
今回は、五十肩のセルフケア。3年間右肩が上がらなかった50才代の男性患者Aさんの肩、様々な治療結果後、スムーズに右肩が上がるようになりました。そのなかでも、効果的だったセルフケアのやり方をYouTubeにまとめました。
このYouTubeでは、今注目されている筋膜リリースを理論的に説明しています。是非ともご覧ください。今回は、これだけにしておきます!

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高校バレーボール春の県大会があり、優勝したチームの主力選手A君。試合中から右膝に痛みがあったそうですが、何とか頑張って翌日に来院。膝屈伸すると膝外側が痛みます。そこで、パイオネックス(円皮鍼)を7個左右の足に貼り、膝の痛みが半減。ただ、まだ膝の奥に痛みが残っています。
そこで、側頭部にあるG点に3本、耳の下の乳様突起周辺のG点に3本置鍼。
「これで、膝はどうなってる?」
「・・・・痛くない・・・全く痛くないです。」
待合室で治療を見ておられた、お父さんは、目を丸くして、
「本当に痛ないんか?」
「うん、痛ない。」
「〇〇君も連れて来んといかん、結局、彼は試合に出れんかったんじゃけん。」
こうやって、少しずつ口コミで増えていけばいいのですが、実際には、中々増えません。まだまだ、鍼治療に対して偏見が多いようです。ただ、コロナ禍で外出しづらい中、何とか生活出来ているので良しとしています。というか、コロナ禍でこもっている間に、ドンドン創造的な活動を行うチャンスがあると考えましょう。明日、早速始めます!

一週間前に、友人からもらったアザミが、勢いよく咲き続けています。先週来られた患者さんが、
「あれ?先週と全く変わらない・・・・凄い勢いですね!」
「凄いでしょ・・・・本当にビックリしています。」
ほとんどの患者さんが、アザミに気付いて驚いています。そこで、アザミについて調べてみました。
ノアザミ(野薊、学名: Cirsium japonicum[1])はキク科アザミ属の多年草。日当たりのよい山野に生えていて、初夏から夏に花を咲かせるアザミのなかまの一種。深く切れ込んだ葉の縁にはとげがあり、花色は赤紫色や淡紅色のほか、白色もある。
和名ノアザミは、「野アザミ」の意味で、アザミはこの仲間の植物(アザミ属)の総称である[2]。アザミの由来については、一説には触ろうとするとトゲに刺されて「欺かれた」という意味からついた名とも言われている[3]。別名を、コアザミともいう[3]。中国植物名(漢名)は、大薊(たいけい)[4]。
花言葉は、「触れないで」である[3]。
分布と生育環境[編集]
ノアザミの分布域は広く、日本の本州、四国、九州のほか[2][5]、アジア大陸にも変種が分布する。丘陵近くの野原[6]、山野、草原、道ばた、河川敷に自生し[4][7]、日当たりのよいところでよく見かける[2]。
とあり、世界には250種類あり、日本でも100種類ほどあり、その分類は非常に難しいそうです。また、天ぷらにして食べることも出来、根っこは切りとって5分程煮てから、きんぴらにしても美味しいそうです。
なるほど、これだけ勢いがあるから、食用になるわけですね!

70才代の女性患者Bさんは、耳鳴りと難聴のため、私は大声で話さなければなりません。今回は、自律神経と内臓の調整をする前に、左右の耳周辺へ6本ずつ12本と後頭部に1本の合計13本を置鍼。そして、足首から下にパイオネックス(円皮鍼)を貼っていきました。すると、
「先生、音楽かけとるん?」
「はい、かけてますよ。」
「あれ?やっぱり・・・・来た時には、聞こえなんだけど・・・・今、聞こえる!」
「あああそうですか!それは、良かった・・・・・だれが歌いよるか分かりますか?」
「・・・・それは、わからんけど・・・・」
「坂本冬美です。」
「私、好きじゃ。」
などと、会話が弾みました。Bさんは、後頭部に刺した鍼が特に良く効いたそうです。以前には、Bさんのご主人の右側頭部と後頭部に置鍼して、その3日後に聞こえなかった音が聞こえるように治療をしたことがあるので、お二人とは、相性がいいようです。
置鍼は、耳中央部に向け扇(おうぎ)状に刺すといいようです。それにしても、この耳に対する置鍼を発見された山元敏勝先生には、ただただ、感謝と尊敬の念があるのみです。少しでも山元先生に近づけるよう、足首から下の治療点を見つけ続けようと思います。

半年前、病院で大腿骨遠位部が壊死(えし)していると言われた60才代の女性患者Aさん、1ヶ月通院し、ピタッと来られなくなりました。そして、1カ月前から再び通院されるようになりました。
1カ月前の治療日まで、どうやって歩くのか・・・歩き方を忘れていたそうですが治療後、
「あっっ、足の付け根(股関節)から歩くんじゃ!と、分かって感激したんです。」
とおっしゃっていました。病院では、大腿骨遠位部壊死と言われたのに、歩けます。一体どういうことなのでしょう?素直な疑問が生まれましたので、調べることにしました。
武蔵小杉整形外科の小谷野康彦(こやのやすひこ)先生の記載文がインターネットで見つかったので、下記に引用します。
『変形性膝関節症で治療中の方の中で、急に痛みが悪化して歩行困難となり、時には夜間就寝時にも耐えがたい痛みに襲われる場合があります。その時にMRIを撮影すると膝関節を構成する大腿骨遠位部または脛骨近位部に骨髄浮腫像を認めることがありますが、この所見を診て「骨壊死」(こつえし)と診断されてしてしまうケースが多いように感じます。骨が壊死しまったと聞いて愕然として大学病院などを受信される患者さんが後を絶ちませんが、実は、このような所見のほとんどは、まだ壊死を起こしていない治癒が期待できる軟骨下骨折なのです。』
上記のようにAさんは、「壊死を起こしていない治癒が期待できる軟骨下骨折」だったと理解します。壊死の原因は、血流が途絶え骨芽細胞や破骨細胞が機能しないからですが、血流が再び生まれると、本来の骨の機能が再開され、3年に1度の骨再生を始めます。骨は3年に1度生まれ変わっていることを、しっかり頭に入れて置いてください。人工骨にすると、生まれかわることはありません。
Aさんは、出来なかった正座が出来るようになりました。今回のAさんには、頭に置鍼することなく、全て足へのパイオネックス(円皮鍼)で膝痛、腰痛をとりました。
「先生、自然に歩けるし、下腹に力が入る!」
とニコニコ顔のAさん、
「パイオネックスを貼った後、2~3日後にもっと調子が良くなります。」
と言われたので、足首から下だけの治療に拍車がかかります。

フェイスブックは、毎日書くようにしているのですが、全く書けない日もあります。昨日がそうでした。そんな時は、書かないようにしています。でもそのせいか???朝寝坊。
あまり時間がないので、朝の掃除は簡略。トイレ掃除のみ・・・・と決めつけようとしたのですが、こんな時こそ、普段やれてないところの掃除を思いつきました。
「さて・・・どこがいいかな?あった、あった・・・ここじゃ!」
玄関から一番遠いところの窓。この窓は障子とガラス窓+網戸の三重になっているので、夏冬は冷暖房が省エネでとても気に入っています。ところが、ほとんど雑巾掛けをしていませんでした。
毎日、通気をよくするため戸の開け閉めをしているので、汚れを見ているのに、無意識の内に気づかない頭になっているようです。
そこで、雑巾掛け。驚きました!真っ黒クロスケ・・・・・網戸となると、この5年間全くゴミ取りをしていませんでした。すると、今まで見えていた網戸の網が、見えなくなるほど透けてきます。丁寧に拭き取り、玄関の方まで行って、改めて網戸を見て見ました。
『あれ?網戸・・・外しのかな・・・』
と、思うほど透け透けです。これが本来の網戸だったのです。患者さんが、待合室兼治療室のイスに座って最初に見るところが、この網戸。これからは、毎日綺麗に拭かなくては・・・・と、思ったのでした。
「となりのトトロ」で出てくる真っ黒クロスケは、子どもしか見えない生き物ですが、私は、網戸の真っ黒クロスケを見つけて、網戸から見える明るい世界が見えました!

『「先生、何で?」「先生、何でここがザワザワするんでしょう?」
質問責めの女性患者Cさん。「さあ・・・よく分かりません。」「まあ・・・」などといい加減な返事をしていたのですが、あまりにも、言葉が先に出過ぎているので、
「いくら頭で理解したとしても、知れています・・・・実は、私がCさんのカラダの状態を聞くのが本当なんです。質問するのは私の方なんです・・・Cさんのカラダの状態を教えてください。」
と言ってからは、Cさん素直にご自身のカラダと向かい合い、適切な言葉で状態を教えてくれました。治療の途中では、Cさんの疑問に答える時間も取りました。次回の治療でどのような会話になるのか・・・・ちょっと楽しみです。 』
と以前フェイスブックに書いたことのある女性患者Cさんの続報です。以前ほどではありませんが、やはり、質問をして来られます。そこで、今回は操体法の圧痛操法だけで治療することにしました。Cさんは、両手の震えが気になって、字が上手く書けないそうです。また、右股関節の外側と、右膝が痛いそうです。畳部屋に仰向けになってもらい、緊張しているところを押圧します。すると、
「痛っったいい・・・」
という言葉と共に、激しいカラダの動きが生じます。これが無意識の動きで、カラダが欲している動きです。Cさんのように質問をし続ける患者さんは、頭で納得することに喜びや安心感を感じ、カラダの声を聞くことを忘れがちです。今回は、しっかりとカラダと向かいあってもらいます。少し荒治療ですが、これぐらいしないと、私の言ったいることを、理解してもらえないと判断したのです。無意識の動きを見て、Cさんのカラダは、両膝傾倒を欲しているのがよく分かりました。
そこで、両膝傾倒の操法を指導。上手にできるようになりました。そのあとは、右肘のコリを取る操法の指導を行いました。
「Cさん、今はどんな感じですか?」
「・・・・あれ?痛みが無くなった・・・・カラダが、ポッポと暖かい!」
「そうでしょう。無意識の動きでカラダ歪みがとれていくんです。」
「先生に教えもろた動き・・・・何かに書いとかんと、忘れてしまう・・・・先生、紙ありませんか?」
Cさんにクリップ付きのボードに紙をはさんでお渡しすると、
「・・・・・先生、手の震えがなくて、普通に書ける!」
Cさんの字を見てみると、綺麗な文字でした・・・・これで、少しは理解していただけたかな・・・・

久しぶりにベースギターの練習を、ギターとドラムの奏者と共にやりました。最近1人練習を休んでいたので、ちょっと指が忘れているところあり。継続がやはり大切だと、痛感しました。
明日から、空き時間をベースギター練習にも使おうと思います。
エレキギターの神様・寺内タケシのお弟子さんが、私の師匠なので恵まれています。まず教え方が上手いので、ついつい乗せられ楽しく弾けるのです。私は決して上手くないのですが、皆んなと音を作ることの楽しさが、少しずつわかるようになって来ました。
ピアニストのフジコ・ヘミングの曲に、すっかり魅了された佐賀市在住のノリ漁師・徳永義昭さんは、52才から突然独学で、ピアノ練習を始めたそうです。しかも、リストの難曲「ラ・カンパネラ」を・・・・・・・そして、ついに、北九州市で行われたフジコ・ヘミングさんのコンサートにゲスト出演し、フジコ・ヘミングさんの演奏前、多くの聴衆を前にピアノを弾かれたのです。徳永さんは「夢が実現し、感無量の思いだ」と感想を語ったそうです。私は、そんな野望は全くありませんが、年とは関係なくやる気になれば、人は何でも出来るという事を改めて知ることが出来ました。
音楽演奏と縁の無い生活をしていた私にとって、演奏する時間と空間はとても新鮮。偶然にも、無垢材で覆われた治療室は、最高の音響空間だったのですから、60才を超えたおっさんが、コロナ禍のご時世にいただいた、最高のプレゼントだと感謝しているのです。
人は年をとり、いつかは死を迎えますが、笑って死ねるといいですね・・・・死ぬ間際の音が、楽しく美しいものであれば・・・・最高。

「足首から下で治療する」が今のところの目標です。パイオネックス(円皮鍼)を貼ると効果が持続します。またご自身が、中指を軽くパイオネックスに当てがうと、自力自療になります。私が治療している患者さんは、脳梗塞などの重症患者さんではなく、不定愁訴(ふていしゅうそ)という病名がつく前の状態の患者さんが多いので、「足首から下で治療する」に挑戦できるのだと思います。
山元式新頭針療法の教科書に症例が沢山でていますが、脳梗塞、四肢麻痺、顔面麻痺などの重症患者の方々には、頭に置鍼でないと無理だと思います。残念ながら私は、まだそのレベルに達していないので、今できる範囲内で工夫しているだけです。勝手に仮説を立てて、患者さんに聞きながら新たな治療点をみつけるのは、本当に楽しいのです。
実は、今日も見つけました。2人の患者さんに診断点、治療点を聞きながら患部の痛みが無くなったことを確認出来ました。ただ、まだ2人だけですので、継続して検証しなくてはいけません。私の場合、自分の足の圧痛点を見つけトンスケ(ガイコツのモデル)を眺めながら、発想します。
トンスケを見ていると、相似形がキーポイントになるように思います。同じ様な形は、同じ様な機能を有するように感じます。明日も検証してみます。



昨日は、実家に帰りました。しかし、肝心の母親はお友達と茶道の練習会で、会うことが出来ませんでした。コロナ禍なので、毎日曜日のお茶会をやめていると思っていたのですが・・・まあ、一週間後には、会えるので大丈夫。
弟が芝桜を沢山栽培していました。棚田で有名なこの地区には、日本一の米作り農家もいるので、芝桜を植えてアピールするのは、良いアイデアだと思います!弟には、大学の親友が翻訳した「人間主義的経営」の本をあげました。地域お越しの参考になれば良いと思います。そして、以前にフェイスブックで紹介したこともある近藤林内邸の跡地を見学しました。立派な石垣から大きな屋敷であったと想像できます。今は、誰の所有地でもないそうなので、イタドリを沢山取って帰り、現在料理中です。
私は、高校1年の夏休みまでは、この地区(河之内といいます)に住んでいたのですが、近藤林内邸を見たこともないし、その部落(日浦といいます)にも行ったことは、ほとんどないのです。灯台下暗しとは、この事です。私の実家がある部落(音田=おんだ)と、お隣の日浦の地形が全く違うのに驚きました。日浦は急傾斜地にあるのですが、陽当たりが良さそうです。また、対岸の美しい棚田が見れるのはとても贅沢でした。音田からは、なだらかな勾配になり川の流れが緩やかになっていきます。
日浦の奥に、問屋(といや)という部落があり、白猪の滝(しらいのたき)という冬には凍る滝があります。ここに、正岡子規や夏目漱石が足を運び、近藤林内邸で宿泊したそうです。昭和2年に松山道後名所図絵が作られ、唯一観光地として取り上げられたのが、私の実家がある河之内です。その絵に惣河内神社(私は、この神社の社務所で小学校5年まで生活しました)と描かれているのですから、もう少し誇りに思ってもいいようです。
弟が言っているように、河之内は、まさしく「松山の奥座敷」なのです。