伊予のストーンヘンジ

春分の日、我が家の近くにある巨石群に人々が集まってきます・・・・ところが、本日は雨、急遽(きゅうきょ)巨石群の近くの公民館で、「松山・白石の鼻巨石群振興会の設立総会」が行われることになりました。高浜というところに、巨石群が海の上に立っています。春分の日、秋分の日、夏至、冬至に夕日が沈む時、その光が巨石群のスキ間から、海面に龍の様な模様を描き、徐々に消えていくそうです。

様々な研究家が調査し、これは人工的な古代遺跡であろうと指摘しています。そこで、「伊予のストーンヘンジ」と命名されました。世界的にも、海にあるのは非常に珍しい遺跡だそうです。実際には、まだ見たことのない私が言うのも変ですが、ここは松山の観光スポットになれると思います。

そこで、月曜日に夕日を見に行こうと思います。素敵な写真が撮れますように!

モモ消えるの巻

モモ消えるの巻

生後5ヶ月のメス猫・モモが、消えました。
今朝、起きた時はキャリーボックスにいたのを、確認したのですが・・・・・朝風呂から出ると、消えていなくなりました。どこを探してもいません・・・・ドアは、しっかり閉めていたはず・・・押し入れを開けていたかもしれない・・・・・探しても、気配すらありません。9時から治療が入っているので、一階の治療室に行かなければ・・・・

治療中も少し、集中力が欠けそうになるのを、切り替えてしっかり集中・・・何とか、3人結果を出してモモを探しに2階に急ぎます。しかし、全く気配がありません。まさしく白忍者・モモ、お見事です・・・・・が、どう考えても、外に出ることは無理・・・・ところがいない。

ふと思いついたのが、流し台の下の開き戸。ゆっくり開けると・・・・いました、いました薄暗い隅っこに隠れていました・・・・これで、一安心。午後からの治療に集中できます。一仕事終えて・・・・

「モモ、そろそろ出ておいで!」

と、開き戸をあけるも・・・・・モモがいません。

「あれ?・・・・・あれは、幻視じゃったんじゃろか・・・いや、いや確かに居(お)った。」

再び部屋の隅々を丁寧に探しあるくのですが・・・・・気配がありません・・・・探すこと30分。
どうやら、流し台の下から出た様子はありません・・・・ということは、もしかして流し台の引き出し・・・・恐る恐る引き出しを開けると・・・・・頭隠して尻隠さず状態のモモ発見!

引き出しの後ろの部分の板が無く、ジャンプして入れる状態だったようです。普段、キャリーボックスばかりにいたモモ、少し冒険がしたくなったのかもしれません。次に狙われるのは、押し入れのはずです。まだまだしばらく、モモの「かくれんぼ」に付きあうことになるでしょう。

 

モモが品定め

戸棚に隠れることが出来なくなったモモは、キャリーボックスに隠れて、じっとこちらを見続けています。キャリーボックスは、上が開くようになっているので、撫(な)で撫(な)で作戦をしているのですが・・・・まだ片耳はイカ耳(警戒しているサイン)。

 

こちらが目を大きく開くと、モモにケンカを吹っかける事になるので、笑福亭鶴瓶師匠のような笑った細い目で、チラッとモモを見ることにしています。いつ見ても、こちらをジッと見ています・・・こうなったら、撫(な)で撫(な)で作戦。キャリーボックスに近づくと初めて、

「にゃあ~」

と鳴きました。これの意味することは、よく分かりませんが、もしかして挨拶(あいさつ)?

とにかく、撫(な)で撫(な)で作戦開始。途中イカ耳が、普通の耳になったので良しとします。

しばらくは、こんな調子が続くのだろうと思います。いずれにしても、生後5ヶ月の子猫が

60半ば過ぎのおっさんを品定めしている構図だけは変わりません。

「しかし、あのおっさん、水をチビチビ飲んで何がおいしんじゃろ?こちらのこと気にしてチラチラ細目で、見よる・・・・もう、早よ寝てくれ!ウチは早うネコタワーのボンボンで遊びたいの!」

「そうは、させん!これからYouTubeでワールドラグビーの試合を見るんじゃ。」

「ワールドラグビー・・・・?生後5ヶ月でそんなの分からない!」

などと、テレパシーでの会話は続きます。

母親の誕生日

3月12日は、母親の誕生日。今年で89才になります。

母親は、私が小学校1、2年生の時、通っていた東谷小学校の先生でした。給食の時間、食の細いKさん(女の子)が、クジラの揚げ物を食べることが出来なく、泣きそうなっていたのを、見るに見かねて

「Kさん、ボクが食べてあげるけん!」

といって、食べてあげたのが見つかったので、職員室に行ったのは覚えています。

「また、来とるんか・・・ひろむ君のかあちゃんの顔が見たいわ。」

 

と言われていたそうです。当の本人は、おちょうし者ですからケロッとしており覚えておりません。ところが、母親がよくその事を思い出してはしゃべってくれたので、その光景が作り上げたイメージとして定着しています。この出来事を母親は、いつもニコニコ顔で話してくれます。

一番良く覚えているのは、校庭の池に張った氷を素手で摘(つま)んだ瞬間、頭から血の気が引き倒れ、気がついたら母親が背負ってくれていた心地よい安心感と、皆んなに見られている恥ずかしさです。

そんな母親。私が生まれてこの方、病床についたことを見たことがありません。健康な理由の一つが、食事だと思います。母親は1日3食取りますが、食べる量は普通の人の1/3位です。驚くほど食べません。それから、食べ方が同じオカズだけ先に食べていきます。父親が昔から、

「かあちゃんの食べ方、おかしんぞ・・・よう見とおみ、おんなじオカズばっかし先(さき)に、食べよろう。」

と口癖のように言っていました。今では、野菜から食べることを「ベジファースト」と呼ばれ推奨されていますが、母親が若い頃はもちろん、そんな言葉はありません。本能的にカラダに良い食べ方をしていたのだと思います。来年には90才を迎える母親に、心配ばかりかけて本当に申し訳なかったのですが、何とか好きなことをして、生活できていると電話連絡できました。どうぞこの調子で、元気に長生きしてください。

何故、「ベジファースト」が良いのか、インスターネットから引用します。

『野菜を最初に食べると良い一番の理由は、野菜に「食物繊維」が含まれているからです。

でもひとくちに食物繊維と言っても、不溶性のものと水溶性のものの2つがあり、働きも微妙に違うんです。

このうち水溶性食物繊維は水分を蓄える機能を持っており、高い粘性があります。

このドロドロとした粘性によってその後に食べた食物を包み込み、ゆっくり消化吸収されるよう運ぶ為、食事をしたことによる血液中の糖の値がぐーんとあがってしまうのを防止し緩やかにしてくれるので、インスリンが出過ぎるのを抑制してくれます。』

モモ(メス猫)3日目

 

生後5ヶ月のメス猫・モモが帰ってきて3日目

一番落ち着くのが、戸棚の中。身を隠すには最高の場所なのでしょう。こちらの思惑など関係なく、せっかく用意した猫タワーは見向きもしません。しばらくは、持久戦が続きそうです。横隔膜ヘルニア(横隔膜に穴があき、腸が肺の方に入っていました)の手術をしたり、ワクチン注射をしたりと、短期間で色々な経験をした上で、ちょっとだけ知ってるおじさんの家に舞い戻ったのですから無理もありません。

里親のKさん宅で初対面の時は、膝に乗ったので、今回も・・・と思い、戸棚から引きずりおろそうとしても、生後5ヶ月にもなると、力強く踏ん張り、なかなか外に出せません・・・・握力が女性並みなのが、もう一つの理由ではあるのですが・・

ただ、ひたすら撫(な)で撫(な)でとネズミ人形でお遊び・・・・ちょっとだけ、遊んでくれます。

60才半ばのおっさんが、生後5ヶ月メス猫に振り回され、一喜一憂していて、恥ずかしい限りです。

まだ、3日目。

ボチボチ・・・

昨日、山元式新頭鍼療法(YNSA)紹介のYouTubeを作りました。YNSAを全く知らない人のために、分かりやすく作りました。良かったらご覧ください❣️

リモート勉強会(最終回)

 

 

日本の住まいの成立 ー東アジアの森と民家造りー

筑波大学名誉教授、安藤邦廣先生によるリモート講義の第6回(最終回)が午後1時

から4時30分までありました。非常に興味深い講座なので、何を紹介しようか迷いますが、下記の一点に絞ります。

板倉構法への展開

その字の通り、板倉とは、板で作った倉。安藤邦廣先生は森林の保全と国産材(杉)の活用を目的として、板倉構法の普及活動をされています。その内容は、

①大工技能を生かし板を継承する

②資源が循環し、耐久性に優れたストックとなる

③木材の持つ優れた断熱性、調湿性、防火性を生かした屋内環境、梁ない家を作る

①は、杉を伝統的な技術を身に付けている大工により、曲がった材でも利用できるようにする

②は、戦後、政府の政策として行われた植林で、50~60年ものの杉が、余った状態(十分にストックされていると肯定的に考える)。これらの資源をうまく活用することで、100年の耐久性にする。

③は、厚さ24mmと30mmの太い杉板を合わせて、壁を作り800℃の火で30分燃やし続ける実験を行った結果、杉板に含まれる水分(15%)のおかげで、燃えることなく、また壁を隔てた空間では30℃までしか温度が上がらなかったため、国土交通省から防火性を認められました。この結果を踏まえて、2011年の東日本大震災の仮説住宅を板倉構法でおおよそ200戸建設。100人の大工で2ヶ月用しました。

杉の木の持つ柔らかで癒され、設置された縁側では、ご近所同士の会話が弾む素敵なコミュニティーが出来ました。仮設を終えたこれら材は、西日本での大水害でも岡山県総社市が、再利用し再び素敵なコミュニティーを作り出しました。

今後は、コンクリートで囲まれて家屋が、次々と杉材へと移行していくことを、期待しましょう。

撫(な)で撫(な)でオキシトシン

美少女猫のモモが、帰ってきました。里親のKさん宅にずいぶん慣れていたのに、突然こちらの都合で、インコがギャーギャーとうるさい部屋に再び引っ越して来ました。我が家は、2部屋プラス台所。台所と畳部屋がモモのテリトリーになります。その6畳の畳部屋の片隅にトイレを作ったのですが、トイレを押し退け隅っこに居場所を作ったまま、じ~っとしています。水もエサも食べないでじ~っとしています。

 

そこで、モモをつかみ出し、頭を撫(な)で撫(な)で大作戦。ここで山元式新頭鍼療法(YNSA)の鍼灸師としては、治療点に丁寧な撫(な)で撫(な)で。これがずいぶん効きました。調子に乗ってカラダの撫(な)で撫(な)で・・・・嫌がるモモは逃げましたが・・・・ちょっと、メドが立った気がします。

オキシトシンというホルモンは、撫(な)でると分泌されます。このホルモンとは、

オキシトシンは9個のアミノ酸で構成されるぺプチドホルモンの一種で、脳の視床下部で生産され、脳下垂体から分泌されます。

オキシトシンは赤ちゃんが乳頭を吸引する刺激によって、分泌が促進されます。すなわち、ママの母乳を出すためのホルモンです。また、オキシトシンは子宮平滑筋を収縮させることで、出産時は陣痛を起こして分娩を促し、出産後は子宮の回復を促進する働きも持っています。

オキシトシンによる効果

オキシトシンがもたらす効果の代表例には以下のようなものがあります。

■幸せな気分になる

■ストレスが緩和される

■学習意欲や集中力が向上する

■不安な気持ちを落ちつかせる

■ポジティブになりやすくなる

と、あります。とにかく、モモの頭に撫(な)で撫(な)ですることで、距離を縮めるしかないようです。まあ~ボチボチ。

猫タワー完成

 

とんでもない美少女のモモ(メス猫)が、3月6日(土)我が家に帰って来るのです。Amazonで注文した色と違う猫タワーを2回も送ってもらい(もしかして、私のミス)・・・・頭に来て、もう2度とアマゾンで買い物しませんとも、投稿したのですが・・・・・・注文通りのベージュ色猫タワーが届きました。

そこで、猫タワー制作。私は芸術作品を作っていたので、器用だと思われている節はありますが、非常に不器用です。特に立体的な工作は嫌いです。よくもまあ、大学で彫塑科という最も苦手な学科を選んだものです。

本当は、日本画を学びたかったのですが、入った大学に日本画科がなかったのです。間抜けな人生がここからスタートします。ドンドン猫タワーから話がずれそうですが、ドンドンいきましょう・・・・で、なぜ彫塑科を選んだかというと、晝間弘(ひるまひろし)先生という魅力的な彫刻家との出会いがあったからです。私が入った筑波大学は、筑波山のふもとの大草原にポツンと寄宿舎と大学の建物があるだけの、ド田舎。晝間先生は、長崎平和祈念像を作られた北村西望先生の弟子であの像の下半身を制作されています。

田舎者が、もっと田舎の筑波に行って、とんでもない凄い彫刻家に出会ったら・・・師事するでしょう。ところが・・・・で始まると脱線し過ぎますので、猫タワーに話を戻します。

元々、プラモデルを作るのが嫌いです。理由は、出来上がった形が最初から分かっているからです。その工程に、ワクワク感を見つけ出すことが出来ないのです・・・ところが、今回の猫タワー制作はプラモデルの大型版にもかかわらず、ワクワクしたり、しんみりしたり・・・・不器用なりに、完成。

25年前にミミという可愛く利口なメス猫を飼っていました。その子の思い出があふれ出し、しんみり。でも、子猫のモモがここで遊ぶと、想像するとワクワク。まあ単純バカ・・・・・・素敵なタワーが出来ました。

散歩

子猫のモモがいないので、セキセイインコのキー、ボーを散歩させているのですが、いつも繰り広げられる光景があります。頭の良いキーは直ぐに外へ出てカゴの上でゆっくりします。それを見たボーは、ちょっとだけおバカさんなので、

「ねえねえ~、どうしてそっちにいけるの?ボクも行きたいのに・・・・どうすりゃあいいの?教えて、教えて!」

「あんたみたいに、おバカさんには教えん!」

「そんなこと言わんと・・・教えてや!」

「逆立ちすると気持ちええな~」

「ボクもお外で逆立ちしたい!!!」

などと、会話をしているように思います。実際、ペラペラと日本語をしゃべるセキセイインコをYouTubeでよく見かけるので、インコ語というのは存在するのでしょう。そんなこと感じながらインコを見ていると、小さな人間が漫才をしているように感じて楽しくなります。

この様子を眺めていると、モモが今週土曜日に帰って来ても、散歩をさせてあげたくなります。モモをキャリーボックスに入れておけば可能なので、共存出来そうに思います。

やっと、ベージュの猫タワーが届いたのでボチボチ作ってモモを待つことにします。

追伸:今日の近未来創世記 日本を救うヤバイ偉人 という番組で、京都大学でシジュウガラを研究している先生がシジュウガラが言語を持っている事を、証明していました。今後、鳥やネコの言葉を翻訳できるマシーンができるでしょう!

ニャア〜

チャルル(オス猫2才くらい)が我が家でお泊まりして、最後の日。飼い主のご夫婦と夕食をして、我が家にいるチャルルとご対面・・・・・

「チャルル、チャルルいるかい?」

と、私はしゃべりながら、玄関のドアを開けチャルルのいる部屋にはいるのですが、チャルルは全く無視。何一つ返事をしてくれないのが、いつものパターンなのですが、今回は、

「ニャア~~」

と返事をしてくれました!どうして??

これは、間違いなくチャルルが気配を感じたからなのです・・・私のあとに入って来るご夫妻の気配・・・・?

猫の気配察知能力は、人智を超えています。ただただ感心してしまいます。

ここからは、私の偏見で書きます・・・・

2006年に、ジョアンミロ美術館(スペイン・マジョルカ島)で2ヶ月滞在して、子供たちのために様々なワークショップを行いました。そこで、ある男性と話している時、私が、動物から学ぶ事が多いと言った事に対して、憤慨したように、

「何を言っているんだ!あの低レベルの生き物から学ぶ事なんてないだろう。」

という答えが返ってきました。私は言葉を失い、

『こいつとは、話ができない・・・・話題を変えよう・・・しかし、それにしてもこの違いは何じゃ?』

と思った事をふっと思い出しました。あの体験から考えたのは、犬。

明治以前、つまり西洋の文化が入って来る以前、日本犬は甲斐犬、紀州犬、四国犬、秋田犬、などと、地域で育った土着犬以外はあまりいませんでした(多分、江戸のお殿様はチンを飼っていた様な気はします)。

ところが、西洋では犬を人間が作ったと考えています。ポインターという犬は草原にいる鳥を追い出す仕事をさせるために、ジグザグに走るように作られました。リトリバーは、舟に乗り撃ち落とされたカモなどを、泳いで捕まえ引き返すのに適しているように作られました。そのため、水が大好きです。ダックスフンドは、アナグマを取るため短い足と長い胴の犬になりました。

このように、西洋の狩猟民族は犬を生活のために、改良してきた歴史があります。日本における犬は、稲作という土着の農業に適した犬になっていったように思います。そのため、犬を作るという発想はなかったと思います。もっとも、西洋の文化と共に入ってきた犬は、ペットとして今の日本では欠かせない生き物ですが・・・・・

とにかく、犬や猫から学ぶことはたくさんあると、思います。