松山道後名所図絵

 

毎月第2、4週の日曜日は、実家の座敷で治療を行なっています。座敷の片隅に、大正の広重と呼ばれた吉田初三郎の絵が置いてあります。多分、ここで林内会(りんないかい→近藤林内という地元の偉人の勉強会)があったので、置いているのでしょう。吉田初三郎の絵をよく見ると、松山市とその周辺を描いているはずなのに、富士山が見え、琉球、台湾、南洋諸島も描かれています。その中でも、実家周辺が、随分リアルに数多く描かれているのは驚きです。

私の弟が宮司を務める惣河内神社、隣の金毘羅寺、雨滝、窪の淵、黒森峠、白猪の滝、唐峠の滝、そして面河渓とあり、松山市周辺にある久万、松前、などの地区と比較しても当時は、圧倒的に重要な地区であったことが分かります。豊かな水源と山の材が豊富で宿場であったと、小学校の時、先生から習ったことがあります。江戸時代は農業、林業、養蚕業などの家内産業が盛んで、高知県の須崎市と松山市を結ぶ街道の宿場だったようです。

松山藩主の狩場があったので、この地区には狩場という集落があります。その時はこちらで宿泊されたでしょうから、宿場があり小売業も営まれていたと思われます。また、近藤林内さんが上手い米と綺麗な水で上質のお酒を作り、愛媛県でも有数な富豪になり、それを地域に還元することでこの地域は潤ったのです。この地区にある雨滝の横で作ったお米が、国際大会で2年連続金賞に選ばれたのは、必然的な事のように思えます。