BURT’S BEES

「先生、ノミに咬(か)まれて、痒くないですか?」

「だいぶ良くなってきたけど・・・・まだ、ちょっと痒いことは痒い・・・」

「そしたら、これがいいですよ。」

と、患者さんから紹介されたのが「BURT’S BEES」。これは、アメリカで口コミから普及した塗り薬です。下記に「BURT’S BEES」に関する説明書を記載します。

『使用している成分は、植物や花からの抽出物、塩などのミネラル、蜂蜜や蜜蝋など、天然のものがほとんどで、自然界に存在しない合成化学物などは可能な限り使用していません。

製造工程においても、加水分解や水素化、エステル化など自然なプロセスを採用、環境や人体に悪影響のある自然でない工程はないのだそう。

詳細な使用・未使用成分や工程はバーツビーのウエブサイトに記載され、誰でも閲覧できます。

実は化粧品業界において、「ナチュラル」に関する基準はまだ確立されていません。

だからバーツビーズでは自らナチュラルの基準を以下のように明示しています。

95%以上天然成分で作られていること

人間の健康に危険である可能性のあるものは一切使用していないこと

天然成分の効果や純度を著しく変えてしまう製造工程は採用していないこと

ブランド名の由来は、バートさんという蜂蜜屋さんと協力して蜜蝋から作ったキャンドルを販売したのが起源であることから、「バートさんちの蜂」と名づけたそう。

1984年にメイン州の小さな蜂蜜屋さんが作ったキャンドルが、口コミで全米に広がり、次第に石鹸や香水、そしてバーツビーズの代表商品であるリップバームへと商品の幅も広がっていったのだとか。

本当に良いものは口コミで広まっていくものなのですね。』

このように限りなく天然に近づく塗り薬が一般に普及する背景には、アメリカの医療費高騰という経済的理由があるように思います。医療に関して訴訟が多く、医療従事者の責任分業化のため職種が多くなり人件費が上がるようです。保険料に関しての記事があったので記載します。

『●診療費は病院や保険会社との交渉で決まる!

保険料は、基本的に医療機関と保険会社の交渉によって決定します。

たとえば昨年の検査時、胃カメラや麻酔薬も医療保険で全額支払われたが、今年は半額しか支払われず残りは自費になる、といった事象も頻繁に発生します。

自己負担額に不満がある場合はクレームも可能で、受け入れられれば医療費が減額になることもあります。

アメリカの医療費が日本より高い理由は、医療保険の仕組みと医療システム

アメリカの医療保険は、保険料により受けられるサービスが異なります。

保険料が高いほど、より良い医療を受けられ、病気やけがなどの受診時は負担を軽くできます。

つまり、より良い医療、病院への支払いを少額にするには普段から高い掛け金を払う必要があります。

医療を受ける上での人件費は日本よりも高い傾向にあり、サービスに対する対価に関しても患者側から不服を申し立てることができます。

そのため、医療費が高騰し、また医療保険会社が民間経営のため、掛け金も高くなります。

アメリカにおいて、医療はビジネスとしての要素が大きい印象です。』

アメリカで高額医療費を払えない人々が、出来るだけ天然材料のカラダに優しい薬や療法にシフトを変えて行くのは、自然な流れだと思います。

最も降水量の少ない県は?

「50年に1度の豪雨」と毎年耳にしますが、「その地域にとって50年に1度」という意味だそうです。しかし、最近では同じ地域で連続して豪雨に見舞われているような気がします。これは温暖化の影響なのでしょうか・・・・専門家ではないので、よく分かりません。2018年の調査で、最も晴れの日が多い県を示していました。

第1位:香川県
第2位:愛媛県
第2位:徳島県
第4位:高知県

何と、四国4県が上位独占でした。ところが、降水量が最も多い県は、

第1位:高知県
第2位:鹿児島県
第3位:宮崎県

高知県は、晴れの日が多いのに、一旦雨が降ると豪雨(台風の通路)になることが、よく分かります。
降水量が最も少ない県は、

第1位:長野県
第2位:香川県
第3位:岡山県

最近豪雨に見舞われている長野県が降水量が最も少ないのは意外でした。長野県の北部や中部の盆地は、雨の少ない地域。理由は、この地域が海から遠く離れて、周囲を山脈に囲まれているため、台風、低気圧、前線などの影響を比較的受けにくいからだそうです。

四国には石鎚山、剣山という高い山脈があるため、高知県で雨を降らし香川県や岡山県に雨をもたらさない様になっています。私の住んでいる愛媛県、降水量の順位は15位。これは、高知県に近い南予地方に雨が多いからで、中予(松山市周辺)、東予(新居浜市、四国中央市周辺)は、香川県並みの降水量のはずです。

不謹慎かも知れませが、今後仮にこのような豪雨が、毎年全国で続くようだと、どの地域が最も安全に住めるのか、真剣に考える人が増えてくると思います・・・・生き延びるため・・・・

レジージャクソン(その2)

2000年にペンシルベニア州のステートカレッジという街に住んでいる時のことです。そこで日本人の奥さんを持ったアメリカ人と親しくなりました。彼のお祖父さん(あるいは曾祖父さん)は、野球のメジャーリーグ選手で、最初のワールドシリーズで、5試合投げ3試合勝利した選手でした。調べてみると、デイーコン・フィリップという投手で、サイ・ヤングにも初戦では投げ勝っています。そんな野球一家なので、彼のお父さんは、メジャーリーグでキャッチャーをし、引退してからは、高校の野球選手の指導をしていました。その中に、何とあのレジージャクソンがいたのです。

「ええええ・・・あのレジージャクソンを指導したんですか!私は、レジージャクソンの大ファンなんです。どんな選手でした?」

「やはり、才能があった・・・・いい奴で、初めてメジャーリーグで試合に出ることになった時、チケットを送ってくれたんだ。」

と懐かしそうに語ってくれました。
それにしても、広い広いアメリカ大陸でレジージャクソンの指導者に会うことが出来るなんてと思っていると・・・・いつの間にか、アメリカ大陸で離婚にはめられ・・・

「アメリカの女は、気をつけろ。徹底的に戦ってくるから・・・」

と、お父さんには、色々相談に乗っていただきました。本当にありがとうございました。

レジージャクソン(その1)

大谷翔平選手が39本のホームランを打ちました。エンジェルスの歴史で39本のホームランを打ったのは、ニューヨークヤンキースで活躍したミスター・アクトーバと呼ばれたレジージャクソン以来だそうです。レジージャクソンは私が20代にニューヨークにいた時のヒーロー。当時家賃が225ドルの安いアパートに住んでいると、同じ専門学校の同級生からの電話がありました。

「ヒロム(私の名前)、テレビが歩道に置いてある。映るかもしれないので、運んでみようか?」

私がテレビを持っていないのを知っていたので、わざわざ教えてくれたのです。2人で真空管仕込みの重いテレビを、3階のアパートまで運び、スイッチをつけると白黒の画面が浮かび上がりました。これで、大好きなニューヨークヤンキースの試合が見れるようになったのです。友人のTさんに大感謝です。それからは、ヤンキースの試合を毎日見る日々。レジージャクソンの豪快なスイングに魅了されっぱなしでした。私にとって野球のヒーローは長嶋茂雄選手、その次のヒーローがレジージャクソンでした。そんなある日、やはりヤンキースの試合を見ているうちにだんだん画面が狭まってきました。

「あれ?どうしたんじゃろ・・・・・」

などと、思っているうちにもう少し縮まってきました・・・・そして、一本の線になったとおもったら、スーっと線が消え暗い画面となり・・・・ただの箱になってしまいました・・おしまい。

(次回はレジージャクソンの話その2となります)

ノミの本治療

 

女性患者Aさんの弟さんが、獣医師をされているので、猫のノミに関して貴重な情報をいただきました。現在私が行っているニームオイルによる「ネコのノミ退治」は、本治療ではなく、対処療法だとのことです・・・・もうこの時点で、本治療にシフトを変えている軟弱な私であります。

「先生、ノミを取ったらノミをつぶすでしょう⁉︎」

「もちろん、そうします。」

「ノミをつぶすと、卵がお腹から出るので、卵を拡散することになるんです。」

「えっ・・・・‼︎」

とまたもや貴重な情報をいただきました・・・・これは、怖い。そこでAさんに勧められた薬をメス猫モモの後頭部につける本治療を行いました。この動物用医薬品は、「アドバンテージ+プラス」これは、ノミ成虫駆除剤と昆虫成長阻害剤の2つの効果で、ノミの成虫を駆除し、しかも周辺環境および猫の体表面のノミの繁殖も抑えることで、猫へのノミ成虫寄生予防効果をもった画期的な滴下式ノミ駆除剤だそうです。

これと併用して、ニームオイルの薄め液の噴霧と、最近購入したコードレス掃除機での掃除を行います・・・・それにしても、手足の痒さは、一向に引きません・・・・

ニームオイルの続き

 

「先生、お薬の紹介ありがとうございました。」

「・・・・・・ああ、ニームオイルですね。」

「匂いもハーブらしくて、好きですね。あれは効くと思います。」

と私が紹介したニームオイルを早速購入されたようです。ニームというインド原産の樹木のオイルは、何千年もの間、伝承されたオイル。植物の消毒、害虫駆除に効果があります。このオイルを100倍くらい薄め、部屋中に噴霧しています。ノミ退治のためですが・・・・まだ、効果があるかどうか分かりません。はっきり言えるのは、相変わらずノミに噛まれ続けている事実がある事です。

1か月続けて噴霧しても、ノミに噛まれ続けたならば、次の手段に移ります。

写真は、猫タワーのアップ。赤い斑点はノミの糞だそうです。血を吸っているので、ニームオイル入りの水に反応して赤色になるそうです。

岡田茂雄監督

昨日は、愛媛代表の新田高校が夏の甲子園大会初出場で、初勝利!

1990年春の選抜高校野球で、2度のサヨナラホームランを記録し、準優勝をした同校は、「ミラクル新田」と呼ばれました。あれから、31年・・・・新田高校、よく我慢しました!

新田高校の野球部員は、「あじさいの杜鍼灸院」に患者さんとして来られることもあります。監督の岡田先生も来られたり、何かと縁があるのです。

愛媛には、古豪と呼ばれる松山商業、今治西、西条、宇和島東などの公立高校と新鋭の済美、聖カタリナ、松山聖陵、帝京第五などの私立高校が台頭してきた中、古豪の私立新田高校が地元の球児を鍛え上げて、ここまでやって来られたことに、敬意を表します。

岡田茂雄先生は、筋骨隆々のイケメンです。是非とも応援よろしくお願いします!

新田高校野球部から松山大学野球部を経て、母校新田高校の教師となられ、溢れる新田愛、愛媛愛で野球愛。

岡田茂雄の茂雄は、ミスタープロ野球「長嶋茂雄」と同じ名。ご両親の野球愛があっての命名です。新田高校の岡田「茂雄」監督改めて宜しくお願い致します。

栄冠は君に輝く

昨年の前期NHK連続テレビ小説「エール」で「栄冠は君に輝く」を熱唱した山崎育三郎氏が、再び甲子園で熱唱。しかも、普段は余り聞くことのない、2、3番の歌詞まで丁寧に歌ってくれました。私が高校3年の野球部夏合宿には、ミーティングの後、必ず全員でこの曲を歌い必勝を祈願していました。

当時のメンバーが送ってくれた貴重な写真があるので、載せてみます。17才の夏・・・・

この「栄冠は君輝く」には、エピソードがありますので、「エール」を見続けた視聴者として、改めてここに、記載します。

『1948年に学制の改定に伴い、それまでの「全国中等学校優勝野球大会」が「全国高等学校野球選手権大会」に改称する事になったことにあわせ、更にこの年の大会が第1回大会から数えて30回目の節目の大会であったことから主催者である朝日新聞社が新しい大会歌として全国から詞の応募を募った。応募総数5,252編中から、最優秀作品に選ばれたのが加賀の詞であった。

当初作詞者は加賀道子(本名は旧姓高橋道子、結婚後は中村道子。松江安見の大姪)名義となっていたが、これはプロの文筆家で地元・石川で執筆活動をしていた加賀(当時の本名:中村義雄)が、周囲から懸賞金(大賞賞金は5万円で、当時の公務員の平均給与の10倍以上であった)目当てと思われるのを嫌い、婚約者の名を使って筆名「加賀道子」で応募したためであり、第50回記念大会(1968年)を機に加賀夫妻が作詞の真相を語り「加賀大介作詞」と改められた。その頃、本名も中村義雄からペンネームの1つであった「加賀大介」に改名している。

加賀は野球球児であったが、試合中の怪我による骨髄炎のために右足切断を余儀無くされ、野球を断念した経緯がある。この詞には、野球に対する加賀の熱い想いが強く込められている。

創唱歌手(発表当時のオリジナル)は、当時の名流行歌手である伊藤久男である。ちなみに伊藤は当歌の作曲者である古関裕而とは戦前からの深い付き合いである同郷(福島県)の友人同士であり、戦前から歌謡曲・軍歌・戦時歌謡においても名タッグとして活躍していた関係を持つ(2人の代表作は『イヨマンテの夜』、『暁に祈る』など)。

晝間(ひるま)先生

 

今日は長崎に原爆投下があった日。

長崎の平和祈念像は、北村西望先生が制作されました。北村西望先生の弟子である晝間弘(ひるまひろし)先生は、あの祈念像の下半身を制作されました。私は、大学で晝間先生から彫刻を習った学生です。決して弟子とは言えません・・・立体的なセンスがないにも関わらず、彫刻を専攻したのは、失敗だったかも知れません。晝間先生からは、全く期待をしてもらっていないのは分かっていました。

それでも、彫刻を選んだのは、晝間先生のお人柄でした。東京の柴又生まれの「江戸っ子」先生は、

「君の足(制作している粘土像の足)は、しろいね!」

「・・・・はっ?粘土の色は、粘土色で、全然白くない・・・先生、何言うとるんじゃろ?」

「・・・・ああああ、先生は、江戸っ子じゃ・・・「し」と「ひ」が一緒なんじゃ!」

という間があき、やっと私が作っていた粘土像の足が「ひ」ろすぎたのを理解出来ました。ですから、「ひるまひろし」という先生のお名前は、「しるましろし」と表現されるのです。四国の山奥生まれの私にとって、東京の下町、柴又の別文化はとっても魅力的でした。それ以上に先生の気さくで正直なお人柄に引かれていったのです。

ニューヨークに行く体験から、石と鉄の西洋文化と一線を画す自分を見出したのは、不得意な彫刻を専攻したおかげです。私には立体的でない平面の世界が合ってる・・・多分、書道。

って閃(ひらめ)きました。帰国して見つけたのは、「積み木」。原木の輪切りをただ積み上げる作品。書道のように一瞬でバランスの良い作品ができる・・・立体的書道だったのです。

この作品だけは、今だに自信があります。この作品は治療法としても可能性を持っています。いずれ又・・・・・

親孝行

実家に帰り、母親に初めて治療をしました。何一つ親孝行をしていない私。89才になる母親に感謝を込めて治療をしました。最初は「鍼は痛いけん、いやよ。」と言っていた母親も、治療点に置鍼すると診断点の痛みがなくなるので、興味を持ってくれたようです。

頭に6本の置鍼をし、張りを感じつつも気持ち良さがあったようです。今後も実家での治療を続けてみようと思います。これから、やっと親孝行をします。これから、これから・・・

写真は、実家の社務所にある池。