森下理論 その1

ついに待望の森下敬一先生著書が届きました。これからは、森下敬一先生の理論をしっかり身につけようと思います。鍼灸師として難病を治せないという自覚が芽生え「血液しかない」と実感し、森下敬一先生の理論に行き着きました。この本には真理が語られています。それを記載します。

『食物は、いわゆる消化作用を受けることによって、次元の高い「生命物質」へと発展していく。この生命物質が腸の粘膜に取り込まれて、ここで赤血球と言う極めて原始的な細胞に変わるのだ。いま、我々の消化管で起こっている生理現象は、かつてこの無生の地球上で営まれた「物質から生命」への発展の歴史である。

原始地球時代に、ボウボウたる時の流れの中で、ゆっくりと進行した「生命誕生劇」を。想いおこそう。そこでは、無機物質から有機物質へ、有機物質からタンパク質へ、そしてこのタンパク質の融合塊から始原生命が誕生した。その途方もなく長い歴史がわれわれの腹の中で、驚くほどスピーディーに短縮されたプロセスで、日々再現しているのである。原始地球時代の「物質発展と生命誕生」の歴史が、われわれのハラの中で繰り返されている。それが、消化と呼ばれる現象の本質であることを、洞察しなければならない。見方を変えれば、われわれのからだは、全く霊妙不可思議な存在、ということもできよう。

食は血になり、血は肉になる

ところで、このようにして腸で作られた赤血球は、体内を循環し、からだのすべての細胞に変わっていく。脂肪組織も、筋肉も、肝臓も、腎臓も、そして脳の細胞までも、すべては赤血球から作られる。われわれの体細胞で、赤血球から作られないものは、ただの1つもない。すなわち、食物は血になり、血は肉(体細胞)になるのである。

それゆえ、体細胞の質、つまり体質は血液、とくに赤血球の質であり、赤血球の質は食べ物の質でもある。体質や気質、物の考え方になどは強く食物の影響を受け、かなりの程度それによって支配されるものだ。したがって、「なんでも好き嫌いなぐ食べよう」と言うような無定見ではなく、人間(体細胞)をつくる上での、適当な食物を再確認しなければならない。そのためには、人間の来し方や人間の生物学的な立場などを、時間的(歴史的)に空間的(場所的)に検討し、「人間なにを食べるべきか?」についてより妥当な結論を出しておく必要があろう。』

これが真実だと思います。多くの人に早く気づいていただきたいと思います。

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大三島

愛媛に帰って、最も気になっていた大三島に初めて行きました。大三島には今治市伊東豊雄建築ミュージアムがあります。去年開催された東京オリンピックの新国立競技場のA案とB案が最終的に残り隈研吾氏の案が採用されたのですが、されなかった案を提供したのが伊東豊雄氏でした。この伊東氏の知り合いが関東から来られ、大三島に行くというので便乗旅行となりました。知り合いと合計4人の楽しいドライブでした。

まず着いたのは、大山祇神社。ここには日本最古、樹齢3000年のクスノキがあります。それより400年若い樹齢2600年のクスノキは、つっかい棒を必要としないで、空に向かって向かってそびえています。もうこれを見るだけで来た甲斐がありました。そして、全国の甲冑(かっちゅう)の8割が収められている宝物館、国宝館を見学。あの源義経は伊予守(いよのかみ)だったのです。源義経の奉納された甲冑、武蔵坊弁慶の使っていた薙刀(なぎなた)など歴史的人物の所有物が国宝、重要文化財として展示されています。1000円の入館料の値打ち以上のものでした。

頭がふらふらするほどの感動の後は、大漁というレストラン。この海鮮丼は凄いものでした・・・普通の海鮮丼とは違います・・・というのが精一杯・・・20~30分の待ち時間など、問題なしでした。そして、今治市伊東豊雄建築ミュージアムに行き、大三島を日本一の島にするプロジェクトを体感しました。夕方には鍼灸院に戻り施術をしたのですが、その患者さんに言われました。

「先生、そこまで行ったら潮流体験せなアカン。鳴門の渦潮なんか、オモロないけどあそこの潮流は凄い、下から渦が昇って来よる・・・それと、マーレ・グラッシア大三島の露天風呂。夕方に行かんとアカン。夕方でっせ、夕陽が海に沈んでキラキラ輝いて、それは絶景!」

ガニ股を考える

70才代の男性患者Cさんは、右に側屈すると右臀部に痛みが出ます。Cさんは、仰向けに寝ると足の小指側全体がベッドにつき横一線になるほどのガニ股です。右側の深部にある筋肉が縮むことで坐骨神経を刺激している可能性はあると思います。理由は、Cさんが右側に側屈すると、坐骨神経の流れにそって痛みとシビれが出るからです。

骨盤の外には、小臀筋、中臀筋、大臀筋といった筋肉があります。Cさんのこれらの筋肉はガニ股のため、かなり収縮しています。これらの筋肉を緩めるには、おヘソを中心にして対応する筋肉である上腕の三角筋前部繊維、三角筋中部繊維、三角筋後部繊維を緩めることです。つまり、中臀筋が痛いようだったら、上腕の三角筋中部繊維の圧痛点に刺鍼して痛みをとります。このように、おヘソを中心にして上半身と下半身が対応しそれぞれの治療点が存在します。しかし、小臀筋、中臀筋、大臀筋は、それほど深部の筋肉ではありません。

梨状筋(りじょうきん)を始めとする仙骨、恥骨、坐骨辺りの筋肉の方が内蔵に近く深部(骨盤の内側)にあります。それでは、これらの筋肉に対応する上半身の筋肉はどこでしょう?梨状筋は胸鎖乳突筋と対応しているように感じます。胸鎖乳突筋の深部には様々な筋肉があります・・・・これらの筋肉が仙骨、恥骨、坐骨辺りの筋肉と対応しているかも知れません。

もっと大ざっぱにいうと、首の筋肉とソケイ部や肛門周辺の筋肉が対応しているのではないかという推測です。ソケイ部や肛門周辺の筋肉は、内臓の平滑筋(へいかつきん)の近くにあるので、筋膜でつながっていると考えられます。

そこで山元式新頭鍼療法(YNSA)での首診を考えてみましょう。首診で圧痛点、硬結点を確認し、内臓の状態を知ります。圧痛点、硬結点を緩める治療点が頭部にあり、置鍼すると首の圧痛点や硬結点が緩み、内臓(例えば、肝臓ならば胸鎖乳突筋の中央部、小腸ならば胸鎖乳突筋の停止する後頭部のくぼみ)が緩んだことになります。内臓を構成する平滑筋は骨盤内の骨格筋とも筋膜を介してつながっています。そのため、骨盤内の骨格筋も緩む可能性があると考えます。

Cさんのガニ股は首診をしっかりと行い骨盤内の緩みを作ることが大事になるように思います。このことを意識して次回の治療を行なってみようと思います。

今回は、ちょっと専門的になり分かりづらかったと思います。お付き合いありがとうございました。

生理学の教科書

私が東京医療専門学校(呉竹学園)に通っていた時の生理学の教科書の血液に関する個所を写真にしました。やたらと難しいので赤線を引きまくっています。これを、医療関係の学生は丸暗記させられるのです。

まず、赤血球の説明です。「赤血球は核を失った細胞である。」から始まります。つまり、骨髄の幹細胞から盛んに分裂して最終的に核を失ったものとして習います。この教科書(生理学:社団法人 東洋療法学校協会 編)のp16では、(5)新生と寿命というサブタイトルがあり、

「赤血球は主に骨髄で産生される。骨髄には幹細胞と呼ばれる未分化の細胞があり、盛んに分裂して、そのなかのある細胞が前赤芽球になり、赤芽球を経て、最終的に正常な赤血球に成熟する。この過程で核は消失する。成熟した赤血球は骨髄から血中に出る。分化と成熟の過程を赤血球の新生という。」

成熟した赤血球が骨髄から出て、これを赤血球の新生という!なんという矛盾。成熟したということは、一番古い細胞であるといっています。その古い細胞が血中に出ると新生と呼ばれるそうです。これは、言葉によるごまかしです。何故こんな言葉を使うのか・・・・それは、体細胞には細胞膜、細胞質、核があり核分裂をして増殖すると習っているからです。つまり、核分裂できない赤血球(核がないから)は、理論的に成熟して核を失った細胞と考えられているのです。

そこで、東京大学医科学研究所の2013年の論文の一節を読んで驚きました。

「従来の血液学の学説では、この自己複製能力は造血幹細胞の特徴的な能力で、その造血幹細胞が自己複製能力を失い、徐々に赤血球・血小板・白血球等の成熟血液細胞を産生すると考えられてきました。しかしながらこれまでの研究では顆粒球やリンパ球の解析が中心で、核を持たない赤血球や血小板については顆粒球やリンパ球と同時に体内で解析したものではなく、従来の学説は必ずしも実験的に証明されているものではありませんでした。」

最後の一文です。「従来の学説は必ずしも実験的に証明されているものではありませんでした。」

1866年に発表された骨髄造血説が2013年まで、実験的に証明されていなかった!今まで、何していたのでしょう?

再び、生理学の教科書に戻ります。p15、赤血球の形状と数

「赤血球は直径約7~8μm、厚さ約1~2μm・・・(中略)・・・赤血球は1μLの血液中に成人男子で約500万個、女子で約450万個存在する」とあります。ものすごい個数です。ところが、人間も含めて動物の骨髄組織は、重量的に見ると約95%が手足の長管骨にあり、長管骨に出入りする血管と言うのは、針の孔が1カ所だけぽつんと空いており細い血管が1本通っているだけです。この細い血管からものすごい個数の赤血球を送ることが、可能でしょうか?

私が、学生(東京医療専門学校)の頃、血液は小腸で出来るという千島学説を勉強していたので、この血液の授業中は、イライラの連続でした。今改めて患者さんに接して、西洋医学の限界をつくづく感じます。血液は、食べたものが細かいモネラというものになり、小腸で赤血球となり門脈を通って肝臓へ行き、カラダ中を巡り体細胞へと変化していくのです。

食べた物が血となり、肉となるのです。

骨髄造血の矛盾

図1

自然医学総合研究所所長の大沼史郎先生の著書「がんの盲点」をの1部を掲載します。医学書、医学関係の教科書で、当たり前に載っている骨髄造血説を何一つ疑うことなく、150年以上も信じている医学界・・・・これで本当にいいのでしょうか?じっくりとお読みください。

『ノイマンとピッツオゼロの過ち

骨髄造血説を世界中に広めた最初の研究発表は、1866年にノイマンとピッツオゼロが、鳥類を餓死させて解体し、その骨髄液中に赤い血液があったと言う文献です。以来この文献が世界中に広まり、常識となったのですが、実は、この文献には、重大な過ちがあります。

骨髄造血説の誤りその1

骨髄造血説の誤りその1は、鳥類(ハトと鶏)と哺乳類の違いを無視して発表した点にあります。鳥類と哺乳類では構造が全く異なります。鳥類は、危険にさらされた時、一瞬にして飛び立つことができるように、骨細胞が小さく骨髄液も少量です。安全な場所を求めて着地して、すぐに餌を取ることができるように作られています。容量の少ない骨髄には骨髄液だけではなく、赤血球など直接動力源となる血液細胞も大量に詰まっています。しかし、哺乳類の構造は全く違います。

骨髄造血説の誤りその2 

骨髄造血説の誤りその2は、骨髄はエネルギーの貯蔵庫で、骨髄液は、脂肪代謝の貴重なエネルギーであると言うことです。哺乳類は危険にさらされても鳥のように飛ぶことができません。究極は敵と戦うことになるか、逃げ隠れして敵が去るのを待つしかありません。そのために哺乳類の骨髄液は、鳥類に比べて大量になければなりません。その理由は、骨髄液は、純度の高いガソリンのような資質で、脂肪代謝の貴重なエネルギー源だからです。つまり、何時間も隠れて餌を取ることができない状態でも、簡単に餓死しないように骨髄液として大量のエネルギーを蓄えているのです。

図1参照

図1の左端鶏の骨髄液を画像で確認したものです。右は牛の骨髄液中の状態です。赤血球の存在は、鳥の手羽の骨髄にはたくさん見られましたが、右の牛の骨髄液中にはほとんど見られませんでした。鳥類と哺乳類ではこれほど異なっているのです。』

馬鹿げた事実(骨髄造血説)を皆んな信じきっています。哺乳類の骨髄は純度の高いガソリンのような資質で、赤血球はほとんど存在しないのです。こんなところで、血液が作られる訳がありません。

大沼四廊先生の師匠、森下敬一先生は脊柱の骨髄から赤血球が作られていない実験もされています。それなのに、世の中では認められていません。こんな状況で正しい治療など出来る訳がありません。

医者は博物学者であるべき

私は、山元式新頭鍼療法(YNSA)を学び実践して3年。気づいたのは創始者、山元勝敏先生の偉大さです。鍼だけで難病を治しておられます・・・150万人もの患者さんの治療をされておられます。私は67才で、難病の患者さんを治すまでには至っておりません。このままYNSAだけやっていても年齢的な限界があると感じ、血液の浄化と血流を良くする治療法を身につけようと、名古屋の大沼四廊先生のセミナーに参加するようになりました。

そこで知ったのが、大沼先生の師匠、森下敬一先生です。森下敬一先生の血液研究こそ、現代医学に最も必要とされているように思います。そこで、改めて森下敬一先生の生い立ち、生き方をWikipedia から紹介いたします。

『両親は、神奈川県津久井郡藤野町(現・相模原市緑区)出身。

父は医師で、敬一の幼少時は、当時日本の統治下にあった朝鮮において病院を運営していた[3]

尋常高等小学校卒業と同時に、敬一は父から奈良県の天理中学校(現・天理高等学校)への入学を言い渡される。理由は、日本の内地でドイツ語を学べる数少ない中学校で、両親の住居に最も近かったためだろうという。

敬一は「青天の霹靂だった」と言いつつも、この全寮制の5年間の教育が、自身の人格形成に大きく影響したと述べている。

天理第二中学名簿 昭和20年卒業

在籍した天理第二中学校は全寮制の男子校で、学校生活は軍隊生活以上に厳しいスパルタ教育だった。教授陣は極めて優秀であったが、厳しい教育システムゆえに1年生から2年生に上がるときには、脱走や自殺などで半減するのが常だった。しかし、敬一はのちに、天理中学のスパルタ教育が自分を変えたと言い、「男は若いうちに一度は集団生活の中で、厳しい規律を体験するべき」と折に触れては述べていた[3]。

戦後、両親が引き上げて来て故郷の藤野に移り住む。当時の藤野は無医村で、父は農業をしながら患者を診るという半農半医を行い、敬一はそこから大学へ通った。

学生時代はあまり勉強するほうではなかったと言うが、研究室に入ってからはがむしゃらに突き進み、約20年の研究室時代には医学だけでなく、そこに隣接する地質学、生物学など、生命に関わるあらゆる分野を掘り下げていった[3]。

のちに森下は、自然医学の臨床活動において、「医師は博物学者であるべき」と述べている。医学は人間を対象とする学問であり、その生命現象はまさに小宇宙であって、物理化学、生物学はもちろん、環境や歴史、意識の問題と、目に見えない世界をも含めて総合的に捉えなければ、正しい方向性が見出せない[4]。

医療というものは、基礎理論の上に臨床が成り立つという体系でなくてはならない。医学と医療が別物だという現代の風潮は不勉強から来る誤解であって、若いうちに進化論的な発想から土台を築き上げて臨床を行わなければ、「葦の髄から天井を覗く」というような狭い視野となり、医療がバラバラになってしまう。こうした懸念は、近年の代替医療に対しても同様に抱いていた[5]。』

現在の医療は、専門分野に分かれて宇宙としてのカラダを見ていません。そうのようになってはいけない「医師は博物学者であるべき」と常に心がけて真実を探求されたのだと思います。

音がした

私が鍼灸師になる以前、操体法でカラダの歪みを取ることをしていました。その時は、動きの操法と皮膚に軽く触れるだけの操法を併用してやっていました。現在では、鍼灸治療が主流になっていますが、山元式新頭鍼療法(YNSA)の治療点を指で軽く触れるだけで治すことも始めました。

鍼灸治療に抵抗を感じる人や、ストレスで疲れすぎたカラダの患者さんには、有効です。

前回にもご紹介した70才代の女性患者Aさんの続報になります。前回はオデコの治療点に軽く中指を置くだけで、黒い雲が首に湧いて来て、ゆっくり登頂部まで上ると出ていき肩が軽くなりました。今回も肩こりが気になるそうです。ベッドで仰向けになっていただき、足揉みができる位置まで、ベッドをあげます。まずは、足、指を揉む操法でゆっくりしてもらいます。Aさんの特徴は、常にカラダが緊張していることです。特に指先にその状態が出ています。足指を揉んでんいくと多くの患者さんは、足の力が抜け緩んでくるのですが、Aさんは緊張したままです。それでも気持ち良い」とおっしゃっています。

次に、後頭部へ両手のヒラを回し、水をすくうような感じでただ、じっとする操法。

「どうですか?」

「足に水が流れて始めた。」

前回同様、足に水が流れる感覚が生まれました。足指を揉んだ時に感じる緊張感を水が流れる感覚でゆるめているのかも知れません。いつも間にか、肩のコリが無くなっていました。

「どこか気になるところありますか?」

「やっぱり、左の膝が気になる。」

慢性的な膝痛を抱えるAさんに、足に見つけた治療点へ右中指を軽く触れる操法を始めました。すると、

「膝の筋が緩んできた。」

触れている右中指の先端から、何となくカックンと緩んだ感じがありました。

「あれ?音がした。」

私も音を感じました。こういうことは、良くあります。どうやらAさんには指先を触れる操法が合っている様に思います。最後に足揉みをして終了となりました。

ロクムシ

9月3日にHOP株式会社の皆様が、実家を訪ねてくださいました。幼い頃から、近所の友達と遊びほうけた場所を、見て体感していただくのは、嬉しいものです。案内しながら、走馬灯のように幼い記憶が蘇(よみがえ)ってきました。

今の子供達が味わえなかった、自然との戯れ・・・・ただそれだけでした。お宮とお寺(隣り合わせになっています)で、夕暮れまで遊び続ける毎日。どこにも行く必要がありませんでした。この2カ所とその間を流れる小川が最高の遊び場所。時に、鎮守の杜に駆け上がることもありました。雨に日は、お宮の畳間で相撲を取ることができました。最高の贅沢は、御神木のクスノキ。これは、洞になっており、横に空いた入口から入り、内部をよじ登り木の上まで行くことが出来ました。当時最も流行っていたのは「ロクムシ」。

野球の道具なしバージョンで、ボールは軟式テニスボール(確か10円)でそれをワンバウンドで投げ、手をグーにして打つのです。フライになったボールは手の平
に当てると、打者アウト。またゴロになったボールを取って相手にぶつけるとアウト。6回ホームベースを踏む(1人で6点取る)と、全員(アウトになって試合に参加出来なかった人も)がもう一度打つことが出来る・・・初期化することが出来るので、最後まで残ってチームメートを助けた人が英雄になれるのです。

夕方になり、ボールが見えにくくなっても、遊び続け、親父が、

「ひろむ、ご飯じゃ、帰って来い。」

「うん、分かった・・・・帰るけん。」

と返事をしても遊び続けたのです。しばらくして、再び父親が

「何しよんぞ、早よ帰って来んか・・・皆んなもやめて帰れよ。」

で、泣く泣く遊びをやめる日々でした。全てに感謝です。

土壌エネルギー

森下敬一先生が、膨大な時間とお金を掛けて長寿の研究をされ、行き着いた結論を以下に述べられています。

『土壌の生命エネルギーなどということは、それまで全く思いもよらなかった。ただひたすら長寿元素を見つけてやろうと、一生懸命に行っては帰り元素分析を繰り返し、やっと判ったことは、元素ではなくエネルギーだということ。土壌のエネルギー、野菜のエネルギー、それを食べた人間がまた土に戻って生命サイクルを回す。だから、人間があちらこちらに移動したらダメになる。生命サイクルが回っているところで、その一部品として人間がそこに誕生する。すべての生命のサイクルが一体となって、大きく循環している中の一分子として人間が存在する場合においてのみ、人間の天寿である150歳というのが与えられるのだ。

現代の科学や医学が、見えるものだけが実在し、見えないものは存在しないという、ひとつの仮設の上に成り立ったところにそもそも誤りがある。特に生命科学においては、見えるものはほんの氷山の一角であって、水面下の見えないものが大部分だということを前提にして研究を進めるべきである。むしろ本質的な問題は、見えない大部分の側にあり、目に見える氷山の一角だけを研究するのでは行き詰まるのは当然であろう。

コンロン山脈の麓に、森下が長寿の調査で4、5回訪問したホータンという町がある。地元の人たちは、コンロンの山の奥に西王母(せいおうぼ)という350歳くらいの婦人が住んでいると固く信じている。彼女は、手のひらに鳥が運んでくれる量の食べ物しか食べないという。この話は、色々な示唆に富む話であって、手のひらに載る程度の食べ物だけで生きているというのは、腸の造血は殆ど営んでいない。その代わり、宇宙エネルギーをとり込んで、それによって血液を造るという経絡造血が完璧に備わり生きているということだろう。

コンロン山脈の大量の雪解け水は、5月頃にタクラマカン砂漠に土石流のように地響きを鳴らしながら、もの凄い勢いで流れ込むという。そのときにホータンも通っていく。その水が、ありとあらゆるものを全部のみ込んで流れて来る様は、初めに流れて来る先頭の状態を頭にイメージして、中国では龍(ドラゴン)という仮想動物を描いたのではないかといわれるほどである。ホータンのコンロン山脈からの水を調べると、生命エネルギーが猛烈に高い。長寿者が住んでいるところは、やはり違っていると感じさせられる[5]。

ユーラシア大陸を見たときに、大陸の中央部は厳しい自然環境に囲まれ、西洋文明があまり入って来ない。西洋文明はユーラシア大陸辺縁の平野部にあり、文明は大陸の周辺から浸食していく。

いわゆる西洋文明は生態系を破壊する一方通行の文明であり、反生命文明といえる。したがって、欧米の文明があるところに「真の意味の長寿(真正長寿)」は存在しない(平均寿命は「疑似長寿」)。それは、ヨーロッパ、アメリカだけでなく、日本も同様である[9]。』

土壌のエネルギー、コンロン山脈からタクラマカン砂漠までの雪溶け水のエネルギーが、龍の如くエネルギーを運び込む。やはり、龍は存在するようです。日本全体が、龍の形をしており私が生まれた河之内が、やはり龍の形をして地元には雨滝(あまたき)という龍神が住むとされる渓谷があります。干ばつで水が無くなった際の最後の砦(とりで)が、この雨滝。重信川(しげのぶがわ)の河口にある松前町から、海水を桶に入れ頭に乗せた「おたたさん」という女性が、この雨滝まで運び、海水を雨滝に投入。すると、怒った龍が天に舞い上がり、雨をもたらすのです。このような伝説のある河之内では、坂本憲俊さんというお百姓さんが、お米の品評会国際部門で2年連続金賞を獲得されました。坂本さんの絶え間ない研究心、努力はもちろんですが、河之内にある土壌がエネルギーを蓄えている事を証明していると思います。

中学生まで、河之内で暮らしそのエネルギーをいただいたことに感謝いたします。

長寿郷

森下敬一先生は、長寿研究のため、30年間近く50回も調査団を派遣しています。これは、貴重な研究です。西洋医学の悪しき一面が横行している日本医学界。もはや、聴診器で患者さんのカラダさえ診ることをしなくなっています(ここ数十年医者にかかった事がないので、実体は分かりませんが、多くの人々が言っているので)。カラダを診ないでパソコンを見るなんて・・・治療と言えるのでしょうか?西洋医学の限界を知った欧米では、統合医療が進んでいるそうです。当たり前に鍼治療が行われています。

いま一度、森下敬一先生の研究から多くを学びましょう。森下敬一先生は後継者を作りませんでした。しかし、研究結果は書物として残しておられます。これは、人類の宝です。もう古本屋でしか、見つかりません・・・何とかして見つけ出したいものです。

『大学の研究室時代から患者の相談を受け、玄米菜食で多くの患者が改善するのを見てきた森下は、お茶の水クリニックでガンをはじめとする慢性病・難病の患者たちが治癒していくことに対し、その裏付けを取りたいと考えるようになった。森下が実践する自然医食は世界的長寿郷の食形態と矛盾しないはずだと考え、カスピ海と黒海に挟まれたコーカサス山脈の南に位置するグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンの3共和国から長寿の調査を始めた。昭和45(1970)年当時、グルジア共和国が世界一の長寿郷だといわれていたためである[9]。

Yノート9:森下博士 研究半生を語る(生命母体は時間である)

コーカサス山脈、パミール高原周辺を中心に、1975年から冬を除いて年に2、3回ずつ毎年出かけて調査を行うが、同じ場所であっても5年置きくらいに何度も行く必要がある。なぜなら、生命母体というのは時間であるから、一定の間隔で縦の時系列で見なければ、本当の長寿の調査にはなり得ない。1回だけの調査を100ヶ国回ったといっても何の意味も無いのである。

1970年代には、シラリ・ムスリモフ、メジードガアガイエフなど150歳はザラにいた。それが、1980年代は140歳、1990年代は130歳と10歳ずつ下がってきて、いま(2004年)は120歳になっている。

当初は、長寿郷の水や食べ物や色々なものを日本に持ち帰り、長寿因子を見つけてやろうと野心に燃えていた。ナトリウム、カリウム、カルシウム、マグネシウム・・・など39項目の元素分析を、ありとあらゆるものを調べ続けたが、それは無かった。元素ではない。

1回の調査団は7、8人から10人、1,000万円ほど掛かったときもあるし、平均して500万円ほどで、50回近く調査に出掛けている。30年近くも掛け長寿の調査を重ねて判ったことは、長寿者というのは殆ど生まれた土地を離れない。それから、自分の家の近くに畑を作り完全な自給自足の生活が多い。金銭で物を買うという発想が無く、買うとしてもスーパーマーケットまで行くのに1‐2日掛かるようなところだから、食べたいものは自分で作る以外にない。

結局、彼らは気がついていなのだけれども、土壌の生命エネルギーを自分たちが栽培した農作物に移行させ、それを、そこに住んでいる一家が食べている。そして、それらがまた土に戻る、という生命サイクルが循環している。土壌の命、植物の命、動物の命、そしてまた土壌へ戻る。このサイクルが循環しているということが、長寿の条件だということを森下は教えられた。』