昨日に続き、森下敬一先生の研究をご紹介します。
森下先生は、医学生の時、オタマジャクシの心臓から摘出した血液に、立派な赤血球があることから、骨髄造血説が間違いであると確信します。なぜなら、オタマジャクシには手足がなく、骨髄がないからです。そして、直感的に血液は腸から出来ると思いました。まず、骨髄造血説を否定する実験をします。それを記載します。
『人間も含めて動物の骨髄組織は、重量的にみると約95%が手足の長管骨にある。長管骨に出入りする血管というのは、針の孔くらいが1ヶ所だけポツンと開いていて細い血管が1本通っているだけであり、骨髄組織を遮断することは難しくない。当初は結紮していたが、順天堂医院で外科だった医師が入室し電気メスで焼灼してスピーディーになった。
教室には常に10人ほどの研究員がおり、長管骨を遮断したあとの動物の赤血球数を調べたが、手術のストレスが残る1週間から10日を過ぎれば赤血球数はちゃんと元に戻り、長管骨を遮断しても事実上血液の量に増減が無いことを確認した。』
とあります。つまり、骨髄以外から赤血球が作られるという証明になります。実際、骨髄から針の太さの血管が通っていることだけで、血液を作る臓器ではないことが分かります。そこで、腸造血説に必要となる食べ物から作られるモネラという重要な物質についての記載があります。
『森下は、若いころから「自然界においては、すべてのものは動き変化していく」という考え方をもっていた。「細胞は細胞から」というのは、原因も結果も無いということになる。ある原因があって結果が生まれる。その結果がまた原因として次の結果を生み出す。そうした因果関係を明らかにしていくのが科学の使命であって、科学という以上は、ものごとの因果関係が説明できなければならない。同じものが続くというだけでは、原因も結果も無いということで、何も生まれてこないではないか。
食べ物が消化されてモネラになって、モネラから原始的な赤血球になり、更に高次元の体細胞に発展していく。
物質と生命の間には越えがたい溝があるわけだが、その溝に橋渡しをするものがモネラというもの。*オパーリンは、物質がだんだん変化して、生命の一歩手前の「コアセルベート」ができるというところまでは証明した。これは世界的に受け容れられている。*オパーリンはコアセルベートまでは観ているのに、その間が断層になっている。そこを埋められるのは、「モネラ」の概念しかない。
Yノート6:森下博士 研究半生を語る(モネラの考え方)
例えば、卵の黄身が孵化するとき、卵黄を構成している卵黄球というのはひとつの有機物質だと考えて良い。有精卵を数日ほど孵卵器の中に置いておくと、最初に卵の黄身の表面に赤い点々がたくさん出てくる。その部分だけを取り出して顕微鏡で観てみると、明らかに赤血球である。それは何処から出て来たのか。その赤血球が寄り集まったブロックが、互いに繋がり合って血管ができ上がる。その血管の一部が拍動し始めて、まず心臓の原型みたいなものができ、そのポンプのような力で血管の中を赤血球が効率的に輸送されていき、ヒヨコの全身がつくり上げられていく。最初は、卵黄球というブロックが集まった物質である卵黄しかないのに、何処から赤血球が出て来たのかということになる。だから、特殊な有機物から細胞ができ上がるということは判っている。
モネラというのは、ヘッケルというドイツの生物学者が、微生物の世界や動植物の世界を観て、モネラという存在を介して細胞が生まれてくると述べている。論文では、モネラから発展する色々な細胞の絵を描いているのだが、その大元になるのはモネラであるという考え方で、それは彼の顕微鏡的な観察である。
学説としては、赤血球から白血球、白血球から細胞、或いは、赤血球から直接様々な細胞へ、の両方がある。血液からそれぞれの細胞になるのは、組織細胞からの導引である。導引されてある組織に入ったものは、その細胞になる。例えば肝臓に導引されて、周りがすべて肝細胞なのに1個だけ腎細胞になるというわけにいかない。』
*オパーリンは1920年頃、生命の起源について自説の本質部分を発表している。当時、最初の生命については自家栄養的好気性細菌(遊離酸素を使って無機物を酸化することでエネルギーを得、これを利用して二酸化炭素を還元して有機物を合成し、増殖していく微生物)というのが定説となっていたが、彼はその説を批判し、「他家栄養的嫌気性細菌こそ最初の生命である」と植物学会で述べている。
今回はこれまでにしておきます。森下敬一先生を学ぶことで、大沼理論の概要が徐々に分かって来始めました。楽しくなってきました。