松山城の北側の土砂崩れで、3名の方がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。
道後温泉の改装工事が終わり、松山城との2大観光スポットの共演が始まるはずだったのですが・・・しばらくの間は、松山城は閉鎖されるようです。今日は、患者さんとの会話が、松山城のことになり、私が知らないことを教えていただきました。
「松山城の城山は、もともと2つの峰があって、谷の部分に頂きの土を埋め込んで出来たらしいですよ。その谷間に泉があってそれに石垣を積んで井戸にしたんだそうです。」
「えっ?そうなんだ!全然知らんかった!」
というわけで、インターネットからコピペします。
『お山の名前は正しくは勝山と云い、城山は愛称です。
松山城築城以前も勝山と呼ばれていました。
築城以前の勝山は現在と違い、ふたつ、または三つの頂(峰)を持つ姿をしていたと考えられています。
築城に際し、山を削った土砂で谷を埋め、造成した平地に本丸が築かれました。
現在、山上の売店がある辺りにいまでも水をたたえる深さ44mの井戸があります。
井戸の底は埋め立て以前、谷だった場所で、泉があった云われています。
また、加藤嘉明が築城した当時の古地図には、現在、天守閣がある場所に池が描かれています。
寛永12年(1635年)、松平定行が入国した際、城山には樹木が無く、赤土の山のようとも、はげ山だったとも伝えられています。
木が唯一の燃料であった時代、都市近郊の山はほとんどがはげ山でした。
藩主自ら松を植え、栗を蒔き、長い年月をかけ、現在まで続く緑に包まれた自然豊かな姿に変わっていったそうです。』
という事で、城山は人工的な山だったのですね。