痛み数値1/4

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去年の11月、NHKの「チコちゃんに叱られる」で、「痛いところに手を押さえるのは何故?」という質問がありました。 

答えは、「痛みより触覚のほうが優先されるから。」でした。その感覚の優先順位は、

運動

触覚 

痛み

冷覚

かゆみ

これらの感覚を同時に感じると脳は上位の者を優先的に感じます。

そのため、痛みを感じた時にその部分を手でさすり、痛みの感覚よりも触ったという感覚を脳は大切だと認識するため、痛みが減るわけです。

そこで、手を当てる事でどの程度痛みが和らぐのか、痛みを数値化できる機器で検証すると、手を当てない場合は、痛み数値が33.5に対して、手を当ててさすると9.2と1/4近く違いがありました。

この事実をうまく利用しているのが、日本の鍼治療です。中国の鍼は、太めの鍼で直接皮膚に刺すため、痛みが必ず出ます。しかし、日本の鍼は細めの鍼とプラスチックの鍼管を使用します。

プラスチックの鍼管で打つ場所にしっかり圧をかけると、優先順位が上位の触覚が、先に脳へ到達します。その後、鍼を刺した痛覚が行きますが、触圧も同時に感じているため脳は痛みを感じない場合がかなりあるのです。

しかし、私は足ウラに鍼を刺す施術をしているため、痛みはあります。患者さんに納得していただいているので、続けていますが、鍼を抜いた後、しっかり揉みほぐしてあげようと思います。

とにかく、痛み数値が1/4になるのですから。

 

 

山元先生が来られました(その5)

6月9日(日)山元式新頭鍼療法(YNSA)の初級1セミナーに、山元先生ご夫妻と、娘さんの美智子先生が来られたのは、すでにご紹介いたしました。

このセミナーでの講師は、山元先生のもとで3年間研修された加藤直哉先生(医師)です。加藤先生は、YNSA学会の副会長を、山元美智子先生と共にされています。

加藤先生の話術は巧みで、聴くものの心をわしづかみにします。

例えば、研修時代ツボの捉え方。

感覚的な捉え方で指導される山元先生に対して、

「・・あっ、そうですね。ここですね。」

と言って知ったふりをされる時期が続いたそうですが、加藤先生独自の覚え方で克服されました。それは、徹底した解剖学的理解。

おかげで、今回のセミナーのテキストは前腕に直接マジックペンで筋肉を描き、その上に触診部位を赤丸でしっかりと示しています。そのため、誰でも覚えられる分かりやすいテキストが出来上がっています。

それだけでなく、加藤先生は授業の合間に、「コーヒーブレイク」を取られます。

これは、参加者がコーヒーを飲むのではなく、「楽しく分かりやすい心理学講座?」。

例えば、全く見ず知らずの若い男女が、昼間の芝生で会話するときの行為と、全く見ず知らずの若い男女が真っ暗闇で会話するときの行為の差は・・・・

まあ~~、ほとんどが恋愛に関係するので、ワクワクドキドキ。

おかげで、全く飽きることなく、楽しい時間を過ごしながら、身につくセミナーとなっています。そして、今回のセミナーで一番感銘を受けたのが・・・・山元先生の挨拶です。

昼休みが終わり、午後のセミナーで全員が席に着いた時、山元先生ご夫妻と美智子先生が、宮崎に帰られる為、山元先生が一言喋られ、ゆっくり3人ドアのほうに歩いて行かれます。

一番最後の山元先生が、ドアの前でゆっくりとカラダを我々に向けられ、深々とお辞儀をされたのです。その時、私はイスに座ったねじれの姿勢・・・『ああ~失礼だ・・・どうしよう』と思いながら・・・

人として本当にこうあるべきなんだ・・・あの瞬間を心に焼き付けました。

ありがとうございました。

自分のカラダに鍼。

東京医療専門学校附属施術所の研修生時代、研修生同士でよく鍼を打ちあい、私は面白がられる存在でした。というのも、私が患者になってベッドに横たわり、相手がツボを探し、指がツボに触れると、私のカラダは「ビック」っと反応するからです。

相手にとって、非常に分かりやすい患者なのです。それと、もう一つ。

置鍼して私がゆったり横たわっていると、勝手にカラダが動き出すことがあるのです。これは、必ずしもあると言うのではなく、7~80%の確率です。

最初のうちは、奇妙に思われましたが、当の本人は、非常に客観的で意識がはっきりしているのです。

「心配しないで下さい、カラダが勝手に動くだけですから。この状態は、調子がいい証拠です。」

と、説明するようにしていました。

なぜ、このようなカラダになったのか・・・それは、操体法を学んだためだと思います。

2001年、私は操体法の創始者・橋本敬三先生(医師)の直弟子、三浦寛先生に弟子入りしました。当時、三浦先生は、皮膚に触れるだけの治療をしておられ、私は、それを見続けていました。

20人くらい集まるセミナーでも、皮膚の操法を学びました。その間に、カラダが無意識の動き(自発動とか、半覚醒とも表現されています)を覚えてしまったようです。

今更、なぜこんな事をいうのか?

珍しく、私自身に鍼を刺したからです。そして、効いたからです。

患者さんだけに聴くのではなく、自分のカラダに聴くことが大切。

「もっと自分自身に鍼を刺す宣言」をいたします!

原点回帰

御茶ノ水駅を降りて、見つけたバーガーキング。

ipad の充電が出来る席に座っています。昨夜は京都・ロンドクレアントで須藤信一郎さんのコンサートとパーティに参加し、夜行バスで熟睡。

早朝のバスタ新宿は、日曜日のためか人も少なく、すんなり御茶ノ水まで来れました。

午前10:00から、山元式新頭鍼療法(YNSA)初級1コースのセミナーに参加します。

本家本元、山元敏勝先生のセミナー(宮崎市)には、2回参加しているのですが、基礎から学ぶのは、今回が初めてです。山元先生の治療を目の当たりにした後に、基礎を学ぶと・・・

どうなるのでしょう?・・・・・楽しみです。

私は、元々美術を専攻し、オリジナリティを見出す事が当たり前の世界にいました。そのため、山元先生のオリジナリティに触れた時、ぶっ飛ぶほどの衝撃と喜びを感じたのです。

その勢いのまま、少々勝手な事をしています。

ここで、今一度原点に戻ることが大切です。しっかりと学んできます。

纏足(てんそく)とツボの数

 

患者さんとの会話の中で、

「先生のフェイスブックに、足ウラのツボは3つしかない・・・と、あったでしょう。それで考えたんです・・・昔の日本は、裸足だったから、足の皮が厚くて、鍼が入らなかったんじゃないかと・・・」

なるほど、確かにそれは当たっているように思います。

そこで、改めて「鍼と足ウラ」をテーマに考え直してみる事にします。

鍼の歴史は、中国の石器時代まで遡(さかのぼ)ります。その頃は、 砭石(へんせき)という石針を使用、その後、骨針、竹針、紀元前11世紀から紀元前8世紀の青銅器時代から鉄器時代となり、金属製の針が登場。

その後、漢代に黄帝内経という東洋医学のバイブルが編纂(へんさん)され、6世紀に、朝鮮半島を経由して日本へ伝来され、現在に至っています。随分と昔から、現在使われているツボ(経穴)が存在していたのです。

当時の中国の生活と現在の日本の生活は違います。それでも、同じカラダなので、ツボは同じ。これは、正しいといえますが、昔の中国と現在の日本の生活の違いは、明らかな為、もっと必要なツボがあって不思議ではないとも考えられます。

非常に大雑把な話になりますが、現在の中国の多くの地域では、西洋と同じように靴を履いたままで、寝るとき以外裸足にならない生活をしています。靴を履くことで、怪我や暑さ寒さから身を守っていたのでしょう。

また、唐(618~907)の末期から纏足(てんそく)という悪しき習慣が、はびこり辛亥革命(1911~12)以降まで続いていました。女性は、幼児期より足に布を強くしばり、足が大きくならないようし、足の親指以外の指を足の裏側へ折り曲げ、靴を履いていました。女性は寝る時も靴を履いていたそうです。

この様な中国の歴史からは、足ウラにツボを見つける事は難しいと考えます。足ウラで湧泉(ゆうせん)、裏内庭(うらないてい)、失眠(しつみん)というツボしか存在いないのは、この纏足(てんそく)のためかもしれません。この3つのツボは足ウラの中央部に並んでいるため纏足(てんそく)でも鍼は刺せます。

6世紀、日本に伝わった漢方と鍼灸は、現在も医師が漢方薬を処方し、鍼灸師が施術する形で続いています。6世紀当時の日本人は、下駄、草履(ぞうり)、裸足での歩行で、足ウラには、強刺激であったと想像します。また、現在のように舗装された道で、車を走らすこともなく、ただただ歩くことが生活の大半であったと思います。

そうすると冒頭、患者さんがおっしゃたように足ウラは硬く、しかも不衛生なため、鍼は刺せない状態であったと思います。

また、常に足ウラは刺激されていた為、足ウラに鍼など刺す必要がなかったとも言えます。

私(現在、64才)の通った小学校で運動会は、全員裸足でした。高校の運動会でも、男子だけでする棒体操は、裸足でした。1960年代、ほとんどの日本の道路は、舗装されていない凸凹道、そこをただひたすら歩いていたのです。つい最近まで、足ウラの刺激を受ける生活が存在していたのです。

ところが、今の小学校では、「俊足」 という左右非対称のシューズで左回りが得意になるものが人気だそうです。こんなハイテクに慣らされている子供の足ウラが心配です。これでは、足ウラが「やわ」になります。

足ウラの微妙なセンサーが鈍ってきます。人間が本来持っている原始感覚を取り戻すため「子供には、砂利道を歩かせろ!」と、操体法の創始者、橋本敬三先生がおっしゃっています。

今こそ、足ウラに鍼が必要になって来ています。

ということで、どんどん足ウラのツボ探しをしています。

足裏のツボ

足裏には、ツボがない?

湧泉(ゆうせん)、失眠(しつみん)というツボが足裏にありますが、鍼灸師として、学んだのは、たったのこれだけ。

湧泉(ゆうせん)は、腎経の出発点。下肢内側を上って生殖・泌尿器を上り舌までの気の流れが腎経です。

失眠(しつみん)は、経脈の流れとは関係なく踵(かかと)中央部に存在する不眠に効くツボです。

改めていいます、鍼灸師が習う足裏のツボは、これだけ。

しかし、本当にこれだけ?山元先生の元で学ぶと、素直な疑問が生まれます。本当は、足裏には山ほどツボがあるはずです。

先日、私が見つけた足の腰痛点以外に、第4趾に膝痛に効くツボを見つけました。

カラダはまだまだ未知の世界がいっぱいです~~

山元式新頭鍼療法(YNSA)セミナー(その1)

山元式新頭鍼療法(YNSA)セミナーで宮崎に来ています。

午前中は、YNSA の概要を山元先生が、映像を交えて説明。その後は、参加者の患部治療を全員で見学しました。

説明をしながら1時間で7名、何度も何度も鍼を刺して治していく場合もあれば、一瞬にして治る場合もあります。触れ方、刺し方患者さんに応じて、微妙に違います。

今回は、前回では感じることが出来なかった微妙なタッチを感じています。

待合室にあるパソコンからは、「Youは何し日本へ」で山元先生のセミナー風景が流れています。

明日から、しっかりセミナーのレポートを載せていきます。

ET

いまでも、夢か現(うつつ)か・・・とあるシーンが脳裏に焼き付いています。

山元リハビリテーションクリニックでの2日目午後のセミナー。参加者が山元先生の治療を次々と受け、それを見学し質疑応答する時間です。

ある男性が、「○○が痛い」だったように思います。○○は何か忘れました。

山元先生は、その男性をマジマジと診て(特に顔面)、ゆっくりゆっくりと、右手を男性のおでこ付近に近づけ、人差し指を男性のおでこに、ぴたっと付けました。

「・・・・・どうですか?」

「・・・・・・治りました。」

『はああ~~~~~~~~~』と心の中で大声を出しながら、周囲を見ても、思ったほどの反応ではありません。むしろ困惑しているような雰囲気です。

今でも、あれはウソで、私の見間違いでは・・・・と、真剣に思い返します。思い返せば返すほど、映画のワンシーンと重なり、ますます想像の映像と化していきます。

ETが少年と指先を合わすシーン。

ETのストーリーは忘れてしまい、月に向かって自転車を漕ぐシーンと指先を合わせるシーンだけが記憶に残っているのと同じ、山元先生が男性のおでこにゆっくり人差し指を付けるシーンだけが、リアルな傷として脳裏に焼き付いて後は、ぼやけてしまっています。

「鍼以外でも代用できます。」とおっしゃった山元先生・・・・確かに、指で代用されていました・・・・ふう~~

山元先生のお言葉

 

山元式新頭鍼療法(YNSA)の初級、中級、上級に分かれており、分厚い教科書や、セミナーごとに配布される資料が参考書となり、実技の助けとなっています。

東洋医学の教科書は、古典(2000年も前)からの資料が随所に使われている為、ある人は、このツボ、ある人はこのツボ・・・さあ~~あなたは・・・⁉️的なことが多いのです。

これでは、普及出来ません。

ところが、YNSAは、ソマトトープ(小さなの人型)をキーワードにした西洋的見地と陰陽五行の東洋的見地が合理的に融合している為、理解しやすく、しかも驚くべき成果を上げています。

その結果、今や多くの国の医師国家試験に、YNSA が出題されるようになっています。

14カ国以上の国々で医療として認められ、その多くが保険診療の適用になっています。

本家本元の日本。

鍼灸師が、成果をあげましょう。

今後、日本でも確実にYNSAが普及し特に鍼灸学校は生き残りの為、積極的にYNSA導入を考えていくでしょう。YNSA が生み出した大きな潮流に私もしっかりと身を委(ゆだ)ねようと思います。

山元先生のセミナーで、参加者に治療をしていき、自由に質問を受ける時間がありました。

その治療法は頭の至るところ(A~I点)に点在するスイッチを押すとカラダ中の特定個所が、反応するというものです。

参加者が訴える痛みの個所は様々であるにも拘(かか)わらず、何と山元先生は、全てA点で治療されます。これが、最新の治療法です。進化しています。

この予想外の治療法に先生は、

「生き物だからね~~」「立体的に渦巻いているいるから・・・・」

という2つのお言葉。

私は、フラクタル理論であろうと感じました。先日、葛飾北斎の大波について述べましたが、進化した大波の絵は、先端の波にも波があり、その先端にも波がある・・・という連続性を描いています。

この同じかたちの連続性こそが、生命体の証(あかし)です。

山元先生は、その事を北斎のように感じられ、治療されているのだと思います。

つまり、A点という狭い範囲に、ソマトトープという小さな人型を見出し、その人型の腰とか首を治療されているのだと思います。

ならば、頭にこだわる必要がないのかもしれません。足首にも渦巻く小さな人型が存在していてもおかしくありません。いや、存在しているはず・・・これから、面白くなりそうです。

百聞は一見、一触にしかず

山元先生との出会いの後、治療に変化は・・・・あります!

まず、ツボの見つけ方が、指の腹部分から、爪さきに比重をおくようになりました。それに伴い、狭い範囲に宝物が潜んでいるのでは・・・・という、ワクワク感が増してきました。

山元先生が頭以外で、足首の外側を丁寧に診ておられた様子が鮮明に記憶にあるため、自然と患者さんの足首が、頭の側頭部のように見えます。

実際、丁寧に診ていくと、ゴロゴロツボが出てきます。ツボの流れを知っているため、見落としていた名の無いツボが、いかに多いことか!既成概念にとらわれている自分に気づきます。

それから一番変わったことは、山元先生の治療姿勢のイメージが施術中にも浮かんでくるため、ある時は、山元先生に診ていただいている感覚。ある時は、山元先生になった感覚で施術を行えます。

これは、本当に大きな財産です。百聞は一見、一触にしかず❣️