森下敬一先生

名古屋の大沼四廊先生セミナーに行き先生に、

「やっぱり千島学説が正しいですよね。」

とさりげなくお伺いしたことがあるのですが、大沼先生は、ニコッと笑われただけで、お言葉を返していただけませんでした。大沼先生は、森下敬一先生から20年間学ばれたので、千島先生ではなく森下学説を継承されておられます。そこで、森下敬一先生のWikipediaを調べたところ、千島喜久男先生と森下敬一先生は同じ様に、腸管造血説を唱え「千島森下学説」として一般に公表していたのですが、思想的立場の違いから決別されています。それが、下記のWikipediaです。

『昭和36(1961)年、千島は雑誌「生科学評論」に「現代医学の五原則批判」という論説を載せた。これは現代医学批判論であり、森下も大いに共鳴したものの、千島はそれを「千島学説の八大原理」という哲学に飛躍させていく。千島は森下に対し、牛乳推奨論や千島哲学に同調するよう迫り、あくまでも科学的方法で進みたいとする森下を、千島の発行する雑誌「生命と気血」で2度にわたり激しく攻撃する。森下は、科学と哲学という思想的な立場の違いと認識し、黙して語らず、両者の協力関係は消滅に至る[9]。

千島は昭和53(1978)年、十二指腸潰瘍を患い永眠(享年79歳)。昭和56(1981)年、腸造血説などの学説権利について、千島の遺族が森下を提訴するも、森下側が全面勝訴している(岐阜裁判)。』

残念ながら、このような対立があったようです。そこで、未だに骨髄造血説を信じておられる方に、森下敬一先生の実験をWikipediaからご紹介します。 

『森下は敗戦後の医学生時代に、オタマジャクシがカエルに変態していく過程の血液の状態を観察し続けていた。オタマジャクシは手足が無いのに、大人のカエルと全く同じ形の赤血球が同じ数だけ存在しており、造血に手足の骨髄は関係ないことをすでに確認済みであった[5]。

それ以前に、動物の骨髄組織の95%は長幹骨(大腿骨、下腿骨、上腕骨、前腕骨)に存在することを実験によって確認しており、骨髄組織と体を連結している血管を遮断しても貧血が起こらないことも実験で済みである[5][10]。

卒業後の1年間(1951年)、国立相模原病院(陸軍第三病院)にインターンとして勤務し、多くの戦傷者の中で手足を失った兵士たちを観察すると、みな血色が良いことに気づく。彼らに協力を依頼し採血して調べたところ、普通の人より赤血球がmLあたり数十万個多いという結果を得た[10]。』

以上です。