父親の手のひら

地元に帰って開業し、7年目になります。今日は、故郷に帰って良かったと思える日でした。友人の紹介で70才代の女性患者Cさんが来院。鍼治療の経験もなく、「鍼は痛いけん、いや。」という方でした。

「ほやけど、そんなんでようここに来たね~。」

「・・・・まあ、そうですけど・・・・あの~、お父さんは久米中(学校)の校長先生を、されておられたでしょう?」

「ああああ、確か久米中が最後の中学校じゃった・・・かな?」

「私の妹の娘が久米中じゃって、それはそれは良い校長先生じゃいうて、おりました。」

「・・・・ああ、確かに花校長と言われて・・・・ある日、親父が忘れ物をしたので、それを届けに行っても、校長先生がおらず・・・・麦わら帽子をかぶって水撒(ま)いとる人んとこ行って、気づいたら、親父さんじゃった・・・・そんなことがありました。」

「偉いお人は、偉ぶらんけん。」

「・・・・今でも、清明会という親父の勉強会を続けてやっている先生のグループがあるというのは、聞いています。」

などと、ついつい親父さんのことを、偉ぶって言ってしまう私です・・・反省。

今でも親の後光に頼っている私ですが、本当に良い父親に育てていただいたと思います。

「何で、先生は鍼灸をしようと思われたんですか?」

「実は、私が小学生のころ、夕方になるといつも神経性胃炎になって腹痛を感じていたんです。それを親父さんが、指圧で治してくれていたんです。で、その感覚をカラダが覚えているので、親父さんにも、毎日指圧をやっていたんです・・・・そしたら、ひろむ(私の名)、指圧が上手いのう・・・と、褒めてもらい、指圧師だったら生活できると、子供心に思っていたんです。」

実際、我が家は祖父母から始まり、両親が学校の教員。こんな家系で商売は出来ない・・・先生しかなれんと子供心に感じていても、どこかに逃げ道が・・・・それは、指圧師か?・・・結局、指圧師も先生と呼ばれるんじゃけん、どうせ先生と呼ばれるんじゃったら、色々やって指圧師になったらええ・・・・そんな、人生計画をどこかでしていたようです。結局、鍼灸師になって先生と呼ばれ7年。もがきあがいても、父親の手のひらを一所懸命走っていただけだったようです・・・・・・ありがとう、父ちゃん!