友人から戴いた野口晴哉先生(野口整体の創始者)の本からのコピーには、治療家としての心構え、生き方など鋭い視点が散らばっています。その中で食の話という一節があり、その一部を記載します。
『近頃、規則正しく飯を食ふとかいう科学的生活とやらが流行して、朝飯は午前七時、パン。昼食は午後一時、三杯。夕食午後八時、三杯。時間はいつも一定し、腹が決まって増減なしなどと自慢している人すらあるが、これは甚だ感心できぬ。
(中略)
時間を決めて一定した食料を搾取すると言う形式は、規則正しく見えて、その実は、不規則、不合理、非科学的なことと云わねばなりますまい。時計に腹の調子を支配されている人々の案外多いのに驚かざるを得ません。一体誰がこんなこと良い習慣だと宣伝したのでせう。
人は絶食すると体が衰弱し、命がなくなるものだと信じているために、糧食欠乏とか、貧乏の為とかで、五、六日も欠食すると、気萎え力失いヒョロヒョロしたがるものです。断食療法や断食している人々は、断食五、六週に及んで、なお元気が衰えぬのみならず、それによって健康を得、信仰に触れることさへできます。食わねばならぬと考えている人々が、食ひたい食ひたいと望みながら食へぬから、絶食によって衰弱するので、人は食わねばならぬのではないと考えて食わなければ、食はぬということも気にかからず、断食して帰って丈夫にもなり得るのです。
飢饉の時とか、山で迷ったとかで、絶食1週ついに餓死したと言うような話を聞いたが、これは餓死ではなく気死であって、人は六十日や七十日の断食で死ぬものではありません。ドイツのテレザ・ノイマンという一婦人は1926年以降、今なお絶食しているというし、私は四週間断食したが、平然としていました。食わねばならぬ、食が命を養うものだと考えているから、わずか七、八日の断食で、餓死するに至るのです。断食が死に導いたのではなく、断食を怖れたる心が、死にまで導いたのです。本来、人は絶食によって丈夫になりこそする衰弱するようなことはないのです。』
まさしくその通りです。飽食で鈍ってしまったこころとカラダを絶食で目覚めることの意味を感じるのです。