中間生と高天原(たかまがはら)

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本を読むのが苦手な私。やっと加藤直哉先生(私の鍼の師匠です)の「人は死んだらどうなるのか」(三和書籍)をほぼ読み終えました。この本を読むと、愛すること、学ぶこと、他人に尽くすことの大切さを知り、生きる意欲が生まれてきます。たとえ高齢であっても、学ぶことが無駄でないと、はっきり分かります。

この本では、人は死んだら中間生という時間も空間もない光に溢れたところに帰えるとあります。中間生とは死から生の間に存在する生。霊(たましい)と置き換えていいのかも知れません。人は、この中間生から自らの意思で肉体を借りて、この世に生まれて来ます。この世では、愛し、学び、人を助け、神に近づくように生き、自らを高めます。そして、肉体が朽ち果てると再び中間生に戻り、ゆっくりします。これを繰り返すようです。

中間生の存在は、臨死体験と過去生療法の客観的分析から、認めざるを得なくなったのです。特に、過去生療法では、信じられないようなデータが1088あり、「催眠下での前世想起は、過去の出来事を正確に投影するものであることが、統計学的に証明された」とあります。

つまり、人は何度も生き返り、己を高め神に近づこうとしているのです。

また、日本が世界一の臨死体験研究国で、「日本往生極楽記」(985~986年)、「扶桑略記」(1094年までに起こった出来事を12世紀ごろ編纂)、「元りょう釈書」(1278~1346年)

など記録が残っているそうです。何故、日本にはこのような臨死体験記録が数多く残っているのでしょう?

私は、神道の影響ではないかと思っています。

「高天原(たかまがはら)」について、ウイキペディアの一説を引用します。

『古事記』においては、その冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所としてその名が登場する。次々に神々が生まれ、国産みの二柱の神が矛を下ろして島を作るくだりがあるから、海の上の雲の中に存在したことが想定されていたと推測される。天照大御神が生まれたときに、高天原を治めるよう命じらられた須佐之男命にまつわる部分では、高天原には多くの神々(天津神)が住み、天之安河や天岩戸、水田、機織の場などもあったことが記述されており、人間世界に近い生活があったとの印象がある。

このように、高天原は、海の上の雲の中に存在し、神々が生まれ、神々が人間世界に近い生活をしているところです。これは、もしかしたら中間生のことではないかと思うのです。戦前の日本、ましてや明治以前の日本人なら、高天原はリアルなところだったと推測します。この土壌が日本を臨死体験研究国にしたのではないかと・・・

神道では、故人の霊を霊璽(れいじ)いう依代(よりしろ)に移す「御霊移しの儀」があります。これは、室内の灯りを消して、斎主(さいしゅ)が、霊璽(れいじ)を故人の顔にかざし、霊を移します。この時斎主は、「をー」という声を発します。

神社の社務所に生まれ育った私には、葬儀の時にいつも聞く「をー」に「???」を感じていたのですが、今になって最も大切な儀式であると改めて感じるようになりました。中間生を高天原とみなすならば、神道を勉強することで中間生を理解出来るかもしれません。