友近ママ

明日(土曜日)、午後7時30分頃「友近ママの魔法の引き出し」というラジオ番組に出演することになりました。もう12年も続いている番組です。午後7時~8時30分という長時間番組の15分間くらいを、おしゃべりをすることになりました。先日、打ち合わせがあり、資料を作って提出しようとしたところ、

「いらない、いらない、大体話を聞いたので分かった。」

と、プロの返答が返って来ました。さすが、芸人・友近のママさんでありました。おしゃべり上手の友近ママに、口下手な私・・・・もう、今から気分がちょっと憂鬱・・・友近ママは、多彩な方で、占い師、画家の顔を持っておられ、歌も上手(友近のママですから・・・)。

まあ~、何とかなると思うしかありません。音楽バンドあじさいクラブのメンバーが、応援で旗振りしてくれそう・・・・ちょっと恥ずかしいのですが、ありがたいことです。明日は、午前中弟が地元の公民館で講演をするので、それに参加してから松山市に戻り、心を落ち着けラジオ番組に望みます。頑張っていきましょい!

限界集落?

私の弟が、地元の公民館で講演します。10月22日10時からです。時間のある方は、是非ともお越しください。私がいうのも何ですが・・・弟は優れ者です。面白い発想で限界集落からの挑戦を真剣にしています。限界集落とは、65才以上の人が人口の50%以上の集落をいいます。まず、ネーミングが悪い。誰がこんなバカな言葉を作ったのでしょう。

長寿健康集落と私ならネーミングします。血液学の第一人者・森下敬一先生がコーカサス地区(アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージア=黒海の東でトルコの北)の長寿研究を30年間されました。150才の元気な人々がザラにいたそうです。澄み切った空気を毎日肺にいれ、その地域にある野菜、穀物とヨーグルトを食べ、よく働き、よく笑う。これが、人が生きる原点です。

日本では、限界集落と言われている長寿健康集落が、コーカサス地区にあたります。これからは、若者がインターネットで仕事出来る時代、どんどんそんな若者が長寿健康集落に移住して、長生きを目指す段階になっています。もう薬なんかに頼る時代は終焉します。所詮、薬は石油製品、毒です。こんなもの飲み続けること自体が異常であると思いましょう。

弟に頼まれた絵、ボツになりました・・・さて、どんな講演になるのでしょう?楽しみです。

利き酒大会

 

 

(昨日の様子です)

 

(昨日のことを書いています)

バタバタしていて、しばらく文章を書けない日が続いていました。今日は、これから冷酒飲み比べに行くことになり、バスを待っています。あじさいの杜鍼灸院は、「津田団地前行き」のバスに乗り、最終駅の津田団地前で降りて、徒歩1分のところにあります。ですから、津田団地前が始発でもあり、便利です。約30分かけて大街道という松山市の繁華街に向かうのです。昨日、突然居酒屋のご主人から電話があり、

「先生、お得意さんから飲み比べをお願いされたので、来られませんか?」

と誘われたのです。日本酒大好きの知人を誘ったのですが、リモート会議があるので参加出来ないとのことでした・・・・他に誘うことが出来る知人がいないのは、寂しい限りです。松山に帰って来て、6年経ちましたが飲み友達(お酒を飲めない友達はいます)が余りいないのに気づきました。今はバスに乗り大街道に向かっているのです。帰宅時ラッシュでバスが10分遅れているようですが、いつも鍼灸院で過ごしている私にとって、暮れゆく空をボーッと眺めるのもいいものです。

高校野球の名門、済美高校を通りもうすぐ、大街道に着きます。いつの間にか暗くなっていました。10月も半ばとなると6時になると夜です。松山市駅前に着くと乗車客がどっと増えて来ました。ここは市役所前、もうすぐ降りる用意440円を用意します。大街道で降りて、入り口の腰掛けに座って、時間潰し。松山は結構、自転車通勤が多いのに驚きます。さて、目的地「懐凪(かなぎ)」に向かいましょう。

ということで、効き酒大会となりました。初めてお会いする4人の方々と楽しい会話をして、美味しいお酒をいただきました!

号鼓

 

私の知人から、太鼓を打ってカラダを整えて、心も整えるワークショップに参加するという話を聞きました。

『それって、弟が毎朝やってる事!』

と思ったのです。私の実家は東温市の山奥にある神社の宮司をしています。弟がその家業を継いでくれています。朝、太鼓を叩いて1日の始まりを記します。これを、「号鼓(ごうこ)」といって御本殿を清め、地域の人々の心を鎮め正すための太鼓だそうです。その後に祝詞を唱えるのです。

私も幼い時、父親に連れられ父親が叩く太鼓の横にすわり、

「ドドン、ドンドンドンドン・・・・」

という心臓に響く波動を全身に浴びて、緊張した経験を思い出しました。小さなカラダには太鼓の波動が直接伝わり心臓から揺さぶられるような衝撃を浴びます。これがお清めなのだと思います。この太鼓の波動を浴びるだけで身も心も清まる神道。これは、治療の道に通じます。私も最終的にには弟の太鼓が聞こえる場所で、治療をするのが一番よいのかも知れないと思うのです。

いずれにしても、あじさいの杜鍼灸院を始めてまだ、7年目。これから私の元へ全国の患者さんが集まる様な鍼灸院になれば、限界集落といわれるところで開業しても経営が成り立つ事でしょう。それが出来るように精進いたします。

大三島

愛媛に帰って、最も気になっていた大三島に初めて行きました。大三島には今治市伊東豊雄建築ミュージアムがあります。去年開催された東京オリンピックの新国立競技場のA案とB案が最終的に残り隈研吾氏の案が採用されたのですが、されなかった案を提供したのが伊東豊雄氏でした。この伊東氏の知り合いが関東から来られ、大三島に行くというので便乗旅行となりました。知り合いと合計4人の楽しいドライブでした。

まず着いたのは、大山祇神社。ここには日本最古、樹齢3000年のクスノキがあります。それより400年若い樹齢2600年のクスノキは、つっかい棒を必要としないで、空に向かって向かってそびえています。もうこれを見るだけで来た甲斐がありました。そして、全国の甲冑(かっちゅう)の8割が収められている宝物館、国宝館を見学。あの源義経は伊予守(いよのかみ)だったのです。源義経の奉納された甲冑、武蔵坊弁慶の使っていた薙刀(なぎなた)など歴史的人物の所有物が国宝、重要文化財として展示されています。1000円の入館料の値打ち以上のものでした。

頭がふらふらするほどの感動の後は、大漁というレストラン。この海鮮丼は凄いものでした・・・普通の海鮮丼とは違います・・・というのが精一杯・・・20~30分の待ち時間など、問題なしでした。そして、今治市伊東豊雄建築ミュージアムに行き、大三島を日本一の島にするプロジェクトを体感しました。夕方には鍼灸院に戻り施術をしたのですが、その患者さんに言われました。

「先生、そこまで行ったら潮流体験せなアカン。鳴門の渦潮なんか、オモロないけどあそこの潮流は凄い、下から渦が昇って来よる・・・それと、マーレ・グラッシア大三島の露天風呂。夕方に行かんとアカン。夕方でっせ、夕陽が海に沈んでキラキラ輝いて、それは絶景!」

ロクムシ

9月3日にHOP株式会社の皆様が、実家を訪ねてくださいました。幼い頃から、近所の友達と遊びほうけた場所を、見て体感していただくのは、嬉しいものです。案内しながら、走馬灯のように幼い記憶が蘇(よみがえ)ってきました。

今の子供達が味わえなかった、自然との戯れ・・・・ただそれだけでした。お宮とお寺(隣り合わせになっています)で、夕暮れまで遊び続ける毎日。どこにも行く必要がありませんでした。この2カ所とその間を流れる小川が最高の遊び場所。時に、鎮守の杜に駆け上がることもありました。雨に日は、お宮の畳間で相撲を取ることができました。最高の贅沢は、御神木のクスノキ。これは、洞になっており、横に空いた入口から入り、内部をよじ登り木の上まで行くことが出来ました。当時最も流行っていたのは「ロクムシ」。

野球の道具なしバージョンで、ボールは軟式テニスボール(確か10円)でそれをワンバウンドで投げ、手をグーにして打つのです。フライになったボールは手の平
に当てると、打者アウト。またゴロになったボールを取って相手にぶつけるとアウト。6回ホームベースを踏む(1人で6点取る)と、全員(アウトになって試合に参加出来なかった人も)がもう一度打つことが出来る・・・初期化することが出来るので、最後まで残ってチームメートを助けた人が英雄になれるのです。

夕方になり、ボールが見えにくくなっても、遊び続け、親父が、

「ひろむ、ご飯じゃ、帰って来い。」

「うん、分かった・・・・帰るけん。」

と返事をしても遊び続けたのです。しばらくして、再び父親が

「何しよんぞ、早よ帰って来んか・・・皆んなもやめて帰れよ。」

で、泣く泣く遊びをやめる日々でした。全てに感謝です。

限界集落

 

東京の大親友が、仕事仲間3人と松山に来られて、3日目の昨日は、私の実家をご案内しました。まず、父親の実家である川上神社に行きました。この神社は道後平野の扇状地の要(かなめ)に位置するところにあります。そのため、松山市の見張りが出来る個所のように思います。

そして、母親の実家であり私が生まれ育った惣河内神社、隣りには金毘羅さん。松山市から20kmも離れた山間地にもかかわらず、立派な神社とお寺です。ここは、高知と松山を繋ぐ宿場でもあったので、江戸時代には随分栄えていたようです。しかし、今や*限界集落というレッテルがついています。

私は、惣河内神社の長男に生まれたにもかかわらず、地域を出て弟に宮司として、頑張ってもらい、後ろめたい気持ちはあるのですが、私でなくしっかり者の弟が後継ぎをして、正解だと思っています。私で出来る範囲の応援をしていくつもりです。

東京から来られた4人は、神社、お寺、近くにある渓谷の霊気、冷気、マイナスイオンをたっぷり感じていただいたと思います。この奥には、夏目漱石、正岡子規が訪れた白猪の滝という雄壮な滝もあり、ちょっとした穴場です。そのうち、弟を中心として「限界集落からの逆襲」があると思います。乞うご期待!

*限界集落(げんかいしゅうらく)とは、人口の50%以上が65歳以上で、農業用水や森林、道路の維持管理、冠婚葬祭などの共同生活を維持することが限界に近づきつつある集落のことである。

2015年の国土交通省の調査では、今後10年以内に消滅する恐れがあると予測される集落は570あり、いずれ消滅する恐れがあるとみられる集落と合わせると、過疎地域全体の4.8%(3,614集落)になる。

講座

昨日は、大学時代の大親友が仕事仲間3人と松山にやって来ました。午後1時から、親友と仕事のパートナーの女性を治療したのですが、治療の前に、「血液は小腸からできる講座」「ほとんどの人は、右骨盤が上前方に変位している講座」など、講座形式で進めました。進めながら、『こういうの、良いな~』などと思ったのです。

2人に同時に喋ることで、時間を有効に使えます。そして、私の治療に理解を示してもらえやすいと感じました。もっとも、今回は時間的な余裕があり、わざわざ東京から来られたということもあり、講座をしたかったのだと思います。

その後、市内の料亭で10時まで飲んで楽しい時間を過ごしたのです。今日は、ここまで!

Give and give

鍼灸院と看板を掲げると、敷居がどうしても高くなります。特に、当院は予約制のため、飛び入りの治療がしづらい状況にあります。そこで、ある患者さんから面白いアイディアを頂きました。

「先生、畳部屋でゆっくり時間を過ごすだけの時間を作ってあげたら、どうです?無料で。」

「確かに、それは面白いですね・・・・最近、畳部屋が少なくなっ来て、畳部屋でゆっくり仰向けになる事がないとおっしゃる患者さん、多いんです。」

その患者さんは、まず身近の人たちとしっかり接して、必要な物を、give and give 与え続けることが大切だと、指摘してくれました。確かに当院の近くには、中学校があり通学路になっており、信号も近くにあるため、朝の出勤時には、車の行列が出来るところ。この状況をしっかり把握して、次のステップに進むべき時期かも知れません。そうすることで、敷居が低くなって交流が自然に生まれてくるように思います。その様になれば、いつの間にか、give and takeの関係になっていくように感じます。

出来れば、中学校の2学期が始まる前に、看板を作るつもりです。今日は、パテを塗って準備が出来ました。明日、明後日でデザインの下絵が出来るといいのですが・・・お楽しみに!

仙台育英優勝おめでとう!

h

宮城県代表の仙台育英高校が、東北勢初めて優勝!

東北とはあまり縁がない私ですが、嬉しくなりました。大学時代の先輩、後輩には東北出身の野球メンバーが数多くいたので、その方々が喜んでこんいるイメージが浮かぶと、本当に嬉しくなります。私がバットを短く持って、当てるバッチングだけしかしていなったのを見た秋田県出身の先輩が、

「佐伯、バッチングは、・・・キン◯マを、はさむ事。」

この一言で、私の野球人生がガラリと変わったのです。下半身の捻りを上手くバットに伝えると打球は飛んでいくのです。この一言を体得すると、もうホームランしか狙わないバッターに変身してしまったのです。どんなことがあっても、私はバッターボックスで構えるとホームランしか狙っていませんでした。170cm70kgの思い切りのいいバッターになってしまったのです。しかも、直球を「1、2の3」で待っている単純なバッター。変化球をヒットにする事はありませんでした。

それで打ったホームランは2本だけ。打撃に関しての記憶は断片的で、高校の打撃はほぼ覚えていません。大学でもいい加減なもので、2本のホームとランと、1本の三塁打を覚えているくらいですが、1番の記憶は、なんと言っても3年の春。ベーブルースがホームランを打った静岡県にある草薙球場での合宿のこと。

選抜高校野球準優勝投手という、鳴り物入りの初見投手が我がチームに入って来た時、大学野球の力を見せつけようと私が最初にバッチングゲージに入ったのです。その日は霧に覆われ湿気が多く、しかも練習用のボールとなると、ボロボロで重いのです。こんなボールは芯に当たらないと飛びません。公式試合で使用するボールは新しくて軽いので、真芯に当たっても手ごたえが無いのです。ところが、ボロボロのボールでしかも湿気がいっぱいの物を真芯で捉えると、物凄い手ごたえがあるのです。その時は、その感覚。1年生の初見がピッチングマシンにボロボロボールを入れて、

「ボールいきます。」

「ガキーン!」

とんでもなく重い感覚がバットを振り抜いた後まで、残りました。その重い感覚が一直線で外野席の芝まで(つまり、ホームラン)繋がっていったのです。「ドスン」という音を残して。しかも、2打席連続で・・・・これには、あの初見も頭を抱えて、

「スゲエーーーー」

とまでは覚えいるのですが、それ以降の私の成績は下がる一方・・・でも、こんな事を書く事が出来たのは、仙台育英高校のおかげです。・・・仙台育英高校おめでとうございます。ありがとうございます!