チャルル(オス猫2才くらい)が我が家でお泊まりして、最後の日。飼い主のご夫婦と夕食をして、我が家にいるチャルルとご対面・・・・・
「チャルル、チャルルいるかい?」
と、私はしゃべりながら、玄関のドアを開けチャルルのいる部屋にはいるのですが、チャルルは全く無視。何一つ返事をしてくれないのが、いつものパターンなのですが、今回は、
「ニャア~~」
と返事をしてくれました!どうして??
これは、間違いなくチャルルが気配を感じたからなのです・・・私のあとに入って来るご夫妻の気配・・・・?
猫の気配察知能力は、人智を超えています。ただただ感心してしまいます。
ここからは、私の偏見で書きます・・・・
2006年に、ジョアンミロ美術館(スペイン・マジョルカ島)で2ヶ月滞在して、子供たちのために様々なワークショップを行いました。そこで、ある男性と話している時、私が、動物から学ぶ事が多いと言った事に対して、憤慨したように、
「何を言っているんだ!あの低レベルの生き物から学ぶ事なんてないだろう。」
という答えが返ってきました。私は言葉を失い、
『こいつとは、話ができない・・・・話題を変えよう・・・しかし、それにしてもこの違いは何じゃ?』
と思った事をふっと思い出しました。あの体験から考えたのは、犬。
明治以前、つまり西洋の文化が入って来る以前、日本犬は甲斐犬、紀州犬、四国犬、秋田犬、などと、地域で育った土着犬以外はあまりいませんでした(多分、江戸のお殿様はチンを飼っていた様な気はします)。
ところが、西洋では犬を人間が作ったと考えています。ポインターという犬は草原にいる鳥を追い出す仕事をさせるために、ジグザグに走るように作られました。リトリバーは、舟に乗り撃ち落とされたカモなどを、泳いで捕まえ引き返すのに適しているように作られました。そのため、水が大好きです。ダックスフンドは、アナグマを取るため短い足と長い胴の犬になりました。
このように、西洋の狩猟民族は犬を生活のために、改良してきた歴史があります。日本における犬は、稲作という土着の農業に適した犬になっていったように思います。そのため、犬を作るという発想はなかったと思います。もっとも、西洋の文化と共に入ってきた犬は、ペットとして今の日本では欠かせない生き物ですが・・・・・
とにかく、犬や猫から学ぶことはたくさんあると、思います。