昨日は、父のことを書きました。私の父は、養子で佐伯家に来ました。元々は同じ町内の神社(川上神社)の末っ子で野口姓を名乗っており、教師として子供たちに夢を与えたいと20才で教員になりました。その姿を見ていたのが、私の母方の祖母。祖母は5人の子供を産みましたが、5人とも娘。是非とも後継を・・・・・・と思っていた矢先、エネルギーの塊のような父を見て、「これ!」っと思ったのでしょう。祖母が父を養子に迎えたのです。
父は、佐伯家の長女と結婚し、長女の父(私の祖父)らと同居。その間に私が生まれたのです。両親は教員として働いているので、祖父母との生活が幼い私には、日常でした。
それで、今回は祖父のこと。祖父は8才から俳句を作る俳人でした。180人もの弟子を持つ俳人。個性的な書体にもかかわらず、温厚で孤高な生き様は、自然と「巨星塔先生」と人々が慕う存在でした。
祖父の臨終間際に、取った態度が私の理想です。祖父は親族が見守るなか、突然起き上がり、敬礼をしたのです。左からゆっくり右を向きながら一人一人を見つめながら・・・・見守る親族は、
「じいちゃん、じいちゃん、じいちゃん 」
と涙。祖父はその数日後に亡くなりました・・・・理想の死に方を示してくださった祖父。
私も続きます。