近藤等則さん逝く

即興トランペッター、近藤等則さんが71才で亡くなりました。1980年にニューヨークのブルックリンミュージアムアートスクールに通っていたころ、

「近藤等則さんって、知ってる?あなた、愛媛出身でしょ・・・あなたに、似てるのよ。」

などと言われていた時がありました。ニューヨークにいる頃は、近藤等則さんのウワサ話をあちこちで聞いていたのですが、一度もお会いする事なく時は過ぎ、つくば市の大学横にある、ライブハウス「アクアク」での演奏で初めてお会いできました。その颯爽(さっそう)とした、そして挑発的なライブに一気引き込まれました。

「すっごい、男前(イケメンという言葉は、まだありませんでした)!オレなんかと、全然似てない。」

と思ったものです。打ち上げの時も、仲間と共に近藤さんを囲んで楽しく過ごしました。あの時、一つだけお伺いする事が出来なかった事があったのが、今となっては・・・・・まあ~いい思い出です。

青春の1ページを飾っていただいたヒーローが、また1人この世を去って行かれました・・・・

心よりご冥福をお祈りいたします。

日本の住まいの成り立ち

NPO日本民家再生協会の連続講座「日本の住まいの成り立ち」というリモート講座に参加しました。講師は、筑波大学名誉教授の安藤邦廣先生。安藤先生は日本民家研究の第一人者です。手前味噌になりますが、1999年12月15日にテレビ東京が、「マギーさんちの茅葺き大作戦」というドキュメンタリー番組があったのです。その旦那さん役が私でありまして・・・・間抜けな旦那を演じておりました。

それは、イギリスのロジャーエバンスさんという茅葺き職人を呼び、イギリス式の茅葺きを我が家(京都府美山町)で行うという企画でした。その間に日本の茅葺き職人さんにワークショップとして参加していただくこともしました。安藤先生には、わざわざ美山町の我が家に来ていただき様々なアドバイスをいただきました。それからのご縁で、今度は、愛媛の実家の茅葺き家も見ていただきました。

その安藤先生が、これから6回に分けて「日本の住まいの成り立ち」を紹介してくださいます。今回は、旧満洲、韓国の住居を徹底分析することで、日本民家の位置づけが明確になってくるように思います。これは、面白いです・・・・次回が楽しみです。

肥料

患者さんから頂いた「スナップえんどう」を畑ではなく、プランターで栽培することにしました。ゴーヤを植えていたプランターには、ゴーヤの根がたくさん残っていたので、心配していたのです。ところが、その根が肥料になるそうなのです。これで以前に、その患者さんから頂いた「大麦」の役割が分かりました。

「これ(大麦)をまくとええよ。」

と言われて、訳がわからないまま芽が出てくるのを眺(なが)めていたのですが・・・この大麦がしっかりと根を張ってくれます。もちろん、これからドンドン空を向いて穂をつけようと大麦が成長します。その途中をちぎって土に返すと肥料になります。つまり、根も葉っぱも肥料になり、畑を豊かにするのです。

大麦は土作りに良いようです。

ボーっと大麦の成長をみていると、勢いが目に焼きつきます。これが土に還元するのだと思います。さてさて、これから畑がどうなっていくのやら・・・・楽しみです。

日照時間(*゚▽゚*)

これから冬至にむかって太陽が南に沈み、影が長く北側を覆(おお)います。駐車場に作った畑は、3階建ての小さなビルの北側に位置しています。そのため、午前8時頃から日が当たらなくなります・・・・・頭の上を太陽が移動していた夏は、そこそこ日当たりが良かったのですが・・・・・

そこで、作戦を変更する事にします。野菜の日照条件をインターネットで調べてみると、

陽性植物→1日中直射日光が当たるところを好み、日陰では育ちません。トマト、ナスなど

半陰性植物→半日(3~4時間)くらいのは直射日光が当たるところを好み、木漏れ日が1日中あれば、育ちます。

陰性植物→直射日光の当たらない半日陰から日陰を好み、1~2時間の日照でも育ちます。

そこで、ビルに近いところには、陰性植物のシソ、ミョウガ、フキ、ニラ(幸い、これらは栽培しています)、増やす事にします。ビルから少し離れた駐車場の一角にもう1つ小さな畑を作る事にしました。ここだと、3~4時間の日照時間を確保できそうです。ここを、夏場は陽性植物、冬場を半陰性植物の栽培場にできそうです。半陰性植物は、ホウレンソウ、コマツナ、カブ、春菊、ネギ。

早速、高校の同級生で、患者さんでもあるAさんから頂いたヤマモモとサクラの木で、畑のワクだけは作りました。1~2週間で真砂土が入る予定です。鍋料理の材料を確保したいものです❣️

1才になるかならないかのオス猫のチャルルは、我が家を別荘として悠々(ゆうゆう)と過ごして、2日目です。我が家が前回と少し違ったのは、2本の物干し竿に吊り下げた服の数です。となりの部屋に吊り下げていた服を全てもってきたのです。そのため、この畳部屋は大きなクロゼットともいえるでしょう。

チャルルが最も好きな場所が、部屋の隅(すみ)にある大きな戸棚の天辺。そこから見渡す風景には、私はいなくてたくさんの服が雲海(うんかい)のようになっているはずです。多分気持ちいいはず。私は普段、畳部屋(小さなビルの2階)にはおらず、1階の治療室にいるため、チャルルが部屋の王様。私がたまに帰って来て、白衣を物干し竿に掛けます。掛けた白衣を取ろうとすると、

「シャ~~~(オレのテリトリーに何してる!)」

と威嚇(いかく)が始まるのです。チャルルにとっては服の雲海もテリトリーですから、どの服に触れても威嚇(いかく)されます。こちらとしても、「主人はこっちじゃ」というオスのプライドがあるので、「ひとケンカ」。

次回は、服をとなりの部屋に大移動することにしましょう(*^ω^*)

のボール野球

清々しい風と時折の暑い日差しの中で、愛媛県立内子高校の創立100周年の記念事業として、内子高校野球部OB(尚武倶楽部)と松山東高校野球部OB(明教倶楽部)の「の・ボール野球」対抗試合が内子高校グラウンドで行われました。これは、私の高校時代の監督稲見達彦氏によって、正岡子規が松山中学(現松山東高校)に伝えた当時の野球を再現したのもです。バットもグラブもユニフォームもルールも当時のままです。

ルール:投手は、ソフトボールのように下手投げ。打者は、「ハイボール、フェアボール、ローボール」のうち1つを要求し、要求通りのボールがストライク。5ボール(要求以外の球道が5つ)で1塁に行けます。

フライは、直接取っても、ワンバウンドで取ってもアウト。ソフトボールのように離塁禁止(投手がボールを投げてから離塁できます)。

これだと、老若男女楽しく出来ます。これは、やっても、見ても、負けても、勝っても楽しいです。

ベース間は、通常の距離ですから、60才代には遠い、長い、つらいのです。足がからんで前に進まないのです・・・・見ていて滑稽(こっけい)だと思います・・・・笑いを誘うのです。

これは、全国に普及すべき愛らしいスポーツです。

今年は、徳島県立脇町高校との定期戦がコロナ禍のため中止となったのが残念です。来年に向けて、バッテイングを改良しないとダメです!来年の目標は、「打点を上げる」にします。

録画撮り

本日14時から、youtube用の録画撮りをしました。今回は、膝ウラのコリを自分で取る方法。4分44秒のゾロ目で撮り終えました。先週の2本撮りと合わせて3本を明日、8時45分から見れるように設定しました。早速、明日9時からの患者さんに、お知らせしようと思います。

まあ〜、ボチボチ無理せず作っていきます。今日は、ここまで。

https://www.youtube.com/channel/UCAwvpnfBuOxIODM-s0_iUYQ?view_as=subscriber

奥座敷と龍

東温市川内公民館大ホールで、「松山藩の奥座敷・河之内~眠れる龍が再び起きあがる!~」

という講演がありました。地方の宝を見直し、未来に生かすという非常にポジティブなもので、奥座敷と龍を河之内のキャッチフレーズにしたのは、見事でした。

講師は、惣河内神社宮司の佐伯敦氏。

誰も、河之内(私が生まれ育った地区)を松山の奥座敷と言ってませんでした。また、龍との関係を明確に5柱(5の龍)として発表したのも見事(河之内には、5つの龍がある)。これを軸に河之内を見つめ直し、世に知らせる。私も出来る限り手伝います。講演の冒頭に、祖父佐伯惟揚(これあき)の

「河之内景勝保存に就き村当局への要望書」を読み上げたのは、祖父に可愛がられた私にとって、胸を打ちました。その一部を紹介します。

「河之内は独り自然美を持って誇るに止まらずその中に古文化財を黙綴し和名の文人墨客の曽遊の事実があり地理歴史的の両面より検討するも一僻寒村として世にも稀なる景勝の地といはねばなりません。(中略)さらに昭和廿四年本県宇和島出身の俳人松根東洋城(明治廿八年日本芸術会員当選)は村内に渋柿同人分布ある関係上河之内に一畳庵を営み二年に亘り実に十五ヶ月滞在且暮河之内の景趣を賞味美し幾多の句や文を残して行った子規、漱石、東洋城いづれも我国俳壇の第一人者であれば河之内はまさに文人墨客曽遊の豪華版の地であります。」

正岡子規、夏目漱石、松根東洋城がこの片田舎に関係し、句を残しておられます。漱石に於いては、地元の滝に関して50句残しており、これらを句碑として滝の道中に設置する案には感銘しました。コロナ禍後、世の中は変わります。河之内がその先駆けになります。

没になった絵

明日(9月26日)、「松山藩の奥座敷・河之内~眠れる龍が再び起き上がる!~」という講演が、東温市川内公民館であります。佐伯敦宮司(私の弟)が行うのですが、元高校教師ですので、人前でのスピーチは、慣れたものだと思います。前回でも少し説明したのですが、「豫洲久米郡名越邑金比羅寺来由記」という漢文の資料出てきて、それを解読して河之内にある金比羅寺の新たな由来が、見つかったのです。河之内というのは、私が生まれ育った地区です。

その由来を、弟が噛み砕(くだ)いた文にし、私が絵を描いて紙芝居にしたのです。ですから、スピーチのどこかで、紙芝居があります。ただ、私は絵を提供しただけで、どの様に演出するかは、分かりません。幸い、明日は午後からヒマなので、私も参加するつもりです。自分の絵を見るのはチョット恥ずかしいのですが・・・・・見ている人の反応にも興味があるので・・・・チョット、ドキドキします。

明日のフェイスブックでは、その様子をお届けします!

下記は東温市のホームページからの引用です。

それから、リアル過ぎて没になった絵を載せます。

東温史談会

新型コロナウイルス感染症予防のため、中止しておりましたが、令和二年度最初の郷土史講座を次のとおり開催します。

なお、今回は、会場の人数制限(80名)の関係で、予約が必要となっております。参加を希望される方は、東温市立歴史民俗資料館(電話089ー964ー0701)まで、ご連絡ください。

 

日時:令和2年9月26日(土)

午後1時30分から午後3時まで

場所:東温市川内公民館 1階 大ホール

惣河内神社の佐伯敦宮司が、「松山藩の奥座敷・河之内~眠れる龍が再び起き上がる!~」と題して講演されます。ぜひお越しください。

You tube

今日は、You tubeの配信準備をしました。10月1日(木)から配信する予定です。山元式新頭鍼療法(YNSA)と操体法を組み合わせた自力自療の健康法を提供いたします。対象者は、私の患者さんです。患者さんに毎日出来る「動きの操法」を処方箋(しょほうせん)としてお渡ししたかったのですが、出来ないまま4年経ちました。しかし、やっとメドが立ちました。

患者さんには、「動きの操法」を指導したあとyou tube で確認してもらいたいのです。もちろん、これは公開されますので、同じ疾患の方は参考になります。

10月1日(木)からのYou tube お楽しみに❣️