昔の日本の食卓

(コイのいる池)

森下敬一先生の著書「血液をきれいにして病気を防ぐ、治す」の冒頭に以下のような文章があります。

『昔の日本の食卓に上っていたご飯、味噌汁、副食の魚や野菜、漬物といった食品は血液を汚しませんでした。細胞を正常に機能させるような食べ物を日本人は食べていたのです。そうした食物を積極的にとれば、血液が汚れにくくなるだけでなく、汚れた血液もきれいになって細胞が健康になり、病気を防ぐことができるようになります。さらには、病気を治すこともできるのです。

こんな話をすると、一般に言われている医学常識とあまりに異なるので疑問を抱く方もいるかもしれません。しかし、全て私のクリニックで長年にわたって診療活動をしてきた実績に基づく話です。

御茶ノ水クリニックでは薬を使わず、食事療法で病気を完治させています。その診療現場から見えてきた“真実”をお話ししています。また、血液をきれいにすれば病気にならずに長寿になる仕組みは、本書の中で詳しく紹介していきますが、世界中の長寿郷も同様の食生活をしている事は、それが正しいことを証明しています。

私はすでに40年以上前に、この事を発見・提唱してきましたが、なぜか日本の医学界は長年にわたって私の主張を黙殺し、「食事で病気が治る」という考え方を異端視してきました。ところが、最近では、予防医学に注目が集まって「病気にならないことこそ大切」と言う考えも浸透しつつあります。そのために、何を食べるべきか、または、何を食べたらいけないのかの知見も集まりつつあります。私がかねて提唱してきたように、食事によって病気にならないようにしようというわけです。』

幼い頃の記憶をたどってみると、台所が土間でそこには、井戸があり山から引いた水は、蛇口をひねると出てきました。料理をする祖母と母は下駄履きでした。土間には「おくどさん」があり薪を焚(く)べて釜でご飯を炊いていました。まだ、冷蔵庫が無くその日に作った料理は、その日に食べていたと思います。台所は料理をするところで、食べるのは居間でした。野菜料理(煮物が多かったと思います)と鯛の煮付け、鯵(あじ)の南蛮漬けが多かったのです。ラッキョウの漬物、きゅうりやナスの漬物、梅干しは必ずありました。

「ひろむ、畑に行って人参を引いておいで。」

と父に言われ、その人参を生でかじって食べていました。そして祖母が、

「このお芋は、○○さんにもろたんよ。このタケノコは□□さんとこのよ。」

と良く説明してくれました。今思うと、本当にありがたい地域と人々に恵まれて生きていたのです。少し残った食事は、庭にある池に捨てるとコイのエサになっていました。食後の皿洗いも池でおくどさんの灰を使いタワシでこすっていました。料理の素材で捨てる物(皮やヘタ等)は、ゴミ捨て場があり、杉皮で覆っていました。そこはシマミミズの宝庫で、魚釣りのエサ場でもありました。

その後、冷蔵庫、LPガス、電気釜、水道水の時代へと移行していき、私が小学校5年生の時、となりの敷地に建てた家に引っ越しし、高度成長期の生活をするようになっていきました。私には日本の高度成長期以前の生活が原体験として残っているので、それを基調な財産として、生きていこうと思います。