトーチを手渡しして聖火皿に点火するセレモニーを開く。公道でのリレーが中止された大阪府では、代替のリレーが万博記念公園で実施されており、ランナーが走れなくなるのは松山市が初めて。

愛媛県内のリレーは21、22両日に20市町で計画され、松山市内では約3キロを27人が走る予定だった。市内での感染拡大に歯止めがかからず、中村時広知事が中止の意向を示していた。他の19市町では実施する予定。』

じわじわと、地方都市にもコロナ第4波が押し寄せているようです。当院では、密にならないように、実際の治療時間は、1時間弱ですが、1時間30分の予約制としているため、患者さん同士が同じ空間にいることはありません。コロナ禍でこのやり方がすっかり定着してきました。今日の最後の患者さんは、私と同い年の女性。そんなこともあって、治療後「人間主義的経営」ブルネロ・クチネリ 翻訳 岩崎春夫の本が話題になりました。

「先生、私はまだ全部を読んでないんですけど、言葉の表現が素敵なので、嬉しくて嬉しくて・・・本当に素晴らしい文章力ですね!」

「そうでしょ!とても翻訳していると思えない、素晴らしい本でしょう・・・岩崎(大学の同級生で共に野球部)は、本当に凄いやつなんだよ・・・・いい刺激をもらった・・・自分も何か作ってみたいと思うようになりました。」

と話しながら、患者さんの息子さんもまた、農業を通して地方創生を考えているとか、久万高原町では、山を買い取って古民家を再生して民宿をしている人がいるなどと、様々な話が飛び交いました。コロナ禍では、力をゆっくり溜め込んで、次のステップを楽しむことにしましょう!

最近のモモ(生後6ヶ月のメス猫)

相変わらず、キャリーボックスにいることが多いのですが、私が「モモ」と呼ぶと「にゃ~」と答えてくれることが、多くなってきました。また、夜になると様々な遊びを勝手に始めます。どうやら、猫タワーのてっぺんが好きなようで、ムササビが木を上るような勢いで、あっという間に移動します。相当運動神経がいいようです。

 

台所の流しの下へは、開戸を開けて入って隠れんぼしていますし、押し入れを開けることも覚えて、勝手に遊んでいます。今日は、初めて背中を見せてエサを食べました。これは、私を信用しているという表現だと理解しています。

というか、今現在、大暴れしています。カーテンに上るは、猫トンネルに体当たりするは・・・・

モモは、猫をかぶっていたようです・・・・おてんば娘でした!よく見ると右頬にキズがあります。結構、危険な遊びをしているようです。それにしても、この空間を気に入っているようで、一安心❣️

吉もん

 

今朝から、松山英樹選手のマスターズ優勝で日本中が沸きかえっています。私は、いつものようにに朝の掃除(床拭き、トイレ掃除)をしていたので、全く知りませんでした(*≧∀≦*)。視聴率が50%以上だったというから、ずいぶん時代から取り残された感です。松山英樹選手のお父様が経営するHideki Golf Garden が車で10分のところにあります。多分、そこではお祭り騒ぎになっていると思います。

テレビをつけると、松山市内(松山英樹選手出身地)は沸いていました。知事までが祝福の会見をしていました。

ゴルフのことは、テレビに任せて、今回は筑波大野球部の気になった選手の紹介をします。昨日の試合でリリーフ投手として投げた吉本孝祐(こうすけ)選手。滋賀県の進学校、彦根東では甲子園出場、強豪校の波佐見高校に逆転勝ち。吉本選手はファーストを守り、バントの構えから、ライナーのホームランをレフトスタンドに放ちました。この映像を見たのですが、ベースを回るスピードの速いこと!元気がいい!

その元気の良さは、大学に入ってから益々加速しているようです。ファーストからピッチャーに鞍替えし、

「何でワシの背番号が13なんじゃ!18(エースナンバー)やろう!」

と言い放っているそうです。眉毛が濃ゆくて、マンガの主人公のようで、「吉もん」と呼ばれているそうです。体育専門学群4年生応援しています!

首都大学リーグ2日目

 

(写真は、東海大対日体大)

現在の首都大学リーグは、同一チームと2戦するだけで、どちらかが2勝するまで3戦することはないようです。やはり、学業を優先し月曜日の試合は、避けているようです。また、1チームが2種類のユニフォームを持っているのに驚きました。昨日の筑波大学は、我々が着けていた風のユニフォーム。今日のユニフォームは、上下の色違い(プロ野球風)でした。

これを見ると、首都大学リーグは人気出ると思いました。学業優先で、2種類のユニフォーム。特に、桜美林大学の今日のユニフォームのカッコイイ事!全身エンジ色・・・・あんなユニフォームを見たのは、初めてです。大学で野球と学業を両立したい高校生、是非とも首都大学リーグ所属の大学を念頭に置いてください。

また、9回で同点ならば、10回からタイブレーク(直訳すると、同点壊し)。0アウト1、2塁という得点が入りやすい条件を作って攻撃を行い、試合が長引くのを防ぎ、選手の負担を少なくします。この方法は、これからの学生野球の主流となるでしょう。

さて、筑波大学VS武蔵大学は、1対2で負けている中、絶好のチャンス。ところが、7回くらいから、画像が徐々にストップし始め・・・・筑波大学がランナー2塁で、ヒットを打った瞬間から、完全に画像ストップ。おまけに音声もなくなりました。しばらくして、スイッチオン。2対2の同点で10回のタイブレーク、筑波大学の攻撃という場面になり・・・・患者さんが来られたため、治療を開始となりました・・・治療が終わると、

「先生、野球の試合は?」

「あああ・・・つけてみましょう!」

スイッチをつけるも、「一時中断」のまま・・・・結局、患者さんと世間話をしながら、時間が過ぎました・・・・それでも、最後に結果だけは分かりました。4対3で筑波大学の勝ち。

なんと、12回で決着するという大接戦だったようです。これで、2勝0敗筑波大学が、首位に立ちました!次の試合は、4月24日(土)、25日(日)ユニフォームのカッコイイ桜美林大学と戦います。今から楽しみです。

首都大学リーグ開幕

j

 

『2021年度リーグ戦ネット配信を、首都大学野球連盟YouTubeチャンネルに加え、スポーツブルの特設ページ及び、UNIVAS公式サイトより1部リーグ戦全試合を無料ライブ配信をすることとなりました。』

上記の案内が、首都大学リーグ4月10日開幕に合わせて、メールで届きました。

何と、母校(筑波大)の試合をライブで見ることが出来るのです。

私がやっていた頃から・・・・もう40年も経っています・・そうか、ならば、こんな時代になってもおかしくは無いですね!首都大学リーグは、学業との両立を目指して試合は、土日に行います。我々が現役の時は、たしか川崎球場を使用していたように思います。

早速、午後3時から始まる筑波大学VS武蔵大学の試合観戦(大田スタジアムでの第3試合目)。

筑波大学のユニフォームが変わり、我々が着ていたユニフォームに少し似ているので、嬉しくなりました。40年前の武蔵大学は万年2部で、しかも下位チームでしたが、いまでは1部で優勝を狙えるチームへと変身していました。東海大菅生高校のバッテリーが主軸になっており、福島県の甲子園常連高、聖光学園出身の選手も入っています。

筑波大学は、身長181cm、体重83kgの佐藤隼輔投手(左腕)はドラフトでも注目される逸材。捕手の成沢選手は甲子園で優勝した東邦高校のメンバー。十分優勝を狙えるチームとなっています。

このライブ発信のアナウンサーが筑波大の野球部選手で、3試合とも続けて出演しています(朝から夕方までしゃべり散らし)。そのエネルギーには、ただただ敬服しました。このアナウンサーと、対戦する2チームの選手がゲスト解説でチームメイトの事をしゃべるので、楽しい時間を過ごせました。

試合結果は、1対0で筑波大学の勝ち。明日もあります。こんな楽しみが私の人生に突然生まれるなんて・・・・OB会事務局長はじめ、諸先輩方、関係者の方々に心より感謝いたします。

I W ハーパー

2005年に Hiromu Saika Miyamacho Kyoto 程度の宛名で、Artist in residence (滞在して芸術作品を創る人)の募集が舞い降りてきました。この宛名でたどり着いたのだから、受かるかもしれないと思い、過去の作品を送って見たところ、受かってしまい2006年、アメリカのケンタッキー州にあるバーンハイム美術館で作品を作ることになりました。

I W ハーパーというバーボンウイスキーをご存知でしょうか?このウイスキーは、I W バーンハイムさんと、ハーパーさんが作ったものです。バーンハイムさんは、ドイツからの移民で小銭しか持っておらず、裸一貫で叩き上げた苦労人です。その苦労の甲斐あって大きな会社となりました。

ところが、ウイスキーを作るために、沢山の木を切り倒したせいで山が荒れて、生態系が狂ってしまいました。良心の呵責(かしゃく)に苛(さいな)まれたバーンハイムさんは、一念発起し、徹底した環境整備を行い、ネイティブ・アメリカンが住んでバファローが群をなしていた当時の生態系に戻そうと考え、実行しました(今なお、その意志を受け継いで多くの人々が参加しています)。そして、子供達への環境教育、環境アートに力を入れました。

私が呼ばれたのは、その流れの一環でした。私が、前々回のフェンスブックで紹介した「人間主義的経営」の本を読んだ時、このバーンハイムさんを思い出し、また我が故郷の偉人・近藤林内さんを思い出しました。林内さんは、バーンハイムと同じくお酒作りをして富を得ました。林内さんの作った酒を棚田米から再現できたら・・・・などと、妄想したのでした・・・