1975年

朝ドラ「カムカムエブリバデー」ひなたが、お友達と正月の羽子板をついていますが、この時代背景は、「泳げたいやきくん」が12月25日の発売と共に、爆発的な売り上げをした年なので、1975年です。シングル盤は、発売前の予約だけで30万枚に達し、発売当日に10万枚が完売。12月31日までの1週間で30万枚が完売、ついに、オリコン歴代シングルランキング売上1位(枚数453.6万枚)「日本の最も売れたシングル・レコード」としてギネスに正式認定されたお化けソングです。

そのため、主人公のるいが作る回転焼き(愛媛では、ひぎりやきといいます)の売り上げが落ちるのも仕方なかったのです。私が大学で野球をしながら美術を楽しんでいたころ・・・だったのですね・・・筑波大学のあるド田舎では、たい焼きなどなく別世界でした。

話は、ひなたが羽子板で遊ぶ場面に戻ります。その背後に土管があります。きっと空き地を設定しているのでしょう。高度経済成長期の昭和30年代から40年代、都心だけでなく各地で工場などの工業地域が作られ、またそれに伴い住宅地も広まっていき、インフラの発展も目覚ましものがありました。水道や下水を普及させるにはパイプの役割を果たす土管が不可欠。発展途中の町には空き地も数多くあり、そこに一時的に保管する資材として、土管がよく置かれていたようです。ひなたの遊んでいたのが、昭和50年(1975年)ですから、高度成長の象徴であり、石油ショック(1974年~)暗示しているように思います。

私が学んでいた筑波大学の体芸棟(体育専門学群と芸術専門学群の学舎)の建築計画が石油ショックのため、変更されちょっと不備があったのを思い出したのです・・・・筑波の空き地(当時は、見渡す限り空き地のように見えました)にも土管があったような、無かったような・・・・道路を作っている最中だったので・・・きっとあったんでしょう!