Jソマトトープ

前回、左肩が抜けて自分で入れた30才代の女性患者Bさんが来院されました。

「肩の調子、どうですか?」

「・・・・あっあ、忘れていました・・・大丈夫です。」

どうやら、肩の調子はいいようです。ところが、背中の中央部と両フクラハギに張りと痛みがあります。いつものように、合谷診(人差し指と親指の間の触診)、上腕診(肘内側の横紋周辺の触診)

首診を行って治療点に置鍼をしていきます。途中でBさんが、

「右目が、変!テープで貼り付けられたみたいになって・・・・目が開かない。目の周り(眉毛あたり)が、痛いです。」

「・・・・そこなら、動眼神経。」

オデコの生え際から頭頂部にかけて、12脳神経の治療点が並んでいます。その3番目が動眼神経なので、そこにに置鍼。

「どうですか?」

「・・・・少し目が開くようになってきました。」

今度は、オデコにある感覚点という目、鼻、口の治療点のうち、右目の治療点に置鍼。

「どうですか?」

「・・・・まだ、痛みがあります。」

そこで、今度は7番目の顔面神経をねらい置鍼。

「これで、どうですか?」

「・・・・目は、よく開くようになってきました・・・けど、痛いです。」

そこで、頭頂部にあるJソマトトープ(小さな人型の投影)の右目に当たる圧痛点を探し、置鍼。

「痛い!!!」

置鍼の時、かなりの痛みがあったようです。こういう時の方が、効きがいいようにおもいます。

「・・・・痛くない!・・・痛くないです。」

何とか、右目のトラブルは治ったようです。

「これで、家に帰って、ゆっくり1時間半寝ると、すごく効きがいいんですよ。」

ニコニコ顔で帰られるBさんでした。

たいぎい

「先生・・・・〇〇ですけど、母親(90才)が、たいぎい言うてるんで、今日の予約・・・申し訳ないのですが、キャンセルしてよろしくでしょうか?」

「この暑さじゃったら、たいぎいですよ。無理しないのが一番です・・・お大事にするようにお伝えください・・・・お電話ありがとうございました。」

と、本日1件のキャンセルがありました。ご高齢の方にとって、この猛暑は尋常(じんじょう)ではありません。無理は禁物、良い判断だと思います・・・・それより、久々に聞く「たいぎい」という言葉に愛媛の昭和の響きを感じ、ちょっと嬉しくなったのです。

私の鍼灸院の近くには、中学校、高校があるので学生が自転車に乗っての会話をよく耳にします。

「・・・・じゃけん。」という伊予弁を聞くと安心するのですが、関東方面の言葉っぽいアクセントやら、「・・・じゃねい?」などと背中がぞーーーっとする言葉を聞くと、ちょっと付いていけない感・・・

たいぎいは、大儀・・・「型にはまった仰々しい式典」から、来ているのでしょう。大儀そうは、そんな仰々しい式典になりそう・・・・そしたら、つまらん、しんどい、行きとうないと、なります。

小学校の頃、式典の練習をよくしましたが、そのたいぎい事、この上もないものでした。

そのたいぎい事が、今となっては懐かしく貴重な体験として感じられます・・・・欧米風建築の家並みの中で、茅葺民家に出会ったような感じなのかもしれまん。

チッパーシュレッダー

 

6月末、愛媛県立美術館で展覧会に参加したあと、治療院横にあるガレージに積み木を保管していました。しかし、今後展覧会を開く予定もなく、コロナ禍が終息しそうもない現状では、保管出来ないと判断しました。ガレージに数箱残して、残りの40箱は、軽トラックで3往復し、実家に運び込みました。

弟が、チッパーシュレッダーという、竹や樹木を粉砕する機械を購入したので、これで細かく刻み、それをくん炭にします。実家の周りには、竹林が多くあるため、それらを伐採しチッパーシュレッダーで粉砕してやはり、くん炭し畑に戻しているようです。

くん炭の内部の断面は、細かい穴があるため、排水、保水に優れています。また、PHが高い(アルカリ性)ので、酸性の土壌に入れるといいようです。また、くん炭のニオイをアブラムシが嫌いなため、寄り付いてこないそうです。そして、菌の増殖を抑制して菌を減らす静菌作用があるそうです。そのため、弟にはクスノキを粉砕したものをくん炭してもらい、我が家の畑にたっぷり入れたいと思います。

キュウリの葉っぱのベト病対策になりますように!

キュウリ

 

今年は、豪雨が続いたこともあり、キュウリが不作だそうです。スーパーに並んでいるキュウリ1本が50~100円もするそうです。家庭菜園を始め、この1か月は毎日3~5本のキュウリを食べ続けています。この日々を過ごしていると、何でもっと早くから家庭菜園をしなかったんだろう・・・・なんて思ってしまいます。

もっとも、初心者なので1株から10~20本位しか取れていないと思います。キュウリは4株あるので、何とか農家の方の1株分くらいにはなったかも・・・知れません。上手くいかなかったのは、豪雨続きでベト病になった葉っぱをそのままにした事だと思います。

ベト病は、カビによって発生する伝染病なので、見つけるとすぐにベト病になった葉っぱを伐採して燃えるゴミとして出さなくてはなりません。それがやっと分かりました。このベト病には、つくしの花粉で作った農薬がいいとのこと、来年はしっかり作ってみようと思います。

セキセイインコの習性

以前、NHKの「ダーウィンが来た」でセキセイインコの特集がありました。オーストラリアの原野で群れになって生活するセキセイインコは、ミドリ、黄色を基調とした同じ様な色調だったと思います。そして、鷹(たか)などの天敵から身を守るため、イワシが海で一塊(ひとかたまり)の巨大生き物のように泳ぐように、やはり、セキセイインコは大きな塊(かたまり)で飛びます。その群れからはぐれたインコが、天敵のエサとなってしまいます。

この生き残るための習性が、飼い主やパートナーのインコと同じ行動パターンを作ります。あの番組では、飼い主が食事を取っていると、インコがエサを食べ始め、飼い主がうとうと昼寝をすると、インコも昼寝をしていました。

我が家のキーとボーを見ていると、やはり片方が目をつぶってウトウトすると、もう片方がウトウトしています。一見すると、可愛いたわいもない仕草ですが、これも生き残るための習性。未だ行ったことのないオーストラリアの原野に集団で飛び回るセキセイインコの群れに思いを馳(は)せるのも気持ちの良いものです。

セキセイインコの新居

「最近、セキセイインコを飼っているのよ。」と何気なく話始めると、50才代の女性患者Aさんが、ニコニコしながら、

「先生、私も飼ってます。」

「えっっっ、そうなんだ・・・・そしたら、連れて来るね、見てくださいよ。」

ということになり(置鍼が終わり、雑談中のお話です)、2羽の入ったケージを持って来ました。

「先生、ケージが小さい。」

 

 

 

 

 

「・・・・・そうなんよ・・・最初、1羽で飼い始めたけん・・・」

などという会話の結果・・・・Aさんが、粗大ゴミで出すはずだった大きなケージを頂くことになり、本日の治療日に早速持ってきて来れました。ケージには止まり木がありませんが、私は、クスノキの枝をたくさん持っています(6月の愛媛県立美術館の展覧会で使用)。そこで、Aさんに置鍼をして、ベッドでゆっくり休んでいただいている間に、ケージの止まり木や、ブランコを作りました(しっかり、治療はしています)。

2羽(キーとボー)は、大きな水飲み箱で、生まれ初めての水浴びを楽しんでいました。

Aさん、本当にありがとうございました😊

操体法と置鍼3本

「先生、10日くらい前じゃったろか?畑を耕して・・・・慣れんことしたんよ。そしたら、それからここ(右股関節)が痛うて、痛うて・・・」

籐(とう)の治療用回転イスに座るや否や、私と同い年の女性患者Aさんが、痛い個所を教えてくれました。そして、骨盤の右側を引くと痛みが出るそうです。いつものように合谷診(人差し指と親指の間の触診)、上腕診(肘内側の横紋付近の触診)、首診(左右の内臓診断点の触診)を行いました。

「今日は、操体法でカラダの歪(ひず)みを取ってみましょう・・・奥のベッドで仰向けになってもらいましょう。」

骨盤がずれて左右の脚の長さが違うだろうと、推測したのです。案の定、左脚が2cm長くなっています。これは、左側の骨盤が2cm下がっているからです。Aさんにも2cmの差異を感じてもらいます。

「ほらっ・・・・ここ(上前腸骨棘=じょうぜんちょうこつきょく=骨盤の前上の出っ張り)の位置が違うじゃろ?」

「・・・・うんうん、分かる、分かる。ずいぶん違うね~」

「そしたら、長い方の左のカカトに抵抗を与えるけん(私が親指でAさんのカカトを押し込みます)、ゆっくり踏み込んでください・・・・カラダの中心腰を使って・・・決して力まないで・・・」

などと、言葉で誘導していきます。上手くいくと、一回で元に戻ります。素直なカラダのAさんは、一回で長さが整いました。その後、つま先をすねに上げる操法、両膝を左右に傾倒する操法を行いました。

「ちょっと、これで股関節どうなったか・・・・歩いてみてください。」

「あれっ・・・・痛ない・・・・治った、先生!」

「良かった、良かった!・・・後は、鍼(はり)で治療しましょう・・・めまいがするって、どうするとなります?」

「何か・・・下向くとふわふわっと、なったり・・・」

「なるほど、腕(上腕診)を診た時、ここ(小脳診断点)が痛かったでしょう・・・・どうですか?」

「痛い痛い・・・・ものすごく痛い。」

「ここは小脳じゃけん、小脳はバランス感覚に関係があるんよ・・・ここをしっかり治しましょう。」

後頭部にある小脳治療点に置鍼し、ハリを保持したまま2~3分。小脳の診断点の状態をAさんに聞くと、痛くないそうです・・・・そこで、小脳以外の圧痛点を聞いていきます・・・全て圧痛点がなくなりました。1本の置鍼で5カ所の圧痛点がなくなったことになります。

次に首診で1番痛い個所を見つけると、首中央部の肝点でした。耳の上にある治療点に置鍼し、やはりハリを保持したまま2~3分保持。すると、肝点は柔らかくなり、他の診断点が4カ所柔らかくなりました。まだ、大腸診断点に痛みがあります。大腸治療点(耳の後ろ側)に置鍼して2~3分保持。これで、全ての診断点の痛みがなくなりました。

この方法の方が、効率がよいようです。

夢で治療・・・

前々回の治療で、右首と肩の境目あたりの圧痛点を軽く押すと、右腹部を押さえて「痛い!!」

と絶叫した30才代の女性患者Bさん。体調は良くなったのですが、2日前に左肩を脱臼(だっきゅう)してしまいました。Bさんは、脱臼癖があるようで、外れたら自分で入れることも出来るそうです。今回も、直ぐに入れたのですが、痛みは残っています。

「そしたら、今日は左肩が一番気になるのですね・・・・」

「はい、そうです。」

と、確認して、いつものように合谷診(人差し指と親指の間の触診)、上腕診(肘内側の横紋付近の触診)、首診をします。

合谷診:左に圧痛点・・・・左側から治療。

上腕診

左:胸椎(1)、腰椎(1)、小脳(0)

右:頸椎(0)、胸椎(1)、腰椎(1)、脳幹(0)、大脳(0)、小脳(0)

まず左の肘周辺で一番痛い個所を確認します。すると、胸椎の診断点でした。左眉の圧痛点が胸椎の治療点。最近では、ゆっくりと鍼(はり)を刺入し、しばらく(2分間程度)鍼を保持するようにしています。このやり方は、他の診断点にも影響を与えて、上手くいくと、1本の鍼で全ての診断点から圧痛点が無くなることもあります。

(  )内が置鍼の数。(0)は、他の置鍼で圧痛点が無くなったことを意味します。

首診

左:腎(1)、膀胱(1)、心(0)、胃(0)、脾(0)

右:腎(1)、膀胱(1)、心(0)、胃(0)、小腸(0)

首診断点の圧痛が4本の置鍼で無くなりました。

感覚が鋭いBさんが、

「先生、急にここ(右側頭部)がチクチク痛くなったんですけど・・・・」

「・・・・うん・・・そしたら、そこに鍼刺しましょう・・・・どうですか?」

「・・・・いいみたいです・・・良くなりました。」

「そりゃ、良かった。で、これから左肩ですね!・・・・・ここ痛くないですか?」

「痛い!!!!!!」

「・・・・・・・(オデコにある肩のツボ・B点に置鍼)・・・・今、肩どうですか?」今、肩どうですか?」

「・・・・・いいです・・・・痛くない。」

「良かった!そしたら、これで終わりです・・・・ゆっくりしてください。」

「先生、この間、夢で山元先生が私を治して下さったんです。」

「えっっっ!何それ?」

「突然、山元先生が現れて、『それは、私が治しましょう。』ておっしゃって、私のオデコに4~5本鍼を刺してくれたんです・・・そしたら、目が覚めて朝になってたんです・・・不思議でした・・・・そして、それから調子が良いんです!」

「えっっっっ凄いな~、先生のイメージは、本の表紙の笑った顔ですか?」

「いいえ違います。以前先生が見せてくれたヴィデオのブラジル女性で右手、右足が全く動かなかったのが、治って歩いて帰った・・・・あの時の山元先生です。」

「なるほど、なるほど・・」

それにしても、夢で治せる山元先生は、凄すぎます。

セキセイインコのキーとボー

実は,10日ほど前から、セキセイインコを飼い始めていたのです。猫のチャルルを3日間預かった時は、となり部屋に移動していました。非常におとなしい2羽は、インコ独特のギャアギャア鳴きをしないので、チャルルは全く気にしていなかったようです。そして、インコに気付かないまま、今日お家に帰りました。

さてセキセイインコですが、2羽とも生後1ヶ月ほどの子供です。そのため、オスかメスか分かりません。オスは鼻が青っぽいなるのですが、どうもなりそうもない。多分2羽ともメスだと思います。穏(おだ)やかな2羽を見ているとペットにぴったり!と思うのです。

ちっちゃなカゴに入れているので、たまに居間で自由に飛んでもらいます。2羽は仲がいいので、カゴより広い空間でも、ハンガーで一緒です❣️

スラバ

最近、慢性的な疾患の方には、後頭部の置鍼をする事が多いので、置鍼後、奥のベッドで休んでもらうことより、待合室のイスに腰掛けていただき休んでもらうことの方が多くなりました。
すると、世間話で花が咲くのです。だいたいは、私が聞き役で患者さんのしゃべってもらいます。(もちろん、マスクをしソーシャルデイスタンスを取って、換気十分)カラダや治療に関する質問の場合は、どんどんお話をしますが、プライベートなことはあまり話しません。

ところが、60才代の男性患者Bさんには、何故か私の青春時代の話をポロッと喋ってしまいました。

「土方巽一周忌として、ベルリンのクンストラハウスベターニアンという美術館で、日本の舞踏家が大集合し、大規模な舞踏フェスティバルがあったんです。」

「舞踏・・・・というと、大野一雄さんとか?」

「ええええ、よくご存知ですね!そうです、大野一雄さん、田中泯(みん)さんらが参加され物凄い評価を受けました。それに天才舞踏家・石井満隆さんが呼ばれて、私はカバン持ちで付いていくことになったんです。」

「先生も踊っていたんですか?」

「・・・・踊ってはいないのですが・・・・当時から積み木をやって子供達と遊んでいたんです。ただ、石井満隆さんのワークショップには常に参加し、カラダを使った表現はしていました・・・・で、石井満隆さんは、ポーランドの国際フェスティバルにも招待されていたのですが、チェルノブイリ原発事故直後だったこともあり、私が急きょ、参加する事になったんです。」

「当時は、東西冷戦でポーランドはソビエト連邦から国家予算を奪われていたので、ポーランド人は、ソビエト連邦を嫌っていました・・・・そんな中、私はフェスティバル期間、ホテルで同室だったのが、インド人の大道芸人とソビエト連邦からのピエロ・・・・スラバだったのです。」

「スラバ??・・・・・しらんけど・・・」

「インターネットで探してみますね・・・・これ、です。」

「・・・・・ねっ、凄いでしょう・・・・このスラバの演技は、神業です。フェスティバルの最後に参加したアーティストの前でその演技を見せてくれましたが、あれほど感動したことはなかったです。そのスラバがボクと話をしたがるんです・・・・なぜかというと、彼の奥さんが日本人だからです。ところが、私はロシア語が全然分からない・・・・その時、インド人の大道芸人がポーランド語がわかるので、通訳してくれたんです!」

「先生、青春してたんですね!」

「・・・・そうですね・・・」
などと、喋っていたのでした・・・・おしまい。

www.youtube.com/watch?v=zgKM8SCR1Vc