大先輩の命(めい)

私が高校1年時の3年生だったAさんは、野球部の大エース。私は、当時柔道部に所属してしていたため、一緒に練習をすることはなかったのですが・・・2学期から野球部に鞍替えしたため、間接的後輩となりました。それが縁となり、現在最もお付き合いをさせていただいている大先輩です。

野球部は、1月3日の12時から紅白対抗試合があり、私は参加します(多分、最高年齢)。その後、総会があり・・・・何と、その後高校の同窓会に17:00から参加するハードスケジュールが待っているのです。

「ほんなら、のボールのユニフォームで試合も総会も同窓会も参加せいや!」

「・・・・はっ?」

「目立ったらええんよ・・・その時、名刺渡したらよかろう?」

「・・・・うん・・・そうですね・・」

という命令をいただきました。大先輩の命を「かしこまりました!」というような硬派の高校ではないのですが・・・・・思案中・・・・どうしよう?

冬はウオーキングより四股

今日は、「冬の夜のウオーキングはおすすめしません」というYouTubeを作りました。その理由は、動画で説明しています。そして、おすすめしたのは、四股(しこ)です。そこで、四股の効能を下記にコピペしましたので、興味ある方は、ご覧ください。

『四股が腰痛に良い理由は、股関節の柔軟性のアップと体幹が強化されるからです。ここでは、それぞれについて分かりやすく解説します。

股関節の柔軟性がアップする

股を大きく開いて腰を沈み込ませる運動を腰割りといいます。腰割は四股のはじめに行う動作で、股関節の柔軟性アップが期待できるのです。

股関節の柔軟性がアップすると、骨盤の動きが良くなります。腰は骨盤と連動して動くもの。そのため、腰割りで股関節を柔軟にすると、結果的に腰痛も楽になるのです。

体幹が強化される

腰割りの際に、体を地面に向かって沈み込ませる動作は、太ももや臀部の筋力強化につながります。さらに、四股を踏むために片足を上げるため、一本の足で体を支えるための筋力やバランス感覚が養われるのです。

結果的に、四股が体幹の強化に役立ちます。体幹が強化されると、体の軸がブレにくくなることで、正しい姿勢をキープすることが可能。結果的に、姿勢の崩れによって起こる腰痛を予防できます。』

場所を取らず、どこでもできる四股は、日本が誇る素晴らしい健康法です!

日本人の姿勢

私が幼いころ、夜は、真っ暗闇。懐中電灯を持って買い物をすることもありました。麦わらで出来た買い物服を下げ、月明かりの中、ムササビが飛び交うこともありました。そんな時、恐る恐る歩くものです。夏ならば、草履(ぞうり)を履いて足の指先をセンサーにして歩いていました。昭和30年代のことです。もう少し時代を遡って江戸の初期・・・・

人々は、着物を羽織り腰には帯。提灯の灯りをたよりに、わら草履をはいて歩いていました。道は凸凹で水たまりや、馬糞、牛糞が落ちている道を、やはり恐る恐る歩いていたに違いありません。着物を着ているので、歩幅は狭く腰を落とした踵重心で、足の指先をセンサーにして歩いていました。これが、日本人の本来の歩き方です。

ところが、明治になり靴を履くことが普及し始まり、徐々に鋭い足先のセンサーを使わない生活へと移行しはじます。軍隊では、ヨーロッパの形式を学び歩行、戦術も靴を履いたものとなり、学校でもそれが普及しました。足を上げつま先を蹴った歩き方を幼い頃から学び、叩き込まれました。特に運動会ではそれが顕著でした(幸いにも、私が小学生のころは、裸足で走ることがまだ、普通でした)。

その結果、老人が転んで大腿骨を骨折し、歩けなくなり亡くなられるケースが増えてきました。これは靴文化の弊害です。靴を履いてつま先で地面を蹴ると必ず前屈みで重心が前になります。この状態で何かにつまずくと必ず転びます。足の指先は、手の指先と同様に非常に繊細なセンサーなのです。そのセンサーを働かせていないのですから、転び方も激しくなります。

愛媛県の松前町には、「おたたさん」という頭に魚の入ったオケを乗せて行商するご婦人がいました。彼女たちは、着物を着てアゴを少し上げ、頭の真ん中にある脳幹を背骨の延長線状の位置に起き、脳幹と背骨を縦一直線にして安定した姿勢をとっていたはずです。そこに重いものを乗せても重さを感じない道=経が出来ていたのです。それが神と繋がる「神経」だったに違いありません(大野朝行先生の著書からの引用です)。

今一度、日本人としての姿勢を正す時が来ているようです。

鍋パーティ


昨夜は、音楽バンドのメンバー合計5名で鍋を囲んでのパーティとなりました。えんちゃん(キーボード、ヴォーカル)がカキ、白魚、エビなどの海鮮物を買ってきて、野菜たっぷりの鍋を、あっという間に作ってくれました。美味しいのですが、1日1食に慣れた私のお腹には、ほんの少ししか入らないのです。リードギターのヨッシャーなどは、7~8杯は食べていたのに・・・・

和気あいあいで会話を楽しみ、尚かつ少食。美味しいビールとワインと日本酒、何という贅沢でしょう!それにしても、皆んなよく食べました。最後に玄米と大豆を鍋に入れて雑炊にしたのですが、残ったのはお茶碗一杯の雑炊だけ!これが今日の夕食となります。この雑炊と、朝から用意した具沢山の味噌汁(昆布、煮干し、干しレンコン、干しゴボウ、干し大根、干しピーマン、芽ヒジキ)に豆腐とモヤシを入れれば、夕食の完成です。

ムード歌謡

 

 

毎週1回、ムード歌謡のYouTubeをかける日があります。患者さんが私と同じ世代なので、昔話をしながら当時を振り返っているのです。これは、後ろ向きなイメージがあるのですが・・・・・ちょっと違うようです。より創造的で治療的効果があるようなのです。その記事の一部をコピペします。

『昔を懐かしむことは、実際に認知症の医療現場に「回想法」として取り入れられています。 回想法とは、 昔を思い出させる写真や音楽、食べ物などを用い、それを見たり聞いたりした認知症の高齢者が回想をすると同時に、医師や看護師らがそれを受け入れることで、認知症の高齢者の心理的な安定や生きがいの創造をサポートする方法です。

現在では、認知症を発症した人だけでなく、軽度認知症患者に行われたり、うつ病患者や終末期医療の現場などでも応用されています。また、回想法の応用として、同年代の仲間たちが集まって昔のことを語ることで、脳を活性化して認知症のリスク低減に役立てるという試みもあります。

実際、さまざまな研究から、昔を懐かしむことで脳の健康を維持し、認知症の進行を抑える効果があることがわかっています。

過去を振り返ることは、後ろ向きの行為どころか、むしろ未来の自分のプランニングに関連していることが、解剖学的にも明らかになっています。というのも、過去を振り返るときに使われる脳内のネットワークと、未来のプランニングをしているときに使われる脳内のネットワークは、かなり重複しているということがわかってきたのです。

具体的にいうと、過去の記憶を詳しく思い出そうとしているときには、脳のなかでも前頭葉、側頭葉領域、後部帯状回などの領域がよく働きます。こうした領域は、未来に起きるであろう出来事や将来の自分の姿を想像するときに働く領域と共通しているのです。』

とあるのです。昔を回想する同世代の患者さんが、当時の記憶を生き生きとリアルに表現してくれるのは、今に活かせると何処かで感じているからなのでしょう。

地下足袋

私の尊敬する大野朝行先生の「カタカムナの姿勢と動き」BAB JAPAN出版の一節に

『踵(きびす)と言う文字にも示されているように、重さはしっかりと踵(かかと)に掛けることがマノスベになるのです。』

マノスベとは、体で感受して、それに従った姿勢、動きのことです。

確かに、カラダの重さを掛けるところは踵(かかと、きびす)であると、漢字で示されているのです。これが二足歩行を余儀なくするようになった人間が、長年の経験から体得したキーワードなのです。私個人としては、長年の間、体重は母指球に掛けると学んでいたことが、音を立てて崩れていく一節でありましたが、納得できる一節でもあったのです。

180度、急回転することを、「踵を返す」といい、母指球を返すとはいいません。これは、踵が素早く無理なく回転できることを知っての言葉なのです。男性が立ち小便する時、踵重心になって副交感神経が優位になる姿勢を自然に作ります。これは、一つに一番油断した体勢のため、万が一敵が斬りつけて来た時、とっさに「踵を返す」ことができる姿勢を作っているとも考えられます。

着物を着てワラジ、下駄を履いていた日本人は、つま先を上げた踵重心の頭が上下することのない自然な姿勢で歩いていました。大腰筋という大きな筋肉を使い、無駄な動きのない効率の良い歩き方をしていたのです。

ところが、ズボンや靴を履く時代に日本もなってしまい、いつのまにか踵重心を忘れてしまった日本人・・・せめてもの抵抗として、私は地下足袋を履いて外出しています。

 

ご縁

(YouTube に使用した絵)

 

昨日は、私の69回目の誕生日。男性の患者さんと話していると、誕生日にいきつきました。

「えっっ、今日ですか?・・・・・孫が、今日2才の誕生日なんです。」

「ありゃ~、これは縁がありますね!」

というお縁、これからいい事が起こりそうです。そして、YouTubeも制作再開となりました。これからの1年が最後の60才代。悔いなくやってみようと思います。先日、リモートで参加した第11回YNSA全国大会の山本竜隆先生の基調講演「リトリート」→心身をリセットする行為、場所には、感銘を受けました。私の実家は東温市の山奥の神社です。神社そのものがリトリート。私がもっと治療の腕を上げて、実家周辺でリトリート出来るような場作りをしたいものです。これから、これから!

誕生日

 

今日は、私の69回目の誕生日。男性の患者さんと話していると、誕生日にいきつきました。

「えっっ、今日ですか?・・・・・孫が、今日2才の誕生日なんです。」

「ありゃ~、これは縁がありますね!」

という縁、これからいい事が起こりそうです。

医の中のカワズ

先日基調講演をされた山本竜隆先生の先生、アンドルー・ワイル氏の本「癒す心、治る力」は、現代医学の間違いをしっかりと諭す本です。ワイル氏は、世界各地をさまよい、治療の本質を突き詰めようとされています。その行動力、分析力は傑出しています。その中の一節を記載します。

『 ハーバード大学医学校時代、わたしたち学生にヒポクラテスのその言葉「まず、傷つけることなかれ」「自然治癒力を崇めよ」の真の意味を教えてくれた教師は1人もいなかったし、現在でも、医学校でそれを教える教師はほとんどいない。それこそが、現代医学の唯一最大の思想的欠陥である、とわたしにはは思われる。その欠陥は、はかり知れないほど大きな損失を招いている。なぜなら、だれもがかかりがちな多くの病気の、費用に対する効果の効率が最も良い解決法をみつけることができないのは、その結果のゆえだからである。』

『私のオフィスに来る、まあまあ健康、もしくはなんとなく具合が悪いという患者は、自分自身の健康に責任を持とうとする動機がきわめて高い。動機づけが高い患者とは話していてもこちらが楽しくなる。彼らは情報を欲しがり、それが得られると実行に移す。一般に、知的で教育程度も高いという、代替療法家をたずねる人たちにかんする国内外の調査結果と一致するタイプの人たちである。そのタイプには、現代医学による医療の結果、身体的、感情的、経済的に苦しんだ経験を持っている人が多い。その人たちがよく訴える不満はつぎのようなものである。

「医師は話を聞いてくれないし、質問にもちゃんと答えてくれない」

「医者はくすりをくれるだけだ。もうくすりは飲みたくない」

「これ以上できることはない、いわれた」

「悪くなる一方だといわれた」

「病気と共存するしかない、といわれた」

「あと半年のいのちといわれた」

とくに後半の四つのことば、はきわめて不穩当だと思われる。そこに人間の治る力にたいする深いペシミズムが反映されているからだ。最悪の場合、医師のこうした態度は、医療の「呪い」ともいうべき力を発揮することになる。恥知らずというほかない。』

考えさせられます。

山本竜隆先生の基調講演

先日の第11回YNSA 全国大会の基調講演が素晴らしかった(もちろん、発表された諸先生方の内容も素晴らしいものでした)。その基調講演をされたのが、山本竜隆先生です。

山本竜隆氏プロフィール

医師。医学博士。1966年生まれ。聖マリアンナ医科大学卒業、昭和大学大学院医学研究科修了。米国アリゾナ大学医学部統合医療プログラムAssociate Fellowをアジア人で初めて修了。現在は富士山麓に朝霞高原診療所を開設して、地域医療に当たるとともに、滞在型リトリート施設「日月倶楽部」「富士山静養園」を運営。昭和大学医学部客員教授、日本ホリスティック医学協会理事、日本リラクゼーション業協会顧問医師なども努める。

山本先生は、今年10月30日に「日本人のための新疎開のすすめ リトリート」という本を出版されました。現在の医療システムから離れて、自然の中で地域の文化、人々と共に自給自足ができるようなシステムを構築し、あらゆる療法を含めた統合医療を展開しようという提案です。ヨーロッパでは、その動きが進み、若手の医師が過疎の村を奪い合う程の勢いだそうです。日本では、いまだにコンクリートで作られた病院で、薬に頼った治療が行われていますが、柔軟な発想の医師が生まれて来ることを期待しています。