先週、書道に興味がある30才代の女性患者Cさんと会話をしていると、私の祖父の話になっていきました。私の祖父は、俳人でした。そのため自作の句を書にする毎日を過ごしていたのです。書道は特に師匠がいた訳ではないのですが、立派な書を生み出していました。
松根東洋城先生が、祖父の俳句の師匠です。地元の新聞にその関係が載っていたので、記載します。
『宇和島藩城代家老松根図書の孫で、俳誌「渋柿」を創刊した俳人松根東洋城(1878~1964年)が同誌の代表同人だった佐伯巨星塔(きょせいとう、1898~1984年)に宛てた手紙やはがきなどの書簡約500通が東温市河之内の惣河内(そうこうち)神社に残されており、専門家の注目を集めている。
巨星塔は同神社第12代宮司。東洋城は神社の社務所を兼ねていた巨星塔の自宅の一角を「一畳庵」と名付け、1950年8月から52年2月にかけて通算1年3カ月を過ごした。
書簡は40年代前後から64年までのもので、巨星塔の死後、家族が整理、保管していた。書簡の内容は多くが未解明だが、東洋城の人柄を知る上で貴重な資料となりそうだ。
消印が東洋城の死の1週間前に押された手紙では、体調不良を報告。「服薬はしてゐるが 句作もあまりよくない」とつづる一方、「社の境内や森や 筧はかかってゐるか(中略)などと君達の庭先を 時々考えてゐる」としたため、神社で過ごした日々を懐かしむ様子がうかがえる。俳句の添削や近況報告、巨星塔の娘らに宛てた手紙もある。
(中略)
巨星塔の長女佐伯弥生さん(78)=東温市河之内=は「東洋城先生は人に俳句を教える際の厳しさとは逆に、非常に優しい人だったと聞いている。手紙やはがきは大切にしていきたい」と語った。(大津貴圭)』
話を書に戻します。Cさんから祖父の書を見たいと言われいたので、母親から戴いた祖父の短冊をお見せすることにしました。改めて、その短冊を見てみると私が生まれた時の句がありました。
命名 惟弘 「神の道 ひろめて匂え 寒ざくら」
祖父の本名は、佐伯惟揚(これあき)なので、私は惟弘(これひろ)と命名されました。しかし、惟という漢字が当時の当用漢字に無かったため、私の戸籍には、登録してから1週間後に✖️がついてしまいました。これで、私の人生が代わったのかもしれません。神道を「ひろむ」という使命を私は持って生まれたのに・・・・5人姉妹を持つ祖父にとっては、男子の孫がいかに嬉しかったことか・・・・弟が宮司になっているので、勘弁してください。