ギックリ腰には耳ウラ

最近、ギックリ腰で来院される患者さんが多くなっています。今までの経験から、耳のウラに置鍼するのが、効果的だと思っています。なぜ、耳のウラかというと、腰周辺の構造と頭蓋骨周辺の構造が似ているからです。「似ているだけで、何で?」と思われる方が多いのですが、同じような構造があるとその構造体を包み込んでいる筋膜が、引っ張りあってバランスを取っているからだと思っています。

理科系の頭を落ち合わせていない私は、これ以上説明できないし、すべきではないのでしょうけれども、喋ってみます。

耳は頭蓋骨と下顎骨と頸椎の交差するところに、位置しています。その構造に似ている骨盤には、仙骨(小さな頭蓋骨に見えます)と寛骨(腸骨+坐骨+恥骨のことです・・・これは、大きな下顎骨に見えます)と腰椎(頸椎に対応します)が交差するところがあります。その場所がギックリ腰になりやすいところです。

つまり、耳のウラ=ギックリ腰になりやすいところという構造的類似点を何となく感じるのです・・・まあ、説得力はないのですが、私なりに感じつつ治療をしています。

すだれ

梅雨が明け、暑い日々が続き始めました。こうなったら、簾(すだれ)にひと頑張りしてもらいましょう。元々当院では、障子(しょうじ)、窓ガラス、小割(木材)の板壁と3段構えの断熱、断音構造にしています。そこへ、簾を追加したので4段構え構造になったので、夏は過ごしやすいはず。これで、朝夕の打ち水をすれば、何とか猛暑の夏を乗り切ることができると・・・思いたいのです。

唯一、失敗したのは玄関。玄関は、大きなガラス戸のみで断熱、断音が出来ていません。

現在、治療している場所が、この玄関のある以前は待合室であったところ。そのため、夏の暑さが直に伝わりやすくなっています。

次の目標は、玄関のガラス戸をしっかりした2重のガラス戸にして、暑さ寒さを遮る資金作り!

1Fの鍼灸院と2Fの我が家を下駄で移動しています。そのため、「カランコロン」という風情ある音と共に階段を上っていくのです。その音に敏感なのは、メス猫モモ。長引く大雨に嫌きがさしたのか、それとも、よく晴れた外気に触れたくなったのか、「カランコロン」を聞き待ち伏せ。私が開けたドアの隙間から一気に外へ。

「あっっっモモ、いかん!」

と静止するも、飛び出してしまいました。

「ああ~、またか!ええわい、2~3日で戻ってくるけん。」

とあきらめたのですが・・・・モモの様子が変。耳をそば立てて、見つめる先に、中学生が2~3人立ち話をしています。すると、スタスタと我が家に引き戻ってしまいました。モモは、私以外の人間には恐怖を感じているようです。というわけで、今回は家出未遂という結果になりました。しばらくは、こんなことが続くでしょう・・・楽しいもんです!

興居島で、

昨日までの雨が、ウソのように今日は良く晴れています。水曜日はいつものように、興居島出張。

「先生、アンタが来る時は晴れるのう。」

と、患者さんによく言われます。生まれてこの方、晴れ男になったことが無いので、初めての体験です。どうやら興居島とは相性がいいようです。ご高齢の多い興居島なので、現在の私の実力では、高校生のように即効性のある治療がまだ出来ていません。ただ、先週の土曜日に転んで左胸、左前腕を打撲した80才代の女性患者Aさんのような治療に関しては、即効性があります。頭にある左胸部、左前腕部の治療点に置鍼するだけで痛みがずいぶん軽減しました。

また、患者さんの手の指に、私が中指を添えるだけで患者さんの足が勝手に動き出す「自発動」を2回連続で体験されている80才代女性患者Bさん。ご自身でご自身の指に触れることで「自発動」を誘発できると指導したところ、

「先生、手の指。親指から順番に小指まで3分ずつ触れると、やっぱり足が勝手に動くんです・・・・そのせいか、足がポカポカして・・・普段は、靴下して寝るんじゃけど、靴下脱いで寝ています。」

真面目で几帳面なBさんは、しっかりとご自身のカラダと向かいあっておられます。今後長くお付き合いしていくであろう興居島。無理しないでボチボチやって行こうと思います。

松山城

 

松山城の北側の土砂崩れで、3名の方がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。

道後温泉の改装工事が終わり、松山城との2大観光スポットの共演が始まるはずだったのですが・・・しばらくの間は、松山城は閉鎖されるようです。今日は、患者さんとの会話が、松山城のことになり、私が知らないことを教えていただきました。

「松山城の城山は、もともと2つの峰があって、谷の部分に頂きの土を埋め込んで出来たらしいですよ。その谷間に泉があってそれに石垣を積んで井戸にしたんだそうです。」

「えっ?そうなんだ!全然知らんかった!」

というわけで、インターネットからコピペします。

『お山の名前は正しくは勝山と云い、城山は愛称です。

松山城築城以前も勝山と呼ばれていました。

築城以前の勝山は現在と違い、ふたつ、または三つの頂(峰)を持つ姿をしていたと考えられています。

築城に際し、山を削った土砂で谷を埋め、造成した平地に本丸が築かれました。

現在、山上の売店がある辺りにいまでも水をたたえる深さ44mの井戸があります。

井戸の底は埋め立て以前、谷だった場所で、泉があった云われています。

また、加藤嘉明が築城した当時の古地図には、現在、天守閣がある場所に池が描かれています。

寛永12年(1635年)、松平定行が入国した際、城山には樹木が無く、赤土の山のようとも、はげ山だったとも伝えられています。

木が唯一の燃料であった時代、都市近郊の山はほとんどがはげ山でした。

藩主自ら松を植え、栗を蒔き、長い年月をかけ、現在まで続く緑に包まれた自然豊かな姿に変わっていったそうです。』

という事で、城山は人工的な山だったのですね。

鍉鍼(ていしん)

 

 

先週の金曜日から、しばらく気分が落ち込んでいたのです。その理由は、命の次くらいにに大切な「鍉鍼(ていしん)」という刺さない鍼が無くなったからです。この鍉鍼は、東京医療専門学校のM先生が使っておられた金鍼を、歯科技工士の友人が型取りして銀鍼に完全コピーし「自由新型週末へ」と書いてくれた、唯一無二のものなのです。

それが、無くなった!・・・・この落ち込み具合は、尋常ではなかったのです。しかし、平然と治療はこなしていきました・・・最近では、無くすことの無いように、100均で買った透明のハンコ入れに保管するようにしていたのですが・・・・ちょっと、油断してしまいました。

先日は、友人と一緒に鍼灸院で探し続けたのですが、「ここには、無い」と結論が出ました。そこで、今朝から2階の我が家を大捜査。『必ず、ここにある!絶対見つかる!』と念じながら、畳を見つめていると、キラッと光るもの。

「あった!」

思わず大声が出ていました。

どうやら、ズボンのポケットに入れていた鍉鍼が、ズボンを物干し竿にひっかけたとき、落ちたようです。

教訓:鍉鍼は治療後、必ず100均ハンコ入れに納めること。

 

靱帯損傷

手の指関節の靱帯損傷の患者さんが来院。当院に来られる前に病院で「靱帯損傷」の診断がありました。よく伺ってみると、手術が必要だということです。そこで、インターネットでコピペをして下記に載せます。

『靭帯損傷の治癒にかかる期間は、靭帯損傷の部位や程度、個人の体質によって変わります。以下に、靭帯損傷の程度と、回復までの期間の目安を記載します。

軽度の損傷(Ⅰ度、靱帯の断裂なし)

靱帯が伸びるだけで断裂しておらず、わずかな腫れと痛みを伴います。

部位にもよりますが、およそ2~4週で回復します。

中度の損傷(Ⅱ度、靱帯の部分断裂)

靱帯の部分的な断裂があり、明らかな腫れ、痛み、動きの制限を伴います。

関節が少し不安定(ぐらつく)になります。

部位にもよりますが、およそ4~8週で回復します。

重度の損傷(Ⅲ度、靱帯の完全断裂)

靱帯の完全な断裂があり、強い腫れ、痛み、動きの制限を伴います。

関節がかなり不安定(ぐらつく)になります。

手術が推奨されることも多いです。完全な回復まで3~6ヶ月程度を要します。』

ということは、この患者さんは、靱帯の完全断裂となります。そのため、回復に2ヶ月必要と言われ、テーピングをしっかりしています。腫れはそれほどひどくなく、合計10本の頭への置鍼と、足指へのお灸で手の指の痛みもなく、指もスムーズに動きます。患者さんには、医師としっかり会話をして納得のいく方法を選んでいただきたいと思います。

トマト料理

患者さんから、無農薬で作られたトマトをいただきました。しかも、皮をむいて塩をふりかけ、バジルを入れて素敵な料理にして!

美味しいです。

患者さんに助けられて、治療を続けられています。本当にありがたい事です。

明日も、治療に励みます。

200人

 

今日は、午後10時過ぎにやっと仕事終了。明日は、9時から治療が始まるので、これから安物のワインを飲んで、寝ます。この調子で頑張れば、今月は延人数200人の患者数になる可能性ありです。しっかり、治療に励みたいと思います。おやすみなさい!

裏内庭

 

 

今回初めての80才代女性患者Cさん。とてもお元気で70才代前半に見えます。今回は、左ソケイ部と下肢の外側に硬い張りがあります。それらを、耳裏の治療点に3本の置鍼で回復できました。最近は、腰痛を耳裏で治すことが多くなっています。

先日、男子高校生のギックリ腰患者さんが来院。歩くことも出来ないほどで、立ったままで治療を行ったのですが、その時、耳裏の治療点がよく効いたのです。その高校生は、途中から自主的に座るほどになりました。今回のCさんも、耳裏がよく効き6本の置鍼で終了となり、あとは、足に見つけた治療点にお灸をしながらの雑談となったのです・・・

「私が小学生の頃、食あたりで母親にお灸をしてもらったことがある。あれは、足指に墨塗って足ウラにあとつけして・・・・あれ、よう効いた!」

「それって、*裏内庭(うらないてい)というツボです。お母さん、すごい!よくご存知だったですね・・・・山本一力さんの時代小説「たすけ鍼」で、食中毒の患者さんを、裏内庭のツボにお灸して治す話があるんです・・・・小説では、知っていたのですが、実話を聞くのは初めてです。」

Cさんと山本一力さんのご出身は、高知県。高知県では、食あたりが多かったのでしょうか?裏内庭が一般生活に浸透していたのでしょうか?今度、高知県出身の患者さんが来られたら、やんわりと伺ってみましょう!

*解毒(食中毒・食あたり・アレルギー)のツボ(インターネットからのコピペ)

足の裏に裏内庭(うらないてい)というツボがあります。第2趾の真ん中に墨(マジック)で印をつけて、趾(あしのゆび)を折り曲げると、印が足の指の付け根につきます。そこが裏内庭です。ここに左右とも熱さを感じるまでお灸を据え続けると、すぐに吐き気が治まります。食中毒のときなどは、初めは全く熱さを感じないことが多いです。

実際に私も食あたりを起こしたときにやってみたら速攻で治りました。妻や私の母親が食あたりを起こした時も私が治しました。

要するに解毒のツボなので、アトピーなどアレルギー疾患にも使われます。病院の閉まっている夜間に食あたりを起こしたときは知っておくととても便利なツボです。