あきらめなければ、痛みも、麻痺も、必ず治る!の抜粋2
山元式新頭鍼療法(YNSA)の創始者山元敏勝先生は、1958年アメリカコロンビア大学聖ルカ病院(ニューヨーク)で、すさまじい勢いで場面が展開するアメリカの救命救急医療をテーマにしたドラマのような毎日を過ごされ、1960年ケルン大学病院では、産婦人科の医師として働かれました。
そして1966年に、宮崎県日南で、現在の山元病院の前身である山元医院を開設されました。その頃の出来事を、山元敏勝先生の著書の中から抜粋します。
『毎日、患者さんの治療を行っていたある日、現在のYNSAが誕生する忘れられない出来事が起こりました。
ひとつの偶然が、現在YNSAで道具として使用している、「針」との出会いをもたらしたのです。
神経ブロックで使用する薬には副作用が伴います。そのため、私はいつも過剰な投与を避けることを心がけ、滅菌水に薬を加え、効果は保ちつつ副作用を極力抑える濃度に下げて使用していました。痛みがおさまっても、副作用に苦しむのでは意味がないからです。
しかし、ある日、ご年配の女性の神経ブロックを行おうとした時、滅菌水に薬を添加するのを忘れてしまったのです。滅菌水のみの注射は体に害は与えませんが、大きな痛みを伴います。
この患者さんは注射をした場所に激しい痛みを訴えました。すると不思議なことに、この痛みは、同時に、注射を行った場所以外にも現れたのです。
そして、さらに驚くことが起きました。この注射によって起こった激しい痛みはごく短時間でおさまりましたが、それとともに、もともと治療を望んでいた部位の痛みもすぐに消えてしまったのです。患者さんは抱えていた痛みから解放され、とてもうれしそうに笑っておられました。
この時私は、この現象が、中国式針治療のツボと、ツボが並ぶ道筋である「経絡」に関係があるのではないかと考えました。そして、私はこの時から、針について真剣に研究をし始めたのです。毎日夢中で取り組みました。
これが、その後YNSAで、治療の道具として使用することとなる、「針」との大きな出会いになったのです。
(中略)
私の病院では、ドイツでの医療経験も生かし、産婦人科の診療も行っていました。私は、ここでも陣痛や分娩の際の痛みで苦しむ、妊産婦の姿をたくさん見てきました。出産のときの痛みは女性にとって大切なものととらえる考え方もありますが
「痛い!」「痛い!」と叫ばれる姿は私にはとてもつらく見え、私はかねてより出産をなんとか無痛分娩にできないものかと思っていました。
そこで、1968年に無痛分娩を成功させたのです。
医大を卒業後、アメリカで学んだ麻酔学が針と出会うことによって生まれた成果に、私自身とても驚くこととなりました。
その後、この無痛分娩の回数を増やすとともに、一般的な外科手術にも針麻酔を導入していきました。
西洋医学の麻酔は大きな副作用をともないます。これに対し針麻酔は、副作用が一切ありません。そして術後の回復がとても早いのです。盲腸と言われる虫垂炎の手術では、一般的な麻酔を使用すると手術後ガスが出るまで、水分をとることもできません。しかし、針麻酔での手術では手術中に水を飲むことをもでき、手術後すぐにものを食べることもできます。
小さい子どもも、「手術が終わったらすぐにアイスクリームも食べられるよ」と言うと、手術を怖がりませんでした。
また、一般の外科手術でも、産婦人科での帝王切開手術でも、この針麻酔を使用することで手術後、患者さんは麻酔の副作用に苦しむこともなく、歩いて病室に戻ることもできました。私はこの針麻酔によって2000例以上の手術に成功をおさめました。』
宮崎でのセミナーで、針麻酔の映像を見ましたが、それは強烈なものでした。
意識がしっかりある患者さんの膝を、山元先生がノコギリで切り落としたり、切開手術時、勢いよく飛び起き、切開した自分のお腹を見ようとする患者さんを、2人の看護師さんが必死で押さえつける場面等。
山元敏勝先生の挑戦は、今なお続いています。