モモちゃん、大脱走?

「おはよう・・・モモちゃん❣️・・・・・あれ?おらん!」

朝起きて、治療室の掃除をする準備・・・どころではありません!モモちゃんがいるはずのキャリーボックスにいないのです!

『まさか?・・・何で・・・・ドアは閉めたはず・・・・逃げる訳ない・・・・あれ、ドア開(あ)いとったんじゃろか・・・・・いやいや、そんなはずはない・・・・しかし、どこ探してもおらん』

モモちゃんが交通事故になってしまった映像が浮かんだり、里親のKさんがガッカリした表情が現れたり、ちょっとパニック状態で探しまわるも見つかりません。そんな時に限って、

「ピンポン!」

『こんなに早く・・・・だいたい分かる、クロネコヤマトじゃ・・・猫タワーが来たんじゃろ』

ということで、モモちゃん探しをやめて、1階の治療室に走ります。逃げてしまったモモちゃんがもう使わないかもしれないと思うと、やや沈みがちな表情に・・・

笑顔が明るいヤマトのお兄ちゃんが、思った通り猫タワーを預けてくれました・・・・ところが、注文したベージュ色ではなく、ブラウン色・・・ダブルショックでふらふらしそう・・・・笑顔のお兄ちゃんには、一所懸命、愛想笑い・・・・足取り重く2階に戻る私。

探しても探してもいないので、あきらめかけた時、居ました!

隣の部屋にある出窓に!資料を置いている隅に小さくなって、隠れていました。朝の日差しが注いでいて、きっと気持ちよかったのでしょう。明るい場所で白いモモちゃんは、同化していて見つかり難(にく)いようです。

それにしても、何とも恥ずかしい自作自演のドタバタ劇・・・・一件落着で良しとしましょう。

猫好きの患者さんが多いので、色々教えてくれます。引っ越しして緊張した猫は、大小便をなかなかしないそうです。それが出来れば、少し落ち着いてくるとのことでした。しっかり大きいのと小さいのが出来たモモちゃん、少し慣れて来たのかもしれません。まあ、ボチボチ・・・

追伸:2月22日は猫の日だそうです。2にゃ~2にゃ~2にゃ~なんでしょうね。

モモちゃん、2日目

生後5ヶ月のメス猫・モモちゃんが我が家に嫁(とつ)いで来ました。非常に繊細で、まだ怯(おび)えています。エサも水もいっさい口にしていません。そこで、お手当て大作戦。モモちゃんに優しく右手の平で、触れること50分。すると、最初は警戒して耳を下げていたのですが、徐々に立っていきノドをゴロゴロいわせて、後ろ脚をダランと伸ばし始めました。途中数分は眠ったようです。

2日目にしては、慣れてきたと思っています。今日は患者さんが少ないので、診察室にいないで極力モモちゃんと一緒に過ごすようにしました。モモちゃんをみる時は、笑福亭鶴瓶さんが笑ったような表情を作って安心させるようにしています。

モモちゃんにとって、このオッサンは敵か味方を判断する時期なのでしょう。今は、キャリーボックスに入って、私の様子をじ~っと見ています。この小さな生命が私の評価をしているのです。ありのままをさらして、敵では無いことを証明しなくてはなりません。無理せず、ボチボチ。

天井につるした2羽のセキセイインコ・キーとボーが、モモちゃんの存在を全く無視していつものように、おしゃべりし続けているので、もしかして仲良く住み分けができるのでは・・・・と、淡い期待しているのです。明日でも、ちょっとキー、ボーを散歩させてみようかな・・・・

モモちゃん

生後5ヶ月ほどのメス猫・モモちゃんが、我が家に嫁入りしてきました。1ヶ月前に1度会ったのですが、2倍ほど大きくなっていたのに驚きました。もうすっかりJKです。横隔膜ヘルニアで腸が肺を圧迫していたので、大手術だったのです。モモちゃんは、本当にラッキーです。あのままだったら余命1年くらいだったそうです。優しい、優しい方に拾われ、大事に育てられました。

愛情をたっぷり注がれたモモちゃん。一回しか会った事のないおじさんの家に、突然引っ越ししたのですから、それはそれは、寂しいことでしょう。しかも、ギャアギャアうるさいインコのキーとボーが天井から話しかけて来るのですから・・・・随分とカルチャーショックを受けているようです。

エサも水も全く口にしてない様子です。モモちゃんの臭いが付いた暖かタオルの入っているキャリーボックスで、ずう~っとうずくまっています。20分ほど背中、首、オデコを撫(な)でてあげたので落ち着いてきました。ノドを鳴らしていますが、耳が下がっているので、まだまだ警戒しているようです。タオルが暴(あば)れているので、直そうとしていたら、逃げて台所の隅っこに隠れてしまいました。

仕方がないので、台所にキャリーボックスを運び、今日はそちらで休んでもらおうと思います。まあ焦らず、ボチボチお付き合いしていくことにしましょう!

嫁入り(その2)

昨日、嫁入りした金のなる木を見た患者さんの第一声、

「先生、これ金のなる木ですよね・・・花が咲いてるのを、初めて見た!・・・・先生、この木は本当に、金のなる木なんで・・・・大事にしてください。」

「えっっっ、これは金を作るんですか?」

「はい、そうです。」

「え~~~」

「私が結婚したころ、主人とコツコツお金を貯め始めました。ちょうどその頃、友達からもらった金のなる木を育て始めて・・・・少しずつ、大きく育っていったんです。金のなる木の成長と共に、貯金も貯まっていき、ついに、新車を買うことが出来たんです。」

「ほ~お、それは凄い!」

「でしょう?・・・・でも、貯金は0になったんです・・・・それから1週間して、突然金のなる木が枯れてしまったんです。」

「うううううん・・・怖い話・・・・ちゅうことは、えっっ、お金と金のなる木は、同じもん?」

「そういう事になります。」

「あああああ・・・凄いもんが、嫁入りして来た・・・・大事にします・・・・まあ大丈夫。隣のお友達(観葉植物)とうまくいってる・・・大丈夫、大丈夫。」

金のなる木を特別あつかいしないで、いつものようにやれば良いだけ!

嫁入り

「先生、お嫁にもらってください!」

と、ちょっとだけ強引に患者さんからいただいたのが、「金の成る木」。調べみると

『南アフリカ東部原産で、ナミビア、アフリカ東部、マダガスカルに分布する。日本では昭和初期に渡来した。

丈夫な観葉植物としてよく栽培されている。水不足が続くと枝の節目からも根を生やすことがあるほか、枝からちぎれた葉1枚葉で、葉の付け根を有しないものも土に挿しておくと不定根と不定芽を断面から生じるほど再生能力が発達しているため、繁殖は挿し木で行われる。

1年を通じて日向か半日陰で乾燥気味に育てる。春から秋の成長期に潅水するとよく成長し、大きな株は1年間潅水を怠っても枯れることはない。乾燥気味に育てれば氷点下5℃程度に耐えるほど寒さに強いが、霜や雪には弱いために冬は屋内か軒下やベランダなどで育てる。砂だけでも栽培できるなど比較的用土を選ばないが、肥沃で通気性の良い弱酸性の土壌が好ましい。』

外に置いてあった「金の成る木」大きくなって、寒い冬、室内に入れることが出来なくなったので、当院に嫁入りとなりました。2鉢は多すぎると思ったのですが、ピッタリと治りました。他の植物とも仲良くお話出来るような雰囲気です。きっと、患者さんがこの玄関に合うと思ってのやや強引な嫁入りだったようです。

お見事です!ありがとうございます❣️

静かなブーム

昨年6月、愛媛県立美術館で2020 TSUMIKI in Matsuyama というタイトルで積み木アートを行った時に知り合った30才代の男性患者Aさん、半年ぶりの来院です。

「佐伯さんの実家は、惣河内神社じゃなかったですか?」

「はい、そうですよ。」

「やっぱり・・・昨日、絵本みたいな薄い本を読んでいて、惣河内神社の天井絵について書いてあったんです・・・もしかして、と思ったんです。」

「あああ・・・近藤林内さんの・・・あのイラストは、僕が描いたんです・・・そして、この間、坊ちゃん劇場の横にあるシアターNESTで、近藤林内さんの演劇があったんです。よく出来たお話でした・・・」

「ええええそうだったんですか!」

「・・・・これでしょう?(近藤林内物語の冊子をお見せする」

「そうそう・・・ここで、この本に出会えるなんて・・・あの本、神さまを大切にしなさいと言っていたでしょう。これには、感じることがあったんです。」

で、その一説をご紹介します。

「これからの人生で、どんなにえらい人になろうとも、自分のはるか上には、いつも神様仏様がいらっしゃることを忘れてはいけない。神様仏様が守ってくださるおかげで、私達は毎日を平和に暮らしていける。神様仏様から見たら、人間なんてみんな同じじゃ。お金持ちも貧乏も関係ない。このことを忘れず、深く頭を下げて感謝しなさい。そして、人は死んだら、みんな神様仏様になり、私たち子孫を守ってくださるんじゃ。」

と言って、寺や神社を大切にしました。寄付を頼まれて断った事は一度もなかったそうです。寄付を集めていると言う話が耳に入れば、どこであってもかけつけて寄付をしました。そして、

「どうか自分の名前を出さないでください。」

とお願いしていました。寄付を受け取った寺や神社はさすがに大金で名前を出さないわけにもいかないので、「河之内 近藤氏」とだけ石に刻みました。

どうやら、しずかな近藤林内ブームが愛媛の片田舎で起こったいるようです。

茅葺きの民俗学

筑波大学名誉教授・安藤邦廣先生によるリモート勉強会 「日本の住まいの成立」がありました。今回は5回目で、茅葺きの民俗学でした。安藤先生が一番最初に出版した本のタイトルが、「茅葺きの民俗学」。今なお再出版され書店で購入出来るそうです。茅葺き民家は遺物ではないので考古学としての考察は出来ません。安藤先生の「歩く・見る・聞く」の仕事ぶりを見た出版社の側から、茅葺き民家を日本の伝承、習慣としてとらえ、「茅葺きの民俗学」というタイトルで出版するように提案されたそうです。

ここで、茅(かや)の定義。茅(かや)とは、屋根となる素材の総称で、ススキ、ヨシ、チガヤ、クマザサ、稲ワラ、麦ワラなどをいいます。この茅があるところが茅場という草原です。戦前にはこの草原が日本国土の30%を占めていましたが、戦後の国策として杉の植林を草原にしたので、一気に茅場がなくなりました。明治から戦前には多くの家は、茅葺きだったため、茅場の需要はあり、古くなった茅は肥料として使われ完全なエコシステムが成立していました。ところが、経済成長優先の路線の元、茅葺き民家はすたれ茅場という草原の生態系が崩れていき、現在では、国土の1%しか草原は残っていないそうです。

コロナ禍の後の世界、茅葺き民家を見直し、エコシステムの再建を考えてみたいと思ったのです。

近藤林内物語

今から203年前、私が生まれ育った河之内(かわのうち)というところで、近藤林内という偉人が生まれました。以前に「近藤林内物語 身だからはイモに大根にムギの飯」という冊子を紹介したことがあります。26ページに27のイラストを私が描いたといいましたが、この冊子が原作でコバヤシライタ氏が台本を作り、斉藤かおる氏が演出のお芝居(90分)がシアターNESTでありました。

明日も公演があるので、ネタばらしはしませんが、非常によく出来た芝居です。90分があっという間に過ぎました。劇中「惣河内神社に行って遊ぼう!」「ムササビがいるかも・・」と言うセリフがありましたが、河之内の子供達は、全員がこのお宮で遊びました。本当ににぎやかな広場で、子供達は「おみや」あるいは「ひろば」と言っていました。夕方にはムササビが大杉を飛び渡り「鎮守の杜」そのものでした。

また、劇中「惣河内神社の天井画」がよく出ましたが、雨の日は天井画のある社(やしろ)で相撲(すもう)をしたものです。

この公演の主催は、東温市居住定住促進協議会。

2017年に東温市民劇団が旗揚げされた「東温市民劇団」が、文化庁の文化芸術創造拠点形成事業の支援を受け、行ったもののようです。東温市にはシアターNESTの横に「坊ちゃん劇場」があり、文化芸術の拠点となっています。

我が故郷にイラストを描くだけでしたが、少し貢献できたことを嬉しく思います。

ご奉公

私が最も好きなテレビ番組は、「プレバト」。
言葉の才能がない私にとって、少ない言葉で人生の断面を描写できる技に憧れます。今日も、「プレバト」を見て、選者・夏井いつき先生の指導に納得感動。

当院の待合室にある「民家ロマンチック街道ー伊予路」犬伏武彦著の180pに私が生まれ育った茅葺き民家が「一畳庵 佐伯惟揚家」と紹介されています。佐伯惟揚とは私の祖父で俳人でした。祖父の師匠である松根東洋城先生が、我が家に1年半ほど滞在し、祖父を始めとした地域の人々に俳句を教授されました。東洋城先生が寝泊まりしたのが座敷の横にある一畳ほどの空間。そこを一畳庵と命名されたようです。その様子を描いた一説を記載します。

「俳句は社交にあらず、慰安の具に非ず、遊楽喜遊の法でもない。東洋文化の持つ精神の流露発揚、人としての完成のための内部工作すなわち修行の道である」と説いてある。

(中略)

後進や弟子の指導はきびしく、「これがわからんのか」と何度も何度もこぶしを机に打ちつけていたという。句会いうよりも、道場と言うような観であったと言う。

(中略)

この民家の保存と維持のことであるが、当家は社家でもあり、また敷地も広い。建物は現存居住されていないが、当主がよく管理され、保存も行き届いている。祭りの日や地域の人の集まりにも使われ、以前には句会にも使用されていた。民家を生かす適切な使われ方である。しかし、それも社家ということ、家に対する当家の誇りや氏子の方々の理解によるものである。このように民家の維持保存は、その土地の人、所有者の個人的な力によってなされているのが現状である。

とあります。私の夢は、私が生まれ育ったこの茅葺き民家で、治療をすることであります。それがご先祖さまに対してのご奉公だと思っています。

明教

 

「明教」という愛媛県立松山中学校・松山東高等学校の同窓会誌が当院の待合室にあります。その50号に、私が書いた文章があるので、記載します。

天才との出会いから

昭和48年卒 佐伯 弘

25歳の頃、ブルックリン・ミュージアムアートスクールの奨学金をいただき、ニューヨークに行く事となりました。そして、大学の先輩、久保田成子さんと会う事になり、芸術家が数多く住むソーホー・マーサー通りのロフト(倉庫を仕事場に改築した空間)4階へ向かうことになったのです。

今にも床が落ちそうな物運び用のエレベーター(鎖を下げるとガッタン、ガッタンと上がっていきます)にこわごわ乗りこみますが、生きた心地がしません。やっと4階に到着。ドアが開くと、ごちゃごちゃと作品らしきものが転がっています。

「あれっ・・・・どこかで見たことがある作品・・・あれっ、ナムジュン・パイクさんがいる!」

ナムジュン・パイクさんと言えばビデオアートの創始者で、既存のアートをぶち壊し日常にアートを落とし込もうとするグループ・フルクサスの中心メンバー。当時、最も注目されていた天才芸術家。芸術を学んだものなら、誰もが知っている憧れの人です。実は、その方が、久保田成子さんの旦那様だったのです。

それからパイクさんのアシスタントをするようになり、様々なことを学び、感じることがありました。天才は周辺を巻き込み破壊と創造を繰り返し、より優れたものを作り続ける台風のようなパワーと優しさを持った神の化身であると感じたのです。そして、鍼灸師となった現在、再び台風のようなパワーと優しさを備えられた神様に最も近い方にお会いできる機会を得ました。山元式新頭鍼療法の創始者、山元敏勝先生です。

単純明快で普遍的しかも、脳神経疾患、視覚聴覚等の感覚疾患、整形外科疾患などあらゆる疾患に効くツボを頭皮に見つけられたのは、何千年と続く鍼灸の歴史上、山元先生ただ1人。89歳で、ますます進化し続ける現役医師、まさに天才です。山元先生は、のべ150万人の患者の声を丹念に拾い上げていく臨床体験の中から「ソマトトープ」と言うものを見つけ出しました。これを私は「小さな人型の投影」と呼んでいます。「小さな人型の投影」が頭皮だけでなく体の表皮に存在して、その治療点となっているのです。

具体的な例をあげれば、胸骨は頭、首、胸部、腹部となり、第一肋骨は上肢に、第6、7、8肋骨は下肢の「小さな人型の投影」となり、治療点を示しています。例えば首痛の場合、胸骨の首に対応する箇所に置鍼します。すると一瞬にして首痛が消失します。この普遍的な事実が、海外の医師に認められドイツ、アメリカ、ブラジル等海外で数十万人の医師がYNSA治療を行っています。

アートを日常に落とし込んだ天才芸術家ナムジュン・パイクさんと患者さんの声を拾い上げソマトトープを見つけ出した天才医師・山元敏勝先生に遭遇した幸運。それを、次世代にどう伝えるか・・・・お楽しみに!

(一部文章を書き代えています)