大波

夜行バスで、8時間、京都に着きました。北白川に向かう市バス、いつもなら満員になるのですが、ガラガラです。観光シーズンが終わった束の間の静寂。都市そのものが、この様な人の波を時間とともに、作り出しているのでしょう。

月一回の京都出張は、私の中でも生活の波をいい形で作っています。患者さんにとっても、私の治療院に来院され、生活の波を作っておられるのだと思います。また、カラダの治り方も、アップダウンの波を繰り返しながら、徐々に上向きになっていくパターンが多いようです。

海に生じる波は、主に風が作りあげるそうです。台風が接近した時を想像すれば、強風が大波を作ることは、容易に理解できます。今晩は、これから私に大風が吹き、大波が襲ってきます。20才代の青春ど真ん中の頃出会った友人が、イスラエルからやって来たのです。我々は、ニューヨークのブルックリンミュージアムアートスクールのクラスメート。ニューヨークのデイスコでイベントをした仲間です。彼は、亀を描き続け、イスラエルでは有名な芸術家になりました。

 お互いの息子が、ニューヨークのブルックリンで生活し、お互いが映画関係の仕事をしているのも、不思議な縁です。もしかしたら、二人はもうすでに出会っているかもしれません。今は、彼に会いに行く地下鉄に乗っています・・・・ワクワクの大波が待っています。

空腹健康法(その2)

私は、京都の山奥、美山町に10数年住んでいました。当時は3人の子供と嫁さんも一緒でした。そして、お利口できれいなミミという白ネコが家族の一員。そのミミがある日、テレビの横で、グッタリと横たわり、全く動かなくなりました。

「ミミ、どしたん?」

まじまじと、ミミを見回しました・・・どこか、変?・・・

「ミミ、あんた、その足(左の前足)どしたん?」

左前足がうちわのように腫れ上がり、ピンクで1cmくらいのキズが2本。どうやら、マムシに噛まれたようです。わざわざ、テレビの横に寝込んだのは、家族がいつもテレビを中心に夜はゆっくりするのを、知っていたから・・・・見守ってもらいたかったのでしょう。

2日間ほど、エサも食べず、ただただ横たわっていました。すると、翌日の3日目には起き上がり、何事もなかったかのように生活を始めたのです。この時、「ミミは偉い、カラダの治し方を知っている❗️人間も同じ動物、病気をしたら、何も食べず寝るのが一番。」と肝に命じたものです(最も、人間がマムシに噛まれて、治療を受けなければ、死んでしまいます)。

これが、前回の小冊子「空腹健康法」で述べていたサーチュイン遺伝子の働きによる全身の細胞の活性化です。この小冊子には、もっと怖いことが書かれています。近代栄養学の父、ドイツ生理学者カール・フォン・フォイトの提唱した肉食礼賛理論に振り回されて、アメリカでは急激に生活習慣病が増え続けました。ついには、1977年にアメリカ国民の健康を大変憂いて、「マクバガンレポート」が出される事になったのです。

生活習慣病の原因は、高カロリー、高タンパク、高脂肪、高精白の食事と指摘。病気を避けるためには、これらを取り過ぎない事と結論を出しました。にもかかわらず、アメリカの地方都市は、肥満に溢れています。肥満が普通と思っている人々が多いのに驚きます(2006年ケンタッキー州ルイビルでの3か月滞在)。

しかし、今だにカール・フォン・フォイトの栄養学が、世界中の栄養学の教科書の中枢を占めているそうです。この栄養学を信じ込んだ俳人、正岡子規がその犠牲者。もともと大食漢だった子規は、35才で没する1年前の日記には、毎日食べた物を一つ残さず記録しました。

朝食、昼食、間食、夜食・・・一回の食事で何と4杯のお粥あるいは麦飯を食しておられます。鰹の刺身、なまり節、牛乳等、重病人が、無理矢理食べて、疲れ果てています。弱ったカラダに強制労働。まさに拷問です。

この小冊子には、もっとリアルな事がたくさん載っています。興味ある方は、どうぞ!

search.rakuten.co.jp/search/mall/空腹健康法+真弓定夫/

父親は全て分かっていた

小学校の時から、本が嫌いで、国語の成績が悪かった私。父親が心配をして、少年少女世界の名作文学という分厚い本を買っくれました。例えば「日向が丘の少女」など、

「面白いのう~」

と読んではいくものの・・・・「あ~しんど!」

途中で、外に飛び出して日が暮れるまで遊びました。近所には子供たちが、クモの子を散らした様にあふれかえっていたので、木登り、川遊び、ビー玉、ボール遊び何をしても楽しかったのです・・・・あれから50年以上も経ちましたが、相変わらず本読みが嫌いなままです。それから、子供のころ出来ていた算数が、今では苦手。数字を見ると頭が凍りついてしまいます。

そんな私ですから、文章を書くのが最も苦手。手紙を書くのに半日費やすこともありました。前の嫁が、フリーライターだったため、文章を書けない私に呆れ果てていました。

私の事を一番よく分かっていたのは、父親だったようです。2か月で大学をやめ、アルバイトをしていた私に芸術の道を進めてくれました。また、小学校の時、神経性胃炎だった私を指圧で治してくれたのは、父親でした。その原体験で、私が鍼灸師への道を選んで行ったのです。

こんなに不甲斐ない私ですが、辛抱強く見守ってくれた父親に、感謝しかありません。

「とうちゃん、本当にありがとう。」

私の祖父、佐伯惟揚(これあき)は、背筋を常に伸ばして、颯爽(さっそう)としていました。あれが、生き方なのでしょう。私には出来ません。私は一人でいると、うつむき加減になってしまいます。

祖父は、俳人で180名の弟子を持っていました。そういう立場も姿勢を作り上げるのだと思います。また、書家でもあった祖父は、正しい姿勢から書が生まれる事を知っていたのだと思います。私が小学校3年生くらいだった頃、祖父が参観日に来てくれました。おちょうしものの私は、キョロキョロと落ち着かない様子だったそうです。舞い上がってしまい、左膝をペロペロなめていたそうです。

それ以来、長い物差しを背中に差され、正座で机に向かう練習をさせられました。また、鉛筆の持ち方、箸の持ち方もしつこく注意されました。型から入る日本の習い事は、必要な事だと、今になって感じます。

今、御茶ノ水のソーラーシテイーという高いビルの2階で、山元式新頭鍼療法(YNSA)の中級1セミナーに参加しています。講師の加藤直哉先生が、セミナーの最初にされるのが、全員起立して、両手の甲を腰に当て、スーパーマンのポーズ。

「やれる、できる、大丈夫!」

を、3回叫びます。これが型から入る自己啓蒙。祖父が示していた型の現代版だと思います。もう、すっかりスーパーマンです!

蘇れ生命の力

昨年まで、現役の小児科医として東京の吉祥寺で開業されいた真弓定夫先生(88才)のドキュメンタリー映画「蘇れ生命の力」をみました。真弓先生は、生活習慣のアドバイスをする事で、動物として本来持っている生命力を蘇らせる治療をされています。対処療法である、薬投与や注射はしません。

いずれは、書いていかなければならないテーマ。今回、このドキュメンタリー映画を見て、少しずつ書いてみようと思います。「生き方」です。

私のような、芸術活動中途半端、子供3人育てられなかった鍼灸師が、生き方をいう資格はありません。何一つ成し遂げていない男が、生き方を言えない。

ただ、身近な人で凄い生き様をさらしてくれた人がいたので、その人を語ることから、少しずつ「生き方」を語ってみたいと思います(明治生まれの日本人は、そこかしこに凄い人がいたのです)。

私の祖父、佐伯惟揚(これあき)が死を前にした時、むく~っと渾身の力で起き上がり、親族が見守る中を、最敬礼し一人一人に挨拶をしてくれました。

「じいちゃん~~・・・ありがとう・・・」

「じいちゃん、じいちゃん、じいちゃん!」

あの姿こそ、「生き方」です。あの死に方が「生き方」。

この世に生を受け、死を直前にした時、同じ血を分けあった親族に見守られ、次の世界・・・

じいちゃんは、我々の知らない世界に行く先駆者・・未知の世界を生きることが「生き方」

次回に続く