日仏文化交流展、4日目

愛媛県立美術館は、松山市中央部の城山の南側に位置しています。目の前に松山城があり、城山公園という、ニューヨークのセントラルパークのような街の中央部に芝生の広い公園があります。その一角に、美術館はあります。愛媛県知事が率先して、サイクリングの県をアピールしていることもあり、城山公園は自転車通学、通勤で夕方は混雑しています。

『健康的でいいところ❣️』

と、つくづく思います。さて、本日は展示の4日目、朝起きて『枝を丸めて浮かべる感じにしよう』と思いつきました。朝10:00前に制作を始め何とか形になったのが13:30頃でした。その間に、患者さんが何人も訪れてくれました・・・・気づいてみると、5人の来館者はみんな私の患者さんの時も!

「◯◯さん、ここに来てる人・・・みんな、患者さんよ。」

「先生、そりゃ、サクラじゃ!」

「・・・・」

そうこうしていると、叔母が訪ねて来ました。そして、子供のように楽しそうに作品を作り、

「これを、フェイスブックに載せてよ❗️」

というものですから、載せます・・・

日仏文化交流展、3日目

朝から雨。

客足は伸びないだろう・・・と思っていたのですが、昨日より入場者は多くなりました。

普段、鍼灸院だけで過ごしているので、1日に出会う人は、限られていますが、愛媛県立美術館というオープンスペースでは、滅多にお会いできない人との出会いがあり、感謝しています。

色々と話を伺(うかが)っていると、関西地区や東京で仕事をし、地元松山市に戻って活動されている方が何人かおられます。ちょうど、私もそのような立場なので、お互いが理解し合える気がしました。今後とも、お付き合い出来ればと思います。

今日の積み木のテーマは、ソマトトープ。

ソマトトープというのは、山元式新頭鍼療法(YNSA)の基本概念です。これは、健常な人には現れませんが、病的な状態になると、頭部や顔面にソマトトープが現れます。これは、小さな人型をした投影です。なぜそのような人型の投影が出来るのか?・・・・それは脳のフラクタル現象(同じパターンの複製生成)により、皮膚、眼、歯、筋膜などの複製ができ、耐性のある組織を作ろうとするからです。そして、その投影が頭皮や体表面に現れます。

鍼治療では、頭皮などの体表面に現れた人型の投影に刺鍼(ししん)することで、人体にフィードバックして病状を回復していきます。

病的状態のコロナ禍では、ソマトトープが現れるはずです。そこで、積み木の全体像を、左手前に小さく作ってみました!

ちょっと、理屈っぽくて・・・・すみません(*^_^*)

日仏文化交流展、2日目

今日は、午前9:40より、NHKの取材がありました。丁寧に絵画作品(70~80点はあるとおもいます)を撮影し、私が制作しているところも撮影。そして、主催者のインタヴューなどをし、午前11:40に終了。12:00のNHKのニュースでは、全国版に放映されました。仕事の早さに驚きました。さすがプロ!

今回は、アートデイレクターが、マスコミ、新聞社などに何度も足を運んだおかげで、一般の方々にかなり知っていただいたようです。ニュースの後、昼休みにもかかわらず、入場者が一気に2~3倍増でした。

90才の患者さんが車椅子で来場され、嬉しそうに積み木制作を始められました。そして、見事に小さい積み木をトップに置き、終了。長々と自身の作品に見入られていたのが、印象的でした。

それを見ていた娘さんが、

「先生、これ老人クラブでやってくださいよ・・・・いい場所があるんです。わたし、企画しますから!」

もしかしたら、新たな展開が始まるかも知れません。

患者さんの作品は、ホワイトボードの右横のきれいな積み木です。

日仏文化交流展、初日

午前9:40搬入開始・・・2Fの会場は3つに大きく区切られています。私は与えられたところに、言われた通り作品(というよりクスノキ のこっぱ)を、運べば良いのですが・・・・なかなか、場所が決まりません。やっと決まったのは、フランスの画家のコーナー。この空間は絵画を壁に展示しているだけで、空間が広く使えます。

軽トラに農作業で使うキャリー(プラスチック箱)40個分の積み木(クスノキのこっぱ)を運びました。軽トラなので3往復して、やっと会場に。かなりの量だったので多くの方々に手伝っていただき、会場にクスノキ のこっぱをばらまきました。

とっても自然ないい空間になったのですが、場所を占有し過ぎているとの指摘があり、1/3~1/4位のスペースに縮小することになりました。それはそれで、積み上げることに集中でき、新たな展開が期待できそうです。

14年ぶりの積み木制作で感じたことは、鍼灸師の指になり、より繊細で多くの情報を感じるようになっているということでした。明日からは、その感覚を形にしてみようと思います。

向かい合う

今日も、過去の積み木作品に関して、書こうと思っていたのですが、作品の写真が手元になくなってしまいました。理由は、県庁の関係者に資料提供を求められたからです。明日から「日仏文化交流展」が始まるのですが、直前になってあわただしくなって来ました。何せ、14年ぶりの展覧会ですから、過去の経歴の資料など捨てて、ありません。

苦しまぎれに、写真を提出するしかなかったのです。これを機に、今一度過去の作品の整理をすべきだと思うようになりました。2004年、スペイン・マジョルカ島のミロ美術館では、2週間のワークショップを地元の子供達対象に行い、ワークショップの前後で子供達のカラダの変化が顕著に分かります。

なぜカラダに変化があったかと言うと、子供達に積み木や、小石の上を長時間歩いてもらい、10分間お昼寝してもらったからです。裸足(はだし)で小石や積み木を歩くと、痛いので逃避反射という無意識の動きが生まれます。それは、カラダ本来が欲している動き。歪(ひず)みを正してくれるのです。

それを、みんなでワイワイ楽しくすると、効果がバツグン。これによるカラダの変化で一番激しく変化した男の子は、顔が変わり一瞬、『誰?』と思うぐらいでした。これらの資料を作り、これからの展開を前向きに考える。

これが、私本来の方向性であることは、知っているのですが・・・・・離婚を機に、小さい子供をまともに見ることを無意識に避けるのです。スペイン・マジョルカ島で子供とワークショップが出来たのは、仕事と思いしっかりチャネルを切り替えたから。

これは、私が乗り越えなければならない大きな課題。少しずつ、無理せず向かい合います。

写真は、展覧会の準備でぐちゃぐちゃになっている仕事場です。

イエニゴラ

 

暗黒舞踏の創始者、土方巽(ひじかたたつみ)氏が亡くなって1周忌にあたる1986年、西ベルリンのクンストラハウスベターニアンという美術館で、日本人舞踏家を招待し大きなフェスティバルがありました。それに天才舞踏家・石井満隆(みつたか)氏が招待され、私とFさんが付き人として同行することになりました。その数ヶ月は、1冊の小説になるほどの「てんやわんや道中」でした・・・・ので、省略。

「インターナショナル ストリート シアター フェスティバル イン イエニゴラ」に石井満隆氏が招待されており、西ベルリンの後は、ポーランドのイエニゴラに行くはずでした。しかし、同年4月26日にチェルノブイリ原子力発電所事故が起き、石井満隆氏は参加せず、私を推薦してくれました。

「ありがとうございます。行ってみます!」

なんの迷いもなくポーランド行きを決めました。木さえあれば、何とかなる。原発事故の影響も現地に行ってみなければ本当には、わからないはず・・・と、思うようにしました。

当時は、ベルリンの壁が存在し、東西冷戦が続いていました。東側のポーランドの一般市民には、「安全で、問題なし」の情報が行き渡っていましたが、ポーランドの芸術家仲間には、西からの情報が常に入っており、深刻な状況であることを理解していました。そんな中、日本からよく参加してくれた!と私は大歓迎されました。

その一部の作品が写真・・・・カソリックの国・ポーランドの子供達は、教会を作りたがります。すると、こわせないのです。全くこわそうとしないことが、新鮮でした。

神風

1980年に大学ギャラリーで木の輪切りを毎日置き換えて、全く違う空間を作っていました。私は木の輪切りを素材にして自由に空間を作り、見学する人達も自由に制作していくという当時では、珍しいことに挑戦していました。その過程をIさんにビデオで収録してもらい、私が編集しタイトルを「Building Blocks 」としました。これをブルックリンミュージアムアートスクールが評価してくれ、奨学金をいただき、ニューヨークで学ぶことになりました。

ニューヨークでは・・・・木がない!

これには、困ってしまいました・・・・・積み木を作ることができないまま、時間が過ぎていくばかりでした。

しかし、こういう時には、神風が吹くものです。突然、ハリケーンがニューヨークを襲い、街路樹がなぎ倒される被害に見舞われました。そこで、これらの倒木がどこへ行くのか調べたところ、何と私が通っている学校の近くにあるプロスペクトパークという公園に集められていました。

強烈な南部なまりのクラスメートは、トラックもチェーンソーも持っています。その彼をそそのかし、一緒に材料を調達。学校で保管してもらい何とか制作出来るようになったのです。ただし、チェーンソーを買うお金がないので、ボウソーという弓の様な形の手で押して切るノコギリを使ってコツコツと素材作りをする日々が続きました。

そんな合間に、ニューヨークのアパートで作品を作ったり、近所でおこなわれるアートフェスティバルに参加したりと、25才の多感な時期を満喫していたのでした。

こんなことを許してくれた両親に、心から感謝しています。

TSUMIKI

TSUMIKI

1979年、私は彫刻科大学院1年生(最終的には、中退)。彫刻科のアトリエでは木彫作品を自由に制作出来ます。私は、「瞬間的に作れる作品はないだろうか?」とブラブラと何もしないで歩いていたのですが・・・・

『あれっ、この木端(こっぱ)面白い!』

と、制作過程で生まれ、いらなくなった木端(こっぱ)をクラスメートから譲ってもらいました。それを何気なく積み上げてみました・・・・・『うわ~、これ瞬間的に作れる彫刻作品じゃ!』

っと、大興奮!

それ以来、校内の木端(こっぱ)収集の日々が続きます。そして、アトリエの一角(いっかく)に作品を積み上げて楽しみ、結構たくさん出来ました。クラスメートと別室で雑談していた時のことでした。

「佐伯!すまん・・・お前の作品、壊してしまった。」

と、強面(こわおもて)の1年先輩Gさんが、まっ青な顔で私のところへ走って来られたのです。そのうろたえている姿が面白く『この作品は、素直に人柄出るし、挑発的で・・・よし、これいける!』と、早速展覧会を開くことにしました。

大学のギャラリーで1週間展示したのですが、予(あらかじ)め作っていた作品を改めて同じように作って展示することにすっかり飽きてしまいます。中学、高校の非常勤講師(美術)をしていたので、授業の一環(いっかん)として生徒に見学してもらい、生徒には、

「これは、クギや接着剤を使っていないので、絶対、触(さわ)ってはいけません!」

と、言っておきます。生徒は・・・ハラハラ、ドキドキ小声で恐々(こわごわ)見ています。10分程経(た)って生徒をシーソーのような作品の前に集めます。

「さて、この木端(こっぱ)を取ると・・・・どうなるでしょう?」

「ワイワイガヤガヤ・・・・・・・ああああああ、あああ・・こわれた‼️」

「ここにある作品、こわしたい人?」

「ハイ、ハイ、ハイハイハイ・・・・」

「こわせ~~~‼️」

ということで、メチャメチャになりました・・・・・この一部始終を丁寧に抜群の感覚でビデオに収めてくれたのが、ルームシェアしていたIさん。この素晴らしい映像がきっかけで、今後の作品の方向性が見えてきたのです。そして、2回目の個展でもIさんは、映像を担当してくれました。それを私が編集し、作品が、ニューヨーク公立図書館に所蔵することになりました。Iさんのその後活躍は凄まじく、世界中の人々が知るヒーローを作り出しました・・・・・おしまい。

愛媛県立美術館にて

6月23日(火)〜28日(日)まで愛媛県立美術館で日仏文化交流展が開催され、私も参加出来ることになりました。その趣旨が下記です。

TSUMIKI 2020 in Matsuyama  ー鎮魂・祈りー

私は、鍼灸師です。

鍼(はり)を患者さんのカラダに刺すことで、自己免疫力を上げ、自律神経、内臓、筋肉、骨格の歪(ゆが)みを正して、カラダのバランスを整える治療を行なっています。患者さんのカラダに触れて治療点を見つけ、鍼(はり)の刺入している感覚を指先で感じ取ることが大切な作業となります。

今後、最先端の人工知能が医療を担(にな)うようになっても、鍼灸治療の指先の感覚は、必要不可欠なものとして輝きを増してきます。まさに「究極の触覚アート」と言えるでしょう。

このTSUMIKI(積み木)は、1979年から始めた造形活動で、「触れると倒れる」という触覚を刺激するアート。そして、積み上げる過程はカラダと心に関係があります。例えば、等身大のTSUMIKI (積み木)を積み上げる時のことを想像してください。土台から臍(へそ)の高さまで積み上げる時の目線は下で、そこから高く積み上げると目線は上に向いていきます。この目線の先にはTSUMIKI (積み木)の正中線があります。正中線は地球の中心から天上へと伸びる清らかな線です。この目線が重要なのは、いうまでもありません。

目線だけでなく積み上げる姿勢が大切になってきます。カラダの正中線がしっかりしていないと、TSUMIKI (積み木)の正中線が生まれてきません(倒れてしまいます)。つまり、TSUMIKI (積み木)は、作り手の投影となるのです。

しかし、カラダに正中線ができていても、心の状態が不安定だとTSUMIKI (積み木)が倒れしまいます。目線が下にあり臍(へそ)の高さまで積み上げている時の心は、ー鎮魂ー。

臍(へそ)から上に積み上げている時は、ー祈りーと解釈してもいいでしょう。ただし、積み上げている本人は、ー無ーの状態になろうとしています。

サブタイトルのー鎮魂・祈りーは、コロナ禍がピークの頃、不安になり付けたものです。コロナ禍が落ちついた今では、ー安寧(あんねい)を願う心ーくらいが、ぴったりかもしれません・・・

今回使用しているのは、松山市の飯岡神社境内のクスノキ です。クスノキ は、「薬の木」が語源という説があり、また英語ではカンフルツリー(camphor tree)といいます。元気をもたらすクスノキパワーの波動を、愛媛県立美術館から全国、地球上に発信できますように。

今回のインスタレーションを制作するあたり、協力していただいた飯岡神社総代、森棟保彦氏はじめ、日仏文化交流展を企画運営された長尾周二氏、矢野徹志氏、宮崎博子氏他、全ての方々に心より感謝申し上げます。

佐伯 弘

ワイワイにぎやか

2週間ぶりに、無農薬で何十年も農業をされている70才代のご夫婦が、朝9時からの治療に来られました。今度は、立派な竹竿(たけざお)と竹ボウキの様な枝付きの竹を持って来てくれました。

「先生、竹は切る時期があって、調べてから切ったけん。大丈夫じゃ・・・悪い時期に切ったら、すぐにボロボロになってしまうけんね。」

「あっそうですか、本当にありがとうございます。助かります・・・近々、また山に行って真砂土(まさど)をもらいますので、畑をちょっと大きくするつもりです。その時、使います。」

来月には、今の1.5倍くらいにするつもりです。きゅうりの成長期には、水が2倍くらい必要になりそうです。お風呂の水の有効活用+バケツ運搬筋トレで健康維持できそうです。野菜作り名人の奥さんが、

「この一番最初になっとるナスは、もうちょっと大きなったら、取るんよ。そうせんと、他のナスが大きならんけん・・・・この花の緑のめしべが出とろ・・・これが、出とるうちは、肥料をやる必要がないけん・・・元気ゆうことよ。」

「はい、分かりました。」

「このズッキーニ、土に埋もれて息苦しい・・・ちゅうて、言よらい・・・こやって、茎を出してあげたらええんよ・・・・このきゅうりは、風通しがようないけん、葉っぱ取ってあげたらええわい・・・枝松、ちっちゃいんが、いっぱいなっとるがね・・・・可愛い、可愛い。」

と、奥さんは葉っぱをなでなで。今度は、旦那さんが、

「先生、このトマト、きゅうりが絡(から)みつきよろう・・・いっその事、この枝付きの竹を前に立ててトマトを竹に絡(から)ませたらどうじゃろ?」

というアドバイスをいただいたので、早速作ってみました・・・確かに、すっかりしてきました。

こうやって、ど素人の家庭菜園がワイワイにぎやかになって来ています。楽しんでます(^^)