モモとクロロ

 

黒猫クロロが、少しずつ我が家に慣れてきました。もうケージに入れると事なく先住猫モモと同じ空間で棲み分けしています。クロロは好きな押し入れで、ゆっくり過ごしています。モモは、ネコタワーを占領しているので、今のところ立場上はモモが優位に立っています。しかし、時間の経過と共に、立場が逆転しそうです。モモの体重2.8kgに対してクロロ5kg、威風堂々のクロロは、モモの猫パンチを全く無視して、天井を見てゆったりしてます。モモの存在が眼中に無いかの如く振る舞っているため、モモはただオロオロするばかりです。

しばらくは、この棲み分けが続き徐々に距離が縮まってくると思います。クロロが優しく利口なため、喧嘩をすることはあまり無いと考えます・・・・多分、気がつくと立場が逆転しながらも良好な関係ができるのでは・・・・と、希望的観測をしています。

黒猫クロロが我が家に

本日は、黒猫クロロの受け取り日。約束の10時に里親さん宅に着くと、保護猫グループの方が2人来られていました。そして、色々と丁寧な説明を受けました。

「猫は、環境が変わると薄暗いところを好んで、しかも狭いとこに逃げます。ですから、ケージを覆(おお)う布をかけて、1面だけ見れるようにするといいです。」

確かに、メス猫モモが、逃げた場所が流し台の引き出しだったことを思い出しました。一日中探しても見つからず、何気なく引き出しを引くと、モモのお尻が出てきたのには、驚きました。今考えると、この猫の性質を知っていると、もっと早く引き出しからモモを見つけることが出来たかも知れません。

「それから、クロロは里親さんが大変可愛がってエサをあげたので、5kgになってしまいました。」

「えっっ、4kgから?・・・・ちょっとダイエットしますね。」

クロロは、現在布に覆われたケージの中のトイレに身を寄せて、水もチャルチュールも口にしません。ハンガーストライキの状態です。これで、少し痩せてくれることを願っています。私自身が「少食派」ですので、クロロにもそうなってもらいます。せめて4kgくらいには戻ってもらいます。

「それから、先住猫ちゃんを一番に考えてあげて下さい。それが最も大切です。」

2~3ヶ月もかけてやっと私と空間に慣れてきたモモに、ジェラシーを感じさせることだけは、しないように心がけます。とここまで書いたところ、モモがいつも以上に私のところへ来て甘えています。耳のいいモモは、クロロの小さな鳴き声を聞いてとなりの部屋に猫がいることをもうすでに、知っている様です。

ちょっとこれから、どんな展開になっていくのやら・・・ちょっと心配だし、楽しみです。

もっと自然にオープンに

患者さんのアドバイスで、待合室兼治療室の松板(まついた)壁面に子供達の幼い頃の写真を飾ったのは、本当によかったです。これを機に、治療の姿勢を変更しました。患者さんは籐(とう)の回転イスに座っていただき、私はそれより少し高いイスに掛けて治療をしていたのですが、今回から、私が床に座る事にしました。すると、壁に飾った子供達の顔が、私が患者さんの頭部に鍼を刺す時、壁に飾った子供達の顔が、しっかり見え応援してくれている様に思えるのです。

また、患者さんより目線が下の方が威圧的でなく、しかも従来のイス座りよりも下半身を安定させ丹田を使う武術をしている様になります。これは、意外な発見です。より一層、姿勢を意識して指針し、1本1本の威力を増していきたいと思います。

患者さんのアドバイスに耳を傾け、実行すると思わね展開もあります。例えば、フルスイングをしている私の写真から、私が松山東高等学校で野球部であったことが分かり、

「それじゃ、私の大先輩だ・・・私も松山東出身です!」

となり、今までの患者さん対鍼灸師という立場プラス松山東OB同士という関係も生まれて来ました。これは、「私とはこんな人間です」と、心を開いた結果の産物です。元々オープンな性格だったのが、コロナ禍で萎縮していたのかもしれません。もっと自然にオープンに!

インスタ映え

 

 

患者さんから、様々なことを学びます。

「先生、ダメよ!この写真(愛媛県立美術館での積み木作品)じゃ・・・・先生の人となりが出てない・・・もっと別の写真ないの?」

「あるけど・・・野球してるのとか・・・・」

「そういうのがいいの!」

ということで、大学時代のバッテイングフォームや子供の写真を合計6枚見てもらいました。

「すごくいいじゃないの!これをきれいに飾って、インスタ映えするように!今、30才代までの子は、インスタグラム。これで現実の世界から架空の世界に行きたがっているの・・・そして、面白い情報もここで見つけているの!ここ(あじさいの杜鍼灸院)は、木の壁がいいでしょう。どんどん発信しないと!・・・・口コミだけじゃ、時間がかかる。」

「それと、これ(畳に48個の硬球を並べている状態)は、絶対ダメ。本気すぎる・・・・服を見ようと高島屋に入った瞬間、店員がさっと来た時と同じなの・・・・私なら、距離を取ってスーッと出て行く。ベテランの店員は、お客様の様子をチラッと見ながら別の事をしているでしょう・・・あの感覚ね。」

「写真の撮り方は、余計な情報が入らない様にする。鍼を刺した状態を見せたいのなら、鍼だけに焦点が合うようにシミがあったら、シミを取ったりすれば、自然と目が鍼にいくでしょう。こういう事が大事なの。」

私は、ただただ呆然とするだけでした。なるほど・・・・インスタ映えとは、こういう事だったのです・・・ありがとうございました。

黒猫クロロ

朝10:00メス黒猫のクロロを、譲り受けるため、その里親さん宅に伺いました。方向音痴のため、早めに出発したのですが、カーナビの性能が良く、予定より20分も早く到着したので、玄関先に車を止めて書いています。ここは、閑静な住宅街、東京の世田谷のような雰囲気です・・・と書いたところで、里親さんを紹介して下さったNさんが丁度来られました。

2人でお宅に入り、クロロと対面しました。やはり黒猫は頭がいいようです。里親さん曰く、

「今日は、クロロがソワソワして落ち着かないのよ・・・分かっているみたい。」

黒光(くろびかり)の見事な毛並みで、右耳には避妊手術をした証拠の耳切りが入っていました。うちのモモは2.8kgですが、クロロは4kgですので2回り大きい感じです・・・・などと思っていると、もう1人保護猫のお世話をしている女性が来られました。その方曰く、

「もう10日ほど里親さんところに置いて、最終の検査(エイズなど)をしないといけないんです。」

となり、今日のクロロの引っ越しは10日延期になってしまいました・・・・残念。

ただ、クロロに近づき鼻を触らせてもらった感触と表情からは、私との相性は良さそうでした。問題はモモとの相性です。3人の保護猫専門家の方々の意見を伺うと、まず環境が変わり、世話人が変わり、見知らぬ猫がいるとなると、それだけでパニックになってしまうので、1つずつクリアして行く必要があるそうです。そのため、最初はケージに入れてその環境に慣れてもらい、エサをやる私にも慣れて来て、初めてモモと顔合わせをするのがいいそうです・・・・なるほど、いい勉強になりました。

後は、3人とも色々カラダの痛みがあるので、爪で治療点に押圧して、痛みを取ってあげると、皆さんビックリして非常に興味をもってくれました・・・・こういう時に、名刺を忘れる私でした・・・次回には、持って行くことにします。

白い肉球

可愛がっていたアメリカンショートヘアーのメス猫が、大好きな叔父さんの車音で、家に飛び出して正面衝突の即死。その日にお葬式をして、人間と同じようにお骨にして仏壇に置かれているそうです。40才代の女性患者Bさんの愛猫の1週間前の出来事です。一緒に飼っていた黒猫Kちゃんと大きなウサギMちゃん共にショックで、Kちゃんは全く元気がなく、Mちゃんに至っては、ストレスで自分の毛を食いちぎって大きなハゲが出来ているそうです。

Bさんも、事故の瞬間を目撃したため、ショックが大きくしばらく仕事にも行けない状態になりました。玄関前には、血痕が取れないで残り、毎日それを見るたび思い出してしまいます・・・そこで、治療の前にBさんの話をゆっくりと聞いてあげることにしました。色々聞いているうちに、女優の鈴木京香さんが、「徹子の部屋」でペットロスになった話をしていたのを思い出しました。三谷幸喜監督に、「ペットロスはペットを飼う事でしか治せない」と言われ、鈴木京香さんも再び犬を飼う事にし、ペットロスを克服したそうです。そこで、Bさんにも同じように猫を飼う事の提案をしました。

「実は明日、我が家に黒猫が引っ越しして来るのです。猫を飼っている方は、野良猫を保護して飼ってもらう人を探すグループの一員なので、保護猫の情報を持っていると思います。」

と言って、我が家のメス猫・モモの動画を見てもらいました。

「わっ、かわいい❤️・・・肉球が白い・・・・こんな肉球の子が欲しい。」

Bさんからポジティブな言葉が出て来ました。私が黒猫を飼う気になったのは、Bさんの亡くなった猫の相棒Kちゃんが、黒猫で頭が良くて目覚まし時計が鳴る5分前にジャンプしてBさんを起こすという話を伺ったからです。そして、オス猫チャルルの飼い主ご夫婦から、黒猫の情報をいただき明日早速ご対面。これも、何かの縁です。きっとBさんも、白い肉球のかわいいネコが見つかるはずです。

 

本日、ドラフト会議

 

今日は、ドラフト会議があった日。テレビを見ていると、巨人軍の原辰徳監督と、MCの中居正広さんのトークがありました。テレビ画面に映り出されている原辰徳監督は、普通のオッサンに見えます。しかし、ユニホームを着てバットを持った姿は、鬼の様でした。

私は、中途半端に野球をやっていた男です。テレビで放映されているようなドラフト会議にかかるのを夢見る訳でもなく・・・・・ただ、47年前の筑波大学という、ど田舎の寄宿舎生活に飽き飽きした男が、一所懸命になれるものを探した結果、野球をやるようになった・・・ただそれだけだったのです。とにかく、楽しかった・・・高校時代の野球練習には、楽しい思いはあまりありませんでした。やらされていたからなのでしょう。

筑波大学では、学業を終えて1~2時間ほどの時間を草野球の延長で楽しく練習するのですから、最高でした。しかも、センスのいい選手が多く、そこそこやっていれば、首都大学リーグの2部では優勝、1部では最下位の中途半端大学の典型でした。そんな折、東海大相模の原辰徳選手が父親の原貢監督と共に、東海大学に入って来て東海大学王国を作って行ったのです。

マスコミも動き、今まで神宮第二球場などを使用していた首都大学リーグが、プロ野球が使っている川崎球場を使用するようになったのです。これは、原辰徳選手のおかげなのです。そんな折、1部に残っていた筑波大学は東海大学と試合するこになったのです。当時3塁を守っていた私が、原辰徳選手のバッターボックスでの構えを見た時の衝撃・・・・・「お願いだから、ここには撃たんといてくれ!」・・・・怖かったのです。今でも、ありありと覚えています。

才能があって、日々努力している選手と、全てが中途半端な選手の違いを、まざまざと知った瞬間でした。テレビを見ながら鬼の様な原辰徳選手を、今でも鮮明に思い返すのでした。

メス猫モモの抜糸

メス猫・モモ再びH動物クリニックへ

ソケイ部ヘルニアと子宮摘出の大手術を9月8日に行い、2週間後の今日抜糸。この2週間、モモは猫タワーに上らず大人しく過ごしていました。ただ、襖(ふすま)は、バリバリと破壊し徐々にモモの前足が上に上がっています・・・・ただ、それ以外はカラダを休めるのが一番であると思っている様です。よく頑張っていました。にもかかわらず、看護師さんと私でモモを抑えて、先生がお腹の糸をハサミで切って行かれ、傷口をよく診て下さった結果、

「もう5日ほど、エリザベスはつけてください。傷口を舐めて傷口が広がる可能性があります・・・・エリザベスを取ってからも、2日間安静にしてください・・・ソケイ部のキズが完全に塞(ふさ)がるまで、まだ時間がかかります。」

確かに、これだけの大手術をして、再びヘルニアになってはいけません。慎重に対応する必要があります。エリザベスをしているモモは決して無理をしません。しかし問題は、外してからの2日間です・・・・この2日間はケージでゆっくりしてもらうことにします。そのため、モモが元の生活に戻るのが9月29日、1週間後となります。結局、手術から3週間も安静にする必要があったのです。猫の3週間は、人間だといくら位でしょう?猫が20才まで生きて、人間の100才と考えると単純に5倍。ということは、15週間=105日=3ヶ月半・・・長い!モモがんばれ❣️

彼岸花

今日は中秋の名月。夜晴れていれば、満月が拝めそうです。我が家の駐車場では、朝早くから一気に彼岸花が咲いています。昨日は、まだツボミだったのですが、夜水分を吸収して成長したのだと思います。温暖化で地球における気象変動が叫ばれていますが、9月23日の秋分の日には、彼岸花が満開になり、「暑さ寒さも彼岸まで」の体験が出来そうです。彼岸花に関して記事があったので記載します。

『日本には古来中国から稲作が伝来した時と同時に渡来したものと考えられています。有毒性である彼岸花は、その毒のある鱗茎によって土中などにいて作物を食害する小動物のネズミやモグラなどを寄り付かせない策として、畑の縁や土手などに植えたものと推測されています。モグラは本来肉食ですが、餌のミミズが毒のある彼岸花の鱗茎があるために、その地中には生息しないという理由から、彼岸花が生育する場所にはモグラは近づかないとされています。』

『鱗茎には澱粉が含まれているため、水溶性である有毒成分のアルカロイド系のリコリンは、水に長時間曝しておけば溶け出してしまい無毒となる為、戦時中の食糧難の時には貴重な非常食として用いられた記録があります。また、毒変じて薬となす、の通り彼岸花の鱗茎は生薬として用いられ「石蒜(せきさん)」と呼ばれて、利尿剤としてや痰を切る作用があるとされています。』

彼岸花の毒々しい赤色は、鱗茎=球根の毒を示唆するものであり、水に曝(さら)すと非常食や薬に変わるのですから、昔の人々の叡智を感じます。

60年も昔、小学校から帰宅中、友達と彼岸花を見つけては、石を投げ何本花を倒すか・・・・競って遊んでいました。

「金田は、こやって投げて・・・・・・今度は、杉浦・・・」

楽しい思い出です。

カレンダー作り

 

ちょっと早いのですが、来年のカレンダーを作り始めています。1~4月までの文字は描けました。12月まで描いて後から色塗りをする予定です。今回は、カレンダーを印刷会社で作ってもらい、赤字にならない程度で販売してみようと思っています(最も、印刷でどの程度費用がかかるのかにもよりますが・・・)。拾ってきた枝で描いた文字は、結構味がでます。

あじさいの杜鍼灸院という看板は、半紙にもう少し細い枝で描いたものです。そのため、大胆さよりも繊細さが優っているように思います。私は元々不器用で、工作が上手くありません。線も思ったところに描くことが出来ません。そのため、面白い線が生まれることがあります。細かい絵を描くことが出来ても、細かい作業(糸を結ぶ等)が苦手です。

芸術家・岡本太郎氏が、「芸術家は不器用でいいんだ、僕はボタンも上手く外せない。」とおっしゃっていたのを、心の拠り所としていたように思います。今では、この不器用な手が、鍼(はり)を持つと不器用ゆえにカラダ全身で刺すようになっているようです。これでいいのです。