全身の骨は、3年で新しく生まれ変わる

全身の骨は、3年で新しい骨に生まれ変わる

医療関係者なら、「全身の骨は、3年で新しい骨に生まれ変わる」は、常識です。しかし、患者さんにこの事を言うと、「本当ですか⁉️」と、ビックリ顔をされます。

恐竜が発掘されるときは、骨の状態であったり、殺人事件で遺体が白骨化され発見されるので、骨をモノのように考えてしまうのかも知れません。

あるいは、歯は永久歯が抜けるもう二度と生えてこないので、骨=歯と勘違いしてしまうのかも知れません。

ところが、破骨細胞という血液の一種がホルモンの刺激を受けて、古い骨のカルシウムやコラーゲンを溶かします。その後、骨芽細胞が、新しいカルシウムとコラーゲンを塗って骨を強固にしてくれます。

まあ~~、実際に見たこともないので、解体屋さんと左官屋さんの関係として理解だけはしています。

ところが、人工骨を入れてしまうと、もう二度と再生はしません。入れ歯の様なものです。

というか、入れ歯のような感覚で、人工骨にしてしまっているのでしょうか?

骨は、表皮に覆われたカラダという水袋に浮いており、筋膜が骨を支えていると私は解釈しています。この筋膜がよじれ、もつれて骨を引っ張り変形させているのです。ですから、この筋膜をゆるめると、元に戻っていきます。

骨は、簡単に動きますよ~~❣️

木霊療法と、呼ばれた積み木(その7)

40年前、木霊療法と呼ばれた積み木(その7)

病院では、小さな机とイスを二階の踊り場に置き仕事場としました。机には、「操体法写真解説集」が置いてあるだけ。

早速、写真集を開いて勉強するも・・・よく分かりません・・・写真が多いのは、いいのですが、文字が小さくて読む気力が湧いてこない・・・でも、写真のモデルさんが可愛いい・・・身体運動の法則だけは、何とか・・・・そんな時、大学時代の親友の言葉が、浮かんできました。

「佐伯、あのよ~水曜日の夜、体操やってるから来ねえ?」

I氏(パリに拠点を置く山海塾のメンバーで、ソロの即興舞踊家)からの誘いの声。あれは、1983年大学院に籍を入れてブラブラしていた頃のことでした。

当時の筑波大学は、新治郡桜村というド田舎にポツンと、校舎と宿舎があるだけ。アルバイトは、新聞配達か、コメ担ぎ。

I氏は、東京の最新情報を、いち早く我々田舎者に伝えてくれました。

野口体操(野口三千三氏考案のカラダを水袋と想定した体操)、石井満隆氏から学んだ太極拳。これらの勉強会は、1~2年続いたように思います。文化的なものに飢えている田舎者の吸収力はかなりのものでした。

つまりは、操体法という素晴らしいものがあるらしいが、所詮、「絵に描いた餅」。

とりあえず、野口体操と太極拳だけは、教える事が出来そうだという、結論に達しました。

(つづく)

木霊療法、と呼ばれた積み木(その6)

40年前、木霊療法と呼ばれた積み木(その6)

本屋で何気なく手にした「からだの設計にミスはない」そのタイトルと、表紙の絵がとても気になり、そして、冒頭には、「日本は宝島」とあり、ピーンときました。

「私の治療法をね、橋本式だとか、私が開発したものだとか皆さんよくおっしゃいますが、これね、私が自分で発明したことなんか、なんにもありゃしない。全部、民間から頂戴したものです。」

これを読んだとき、正直な人だ!と益々興味深々。そして、

「日本にはまだいくらでも宝があるんだけれども、みんなそれを拾ってみがかないから、まるで宝のもちぐされだよって。」

当時、ニューヨークから帰って、日本の良さを感じており、神道の家に生れた自分を改めて考えるキッカケとなりました。

私が育った神社には、御神木があり砂利道の参道があり、小川が流れ、背景には鎮守の杜。

まさしく、癒しの場だったのです。ここまで書いて、改めて神社がもつ医療的な要素を考えています。

おっとと、話が外れてしまいました。とにかく、この「からだの設計にミスはない」との出会いで、操体法にのめり込む事となります。そして、次に買った本が「操体法写真解説集」。

この写真集を参考にしながら、独学で操体法を勉強し始めました。    (つづく)

御神木ウラジロガシの樹洞(ほら)エネルギー

御神木・ウラジロガシの樹洞(うろ)エネルギー

私が小学校5年生までは、茅葺きの社務所(我が家は、神社のため)で生活していました。

物心ついた頃は、確か7~8人の三世代家族で、ラジオを聴きながら夕食をしていました。

台所は土間で中央部には、おくどさん。山水を引いた流しと、その横には井戸がありました。

風呂は五右衛門風呂。下駄履きのまま、はだかで外に出て薪を一本焚(く)べてから、飛び込みます。

かなり、ワイルドな生活です。そのころ最高の遊びが、「ウラジロガシ探検」。

樹齢数百年のカシの樹には大きな樹洞(うろ)があり、樹のてっぺんまで上れます。

友達数人と、ワクワクしながら何度も何度も上るのです。

この時の原体験が、今に続いているようです。クスノキのイボイボ、樹洞(うろ)に触れると、あの当時の感触がよみがえってきます。そして、どこかで安心しているようです。

御神木のウラジロガシから頂いたエネルギーを、患者さんに治療を通してお返しいたいと思います。

積み木療法続報の続報

操体法の創始者、橋本敬三先生は、夏でも火鉢に鉄瓶を置き、お湯を沸かしておられたそうです。今年8月に仙台で行われた今昭宏先生、丸住和夫先生の懐古談でもよく話題となっていました。

火鉢には、木火土金水全てが存在し、宇宙の相似形が現れている・・・などと書くと、大げさですが・・・

確かに、木=炭、火=火、土=灰、金=鉄瓶、水=お湯があり、空間の中心となり、人々を引きつけるパワーを感じます。

それでは、治療手段に木火土金水を使うことは、可能でしょうか?

今回、クスノキによる積み木療法を行う事で、この五行(木火土金水)が揃いました。

木=クスノキ

火=お灸

土=アメジスト(紫水晶)のマット

金=鍼(はり)

水=氷水

最近の治療は、これらを併用し効果をあげています。

積み木療法続報

積み木療法続報

60才代の女性Bさん。2ヶ月ほど前、右O脚をややX脚にする手術を受け、先日来院。

右脛骨を切り、脛骨の角度を変える手術。

私は、整形手術に関する知識を持ち合わせていないので、これ以上のことは発言出来ませんが、手術そのものが大怪我です。

カラダのあちこちが反応します。2ヶ月経っても右脚は、やや紫色(特に、冷え込む時)。そして、右股関節に痛みがあります。

私の施術では、腹診を最初にします。

おへその周辺の圧痛点を見つけ、経絡の流れの滞りを探ります。Bさんは、肺経と腎経に滞りを感じるため、二の腕の下へクスノキの瘤(こぶ)を置き、気持ちいいポジションを取ってもらいます。

次に、親指と人差し指が伸びるようにクスノキの瘤を持っていただきます。

すると、肺経に相当するお腹の部分が、緩んでいます。

同様に腎経も緩みました。どうやら、クスノキパワーは本物のようです。Bさんの施術は冷えた足にお灸をたくさんすえて、終了。とにかく、大怪我のあとですから、無理せず徐々に回復をまちます。

半信半疑で始めた積み木療法。

改めて、自分自身に行ってみます。仰向けになって、腹診。脾経が滞っているので、クスノキの瘤の上にふくらはぎを置いて、ゆっくりします。

すると、ゲップが出る、出る・・・・やはり、お腹が緩みます。どうやら、私の治療に、木火土金水の東洋医学の素朴な形が見えてきました。次回、説明いたします。

積み木療法、実況中継。

以前にも報告した60才男性の積み木療法

スキーの時期になったため、体調を整えることに励むAさん。

ご自身のカラダから生じる感覚を、言語化することに長けています。今日は、クスノキの瘤(こぶ)に触れたり、木の重みに委ねたり、カラダの重みに委ねたり・・・

その都度、発する言葉を書きためてみました。

「私は、大きな木が好きだから、クスノキのご神木に抱きついたりするんだけど、こんなに瘤(こぶ)の重さ感じたり、触れたりしたことはないな~~」

「クスノキって、硬くなく、柔らかくもなく、重くもなく、軽くもなく・・・そして、この臭いがいいんだよね~」

「瘤(こぶ)のイボがいいんだよね~・・胃腸が動く。お腹が空いてきた!」

私は、Aさんの動きを見ながら、適当にクスノキの木っ端をベットに置いたり、Aさんのカラダに置いたり・・・適材適所に置かれると、思わぬ効果が生まれます。

仰向けのまま、股関節をカエルのように開脚しているところへ、やや重みのある木っ端を置きます。

「重みに任せると、じわ~と股関節が広がっていく。今度は、腸が広がり出した~~。自分で勝手に求めているから、無理がない。」

「呼吸するたび、目のウラの温度が上がっていく感じ。」

「この状態は、鍼をやった時に近い。眠っているのか、起きているのか・・・酒を飲まないのに、酔ってる感じ。」

枕の代わりに、クスノキの瘤(こぶ)を使うと、

「たまんね~~、首にくる。触ってる接点のところに・・・右足が開放されて、軽い。」

施術が終わり、着替えている時、

「先生、これって、結果的に調整されるんですね。イスにすわらなくても、ズボンがはけるもん。」

「先生、この顔見て、目の周りポッポッと赤ら顔でしょ?」

確かに、Aさんはお酒を飲んだように目の周りがピンク色でした*\(^o^)/*

次回は、どんな実況中継をしてくれるのか、今から楽しみです。

40年前、木霊療法と呼ばれた積み木(その5)

40年前、木霊療法と呼ばれた積み木(その5)

その当時、患者さんと医者やカウンセラーは、言葉によるコミュニケーションと、薬物治療がメインでした。もちろん、それにより退院でき、社会復帰出来る患者さんも数多くいました。

残念ながら私はそれらの手段を使う事が出来ません。

その為、院長は、私が好きなことをやる事で患者さんに刺激を与えることを、望んでいました。

当時、舞踏ダンサー石井満隆氏から、太極拳を習っていたので、「朝の体操」という時間割を提案しました。

その結果、職員会議が始まる1時間前に太極拳を含めた体操を週3回行う事になったのです。

この「朝の体操」は、回復期の患者さんにとって、一つの目標になっていた様に思います。

病院の敷地内に、20畳くらいの簡素な床張りのレクリエーションルームがありました。

そこが、私の活動の場となったのです。

喜太郎のシンセサイザーを使った「シルクロード」のテーマを流しながら、ワイワイとおしゃべり。

当時の患者さんの笑顔や笑いが思い出されます。

そんな時、ある一冊の本に出会いました。それが、橋本敬三著「からだの設計にミスはない」

-柏樹社- でした。                            (つづく)

40年前、木霊療法と呼ばれた積み木(その4)

40年前、木霊療法と呼ばれた積み木(その4)

女医さんが、顔を近づけて絵を覗きこむので、うっとうしいと感じながらも、ドンドン色を塗っていきました。

『アレ?、この人オレの事、患者さんだと思ってる!』

と感じるのに、少し時間がかかりました。

『まあ~~いいか、患者さんに成り切ろう!』と、普段通りに塗る私・・・もっとも、一番変な格好をしているのが私・・・誰だって、正真正銘の患者さんだと思います。

途中からは、女医さんを無視して2人で夢中になって塗っていきました。

その時の会話が、楽しかったのです。

「この靴もう少しピンク色が欲しいなあ~」

「そうやな~~」

「私なあ~、チェッカーズのフミヤが好きなねん!」

「フミヤのセンスは、抜群やねん!」

「へ~~!」

まあ~、たわいもない話です。いつの間にか、女医さんもいなくなり何となく色塗りが収まり始めた頃、

「もう、ええんちゃう?」

という彼女の一声で終了。

その日の症例検討のミーティングでは、職員全員と見学に来られた先生方が集合します。私も、変な格好をしていますが、職員なので参加します。とは言っても、端っこで先生方の意見を拝聴するだけです。そのため全員が集まったころ、最後にコッソリと、ナースステーションに入ります。

ドアを開けると、真っ先に目に入ったのは、あの女医さん。ドアと向かいのコーナーに立っておられました。目と目が合った瞬間、女医さんは一瞬目を疑う表情をするも、直ぐに全てを理解されたようでした。

『すみません、別にだますつもりではありませんでした・・・』とポツリ。  (つづく)

40年前、木霊療法と呼ばれた積み木(その3)

40年前、木霊療法と呼ばれた積み木(その3)

『何描いてるって言われても、色塗って楽しんでるだけなのに・・・』

積み木を積み上げている時もそうですが、特別な事を表現しようと思っている訳ではありません。楽しいからやっているのです。その結果、不思議なパワーを感じる作品が生まれる時があります。

表現の一つとして、このような方法もありだと思っています。また、芸術活動を治療として捉える場合、行為そのものを治療とみなし楽しみながら、閉ざされた自己を少しずつ開放していく事は、大切な事と考えます。

話は少しそれますが、20年近く前、知的障害者の施設で、絵画指導を数年したことがあります。10名くらい集めて、ワイワイ楽しくやるのですが、私は素材を提供するだけ。

後は、それぞれ好き勝手に描いたり、貼り付けたり。

集団生活していると、しっかりした規則があります。その規則の中で、自由に楽しめる時間と空間を無理なく提供することが仕事であると考えていました。

結果、凄い作品が湯水のごとく生まれました。生命の根源に触れた気がしたのです。

これらの作品に触れると、ただ「参った・・・ごめんなさい」と頭を垂れるだけでした。

おっと、話がそれ過ぎました。

スーツ姿の女医さんの見ているところで、私達は色塗り。

「別に、何を描いているって訳でも・・・・ただ、色塗って遊んでいます。」

「そうですか。」

「ハイそうです~~、楽しいで~~す。」

このような会話が、続いたように思います。                (つづく)