待合室にヤモリインコ

 

待合室にセキセイインコの「チイちゃん」が招きインコとして登場。これは、長らく同居していたメス猫モモが、チイちゃん襲撃をしたための、苦肉の策です。以前にも紹介したことがあるのですが、このチイちゃんは飛べません。生まれた時からカゴの中にいたのでしょう。我が家に来た時、入り口を2日間開けて散歩を試みました。ボーちゃんというオスインコが散歩で部屋中を飛び回っても、チイちゃんだけは、カゴの中。

無理やり出すのは可哀想なので・・・・と、現在にいたりました。飛ばないけれども、ヤモリ🦎のように、カゴをクチバシと足を使ってはいずり回っているので、相当な運動量です。

先日、一度だけ開けた入り口付近まで来たチイちゃんを、飛ばせようと試みたのですが、真っ逆さまに落ちました。「ドスン!」という音と共に、モモ(メス猫)が走ってやってきたのを、やっとの思いで救い上げカゴに戻したのです。

チイちゃんには、招きヤモリインコ🦎🦜として働いてもらいます。

牛乳再び

牛乳再び

待合室に「牛乳はも~いらない‼︎」という新しいマンガ本を揃えました。「牛乳はモー毒?」というマンガ本を知人に貸しているので、もう1冊注文したのですが、正解でした。

すごいマンガ本です・・・・今回は、監修された真弓定夫医師の監修された本。

今日は、真弓定夫先生の思いを掲載します。

「人以外の哺乳動物は全て自分の母親の乳だけで育ちます。ネズミの赤ちゃんはネズミの母親の乳がライオンの赤ちゃんにはライオンの母親の乳が最も適しています。当然ながら人の赤ちゃんは、人の母乳人の母親の乳以外与えてはいけないのです。もう一つは非常に大切なことなのですが、母乳はいつまでも飲み続けてはいけないのです。すべての哺乳類には、それぞれ適した断乳の時期があります。断乳することによって親離れをして自立していくのです。」

これから

 

気がつくと、もう70才が目の前。

これからが、人生を楽しむ時間となるのです。発見が一番・・・・これから、これから!

フェリー

興居島のフェリー待ち場で、可愛い電球が吊り下げられていたので、描いてみました。天井は黒い鉄板で壁はグレー。本当は4個ぶら下がっていたのに、1個省略。描くより、何を描かないかの方が大切な気がしたのです。さて、さて・・・・松山高浜港から、フェリーが戻って来ました。これから、フェリーに乗り込みもう一軒出張治療に向かいます。

フェリーに乗っても、まだ出発しないので対岸の松山方面を描いてみました。

牛乳はモー毒? 7

 

「もう、牛乳は飲まん!」

『牛乳はモー毒?』というマンガ本を1週間お貸しした80才代の男性患者Aさんの第一声です。

「なんで、政府はこうゆう大事なことを言わんのじゃろか?」

「まあ~、色々あるんでしょう・・」

と言葉を濁しておきました。それでは、マンガ本が返ってきたので『牛乳はモー毒?』を続けます

官兵衛先生には、牛乳が原因の一つとなっている生活習慣病以外にも気になっていることがあるそうです。

「最近、犯罪や異常行動が増加しています。それもどんどん低年齢化していますね。実はこの現象も牛乳の過剰摂取と因果関係があると確信しています。だから牛乳の摂取量を減らすべきなのです。」

「授業中に落ち着いていられないで歩き回る子がいるけどそれもそうかしら。」

「うん、それも牛乳過剰摂取のせいだと思うよ。」

「じゃあ切れる子供や少年たちが多いのもそのせいね。」

「その証拠に問題行動を起こしていた生徒に牛乳をやめさせただけで情緒が安定し、暴力をふるう回数が減ったという記録があるんです。」

[官兵衛先生からお母様方へ]

厚生労働省も牛乳の過剰摂取と心の偏りの密接な関係に気づいたのか、2002年度からは公立保育園の牛乳給食の量を2001年度までの1日平均200mlから80mlに減量しました。なぜ減量したかは一切不問にしています。2000年5月、厚生労働省は『健康日本21』と言う成人向けのガイドラインを作成しました。成人向けの牛乳摂取量を乳製品も含めて1日130ml以上と明記しています。成人よりはるかに体重が少ない小学校1年生の給食に200mlもの牛乳を与えるのはあまりにも多すぎます。

今日は、ここまで!

祖父

昨日は、父のことを書きました。私の父は、養子で佐伯家に来ました。元々は同じ町内の神社(川上神社)の末っ子で野口姓を名乗っており、教師として子供たちに夢を与えたいと20才で教員になりました。その姿を見ていたのが、私の母方の祖母。祖母は5人の子供を産みましたが、5人とも娘。是非とも後継を・・・・・・と思っていた矢先、エネルギーの塊のような父を見て、「これ!」っと思ったのでしょう。祖母が父を養子に迎えたのです。

父は、佐伯家の長女と結婚し、長女の父(私の祖父)らと同居。その間に私が生まれたのです。両親は教員として働いているので、祖父母との生活が幼い私には、日常でした。

それで、今回は祖父のこと。祖父は8才から俳句を作る俳人でした。180人もの弟子を持つ俳人。個性的な書体にもかかわらず、温厚で孤高な生き様は、自然と「巨星塔先生」と人々が慕う存在でした。

祖父の臨終間際に、取った態度が私の理想です。祖父は親族が見守るなか、突然起き上がり、敬礼をしたのです。左からゆっくり右を向きながら一人一人を見つめながら・・・・見守る親族は、

「じいちゃん、じいちゃん、じいちゃん 」

と涙。祖父はその数日後に亡くなりました・・・・理想の死に方を示してくださった祖父。

私も続きます。

さらす

最近、親父さんに似てきたなと思いながら生きている事があります。

親父は、他人のために一所懸命生きる無私の人でした。それを受け継いているのが、私の弟・敦です。

私は幼いころから、お調子もんで物事を冷静に見る目を全く持っていない、自己中心的アホです。

ところが、5才も違う弟は、親父のような慈悲に満ちた感覚を持ちつつも、客観的に分析する能力を持ち合わせていたようです。

それを分かった上で、私がどう生きるか・・・あの馬鹿兄が、無私になれるか・・・・他人のためにどれだけ生きるか・・・・死ぬ瞬間さらします。

描く

 

今日は、午後9時に仕事終了。八代亜紀の歌を聴きながら、ipadに描いた絵・・・・やっぱり、描くのは面白い。

明日は、興居島。これから食事をして、早く寝ます!

グランマー・モーゼス

グランマー・モーゼスという愛称でアメリカ全土で慕われたお祖母さんがいます。彼女は75才から絵を描き始め、101才まで描き続けました。40年前に京都大丸百貨店で、グランマー・モーゼス展があり、その絵を見た時から、虜(とりこ)にになりました。

私も、彼女の歳に近づいてきました・・・落書き感覚で、無理せずiPad に描いてみようと思います。