積み木を不安定な状態で積む

治療室の玄関は、石で、床と段差がありません。そのため、積み木を作るのに適しています。患者がいなくなり静かな夜に、ふと積み木を作りたくなりました。ただ、普通に積(つ)むのも面白くないので、床にクスノキ のコブを2つ置き、それ踏んで足元をやや不安定にして積み上げてみました・・・・・この程度のコブなら、全く問題なく普通に積めます。

そこで、かなり大きめのコブに乗り、積み上げてみます。しかも、積み上げる時は片足立ちをして積むというルールを作ると、一気にバランス感覚が危(あやう)くなり、真剣勝負。私の軸がブレるので、積み木の軸もブレる感覚になり、揺れながら積み木を乗せることで軸を確認する感じです。

作り終えて10分以上経ちますが、足ウラがポカポカ暖かく気持ちがいいのです。明日の治療で何か応用できないものか・・・・・と、想いを巡らせています。

ギックリ背中その2

昨日に続いて、「ギックリ背中」の患者さん(昨日の患者さんではありません)から、突然の電話連絡がありました。本日は暇(ひま)にしていたので、突然予約大歓迎です。

30才代の男性患者Aさん。3日前ソファーで寝てしまったせいか、朝起きると左肩甲骨の下側に痛みが走り、それがドンドン加速、昨日はガマン出来ず、救急病院に駆け込んだそうです。

病院では内臓の検査には全く異常なく、ロキソニン服用となりました。今回は、1錠飲んで来られているので、痛みはガマンできる程度のようです。

早速、合谷診(人差し指と親指の間の触診)左(明らかに左に圧痛点)から治療を始めます。

上腕診(肘内側の横紋周辺の触診)

左:頸椎、胸椎、腰椎、脳幹、大脳それぞれに圧痛点。小脳なし

右:なし

今回は、操体法を導入。奥のベッドに移動してもらい仰向けになってもらいます。すると、左脚が1cm長いので、左カカトをゆっくり押し込んでもらいます。私は、右手親指でAさんのカカトをしっかり支えて程よい抵抗を作ります。これで、左右差がなくなりました。次は、両膝を曲げてもらい、左と右にゆっくり両膝を倒してもらいます。そして、可動域の少ない方から、可動域の大きい方へ、ゆっくりと戻してもらいます・・・が、私が軽く抑えているので、実際にはAさんの膝は動きません。

「カラダの中心腰を使ってゆっくりと・・・・実際には、私が抑えているので、動きませんが、ゆっくりと気持ち良くカラダの中を動かしてみて下さい。」

などと、言葉がけしてAさんの動きを誘導します。これで、背中の痛みが10→7になりました。

再び、合谷診(人差し指と親指の間の触診)をすると、左右差はほとんどなくなっていました。

上腕診(肘内側の横紋周辺の触診)

左:小脳

右:腰椎

最初の触診と、全く違う圧痛点を感じました。こうなると、直接左胸椎を狙って、E点という左の眉毛の上の圧痛点に3本置鍼。

「これでどうですか?」

「随分いいです!」

次に後頭部にあるマスターキーという点に1本置鍼。

「これでどうですか?」

「あっ、もっと軽くなりました。」

最後は、胸部ソマトトープ(小さな人型の投影)の胸骨圧痛点に1本置鍼で終了。30分ゆっくりジャズを聴きながら休んでもらいました。来院された時の痛みが10→2になりました。また3日後に来院されます。

ギックリ背中とひょう疽(そ)

ギックリ背中とは、ギックリ腰のように腰から上で肩甲骨の周辺に突然生じる痛みの事を言うようです。

ひょう疽(そ)とは、指先に生じる感染症のひとつです。正常な皮膚が破壊された場所に細菌が入り込むことから発症します。

今回の患者さんは、ギックリ背中で来られたのですが、よくよく見ると右手の中指が包帯でグルグル巻きの50才代女性患者Cさんです。

「いつから、ギックリ背中になったんですか」

「3日ほど前から、仰向けになると痛くて寝れません。」

「それは、大変ですね・・・・・あれ?右手の中指・・・これは?」

「まき爪にバイ菌が入って・・・・病院でひょう疽(そ)と診断されました。」

「いつからですか?」

「・・・・3日ほど前からです。」

「?・・そしたら、中指のひょう疽(ひ)とギックリ背中が関係あるかもしれませんね。」

などと話しながら合谷診(人差し指と親指の触診)を始めます。左右差はないようです・・・ということは、左右どちらからでも治療していいと解釈しています。

上腕診(肘内側の横紋周辺の触診)

左:頸椎(1)、腰椎(1)

右:胸椎(1)

この上腕診で見つかった圧痛点を、オデコの生え際にある治療点に置鍼し、圧痛点を無くします。ここでポイントになったのが、右胸椎。Cさんはギックリ背中のため、胸椎に異常があります。そのため、治療点の右眉毛の上の圧痛点を丁寧にさぐりました。

「痛いところがあったら教えてください。」

「・・・・・痛い!そこ!」

その圧痛点を押し、診断点の右肘内側の圧痛点が無くなるのを確認し、置鍼します。

「これで・・・・仰向きになって寝てもらっていいですか?」

「・・・・・・・よいしょ・・・??・・痛くない!・・・・けど、起き上がる時、右肩あたりが痛いです。」

「そしたら、右耳のここあたり・・・・痛くないですか?・・・・痛いでしょ・・ここに刺しますね・・・・・これで、起き上がる時、どうですか?」

「・・・・・・うん?・・・痛くない!」

と、ギックリ背中が良くなりました。あとは、念のためオデコのB点という肩の治療点に置鍼して終了。するとCさん、

「右手の中指(ひょう疽で包帯を巻いている)が、ピリピリ、ジンジンする!」

とニッコリ。右手中指は、頭蓋骨から頸椎、胸椎、腰椎に対応するところ(写真参照:龍村式指ヨガ健康法より)なので、私もニッコリ!

操体法だけで治療

朝9:00から開院なので、5分前に治療所に行くと、70才代の男性患者Cさんが待合室で本を読んでおられました。

「この本だけでは、よく分かりません・・・・イラストが少ないし・・・」

Cさんは、操体法の本を開きながら、つぶやいてくれました。『きっと、操体法を受けたいんだな』

と感じ、

「今日は、操体法で治療しましょう。」

という事になりました。まずベッドに仰向けになってもらいます。すると左脚が緊張して尖(とが)った感じで、しかも右脚より2cm程長い。これは、骨盤が左下がりになっているためです。

こういう時は、長い左脚のカカトを押し込むと骨盤が元に戻ります。

「Cさん、今私が左のカカトを親指で押し込んでいます、これに対して、ゆっくりと踏みこんでもらっていいですか・・・・決して無理しないで、気持ちいい力加減を聴き分けながらやってみて下さい・・・・・・痛かったら、やめてください・・・そうです・・・カラダの中心腰を使って、背中で・・・・肩甲骨で・・・・」

などと、動きを誘導します。結果、一回の操法で左右の脚の長さが整いました。その後、4つの操体法を治療として行い、それぞれの操法に1人で出来る方法を指導。Cさんは、両膝痛で悩んでおられるのですが、歩行時の痛みがなくなりました。

「私は、操体法の方が合ってるみたいです。」

とおっしゃるので、今後Cさんには操法法を中心で治療することにしました。Cさんには、操体法の併用、融合を考えるいい機会を与えていただきました。ありがとうございます😊

待合室の本紹介(その3)

本を手元にあまり持っていない私ですが、『あの本は持っていたかも・・・・』っと探していたら、見つかりました。

「木を植えよ!」宮脇昭著(新潮選書)

この本を手にして驚いたのは、最後まで重要な個所にグリーンの蛍光色ラインが引かれている事。もっと驚いたのは、それをサッパリ覚えていない事!情けない限りです。

再び読み始め、我が意を得た個所があるので、引用します。

現在、日本人の92%以上は照葉樹林域に暮らしています。そうした地域には、土地本来の樹種である高木のシイノキ、タブノキ、カシ類を中心に、防災機能を果たす森を積極的に作っていくべきです。高木を支える亜高木として、ヤブツバキ、モチノキ、しろだも、ヤマモモ、カクレミノなどを、混植・密植します。

(中略)

照葉樹を護岸林とすれば、鉄筋やコンクリート以上に、時間とともに、より確実に斜面や堤防を保全する役割を果たします。植物の根は一見弱そうに見えますが、シイノキ、タブノキ、カシ類の並木道を舗装すると、根がコンクリートを持ち上げることがあるほど、底力があります。「柔よく剛を制す」といわれますが、強度においてはむしろ、コンクリートや鉄筋よりも木の根の方が強いでしょう。

(中略)

根本的、長期的な災害対策としては、河川堤防の斜面などに土地本来の照葉樹林形成をめざして植林していくべきです。また、そうした森は、夏の温度上昇を抑え、強風を緩和し、大気や水質の浄化の役目もある程度果たします。景観が、人の心を穏やかにさせるのは言うまでもありません。

これを、めざしましょう!

待合室の本紹介(その2)

私の好きなテレビ番組に「ブラタモリ」があります。私がまだ東京で生活している時(平成28年1月30日放送)、松山編を見ました。この番組が本になり、待合室にあります。

私は、18才までしか愛媛県におらず松山の歴史、地理をよく知りません。そのため、博識の天才タモリさんが、地形を見ながら歴史を読み解く様子は、痛快です。そして『オレ、何にも知らんな!』と己れの無知無能を知るのです。

無知その1:現在、51万5千人の人口で四国一の都市・松山は、お城ができる1648年までは、人がほとんど住んでいない広大な湿地であった。

無知その2:扇状地は、河川が山地から低地にに流れ出るところにできる扇形の地形で、河川に運ばれた土砂によって作られるため、洪水が頻繁に起き、そのままでは大きな街は作れない。つまり、扇状地の松山地域は、街造りには不向きだった。

無知その3:都市造りに不向きな扇状地に行った土木工事が2つある。その1つは、暴れ川の石手川に高さ2mの土手を南北に1km造り、洪水を防いだ。もう1つは、石手川の上流の岩堰(いわぜき)と呼ばれる地域の川底の岩盤を掘り下げ、水深を下げ洪水を防いだ。

無知その4:母校松山東高校のグランドに一段高い個所があり、1500m持久走で踏みつぶしていた一角が、その土手であった。

無知その5、あのタモリさんさえ分からなかった岩堰(いわぜき)の秘密。これは、本から引用します。

『「岩堰の川底を深くするのにどれくらいの期間を費やしたと思いますか」。梅木さん(案内人)の問いかけに、「長さ200mでしょ。15年くらいかな」とタモリさん。主な道具がノミですから、それくらいはかかりそう。しかし、答えはなんと「1年ほど」。

作業には農民たちも駆り出されました。掘り起こした石くずを1升持っていくと、同量の米をもらえたそうです。』

凄いですね~、わずか1年で工事を終えたなんて・・・・豪雨が毎年当たり前になりつつある今の日本に、大規模な治水工事が必要です。宮脇昭(みやわきあきら)横浜国立大学名誉教授が提唱している森を土手に造り変えることなど出来ないものでしょうか・・・

家族ぐるみ

「今日は、腰診(み)てもらおうか・・・だいぶ、足のむくみはのうなった。」

「腰はどうすると、痛いんですか?」

「歩くと、だるいんよ。」

と答えくれるのは、今年90才になる女性患者Bさん。ニコニコ穏やかな笑顔がかわいいのです。美空ひばりが大好きで、昭和の空間でゆったりとした時間が流れます。寝るのが得意で、イスに座っていても、いつの間にかウトウトしてしまいます。

合谷診(人差し指と親指の間の触診):左(左側から治療を始めます)

上腕診(肘内側の横紋周辺の触診)

左:頸椎(1)、腰椎(1)、大脳(1)

右:腰椎(1)

Bさんには、後頭部に置鍼します。後頭部にラムダ縫合という骨と骨の継ぎ目がアーチを描くようにあるのですが、この周辺に置鍼します。置鍼するたびに上腕の圧痛点がなくなったかどうか、確認します。

「ここどうですか?」

「痛くないです。」

「これは?」

「楽じゃ・・・」

「美空ひばりのマドロスさん」がゆったり流れます。

「これで、歩いてみてください・・・・どうですか?」

「・・・・・よっこらしょ・・・ありゃ・・・だるない、軽い、軽い。」

「そりゃ~、良かった・・・そしたら、首を診(み)ましょう。」

「これとこれは・・・どっちがいたいです?」

「う~~ん、そっちです。」

などと時間が過ぎていきます。

首診

左:腎(1)、膀胱(1)、心(0)、脾(0)、小腸(1)

後側頭部に置鍼後、首の圧痛点がなくなるのを確認します。(0)は、他の置鍼の影響を受け、圧痛点自動消滅したことを示しています。

「これで、もう一度歩いてみて下さい。」

「・・・・・軽い、大丈夫。」

「そしたら・・・あとは、イスでゆっくりしてくださいね・・・」

しばらくすると、ウトウト・・・・

途中から足をバタバタするBさん、

「足のウラが変ですか?」

「・・・足ウラが、ベタベタ引っつくような感じで気持ち悪いんよ」

「そしたら、鍼しましょう・・・・」

左側頭部に2本置鍼。

「これで、どうですか?」

「・・・・・ええ感じ、軽い。」

「左だけですか?」

「いや、両方とも軽い。」

などと、過ごしていると、娘さんが車でお迎えに来られるました。

「先生、明日は私、お願いします(^^)」とお迎えの娘さん。家族ぐるみのお付き合いになっています。

尻もちと大腸

松山市に引越して、4年目ですが、大雨による避難勧告が初めて出ました。雨が少ない瀬戸内地方でこんなに雨が降るのは、本当に珍しい事ですが、今後は当たり前になっていくのでしょうか・・・一階が治療所で二階が住居の我が家、二階に避難しています。

(しばらく経って・・・どうやら避難勧告は、解除されたようです)

「先生、ひどい雨じゃね~・・・・・今日は、お尻が痛うて、痛うて。」

「どしたん?」

「あんね~、仕事場で靴下履(は)こうとして・・・こうやってクルマが付いとるイスを座(すわ)っとるとこから、思い切って引いたんよ・・・・そしたら、ドスンっと尻もちしてしもて・・・」

「そしたら、皆んなに笑われたろう?」

「それが先生、一番後ろじゃったけん、見られてないんよ・・・(^^)」

「・・・良かったなあ・・・こういう時は、大腸じゃな~・・・あんね~、ここ痛ない?」

と、同い年で生年月日が近い女性患者Aさんの首と肩の境目あたりを、押圧。

「痛い!先生、痛い痛い。」

「尻もちすると、どうも大腸が下がるみたい・・・・じゃけん、ここ(首と肩の境目)が良うなったら、お尻も良うなるかも知れんね・・・」

「先生、痛いんは、右のお尻と右の股関節とあし(下肢)の外側・・・・膝を上げると痛いんよ。」

Aさんは、お尻を強打したことで、初診時の痛みと同じところに痛みを感じるようになっていました。

合谷診(人差し指と親指の間触診):左(左側から治療します)

上腕診(肘内側の横紋周辺の触診)

左:頸椎(1)、腰椎(1)、脳幹(1)

右:なし

左の生え際あたりに置鍼し、上腕の圧痛点を取りました。これで、自律神経が整いました。

首診

左:腎(1)、胆(1)、心包(1)、大腸(1)

右:大腸(1)

左側頭部に4本置鍼、右側頭部に1本置鍼で、首の圧痛点が取れました。

大腸診断点(首と肩の境目)の圧痛点を取ると・・・・

「先生、あれっっ・・・どしたん・・・膝上げても痛ない!先生、大丈夫じゃわい!」

ということになりました。やはり、お尻の強打は大腸と非常に関係があるようです。後は、待合室のテレビを点(つ)けて大雨情報番組を見ながら、おしゃべりして30分過ごしました。

待合室の本紹介

 

読書を余りしない私。そんなに本を持っていません。引越し回数も多かったのでドンドン本は捨てられ限られています。それらの中から24冊を待合室に置いています。一番読みやすいと評判の本が、「近藤林内物語 身だからはイモに大根にムギの飯」。

この本は地元の子供に、地元の偉人を紹介する本のため、大きな文字で全ての漢字にルビを振っています。厚さは3mmほどで週刊誌くらいの大きさ。待合室で読むにはうってつけです。この本の発行所は、林内会。その住所をよく見てみると、私が生まれ育った惣河内神社社務所。ここは別名「一畳庵(いちじょうあん)」と呼ばれているので 一畳庵内 と発行所元を称しています。

今年、近藤林内さんを敬愛する人達が集まって作った本です。

近藤林内(こんどうりんない)という徳のある庄屋さんが、作り酒屋で成功し、その財を地域のために投げ出したという、お話なのです。その一節を紹介します。

『1854年(嘉永7年)36才のとき、金比羅大権現(現在の金比羅寺)と、数年前に焼けた惣河内神社を建て直しするために、地元の大工を連れて京都の寺や神社を見学しました。そして、それに負けないような素晴らしいものを建てようと考えました。そこで自分の山林を寺と神社に寄付し、その木を材木として使用しました。また、神社の境内には見事な石がきをつくりました。惣河内神社の天井は120枚の動物・鳥・魚・植物などの絵がかかれています。これも京都を見学したときに見た寺や神社の天井を参考にしたものです。

「河之内にもこんな天井の神社を作ろう。」

と考えかかせたものであり、この時代のものとしては愛媛県でもめずらしい見事なものです。この寺と神社の立て直しに使われた工事費用のほとんどは林内の財産が使われました。』

私が子供のころ、雨降りの日にこの立派な天井の下で、友だちとよく相撲を取ったものです。たまに負けて(ちょっと強がり)・・・天井を見た時の、絵の素晴らしさにホレボレした事を思い出します・・・特にニワトリの絵が素晴らしいのです・・・いつの間にか、美しいものを見る目を養っていたのかも知れません・・・・林内さん、ありがとうございます。

報道ステーションに母校が!

先日の報道ステーションに母校の野球部が特集されていました。今年はコロナ禍で春夏の甲子園大会が中止になるという異例の年となってしまい全国の高校3年生は、全員試練に立たされました。

そこで、愛媛県では、8月1日(土)より10日間程の日程で、県内1位を決める大会を実施する救済策を決定。この大会とは別に、従来は秋に行っていたNEWS杯という松山市内の松山北、松山東、松山西、松山南高校合同の大会を、6月末に企画されていました。そこで、母校の野球部3年生は、NEWS杯を最後にユニフォームを脱ぐか、8月の大会後に脱ぐか・・・・何度も協議をした結果、前者を選びました。

報道ステーションでは、愛媛大学医学部を目指している持主海翔(もちぬしかいと)君にスポットを当て、NEWS杯の試合の様子や、スポーツキャスターの寺川綾さんとのリモート対談を放映していました。

5年前、21世紀枠で甲子園に出場し、強豪の二松学舎高校に勝利し、準優勝した東海大四校に8回で逆転されるまで勝っていた試合を演じた母校。全国に「松山東ここにあり」と狼煙(のろし)を上げました。その後は少し低迷が続いていますが、報道ステーションが取り上げてくれるのも、うなずけます。

それにしても、持主海翔君しっかりしています。1日に6時間も勉強し医学部を目指しています。私が高校3年生の頃・・・将来の夢見えていませんでした。ぼんやり楽しく過ごしていました。「どうせ愛媛を出るんじゃったら東京に行こう」受験勉強は、運動会が終わったら必死でやろう!くらいの高校生でした・・・・結果、2浪することになったのです。

後輩たちの健闘を祈っています・・・東高ガンバっていきましょい‼️