一口

新年あけましておめでとうございます⛩

本年も、よろしくお願い申し上げます。

今年は、やりたいことが沢山あるのですが・・・言葉にしないで、ボチボチやって行こうと思います。筑波大ラグビー部、健闘空しく帝京大に敗れましたが、5点のワントライは素晴らしかった!一口と書いて、何と「いもあらい」と読む一口直貴選手(4年生)の得点です。一口選手は、兵庫県星陵高校出身ですが、京都に東一口という場所があり、京都で生活していると、時々出会う地名、「東一口」・・・懐かしく思ったのです。

『【一口(いもあらい)名前の由来】

古来から「ひとくち」「一口」「いもあらい」「芋洗」などと呼称・記されてきており、

それらが混合されて、「一口(いもあらい)」となったといわれる

<忌み祓い(いみはらい)>

巨椋池の西岸の湿地帯であったため、洪水が頻繁に起き、そのために疫病が流行った

その災いを身を清め払うという意味の「忌み祓い(いみはらい)」から「いもあらい」に訛ったものといわれる

<稲荷神社>

庖瘡平癒の神社として信仰を集めていた村の入口にあった神社

庖瘡(ほうそう)(天然痘)・痘痕(とうこん)のことを「イモ」とも称され、「アライ」とは、払う(治す)を意味することから

「いもあらい神社」と称されるようになったといわれる

<村への出入口>

村が、北・東・南の三方を巨椋池によって囲まれており、村への出入口は、西の一か所のみだったことから

「一口」と記されるようになったといわれる

「山城名勝志(1711年(皇紀2371)正徳元年)には、

三方が沼(巨椋池)であって、入口が、その地のみの一か所であったことから「一口」と書かれたと記されている

「山城国久世郡御牧郷村名宮寺初記(1828年(皇紀2488)文政11年)」の「両一口村名の初」の項には

「往古ハ両一口村淀魚の市ニ有りし時、三方ハぬまニて一方より入口あり、これに依り「ひとくち村」と記ス、

天正17年4月 太閤御城を築キたまう前ニ大地の高キ嶋え立のき、此時より西と東え別れ「西一口村」、「東一口村 」と申す也」と記されている』

と、インターネットでは出ていました。一口直貴選手は、この地名とゆかりがあるのではないかと、推測したのです。

さて、明日も楽しく仕事に励みます!

今日は大晦日

今日は大晦日。これから、正月3ケ日までは、フェイスブックをお休みします。ネコのモモちゃんと暮れから正月は一緒に生活します。いつもは、1階の鍼灸院で時間を過ごしているのですが、明日からの3日間は、2階で寝酒正月!

箱根駅伝、筑波大学対帝京大学の大学ラブビー準決勝!と、楽しみがあるのです。筑波大学のラグビーは、実に複雑。体育専門学群グループと、医学専門学群グループと、それ以外のグループに分かれているのです。この3つのグループの合同チームが筑波大ラグビー部なのです。ちなみに、昨年まで現役の日本代表だった福岡堅樹選手は、筑波大のそれ以外のグループからの招集でした。

3グループに分けざるを得なかった理由は、練習時間帯。勉学優先の筑波大は練習開始時間が、学群ごとに違うため、必然的にこのようになったようです。ちなみに、愛媛県のラグビー名門高校の新田高校監督は、筑波大のキャプテンで、日本代表にもなった亀岡先生です。「筑波大学ラグビー部の総会に出席しても、知らない部員がいた!」とおっしゃっておられました。その部員をまとめるのですから、亀岡先生のキャプテンシーは、凄かったと思います。

そんな苦労を跳ね除け、ベスト4まで残った筑波大の応援、よろしくお願いします!

父親の手のひら

地元に帰って開業し、7年目になります。今日は、故郷に帰って良かったと思える日でした。友人の紹介で70才代の女性患者Cさんが来院。鍼治療の経験もなく、「鍼は痛いけん、いや。」という方でした。

「ほやけど、そんなんでようここに来たね~。」

「・・・・まあ、そうですけど・・・・あの~、お父さんは久米中(学校)の校長先生を、されておられたでしょう?」

「ああああ、確か久米中が最後の中学校じゃった・・・かな?」

「私の妹の娘が久米中じゃって、それはそれは良い校長先生じゃいうて、おりました。」

「・・・・ああ、確かに花校長と言われて・・・・ある日、親父が忘れ物をしたので、それを届けに行っても、校長先生がおらず・・・・麦わら帽子をかぶって水撒(ま)いとる人んとこ行って、気づいたら、親父さんじゃった・・・・そんなことがありました。」

「偉いお人は、偉ぶらんけん。」

「・・・・今でも、清明会という親父の勉強会を続けてやっている先生のグループがあるというのは、聞いています。」

などと、ついつい親父さんのことを、偉ぶって言ってしまう私です・・・反省。

今でも親の後光に頼っている私ですが、本当に良い父親に育てていただいたと思います。

「何で、先生は鍼灸をしようと思われたんですか?」

「実は、私が小学生のころ、夕方になるといつも神経性胃炎になって腹痛を感じていたんです。それを親父さんが、指圧で治してくれていたんです。で、その感覚をカラダが覚えているので、親父さんにも、毎日指圧をやっていたんです・・・・そしたら、ひろむ(私の名)、指圧が上手いのう・・・と、褒めてもらい、指圧師だったら生活できると、子供心に思っていたんです。」

実際、我が家は祖父母から始まり、両親が学校の教員。こんな家系で商売は出来ない・・・先生しかなれんと子供心に感じていても、どこかに逃げ道が・・・・それは、指圧師か?・・・結局、指圧師も先生と呼ばれるんじゃけん、どうせ先生と呼ばれるんじゃったら、色々やって指圧師になったらええ・・・・そんな、人生計画をどこかでしていたようです。結局、鍼灸師になって先生と呼ばれ7年。もがきあがいても、父親の手のひらを一所懸命走っていただけだったようです・・・・・・ありがとう、父ちゃん!

初演奏

昨日、ギャラリーキャメルKというところで、あじさいクラブの初演奏を行いました。なぜ、初演奏というか・・・・それは、やっとメンバーが固定出来たからです。本格的に音楽をやっているのは、リードギターのヨッシャーのみ。ヨッシャーは、世界で5人しかいない寺内タケシさんの弟子の1人、ギター歴50年。ドラムはヨッシャーの奥さんヒラリ、ドラム歴3~4年。私は、楽譜読めず、ベース音を弾くことしか出来ない音楽歴1年。えんちゃんに至っては、キーボード歴半年、ボーカル歴半年(ボイストレーニングは数年しているようです・・)。

こんな60才以上の4人が9曲演奏・・・・ところが、ハプニングの連続。まず、100%間違うことがない「シェルブールの雨傘」で一瞬「空白」。何と、ベースの私が・・・・途中、開き直って修正。続いて、「マイウェイ」開き直ってベースは持ち直すも、ちょっと、ギクシャク。続いて加山雄三の「君といつまでも」私のセリフ「死ぬまで君を離さないぞ  いいだろう?」が受けすぎ・・・・リードギターが迷走で突っ走る・・・・これは、治らん・・・・覚悟を決めた頃、「転調から」とリードギターのヨッシャーの声、何とか調整し、終了・・・終わり良ければ、全て良し。

ここまでさらけ出すと開き直るもので、「スタンドバイミー」ベースの私が間違うと、台無しになるコンサート・・・『ベースで支えるぞ!』と意を決してスタート。ヨッシャーのボーカル調子良し!リードギターのアドリブ調子良し、えんちゃんのキーボードも良し・・・で乗り切りました。続いて「ホワイトクリスマス」「赤鼻のトナカイ」これは半年前から練習するも、まあまあの出来。

「Snow White」と「君に輝きを」は、ヨッシャーのオリジナルソング・・・突然、ヨッシャーが阪神大震災の話を始めます。当時、松下電器で営業マンをしていたヨッシャーは、真夜中まで働き、寝床について熟睡の最中、震度7(当時はそれ以上の計測が出来なかったようで、実際にはその倍近くあったようです)を体験。1~2m空中を飛び、その間に大きな真空管のテレビがヨッシャーの寝ていた頭の位置に落ち、ヨッシャーは、死ぬことを脱がれました・・・突然、涙ぐむヨッシャー、数人の同僚を無くしているはずです・・・この話は、酒の席で笑いながら聞くことがあっても、人前でしかもリアルに聞くのは初めてでした。

この話の後の演奏は、上手く行きました。最後はゆずの「栄光の架け橋」。終わり良ければ全て良しで演奏終了となりました。

年賀状投函!

恒例の年賀状、やっと投函できました。年に一度だけ美術家として干支の動物を描いています。私の日常は治療家。本当に幸せな人生を過ごせています。

明日は、ギャラリーキャメルKというところで、13:00から、9曲演奏してその後、山元式新頭鍼療法(YNSA)を紹介することになりました。初めての試みですが、普段の治療を見ていただき、その説明を分かりやすくしてみたいと思います。

明日、早めに起きて朝練しましょう!楽しみです。

おやすみなさーい

それにしても、風邪はしつこい。カラダは軽くなって動けるのに、ノドがブレーキをかけています。ノドは喋ったり、食べたり、飲んだり、息をしたりと生きるための基礎を築いているところ。そこが、しっくりこないとサイドブレーキをかけたまま動いている自動車のようです。

あまりにも、元気だった17年間のつけが、しっかり回ってきています。弱者の視点を今一度、体感しています。もうこれから、ワインを飲んで寝ます。おやすみなさーい!

風邪から何日?

 

風邪から何日?

もう風邪をひいてから、よく分からないくらい日が経った様に思います。日に日に良くなり、ノドの奥が少しイガライくらいとなりました。17年間も風邪を引いていなかったという無意識の上から目線が無くなったことは、良かったです。今回の風邪で患者さんの目線を思い知ることが出来ました。「来年こそ、もっと患者さん目線!」が目標です。

それから、改めて風邪のメカニズムを知る必要があります。以下の通りです。

健康な人間の腸内は、有益な菌、有害な菌含めて存在し、微生物のバランスが保たれています。しかし、そのバランスが崩れて腸内環境が悪化するとウィルスの増殖が盛んになり、血液中に入っていくのです。

血流に乗ったウィルスは、喉の粘膜など弱っているところに炎症を起こします。私たちはその症状のことを風邪と呼んでいるのです。体質を正常に戻すには、腸内細菌を正常化することです。動物性タンパク質食品や三白食品をやめ、玄米菜食に切り替え、特に酵素を十分に補給して腸内乳酸菌の増殖を図ります。

このことを、身をもって知りました。市売の弁当など絶対買うことがない私ですが、知人の奢りでつい食べてしまったのが・・・・・原因。腸内バランスが崩れて一気に風邪で寝込むことになったのです。この1週間、毎日10時間以上の睡眠をとりました。それくらいの浄化期間が必要で、しかも、断食をすることでより浄化され、解毒されるのです。

残念ながら多くの方々は、このことに理解を示しません。「風邪を引いたら、沢山食べて栄養をつけよう!」という考えの方が多いようです。風邪を引いたということは、カラダ全体がバランスを崩して弱っているのですから、休むしかないのです。しっかり休む機会をいただいたと考えるべきです。

私の母親は元気なので、寝込んだことがありません。父親は67才で亡くなりましたが、風邪を引くとただひたすら布団で寝ていました。その影響なのか、風邪を引いたら良く食べるという発想は生まれて来ませんでした。「風邪を引いたら栄養を取ろう」と思っておられる方々は、ご両親からその言葉を受け継いているのでは・・・・と思います。高度成長期の西欧化真っ只中の悪しき風習です。玄米菜食の日本食がこれからのキーワードです。

風邪5日目

 

風邪5日目

昨日、カリンを焼酎につけて冷暗所に置きました。1年以上漬けてノド薬になるようです。長年風邪をひいていなかったという、自信が崩れ落ちたので、しっかりノド薬を作ることに励みます。最も、漬けてからは置いておくだけなので、楽ちんです。私の周辺でも風邪気味の方が多いようです。今日はお蕎麦とネギタップリの味噌汁で済まします。とにかく、睡眠を多く取ることです。

夜の患者さんがお二人19:30から来られますが、治療後は直ぐに寝ます。

風邪3日目

 

風邪3日目、8割方回復しました。とにかく、食べないことの大切さを実感します。極力内臓を休ませて、血液をきれいにすることです。午後、緑茶に酵素をたっぷり入れ飲んだのが美味しく、効いた気がします。夕食は黒豆入りの味噌入り玄米粥(げんまいがゆ)とぬか床たっぷりのカブの漬物で、元気になりました。

これが本当のお薬です。

風邪2日目

風邪ひき2日目、野口晴哉先生(野口整体の創始者)のような達人は、1日で風邪を退治するそうですが・・・・私のような凡人には無理でした。そこで、森下敬一先生の名著「血液をきれいにして病気を防ぐ、治す」の風邪を治すの一節を再び引用します。

1)身体を温めるため、くず湯(本くず粉で作ったもの)を摂る

2)整腸のためクコ、カンゾウ、ヨモギの薬草茶を飲む

3)咳止めのために、黒豆、ヨモギを煎じて飲む

4)水分排出と粘膜強化のため、焼き味噌と刻みネギに熱湯を注いで飲む

5)呼吸器系等強化のため、レンコンのすりおろし汁を飲む

今回は、上記のうち1)、4)、5)にトライしました。1)のくず湯にはテンサイ糖ときな粉を入れて飲みやすくしました。美味しかったので、また作って飲んでみようと思います。4)の焼き味噌ですが、刻みネギを入れて飲むと、普通の味噌汁でした・・・・なぜ焼くのか?がよく分かりませんでした。5)レンコンを中途半端にすりおろしたため、量が少なく、食べてしまいました・・・再度挑戦する必要がありそうです。黒豆に関しては、玄米と一緒に炊いているので夕食でしっかり食べようと思います。

薬など一切使わないで、自然の食材だけで風邪を治すことが最も質の高い治療法です。

そこで、40年ほど前、ニューヨークにいる時のことを思い出しました。ある女性が風邪をひいた時、「私はレンコンを食べたのよ!」と得意げ言っていました。当時は、「それがどうしたの?日本にはレンコンなんてどこで買えるよ。」と心の中でつぶやいたものでした。

当時のニューヨークは桜沢如一氏のマクロヴィオテックの思想が流行っていたので、インテリの間では、薬に頼らない治療がすでに浸透していたのだと思います。当時の私には見抜けていなかったようです。今になってやっと分かり始めました。40年ほど前の女性に、これから追いつけです!