シソが凄い!

80才代の女性患者Aさんが、私の畑を見て、

「このシソは、体にええよ・・・お医者さんに一食で10枚食べたらええと言われた。確かに食べとったら、免疫の数値が良かったんよ。毎日食べたらええわい。」

「それは、知らんかった。毎日青汁作る時、入れよったんじゃけど、もっと沢山入れよわい。」

と、Aさんから良い情報をいただきました。そこで、シソの成分を調べてみると、下記のように素晴らしものでした。

『紫蘇にはβカロテンが豊富に含まれています。その量は100g中に11000μgと人参の9100μgをはるかに超えている他、ヨモギやアシタバの2倍以上となっています。

βカロテンには活性酸素を抑え動脈硬化や心筋梗塞などの生活習慣病から守る働きや、皮膚や粘膜の細胞を正常に保つ働きがあり、あわせて免疫力を高め、がん予防にも効果があると言われています。

◆各種栄養成分量は抜群

紫蘇はβカロテンだけでなく、ビタミンB群やビタミンEやKなども他の野菜に比べ抜群に沢山含んでいます。単に薬味としてだけでなく、積極的に食べる事をお勧めします。

◆清々しい香りの芳香成分ぺリアルデヒドの効果

紫蘇の清々しい香りは主にぺリアルデヒドと呼ばれる芳香成分によるもので、強い防腐・殺菌作用を持っています。生魚を食べる刺身のツマに用いる事は理にかなっているんです。更にこの香りにより食欲増進効果や健胃作用もあるといわれています。

◆ミネラルも豊富

鉄分をはじめ、カルシウムなど身体に必要なミネラルをバランスよく、しかも沢山含んでいます。

◆赤紫蘇は漢方薬の一つとして用いられています

赤紫蘇の葉は漢方医学では「蘇葉(そよう)」と呼ばれ、気が停滞している状態を改善し、精神を安定させる理気薬として色々な漢方薬に配合されています。』

こんなに素晴らしい葉っぱだとは、思っても見ませでした。シソは繁殖力が凄い分、生命力があるのでしょう。また、冬場全く陽が当たらない畑でも、シソは咲いていたと思います。年中育てようと思います。Aさんありがとうございます♪

オリンピックが始まった!

オリンピックの開会式がありました。

コロナ禍の祭典・・・・さて、どうなることか?観客がいない競技場を、手を振って入場する選手団は、故郷でテレビを見ている人々に手を振っていることでしょう。開会式の企画関係者の度重なる不祥事に不安と疑問と不信を感じながら、テレビ観戦することになりました。度肝を抜くような仕掛けもなく、コロナ禍らしい静かな祭典だったと思います。

国民栄誉賞の王貞治氏、長嶋茂雄氏、松井秀喜氏が行進されるシーン、特に脳梗塞で倒れ右半身不随の長嶋茂雄氏を支えながら松井秀喜氏が歩くお二人の様子は、胸を打ちました。私が野球を好きになったのは、長嶋茂雄氏の華やなプレーを見て育ったからです。感情豊かに常に全力でプレーする長嶋茂雄氏は白黒テレビの中でも、飛び抜けて華やかな、まるで極彩色のテレビを見ているかのようでした。

ホームランを機械のように量産する王貞治氏を、当時の私は憎らしとさえ思っていたのです。しかし、現役を退いて監督としてチームを率いる王貞治監督のお姿は、人としてのお手本であり、世界一ホームランを打った野球選手としての風格があり、最も神様に近い野球人だと確信したものです。

これから2週間は、オリンピック一色になりますが、エンジェルスの大谷翔平選手や全国高校野球選手権大会もあるのでしっかり野球を見たいのです。

大変だ〜

大変なことになりました。よく分からないうちに9月某日(いつか忘れました)、萬翠荘という国の重要文化財の横にある空間(野外)で、コンサートがあり、私がベースギターを弾くことになりました。トランペットの名手、エレキギターの神様、寺内タケシ氏の弟子に囲まれ、今年から始めたベイシストが、弾くことになってしまいました・・・・それで、久しぶりに練習・・・すっかり忘れて・・・

もう開き直りしかありません!毎日少しずつ練習するという夏休みの課題が見つかりました。こうなったら迷惑をかけることは出来ません。無理せずやってみます。それにしても、小学校でハーモニカとリコーダーくらいしか楽器をしたことがないのに・・・・・

まあ~人生は楽しめばいいんです!

西条高校強い!

 

宿敵西条高校に、14対4(5回コールド)で母校松山東高校は敗れました。やはり、西条高校には敵(かな)いません。でもよくやりました。2勝したのですから、大したものです。これから、運動会の準備をして青春を謳歌してもらいたいと思います。それが終わったら、受験に集中して下さい。

私は、高校1年の2学期から野球経験が無いにもかかわらず、野球部に入りました。ですから、練習についていくだけで精一杯。帰宅(近くの下宿)してからの学習はしたくても、いつの間にか眠ってしまい・・・・授業中も眠ってしまう劣等生でした。それに比べると現在の野球部員の意識の高さには、頭が下がります。OB宛に送っていただく「一球一会 松山東高校野球部通信」に作文が掲載されていますので一部を紹介します。

『僕は中学校の頃、慶應義塾高校や膳所高校、彦根東高校が甲子園で躍動する姿を見て、自分も勉強と野球の両立ができるようになりたいと思いました。だから、生徒一人ひとりに意識が高い東高校で文武両道を果たすことを目標に進学しました。』

『これから野球部員として先輩の誇らしい姿を見習って頑張りたい。また、監督である友近先生が絶えずおっしゃっている「思考野球」そしてチームカラーである「のびのび きびきび さわやかに ひたむき」にを実現できるように自分に何ができるのかを考えていきたい。』

参りました。えらい!

イノシシ情報

今年は、スイカが大豊作。毎週1回来院の患者さんは、スイカの収穫で大忙しです。出来のいいスイカが多いのをイノシシも知っています。しかもイノシシは、中々のグルメだそうで、熟(う)れて美味しいものしか食べないそうです。

松山市近郊のイノシシには、「イノブタ」つまり、イノシシと豚の合いの子が多く、繁殖力が旺盛で、一気に大家族になるそうです。イノシシとイノブタの見分け方は、鼻。イノシシの方が先がとんがっており、イノブタはブタのように平らだそうです。そこで、ウィキペディアでイノブタを調べてみると、

『イノブタを意味する「ヒュブリダ」は「hybrid ハイブリッド」の語源であり、ハイブリッドは狭義のイノブタから転じて広義の交雑種(Hybrid)または雑種を指し、生物学、生理学的な種内雑種から種間雑種まで広い範囲が含まれるようになった経緯がある。それほどまでにイノブタというのは、ありふれた交雑であり、交雑の代表格なのである。』

とあり、イノブタは世界各国で当たり前に生まれているようです。それにしても、この厄介なイノブタとイノシシ、以前なら何頭か鉄砲で撃ち殺すと、しばらくはやって来なかったのですが、最近だと殺した当日でさえ、畑にやっと来て荒らすそうです。そこで大掛かりな罠(わな)を仕掛けます。頑丈で大きな箱を用意し、そこにエサとなるヌカを入れ、蓋(ふた)を上げてイノシシを待ちます。

イノシシは一列になって前に進む、いわゆる猪突猛進。一気に箱へ入って、一網打尽だそうです。

被害甚大な今年の経験から、来年は完璧なフェンス作りで被害を留めるそうです。本当に農業は大変です!

カタカムナその2

カタカムナを解読した楢崎皐月氏の口述を、後継者の宇野多美恵氏がまとめた「相似象学会誌」を吉野信子氏が読んだ結果、吉野氏が探し求めていた答えはなかったそうです。そこで、吉野氏はカタカムナ関連本を段ボールに詰め込み、ガムテープを張り、押し入れにしまったそうです。

そこで、ヒフミの「ヒ」から「ヒ」で思いつく言葉を集め、これらの言葉にある共通概念を見つけ出す作業をされ、出来上がったのが「カタカムナ48音思念(言霊)表」です。

それでは、早速私の氏名を「カタカムナ48音思念(言霊)表」で解読してみましょう。

サイキヒロム

サ:遮り、差  イ:伝わるモノ、陰 キ:エネルギー、気

ヒ:根源から出、入 ロ:空間、抜ける ム:広がり

格差のあるところを伝えるエネルギーがあり、根源から抜け出す広がりを作り出す。

となります。このイメージは私の目指すところです。海外での生活経験から、日本とアメリカとの差を体感して、なおかつ子供たち3人はアメリカ人となってしまった現状があります。しかし、日本人の根源に戻り、その素晴らしさを広めるミッションを感じるのです。

私の名前は祖父がつけました。本当は惟弘(コレヒロ)でしたが、惟が当用漢字にないことから、惟に×がつけられる戸籍でした。そして、弘(ヒロム)となりました。今でも祖父が、

「ヒロムというのは、物ごとを広めるという意味があるんぞ。」

と言ってくれたことをしっかり覚えています。「根源から抜け出す広がりを作り出す」その通りですね。

相撲

柏鵬時代(柏戸、大鵬)に2度の全勝対決があったのは、60年ほど前・・・・・えっっ、そんなに時が流れた・・・・。白黒で画像が粗(あら)いのにリアルな相撲だったのを、記憶しています。私は柏戸ファン、決勝前日に興奮してなかなか眠れなかったのを覚えています。

今日は、大関照ノ富士と横綱白鵬の全勝対決がありました。子供の頃見た柏鵬の映像と、栃若(栃錦VS若乃花)の全勝対決の逸話を思い出しながら観戦・・・・相撲って、本当にすごい。裸で土の上で戦う・・・・にもかかわらず、神聖。これは、古事記、日本書紀にも記載されている神事なのです。その流れが今も残っている相撲。丁髷(ちょんまげ)が今でもテレビを通して見ることが出来るありがたさに、心より感謝します。インターネットで相撲の歴史を見てみると、下記です。

『日本において「相撲」がいつから行われていたのかは、定かではありません。しかし、古墳時代の埴輪には、明らかに力士の姿を想起させるものがあり、このころすでに力くらべとしての相撲が行われていたことが想像されます。また、古事記の中の「国ゆずり神話」に、「建御雷神(たけみかづちのかみ)」が力くらべで国ゆずりを遂行した様子が語られていることから、相撲の起源は神話の世界にまで遡ることがわかります。

実際に、日本書紀の「野見宿禰説話(のみのすくねせつわ)」には、垂仁天皇7年7月7日に天下一の強力として名を轟かせていた大和国の当麻蹴速(たいまのけはや)を諌めるため、天皇の勅命で出雲国の野見宿禰が招聘(しょうへい)され、相撲が組まれたとあるのです。この相撲に勝った宿禰には蹴速の領地が朝廷により授けられたとあり、相撲による力くらべがいかに重要な位置を占めていたかが想像されます。』

モモ(生後1年のメス猫)の最近

モモは、ネコをかぶっていました。私を見るといつも逃げて押し入れに隠れていたのですが、猫タワーを設置してから、全力でタワーの天辺に登る遊びを始めました。その度に、

「モモちゃん、すごい!」

とほめていたのです。すると、登るは、登るは・・・・・・結果、猫タワーを壊してしまいました。モモはおてんば娘だったのです。そこで、天井にまで届く猫タワーを改めて購入しました。この猫タワーは、頑丈。どんなに暴(あば)れても、びくともしません。この猫タワーを設置してから、モモの態度が変化しました。やっと、私に甘えてくるようになりました。信用してくれ始めたのです。

もう、これで安心・・・・やっと我が子になりました。

カタカムナ文字

カタカムナ文字ってご存知でしょうか?

操体法の創始者、橋本敬三先生が若いころキリスト教を勉強され、次に仏教そして最終的に古代文字のカタカムナを勉強されました。ですから、操体法を学ぶ者として最終的に到達しなければならない文字なのです。一時このカタカムナにハマり、カタカムナ研究の第一人者吉野信子先生のセミナーにも参加していたのですが・・・・いつの間にか遠のいていました。しかし、改めて先生の本を読み直し、日本人として学ぶべきものと思ったのです。

今回は、カタカムナが世に知られるようになった逸話をご紹介します。鉄専門の科学者、楢崎皐月氏が戦時中満州に住んでいた頃、老子教の寺の住職、盧有三(ろうさん)と出会い、お茶をいただくのですが、鉄瓶に水を入れ、枯葉を5~6枚くしゃくしゃと丸めて炉に入れ火をつけるだけで、お湯がぐらぐら沸いてしまったのです。

鉄の専門家である楢崎は、鉄瓶に秘密があるに違いないと思いました。そこでこの鉄瓶をぜひ譲ってほしいと頼むと、「もともと日本から来たものだから帰国したら探してみると良い」と言われたそうです。そして鉄瓶を作ったのは「八鏡文字と言う不思議な文字を使うアシア族で、古代に日本でとても高度な文明を築いていた」ということでした。

終戦になり帰国した楢崎氏は原材料、製造過程が全く同じ鉄製品が、作られた場所によって品質が全く変わってしまうことに気づき、それは、土地の電位の違いが影響しているのではないかと考えました。その説が証明できれば野菜の栽培にも応用できるのではないかと考えたのです。そこで全国の土地の電位を測定して回る活動を始めました。

1949年、兵庫県六甲山系金鳥山付近にたどり着いたときのことです。突然、猟師のような風体の不思議な老人が現れました。「平十字(ひらとうじ)」と言う人です。彼は「あちこちに機器を仕掛けているのはお前たちか動物が迷惑をしているから退けてくれんか」と言うのです。そこで楢崎氏は何の反論もせず言われた通り素直にそれらを撤去しました。するとその素直な人柄を気に入ったのか平十字は腰につけていた巻物を見せてくれました。彼が言うにはその巻物は「カタカムナ神社で宮司をしていた父親へと代々引き継がれてきたカタカムナ神社の御神体だ」ということで子供の頃を見たら目が潰れると脅かされたそうです。

その巻物に描かれていた図像を見たとき、楢崎氏は、もしかしたらこれが満州の盧有三から伝えられた日本のアシア族が使っていたとされる八鏡文字ではないかと直感したのです。

楢崎氏はその御神体を20日間かけノートに写し、長年かけて解読していきます。「古事記」にでてくる神様の御神名が、この巻物に同じ順番で出てくるのが分かり、最終的にカタカムナ文字は、48音に分類されました。現在の日本語も実質48音なので、カタカムナ文字は日本語の原型だと思われます。

このカタカムナ文字を使用していたアシア族は、縄文時代以前といわれているので、大昔の日本には巨石文明を含め、高度な文明があり、言霊を表す文字が存在していたと考えると日本人として誇り、ロマン、探究心をそそります。

合同チーム

全国高校野球愛媛県大会が、2回戦突入。西条高校と宇和高校実況放送がありました。名門西条高校は、文武両道でも知られ、全国高等学校クイズ選手権と全国高等学校野球選手権大会に出場し共に優勝をしています(もう1校は静岡県の進学校静岡高校)。私が高校3年生の夏、西条高校と対戦して首藤投手にノーヒットノーランを喰らったのです。悔しくて、恥ずかしい夏休みを過ごしたことを覚えています。当時の松山東高校(私の母校)は、いつも西条高校に負けていました・・・・勝てる気がしなかったのです。

 

さて、西条高校と宇和高校の試合は、9対1で西条高校が6回まで優勢でしたが、雨天ノーゲームとなり、明日9:00から再試合となりました。対する宇和高校は宇和高校三瓶分校の野球部員が7名、今年の春から宇和高校に合流しレギュラー部員の内3名は三瓶分校の選手です。愛媛の田舎では過疎化と少子化で高校が合同チームを作って参加している事がよくあります。先日戦った上浮穴(かみうけな)高校は、松山中央高校の有望な1年生の助っ人3~4人編成で違ったユニフォームのまま試合をしていました。

これが、地方の高校野球事情です。華やかなメジャーリーグ・オールスターゲームでの大谷翔平選手の活躍に隠れてしまい、中々見ることがないマイナーな世界にも、精一杯の生き様が見て取れます。

追伸:昭和25年の全国高等学校野球選手権大会を制したのは、松山東高校ですが、この時も松山商業と松山一高と合同チームでした。昭和23年に松山中学から松山一高に校名を変更し、昭和25年には松山商業を商業科として統合し松山東高校とした時期が2年間ありました。その時に全国優勝したため、松山商業と松山東高校の2校に優勝の記録が残っています。現在でも、松山商業と松山東高校は兄弟高校です。