レジージャクソン(その2)

2000年にペンシルベニア州のステートカレッジという街に住んでいる時のことです。そこで日本人の奥さんを持ったアメリカ人と親しくなりました。彼のお祖父さん(あるいは曾祖父さん)は、野球のメジャーリーグ選手で、最初のワールドシリーズで、5試合投げ3試合勝利した選手でした。調べてみると、デイーコン・フィリップという投手で、サイ・ヤングにも初戦では投げ勝っています。そんな野球一家なので、彼のお父さんは、メジャーリーグでキャッチャーをし、引退してからは、高校の野球選手の指導をしていました。その中に、何とあのレジージャクソンがいたのです。

「ええええ・・・あのレジージャクソンを指導したんですか!私は、レジージャクソンの大ファンなんです。どんな選手でした?」

「やはり、才能があった・・・・いい奴で、初めてメジャーリーグで試合に出ることになった時、チケットを送ってくれたんだ。」

と懐かしそうに語ってくれました。
それにしても、広い広いアメリカ大陸でレジージャクソンの指導者に会うことが出来るなんてと思っていると・・・・いつの間にか、アメリカ大陸で離婚にはめられ・・・

「アメリカの女は、気をつけろ。徹底的に戦ってくるから・・・」

と、お父さんには、色々相談に乗っていただきました。本当にありがとうございました。

レジージャクソン(その1)

大谷翔平選手が39本のホームランを打ちました。エンジェルスの歴史で39本のホームランを打ったのは、ニューヨークヤンキースで活躍したミスター・アクトーバと呼ばれたレジージャクソン以来だそうです。レジージャクソンは私が20代にニューヨークにいた時のヒーロー。当時家賃が225ドルの安いアパートに住んでいると、同じ専門学校の同級生からの電話がありました。

「ヒロム(私の名前)、テレビが歩道に置いてある。映るかもしれないので、運んでみようか?」

私がテレビを持っていないのを知っていたので、わざわざ教えてくれたのです。2人で真空管仕込みの重いテレビを、3階のアパートまで運び、スイッチをつけると白黒の画面が浮かび上がりました。これで、大好きなニューヨークヤンキースの試合が見れるようになったのです。友人のTさんに大感謝です。それからは、ヤンキースの試合を毎日見る日々。レジージャクソンの豪快なスイングに魅了されっぱなしでした。私にとって野球のヒーローは長嶋茂雄選手、その次のヒーローがレジージャクソンでした。そんなある日、やはりヤンキースの試合を見ているうちにだんだん画面が狭まってきました。

「あれ?どうしたんじゃろ・・・・・」

などと、思っているうちにもう少し縮まってきました・・・・そして、一本の線になったとおもったら、スーっと線が消え暗い画面となり・・・・ただの箱になってしまいました・・おしまい。

(次回はレジージャクソンの話その2となります)

ノミの本治療

 

女性患者Aさんの弟さんが、獣医師をされているので、猫のノミに関して貴重な情報をいただきました。現在私が行っているニームオイルによる「ネコのノミ退治」は、本治療ではなく、対処療法だとのことです・・・・もうこの時点で、本治療にシフトを変えている軟弱な私であります。

「先生、ノミを取ったらノミをつぶすでしょう⁉︎」

「もちろん、そうします。」

「ノミをつぶすと、卵がお腹から出るので、卵を拡散することになるんです。」

「えっ・・・・‼︎」

とまたもや貴重な情報をいただきました・・・・これは、怖い。そこでAさんに勧められた薬をメス猫モモの後頭部につける本治療を行いました。この動物用医薬品は、「アドバンテージ+プラス」これは、ノミ成虫駆除剤と昆虫成長阻害剤の2つの効果で、ノミの成虫を駆除し、しかも周辺環境および猫の体表面のノミの繁殖も抑えることで、猫へのノミ成虫寄生予防効果をもった画期的な滴下式ノミ駆除剤だそうです。

これと併用して、ニームオイルの薄め液の噴霧と、最近購入したコードレス掃除機での掃除を行います・・・・それにしても、手足の痒さは、一向に引きません・・・・

ニームオイルの続き

 

「先生、お薬の紹介ありがとうございました。」

「・・・・・・ああ、ニームオイルですね。」

「匂いもハーブらしくて、好きですね。あれは効くと思います。」

と私が紹介したニームオイルを早速購入されたようです。ニームというインド原産の樹木のオイルは、何千年もの間、伝承されたオイル。植物の消毒、害虫駆除に効果があります。このオイルを100倍くらい薄め、部屋中に噴霧しています。ノミ退治のためですが・・・・まだ、効果があるかどうか分かりません。はっきり言えるのは、相変わらずノミに噛まれ続けている事実がある事です。

1か月続けて噴霧しても、ノミに噛まれ続けたならば、次の手段に移ります。

写真は、猫タワーのアップ。赤い斑点はノミの糞だそうです。血を吸っているので、ニームオイル入りの水に反応して赤色になるそうです。

岡田茂雄監督

昨日は、愛媛代表の新田高校が夏の甲子園大会初出場で、初勝利!

1990年春の選抜高校野球で、2度のサヨナラホームランを記録し、準優勝をした同校は、「ミラクル新田」と呼ばれました。あれから、31年・・・・新田高校、よく我慢しました!

新田高校の野球部員は、「あじさいの杜鍼灸院」に患者さんとして来られることもあります。監督の岡田先生も来られたり、何かと縁があるのです。

愛媛には、古豪と呼ばれる松山商業、今治西、西条、宇和島東などの公立高校と新鋭の済美、聖カタリナ、松山聖陵、帝京第五などの私立高校が台頭してきた中、古豪の私立新田高校が地元の球児を鍛え上げて、ここまでやって来られたことに、敬意を表します。

岡田茂雄先生は、筋骨隆々のイケメンです。是非とも応援よろしくお願いします!

新田高校野球部から松山大学野球部を経て、母校新田高校の教師となられ、溢れる新田愛、愛媛愛で野球愛。

岡田茂雄の茂雄は、ミスタープロ野球「長嶋茂雄」と同じ名。ご両親の野球愛があっての命名です。新田高校の岡田「茂雄」監督改めて宜しくお願い致します。

栄冠は君に輝く

昨年の前期NHK連続テレビ小説「エール」で「栄冠は君に輝く」を熱唱した山崎育三郎氏が、再び甲子園で熱唱。しかも、普段は余り聞くことのない、2、3番の歌詞まで丁寧に歌ってくれました。私が高校3年の野球部夏合宿には、ミーティングの後、必ず全員でこの曲を歌い必勝を祈願していました。

当時のメンバーが送ってくれた貴重な写真があるので、載せてみます。17才の夏・・・・

この「栄冠は君輝く」には、エピソードがありますので、「エール」を見続けた視聴者として、改めてここに、記載します。

『1948年に学制の改定に伴い、それまでの「全国中等学校優勝野球大会」が「全国高等学校野球選手権大会」に改称する事になったことにあわせ、更にこの年の大会が第1回大会から数えて30回目の節目の大会であったことから主催者である朝日新聞社が新しい大会歌として全国から詞の応募を募った。応募総数5,252編中から、最優秀作品に選ばれたのが加賀の詞であった。

当初作詞者は加賀道子(本名は旧姓高橋道子、結婚後は中村道子。松江安見の大姪)名義となっていたが、これはプロの文筆家で地元・石川で執筆活動をしていた加賀(当時の本名:中村義雄)が、周囲から懸賞金(大賞賞金は5万円で、当時の公務員の平均給与の10倍以上であった)目当てと思われるのを嫌い、婚約者の名を使って筆名「加賀道子」で応募したためであり、第50回記念大会(1968年)を機に加賀夫妻が作詞の真相を語り「加賀大介作詞」と改められた。その頃、本名も中村義雄からペンネームの1つであった「加賀大介」に改名している。

加賀は野球球児であったが、試合中の怪我による骨髄炎のために右足切断を余儀無くされ、野球を断念した経緯がある。この詞には、野球に対する加賀の熱い想いが強く込められている。

創唱歌手(発表当時のオリジナル)は、当時の名流行歌手である伊藤久男である。ちなみに伊藤は当歌の作曲者である古関裕而とは戦前からの深い付き合いである同郷(福島県)の友人同士であり、戦前から歌謡曲・軍歌・戦時歌謡においても名タッグとして活躍していた関係を持つ(2人の代表作は『イヨマンテの夜』、『暁に祈る』など)。

晝間(ひるま)先生

 

今日は長崎に原爆投下があった日。

長崎の平和祈念像は、北村西望先生が制作されました。北村西望先生の弟子である晝間弘(ひるまひろし)先生は、あの祈念像の下半身を制作されました。私は、大学で晝間先生から彫刻を習った学生です。決して弟子とは言えません・・・立体的なセンスがないにも関わらず、彫刻を専攻したのは、失敗だったかも知れません。晝間先生からは、全く期待をしてもらっていないのは分かっていました。

それでも、彫刻を選んだのは、晝間先生のお人柄でした。東京の柴又生まれの「江戸っ子」先生は、

「君の足(制作している粘土像の足)は、しろいね!」

「・・・・はっ?粘土の色は、粘土色で、全然白くない・・・先生、何言うとるんじゃろ?」

「・・・・ああああ、先生は、江戸っ子じゃ・・・「し」と「ひ」が一緒なんじゃ!」

という間があき、やっと私が作っていた粘土像の足が「ひ」ろすぎたのを理解出来ました。ですから、「ひるまひろし」という先生のお名前は、「しるましろし」と表現されるのです。四国の山奥生まれの私にとって、東京の下町、柴又の別文化はとっても魅力的でした。それ以上に先生の気さくで正直なお人柄に引かれていったのです。

ニューヨークに行く体験から、石と鉄の西洋文化と一線を画す自分を見出したのは、不得意な彫刻を専攻したおかげです。私には立体的でない平面の世界が合ってる・・・多分、書道。

って閃(ひらめ)きました。帰国して見つけたのは、「積み木」。原木の輪切りをただ積み上げる作品。書道のように一瞬でバランスの良い作品ができる・・・立体的書道だったのです。

この作品だけは、今だに自信があります。この作品は治療法としても可能性を持っています。いずれ又・・・・・

親孝行

実家に帰り、母親に初めて治療をしました。何一つ親孝行をしていない私。89才になる母親に感謝を込めて治療をしました。最初は「鍼は痛いけん、いやよ。」と言っていた母親も、治療点に置鍼すると診断点の痛みがなくなるので、興味を持ってくれたようです。

頭に6本の置鍼をし、張りを感じつつも気持ち良さがあったようです。今後も実家での治療を続けてみようと思います。これから、やっと親孝行をします。これから、これから・・・

写真は、実家の社務所にある池。

ニームオイル

「先生、猫のノミには、ニームオイルがいいですよ。」

と50才代の女性患者Aさんに勧められ、アマゾンで早速購入しました。このニームオイル日本では余り知られてないのですが、アメリカでは普通に普及しているようです。午前中、ニームオイルが届き、100倍くらいに薄め、私自身にスプレーしてみました。一種独特のにおいがありますが、カラダに良さそう・・・・と、感じました。

これなら、メス猫・モモにかけても良さそうです。インターネットでニームオイルについて調べたので、興味ある方は、ご覧ください。

『ミラクルハーブ、ニーム

インドの伝統医学「アーユルヴェーダ」では重要なハーブとしてニームの葉・実・樹皮などが使用され、さまざま効果が確認されています。そのため、ニームは “ミラクルハーブ”と呼ばれ、インドでは数千年も前から愛用され続けているのです。

虫が嫌がる木で有名なニーム

ニームは、なんと200種類以上の昆虫やダニに対する避虫が確認されています。しかし不思議なことに、ニームは人や動物などの恒温動物に対しては毒性を示しません。

また、ニームの主な成分にはアザジラクチンやメリアントリオール、サラニンが含まれており、これらは成長繁殖の抑制や摂食抑制などの効果が確認されています。

皮膚や被毛へ潤いを与える

ニームオイルには皮膚や被毛の健康に欠かせないイオウや、コラーゲンを束ねる働きのあるケイ素をはじめ、さまざまなミネラルがたっぷり。その他、良質のオレイン酸やビタミンE、必須アミノ酸も含まれているので、皮膚や被毛に潤いを与えるだけでなく、栄養もしっかり補給できるのです。

世界が認める安全性

ニームオイルの安全性は、アメリカやドイツの研究で証明済み。日本でも2005年に厚生労働省の「人の健康を損なうおそれのないことが明らかな物質」に指定されました。』

やはりノミでした!

ノミの成長過程を記録したり、ノミ退治の方法をYouTubeで発信している友人のYouTubeを見直し、今後の今後のメス猫・モモのノミ対策を検討中です。

まず、100均ショップでノミスキ用のクシと、薬局で猫ノミ対策の薬( ショットオン)を購入し、モモにノミがいるのかどうかチェックをしました。クシで白い毛をすくと・・・・いる、いる細長い黒い生き物!特にアゴの下の毛には一スキで3~4匹!・・・・ショックです。

前回にも書きましたが、ノミの卵は約2日でかえり、幼虫は約6日、さなぎは6~15日で成虫になります。成虫はメスとオス共に吸血し、吸血時間は20~25分にもなります。ネコノミは、ネコやイヌの体に卵を産み付けますが、卵は高温に弱いため体の上で発育できず、畳や床下のゴミの間などに落下し、そこで孵化して育ちます。

真冬(1~3月頃)を除いて年中発生し、特に多いのは7~9月。

とあり、モモに産み付けられた卵が畳に落ち、成虫となり私のカラダから血を奪って成長したようです。一番蒸し暑い8月に、異常発生したノミは、「ダニにやられたに違いない」とダニ対策一辺倒の私を、あざ笑うかのように、ドンドン成長、繁殖して行ったのです。

とりあえず、明日ノミ対策用の薬をモモの後頭部から首にかけて、様子を見ます。それでもノミが減らないようなら、獣医師に診てもらい、YouTubeにあるようなレボリューションという強烈な薬を注入も考えられます。それと、やはり卵が落ちているであろう畳は、毎日掃除機がけが必要です。この結果は後日、ご紹介いたします。